1ライフステージの変化が女性に与える影響を実感
親が中小企業を経営している影響で、「いつか私も起業したい」と思っているキャリア志向の高い学生でした。
就活では、「どのような業界での起業であっても、金融業なら経験が無駄にならない」と考え、銀行に入行。
キャリアを積んで、しかるべきタイミングで独立しようと考えていました。
2年半後にはリーマン・ブラザーズに転職し、寝る間も惜しんで働く日々を送っていました。
アナリストになり、一人前になりたいと思っていたんです。
金融業界の仕事は奥が深くて、目の前の仕事をこなしていくので精一杯。
学生時代に思っていた「いつか起業を」の意思も、いつしか薄れていました。
リーマン・ブラザーズに転職した4年後、会社が倒産。
ずっと目指してきた一人前のアナリストになる夢半ば、プライベートでも結婚式を2週間後に控えていたタイミングでした。
今までの苦労が一瞬で水の泡になってしまったようで、積み上げてきたものがガラガラと崩れていく音がしました。
社内の雰囲気も一変し、周りで一緒に働いていた人たちは、次の職場を見つけるのに精一杯。
みんなが残された椅子を我先に取りに行こうとしていたので、疑心暗鬼になり、なかなか周りの人たちを信用できない日々が続きました。
自分が嫌になるくらい人間不信の極みでしたね。
混沌とした状況下で、転職できる人は一握りでした。
私は「できない側」。
両者の差は何なのか考えてみたところ、転職できた人たちは、会社や上司のために働いていたのではなく、自分の力になる仕事をやり、その実績が対外的にも認められていたのだと気づいたんです。
当時の私は、上司や会社に評価されることばかりを考え、指示された仕事、今やるべき目の前の仕事で手一杯になっていました。
そして、その先にある自分が成長するために必要な仕事にまで頭が回っていませんでした。
当然、対外的に認められる実力や実績などありませんでした。
転職できなかっただけではなく、私は同じ部署の人たちの大半が移動した会社に移ることも叶いませんでした。
上司に「君はもう少し修業したほうがいいから」と言われ、リーマン・ブラザーズの事業を買収した野村證券株式会社に移ることになったんです。
悔しかったですね。
個人の自由度が高い外資企業と違い、野村證券株式会社は規律に厳格な社風だと人づてに聞いていたので、馴染めるかどうか不安と恐怖心でいっぱいでした。
しかし、実際に移ってみると、案外スムーズに馴染めたんです。
努力を認めてくれるような雰囲気もあったので、私はここで第二のキャリアを積み重ねていけるのではと感じました。
野村證券株式会社では、グローバルのM&Aを扱う投資銀行部門に配属。
リーマン・ブラザーズ時代のアナリストの仕事内容と似ているのですが、リーマン・ブラザーズ時代より大きなビジネスができる部署だったことも、モチベーションが上がった理由です。
「ここで一人前になるんだ!」と、アドレナリン全開でしたね。
無我夢中で仕事をし続け、昇格が目前になった転職3年目、妊娠していることがわかりました。
タイミングがタイミングだったので、戸惑いましたね。
結局、昇格は見送りになってしまいました。
とても悔しくて退職も頭をよぎったのですが、夫が起業準備中で私が大黒柱だったこともあり、勢いで会社を辞めるわけにもいかず、気持ちを抑えながら必死に働きました。
産後もすぐに復帰し、子どもは0歳から保育園へ。
お迎えは、いつもうちの子が最後で、先生と2人で私を待っている状況でした。
時間内に間に合わそうとがんばっていたのに、面談のときに「お母さん、お迎え時間、もう少しどうにかなりませんか。お子さんがかわいそうです」「子どもの発達は、ある程度お母さんと接した時間と比例しますから」と言われてしまったんです。
もう、これ以上何をどうがんばればいいのかわからない。
思わず泣いてしまいましたね。
そんなことを言われても解決できないと思う一方、「本当に解決できないのかな?」とも思いました。
母親が罪悪感を抱かずに働ける世界は作れないのかと思ったんです。
2人目の妊娠出産を経て、出産前のように長い時間を仕事に割けないと評価に影響が出てしまう現状に、子育てが落ち着くまで10年近くもの間耐え続けることはできないという思いがつのっていきました。
周りのお母さん社員たちは、キャリアを捨てて部署を変えたり、無理を重ねて潰れてしまったりと、精神的にも体力的にも大きな負担の中で働いていましたが、私は何かサービスを立ち上げて、こんな状況を変えたいと思ったんです。
そのため、夫に「事業をしようと思う」と宣言し、独立に向かって考え始めました。
三浦さんとお子さん2人が揃っての一枚
具体的な事業内容までアイデアがあったわけではありませんでした。
そのため、退職後の2015年から早稲田大学大学院経営管理研究科に通い、まずはビジネスや経営について学ぶことにしました。
2女性が低空飛行せずに済む世界をつくりたい
ビジネススクールでは、アントレプレナーシップという起業家精神を研究するゼミに所属していました。
そのゼミから何人も起業家が出ていたので、私もそこで自分のアイデアを温めようと思ったんです。
スクールに通う2年間のうち、最後の半年を迎えた頃、先生からビジネスコンテストへの出場を打診されました。
志のある起業家を育てる一般財団法人が主催していて、推薦がなければ出られないものでした。
