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生きているだけで誰かを支えている。
令和の乳母制度で、居場所をつくる
【NPO法人未来経験プロジェクト理事・堤園子】

目次
  1. 私も「誰かの居場所」になりたい
  2. 子どもたちの味方、「無敵のおばちゃん」に
  3. 全ての人が生きているだけで誰かを支えている

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、市役所で児童虐待の対応にあたりながら、こども食堂や学習支援などの活動を通して居場所づくりに尽力している堤園子さんをご紹介。

一級建築士や劇団員など異例のキャリアを経て、現在は「無敵のおばちゃん」を目指し地域の妊産婦さんや子どもたちへの支援をしている堤さん。人生をかけてつくりたい世界とは。お話を伺いました。

1私も「誰かの居場所」になりたい

私は幼いころから、何か困っても誰にも相談できない子どもでした。
そんな私の状況を見かねてか小学生の時、近所のおばちゃんが「あなたに何かあったら、絶対に助けてあげるから言いなさい」と言ってくれました
具体的に相談はできませんでしたが、ずっと私の心の支えになっていました。

小学校高学年で子ども会の運営に携わり、ボランティアの方々に出会いました。
彼らへのあこがれから、中学生からはジュニアリーダーとして活動を開始。
活動中は、私を尊重し、味方でいてくれる大人たちに支えられました。

参加していた平塚市の子ども会には、地域の子どもたちやお母さんたちがみんな参加していて、その場で出会った少し歳の離れたお姉さんやお兄さんたちが大好きで、「いつかこんな大人になりたい」と憧れの存在になりました。
他にも私の自由な性格を尊重し、いつでも味方でいてくれる大人たちとたくさん出会いました。

高校生になって、進路を考える時期に差し掛かると、子どものころから住宅の紹介をする番組を早起きして見たり、近所の大きな公園でいろいろな人がさまざまな過ごし方をしている様子を見るのが好きだったので、「ランドスケープ」が学べる建築学科へ進学しました。
建築がまちの中でどのような役割を担い、そこに集まる人にどんな物語がうまれるのか、どのような出会い方を創ることができるのかということに興味があったからです。

建築学科で寝る間も惜しんで勉強し、大学を卒業した後、設計事務所でバイトをしながらこれから自分は何をすべきか考えていました。
その時、学科の先生からかけられた言葉「君がつくるものには物語がある。
舞台美術とかを勉強したら良いんじゃないか?」を思い出しました。
その言葉を頼りに、舞台美術のスタッフを募集している劇団を探しました。

応募したところ、「舞台が作りたいなら、まずは舞台に立ってみたら?」と言われ、劇団員として入団することになりました。
まったく想定していない展開でしたが、ゼロから物語を作り、お客さんに楽しんでもらい、心に残るのがうれしかったです。
一人の役者として舞台に立ち、お客さんやミュージシャンや音響、照明と一緒に、その瞬間を生きる大切さと楽しさを学びました。
同じ物語でもその日、その時、集まるお客さんによって全然違うものになることも学びましたし、舞台とは生き物だなとも感じました。

27歳で無事に一級建築士の資格を取得。
建築士として仕事をする中、建築物を造っても、私が求めるような、人が集まるような場所ができない葛藤を感じていました。
空間を作っただけでは人の繋がりを生み出せないと悟ったんです。

一方、舞台づくりを通して、人(役者)が一人いたら「場」ができることも学びました。
人は人に集まってくる。
人の居場所は場所ではなく、人の中にできると思ったんです。
私が誰かを思うとき、私の中に誰かの居場所ができる。
「私も誰かの居場所になりたい」と強く感じました。

劇団員を10年ほど続けた34歳のとき、ふとこれからの人生で何を為したいのか考えました。
思い浮かんだのは、これまで私を支え続けてくれた、家族をはじめ、幼いころに私を支えてくれた地域のおばちゃんや、諦めずに自分と向きあってくれた塾の先生たちの姿。

あきらめずに信じて向きあってくれた大人、積極的に関わり居場所となってくれた大人たちとの出会いが私をここまで生かしてくれたと感じました。
そんな人たちへの恩返しとして、私も子どもたちの居場所になりたいと考えるようになりました。

2子どもたちの味方、「無敵のおばちゃん」に

児童養護施設の仕事をしたいと思った時、ちょうどスタッフを募集する求人が出ました。
私には福祉の資格もないし、経験もありませんでしたが、自分の想いを伝えたところ、「明日からその気持ちでいらっしゃい」と言ってもらえました。
就業後は、子どもたちの生活の支援を担当し、その後家庭養育支援センターに配属され里親支援事業に携わることに。
働きながら福祉関連の資格の勉強も始めました。

子どもたちはとても可愛かったけれど、本当の意味での信頼を得るには時間がかかりました。
この場所にいてもいい大人だと思ってもらえるようになるまで、ただ「関わらせてほしい」「役に立てることがあるといいな」と願い続けて過ごしました。

施設で働き出して最初に教えられたのは、「子どもが『抱っこして』と言うから抱っこするのではなくて、あなたから『抱っこさせて』と言える人になりなさい」ということです。
その考え方をベースに、子どもたちに正面から向きあい、「仮にあなたが私を嫌いでも、私はあなたが大好きだ!」と伝え続けました。
すると、最初は口もきいてくれなかった子どもたちが、少しずつ心を開いてくれるようになりました。

