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ずっと自分に自信が持てなかった。
殻を破り、介護福祉士兼モデルになったきっかけとは

介護福祉士・モデル 上条 百里奈

2モデルであることは介護に活きる!

ボランティアではなく仕事になったので、業務の幅が広がり、施設のおじいちゃん・おばあちゃんと心が通じ合う瞬間が増えました。
仕事にして心から良かったと思いましたし、夜勤を含めた長時間労働も苦になりませんでした。

ある日、緊急入所でおばあちゃんが運ばれてきました。
おばあちゃんは頭や肩、腰まで褥瘡(床ずれ)の症状が出て、骨も見えている状態だったんです。
なんでこんな状態になるまでSOSを出せなかったのか、介護をしていた旦那さまに聞いたら「妻が認知症であることも、介護を受けることも、恥ずかしくて言えなかった」と教えてくれました。衝撃でした。

この頃は社会全体に「介護は恥ずかしい」といった風潮がありました。
デイサービスの送迎車に乗ったとき、ご家族に「家から離れたところに停めてください」と言われたことが何度もありました。
介護を受けることは恥ずかしいことなのか、いや違う。
「ニキビ出来たよ」「風邪引いちゃった」と同じフランクさで「介護が必要なのよね」「認知症になっちゃったんだ」と言える社会にしたい。
そんな社会が介護の現場には必要だ。
介護福祉士として、介護技術を高めるだけでなく、介護を受けやすい社会に変えていこうと、決意しました。

その一歩として、適切な情報が適切に伝わるのが重要と考え、勉強会に参加し始めました。

ある日、介護福祉の学会に参加したときのことです。
先生たちの発表を聞くと、私が課題に感じていたケアに多くの解決法が提示されていました。
解決策がないわけではない。
現場に、家族に、必要な人に届いていないだけだったんです。

学会の帰り道、電車の乗り継ぎで立ち寄った新宿駅で「モデルになりませんか?」とスカウトされました。
人見知りで自信もない私がモデルになれるのかと、最初は驚き、悩みました。
でも、モデルになれば、公共の電波を使って介護の現状や課題が広く発信できると思ったんです。
もう、あんなひどい褥瘡になるまで我慢していたおばあちゃん、それを言えなかったおじいちゃんのような人を見たくない。

モデルは介護に利用できる!私は長野の施設を辞め、上京しました。

モデルの仕事は楽しかったです。
かわいいメイクをして雑誌に載ったり、ファッションショーでランウェイを歩いたり、夢みたいな時間でした。
モデルの仕事をしていくうちに、これまでなかった自信を持てるようになりました。
スタッフさんに求められて、自分の意見を出す余裕も出てきたんです。

25歳を過ぎた頃から、モデル兼介護福祉士としてメディアで扱ってもらえるようになりました。
「介護の現状を教えてほしい」と、いろいろな場所で講演する機会も増えました。
初めはなかなかうまく伝えられず、くやしい思いもしました。
また、介護の話は他人事に感じる人が多く、興味を持って聞いてくれる人はそう多くありませんでした。

それでも、発信し続ければ介護の現状が伝わると信じ、テレビドラマの介護監修や情報番組のコメンテーターといろいろな形で活動を続けていました。
しかし、世の中には介護や福祉以外に音楽やスポーツ、国際問題や環境問題、ありとあらゆるものを、発信力のあるたくさんの人が広めたがっていると気づいたのです。
発信には限界があるとふと感じました。

誰にも何も伝わらなくても、介護の仕組みを変えられる力が欲しいと、研究者の道を考えるようになりました。
2018年から東京大学の研究機関で、介護現場の労働環境の調査研究や公衆衛生やデータヘルスを勉強しています。
政策を考える先生方のヒントとなる論文や、公共の財産になるような情報を発信するため頑張っています。

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