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引退してもあなたの価値はなくならない
元マラソン日本代表が挑むセカンドキャリア作り

元マラソン日本代表 加納 由理

2憧れのオリンピック出場を目指して

大学生になってからは、自分たち主体で練習メニューを組み立てられるようになり、再び陸上競技が楽しくなっていきました。
コーチと一緒に目標設定をして、そこを目指して練習やレースに取り組んでいきました。

この頃から陸上選手としての脚光を浴びるようになっていきました。
5,000メートルや10,000メートルといったトラックの長距離種目で優勝を重ね、学生の日本代表にも選ばれるようになりました。
大学卒業後も競技者としてやっていこうと決意を固めたのはこの頃。
日本代表になったことで、もっとレベルの高い世界で闘ってみたいと思ったんです。

大学卒業後は大手化粧品会社に入社し、会社のランニングクラブに所属。
駅伝の国際大会や実業団の大会でチームを優勝に導きました。
初めて挑戦したフルマラソンの2007年大阪国際女子マラソン大会では3位に入賞し、その年に大阪で開催された世界選手権の補欠に選ばれました。
良い成績を納める一方で、学生の頃と比べると「勝ちきれない」感覚がありました。
この頃から、マラソンでオリンピックに出場することが目標に。
人生2回目のフルマラソンの北海道マラソンでは優勝を飾りましたが、2008年の北京オリンピックでは代表に選ばれませんでした。

「世界で戦える選手になる」「マラソンで勝つ」と決めて、トレーニングに励みました。
どんな目標を立てて、どんなレースに出場して、どんな走りをするのか。
勝つとはどういうことかを具体的に考えて調整するようになりました。
2009年にはベルリン世界選手権に出場して7位に入賞しました。

その後も、2012年のロンドンオリンピックに出場することを目標に、日々トレーニングを重ねました。
しかし、練習のし過ぎで足や肋骨の疲労骨折をしてしまい、予定していた代表選考レースには出場できませんでした。
疲労骨折が治った後、国内最後の選考レースに出場しましたが、全く走れず不本意な結果に終わり、オリンピック出場はかないませんでした。
33歳のときでした。

この頃から座骨に痛みを感じるようになり、痛みを我慢しながらレースや練習をこなしていました。
あるレースのために海外で合宿していたのですが、思うような練習ができず、最低限の練習をして帰国しました。
このとき、レースに対して気持ちが向かわなくなっている自分に気づきました。

これまでも、自分の思い通りのトレーニングができないことはありました。
しかし、1年以上痛みを我慢しながらトレーニングを続け、年齢を重ねるごとに疲労も回復しにくくなっていく中で、今後思うような練習ができるのだろうか、と考えるようになっていたのです。

これはもう企業に所属して競技を続けるメンタルじゃない。
チームの監督に「これ以上、痛みと闘いながらレースをするのは無理です」と告げました。
監督は「今すぐに辞める必要はないんじゃないか。休養してから復帰すればいいのでは」と言ってくれましたが、私の決意は揺らぎませんでした。
「痛みに我慢して練習してもオリンピック代表に選ばれる見込みがないなら辞めます」。
2014年5月、私はマラソン選手を引退しました。

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3. 現役引退後のセカンドキャリアの道しるべを
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