児童養護施設にはさまざまな理由で親と一緒に暮らせない子どもたちが生活しています。
彼らは皆、自分の生まれた場所を離れ、突然遠く離れた所で知らない子どもたちと一緒に暮らすことになります。
施設の中でも、信頼している人との別れを何度も経験し、それはまるで育つ大地を失うようなものだと感じました。
18歳になって施設を卒業し、地域に戻ることになっても、大きな不安が付き纏うと知りました。

彼らを、生まれ育った地域から切り離してはいけない。
もしかしたら、児童養護施設に来る前にできることがあるのではないかと考えるようになりました。
私が出会ったような「何かあったら絶対助ける」と言ってくれる大人がいたら、彼らはここに来ないで済んだのかもしれません。
その思いから、地域の子育て支援や児童虐待の対応ができる市役所に転職しました。

行政ならば児童虐待を未然に予防できると思っていましたが、実際は「事後対応」がほとんどでした。
行政に相談が来るころには、もう事態は深刻化しているんです。
誰かがもっと前に気が付き、話を聴けていたらと思いました。

また、虐待する親は、世間から見ると酷い親だと思われますが、私が出会ってきた人たちは違いました。
誰もがいい親でいたいと精一杯頑張り、何か困っても相談すると迷惑をかけるからと抱え込んでしまう人たちでした。
子育ては親の自己責任で、問題があったら通告する、というこの社会の構造そのものに問題があると感じるようになりました。
地域の一人の大人として子どもたちや保護者に出会い、居場所になれないかと、友人たち数名と地元の飲食店を借りて平塚市横内で夕食の提供を始めました。

しばらくすると、我々のサービスを求めているのにたどり着けない人がたくさんいると気が付きました。
そこで、拠点を増やし全ての人に歩いて行ける範囲に味方がいる地域を創りたいと思い、NPO法人を立ち上げました。

NPOでは、朝食を食べず、お弁当も持たずに学校に通う子どもたちに、お弁当として持ち帰り可能な朝ごはんを提供する「朝ごはんこども食堂」を開催。
加えて、未就学児の親子の日中の居場所が欲しいとの要望があり、お昼ご飯の子ども食堂を始めました。

「誰かに支援してもらうのは心苦しい」という話を聴き、皆でつくって皆で食べる食堂も始めました。
皆で献立も決め、買い物に行き、一緒につくって食べる。
できるときにできることをする「お互い様」の想いに支えられる場所に育っていて、お互いに勇気づけあっています。私自身も子どもたちやママたちから元気を貰っています。

3全ての人が生きているだけで誰かを支えている

現在は、引き続き平塚市役所こども家庭課で子育て相談や児童虐待の対応にあたりながら、NPO法人未来経験プロジェクトで子ども食堂の運営や学習支援など、地域の子どもと大人を繋ぐ活動や子育て支援活動をしています。
個人で行っている平塚市横内の子ども食堂の活動も継続しています。

子ども食堂や学習支援では、私たちは子どもたちに「会えてうれしい」と伝え、ただ同じ時間を共に過ごしています。

NPO法人未来経験プロジェクト活動の様子

NPO法人未来経験プロジェクト活動の様子

まったく勉強をしたがらない子も、ボランティアさんたちと楽しい時間を過ごしていて、学習支援なのに「帰りたくない」と言ってくれ、毎回楽しみにして来てくれるのがとてもうれしいです。
応援に来てくれている大人たちの方が、子どもたちから元気を貰って毎日生き生きと過ごしています。
子どもだけでなく、大人にとっても居場所になっていて、良い相乗効果が起こっているなと思います。

子育て世代は男女ともに10%が産後うつになり、産後一年以内の母親の死亡原因1位が⾃殺と言われています。
また、児童虐待によって、年間350人もの幼い子どもたちの命が亡くなっていて、これは約一日に一人のペースです。

子どものためにいい親でありたいと思い、誰かに迷惑をかけてはいけない、自分で頑張らなければいけない、親失格になってしまうと誰にも相談できない人が沢山います。
私は、「助けさせてほしい、頼って欲しい、あなたは十分頑張っている!」と伝えたいと思っています。
子育てに限らず、誰かに相談するのは難しいです。
「何かあったら相談してね」ではなく「何もなくても話そうね」という文化が必要だと感じています。

今後は、妊娠期から全ての人たちに味方がいる社会を実現したいと思っていて、そのために令和の時代の乳母制度「UBA」を創ろうとしています。
UBAが提供するサービスは、大きく分けて3つで、1つ目は母子手帳発行時から地域の支援者がチームを作って積極的な支援を行うこと。
2つ目はストレスをチェックして「誰かに相談しませんか」とメッセージを届けること。
3つ目は親子が安心して過ごしている時に分泌される「オキシトシン」というホルモンを検出してママやパパが「子どものためにできていることは沢山ある」とフィードバックをすることです。

子育て支援は専門職のするものだと思われていますが、その仕組みを支えるのは地域の方々です。
子育ての先輩、ちょっと先輩、後輩の3人組で子育てを応援します。
保護者の経験が後輩の気付きになり、それが先輩の気付きにもなる。
「支援する、される」関係性ではなく、お互いに学びあう仕組みを作れればと思っています。

子育てに奮闘する親たちに、適切に養育できていると伝え「生きているだけで子どもの命を守り、支えている」と伝える。
人とテクノロジーの力をあわせて全ての人に味方がいる社会を実現したいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年12月)のものです

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