教授が推薦してくれ、2017年11月に出場。
ビジネスプランはまだまだ甘く、手応えはなかったのですが、受賞して賞金を獲得できました。
社会で働く女性の課題解決を応援してもらえたと思い、早くビジネスとして立ち上げなければと思いましたね。
そこで、事業内容を正式に決める前に法人を立ち上げ、いつでも事業を始められる準備を整えました。
最初のサービスとして考えついたのは、習い事のマッチングシステムです。
周りにフルタイム勤務をしながら家事育児をしている女性が多く、彼女たちは「自分の時間がない」と言っていました。
私もそう思っていて、「夜コンビニにひとりで買い物に行くだけでも幸せだよね」と言い合う中で、その状況を変えたいなと思ったんです。
でも、ただ子どもを預けるには罪悪感が湧いてきてしまいます。
そこで、預けている間に子どもが成長できる場であれば良いのではと思い、習い事マッチングシステムを思いついたんです。
調べてみたところ、ニューヨークに似たようなサービスがすでにあり、成長していることがわかりました。
日本でも伸びるのではと可能性を感じ、友人のエンジニアにプロトタイプを作るにはどれくらい費用がかかるか尋ねたところ、200万円かかると言われてしまったんです。
テスト版にそこまでの費用をかけるくらいならと、2018年9月、プログラミングスクールに入りました。
結局、自力でシステムを組めるほどの技術は身につけられませんでしたが、スクール内で「こんなことをやりたい」と口に出していたら、賛同してくれる仲間4人に出会え、プロダクトの原型を作り始めることになりました。
2019年3月、プログラミングスクールで行われた最後のプレゼンで、投資家を含む100人の前でプロダクトの原型について発表したところ、準優勝に選ばれ、「これはいけるのでは」と手応えを感じました。
そこで、翌月から改良したテスト版を半年ほど運用し、夏頃から本番のシステム構築を始めたんです。
プログラミングスクール入学前の2018年春からは、大学の博士課程にも通い始めました。
家庭を持ち、子どもがいる女性が仕事をセーブするのを美学とする風潮に負けずに、どんどん社会にインパクトを与えられるような世の中をつくりたいという思いから、研究したい気持ちが強まったんです。
女性起業家の起業は小さな規模をイメージされることが多く、より大規模な起業で社会にインパクトを与えられる起業家がもっと増えていくにはどうしたらいいのか、という研究をし続けています。
2019年春からのベータ版の運用を経て、2020年1月、習い事のマッチングサービス「キッズウィークエンド」を正式ローンチしました。
しかし、その直後に新型コロナウイルス感染症がきてしまい、オフラインでの習い事ができる状態ではなくなったため2月に中断。
ステイホームで大変なお母さんたちに休校支援サービスの情報をまとめてブログで発信し始めました。
その記事がバズり、中でもオンライン授業に関する情報が多く見られていたことから、2020年3月にリアル習い事マッチングサービスからオンラインに特化したサービスに切り替えることを決断したんです。
3住む場所を問わず、子どもたちに世界を広げてほしい
現在、毎月1,000人単位でユーザーが増えています。
1講座で1,900人を超えるほど人気を集めたものや、そのジャンルの第一人者から学べる講座など、さまざまなものを揃えています。
私は田舎出身で、上京してきたときに田舎と都会には教育格差があると実感したことがあります。
今の活動を始め、オンラインであれば場所の制約がなくなるため、居住地に関係なく子どもがさまざまな学びを得られるんだなと改めて感じています。
場所による教育格差をなくし、子どもが世界を広げられる社会を実現させたくて、今はコンテンツ開発やユーザー数増加に力を入れています。
長女が実際にオンライン授業を受けている様子
私の子どもたちもサービスを使うことがあるのですが、私が「これをあれを」と与えて挑戦するのではなく、「こんなものがあるよ」という声かけに「やってみようかな」と自分で判断しています。
「子どもにいい教育を与えてあげなきゃ、才能を伸ばしてあげなきゃ」と気負っていないので、今、私の罪悪感は少しずつ薄れつつあります。
親は子どもが新しい世界と出会うきっかけをつくることが大切なのかもしれません。
そして、オンライン上でさまざまな世界に出会えるキッズウィークエンドなら、仕事をしていて忙しくても、子どもに出会いのきっかけをつくりやすい。
きっかけさえつくれたら、あとは子どもの意欲や自分で伸びていく力に任せてもいいのかもしれないと思えるようになりました。
肩の力を抜けるようになったのは、会社を経営し始めて、自分でやりたいものをやり抜く力こそが大切だと思うようになったからかもしれません。
今では、上の子どもはイベントの告知ページのデザインに一人前に口を挟んできたり、夫婦間の会話に「またビジネスモデルの話ばっかりしてー!」と言ってきたりするまでになりました。
親が何も言わなくても、興味を持って成長していくんだなと思いながら、子どもとのやり取りを楽しんでいます。
子どもたちが大人になり生きる世界は、今とはおそらく大きく違うでしょう。
未来を生きる子どもたちをどうサポートしていけるのか、模索を続けています。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年6月)のものです