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こっちの道を選んだら楽しそう。
ワクワク感を信じ、会社員から農家へ
【咲里畑 運営/届けびと・龍田春奈】

目次
  1. 「今の気持ちを尊重する」という生き方
  2. 両親が気づかせてくれた自分の本当の気持ち
  3. 遠くの人にも咲里畑のパワーを届けたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、医療事務から農家へ転職し、両親とともに「咲里畑(さくりばたけ)」を営む龍田春奈さんをご紹介。

学生時代、興味があるものはどんなことにも挑戦し充実した日々を過ごしてきた龍田さん。しかし就職後、物足りなさと寂しさに襲われてしまいます。そんな龍田さんを救ったのが、両親の農家への転向でした。龍田さんの心情にどのような変化があったのか、お話を伺いました。

1「今の気持ちを尊重する」という生き方

幼少期の頃から自然が身近にある生活をしていました。
京都市の金閣寺近くに住んでいたので田舎育ちというわけではないのですが、両親の影響で山登りやキャンプにはよく行っていましたね。

京都の片田舎にある祖母の家へ遊びに行くことも大好きでした。
自然豊かな場所だったので、温かな土に触れたり透き通った空気を吸い込んだりするだけで心が落ち着くんです。
当時から田舎暮らしに憧れを抱いていましたね。

高校卒業後は美術大学の人文学部へ進みました。
美術大学なのに人文学部?と驚かれることもありますが、私にはとても魅力的でした。
本格的な絵を描いたり作品をつくったりしなくても、芸術や美しいものに囲まれながらハイセンスな人たちと関われる学部は、私にとって夢のような場所だったんです。

これまで出会ったことのない人やものから刺激をもらえることが楽しくて、積極的に新しい環境へ飛び込んだり自ら出会いの場を設けたりと、とにかくあらゆることに挑戦していました。
また好奇心旺盛ということもあり、ジャンルを問わず興味を持ったものを選んでいましたね。

例えば、ゼミは自己表現について学べるところを選択。
舞台上で自己表現をするというテーマで、自作のミュージカルを発表したこともありました。
一方で、学外では教育系の事業団体に所属したり、働き方やコミュニケーションを考えるイベントの運営をしたり。
面白そうと感じたものをやっていったら、いつのまにかなんでも屋さんになっていました。
ただどれだけ忙しくしていても、祖母の家や知人の住む田舎へ行き、自然の中で過ごす時間は確保していましたね。

大学生活をおくるなかで、自分が積極的に動けば動いただけ、出会える人やものも増えるんだなと思うようになっていきました。
そして、今のやりたい気持ちにしたがって目の前の分かれ道を選んでいくことは、自分にとって心地いい生き方だなと実感するようになっていきました。

就職活動でも自分の気持ちを尊重して会社選びをしました。
いくつか興味のある会社を受けていましたが、しっくりくるところがない。
そんなある日、ゼミの教授の紹介で、とある病院の理事長とお会いする機会がありました。
その方の人柄や考え方に惹かれ一緒に働きたいと思ったんです。

するとたまたまその病院で医療事務の募集があり、すぐに応募することに。
とはいえ、これまで学生時代に経験してきたこととはまったく関係のない職だったため迷いもありました。
しかし今のこの気持ちを大切にしたいと、医療事務の道へ進むことにしました。

就職先が大阪だったので、親元を離れることになりました。
慣れない土地での一人暮らしに、はじめて踏み入れる医療の世界。
最初は大きな戸惑いがありましたが、人間関係にも恵まれて楽しく仕事をしていました。

しかし就職して2年が経った頃、ふと故郷である京都が恋しくなったんです。
同時に、このまま大阪で今の仕事をずっと続けていけるのだろうかと漠然とした不安も出てきました。
仕事が嫌いだったわけではないんです。
理由はわからないけど、モヤモヤした気持ちが見え隠れし始めました。

そんなときに、新しい働き方について模索する「世界文庫アカデミー」というスクールに出会いました。
そのなかで衝撃を受けたのが、パラレルキャリアという働き方。
これまでスタンダードとされてきた一つの会社で正社員として勤めあげるだけでなく、雇用形態にとらわれず複数のプロジェクトに参画する働き方があることを知りました。

すでにこの働き方を実践している人たちを間近でみるうちに、働き方への価値観が変わっていきましたね。
仕事は自分で作り出せること、そして一つの仕事に絞らなくてもやりたいことがあれば何個でも仕事にしていいのだと学びました。

振り返れば学生時代は気持ちの赴くままにいろいろな挑戦をしていたはずなのに、気づかないうちにできなくなっていたんですよね。
おそらくそれを阻んでいたのは、働き方への固定概念。
だから働き方の多様性を知ったことで、道をふさいでいたものが取り払われ、「もっと好きなことをやりたい!」という気持ちが強くなっていきました。
ただ、具体的になにをやりたいのかはまだはっきりしておらず、モヤモヤした日々は続きましたね。

2両親が気づかせてくれた自分の本当の気持ち

そんなとき、両親が社会人向けの週末農業学校へ通い始めたんです。
農業学校を卒業する頃、両親は農家へ転向。
ごく普通のサラリーマン家庭だったため、周りからは驚かれることも多かったです。
でも、以前から両親が農業や有機野菜に関心があることを知っていたので、私は違和感なく受け入れることができました。
むしろ、美味しくて安全な野菜がいつでも食べられるぞ、というワクワク感が強かったですね。

京都へ帰省するときは、両親の畑仕事を手伝うようになっていました。
季節を感じながら、野菜や土と対話することが楽しかったです。
畑仕事をしているときは気持ちが晴れて、おおらかな心でいられました。

ご両親と、咲里畑にて

ご両親と、咲里畑にて

次第に「あぁ、自然の中にいるのって幸せだな」という想いを抱くようになっていきました。
思えばこれまでずっと何かしらの形で自然と触れ合ってきたけれど、就職して大阪にきてからはほとんど自然と触れ合える機会がなかったなと。

仕事中は一日室内で過ごすことが多かったため、意識してみないと天気さえもわからない日々でした。
濡れながら駆け込んでくる患者さんをみて、いま雨が降っているんだと知ることも多かったんです。
天候も季節も感じにくく、土にも触れられないことに寂しさを覚えていたんだなと自分の気持ちに気づき始めました。

両親とともにマルシェで野菜や花たちを販売することもありました。
買ってくださったお客さんが笑顔で帰っていく姿が大好きで。
両親が愛情たっぷりに育てた野菜や花が、たくさんの人の笑顔や幸せを生み出していることに感動していました。

両親の農業を手伝ううちに「私も畑や野菜を通して、多くの人を癒して笑顔にしたい」という想いが大きくなっていきました。
自分のやりたいことに気づいたことで、モヤモヤしていたものがパッと消えたのを感じました。

自分の気持ちに気がついてからは、早かったです。
3年半ほど勤めた大阪にある病院を辞め、両親の畑がある京都へ戻ることを決意しました。
もちろん、正社員という安定した立場を手放すことに少し不安もありました。
しかし、これまで出会ってきた好きなことを仕事にしているみなさんの生き生きとした姿が後押しとなり、一歩踏み出せたのだと思っています。

そしてなにより、自分の“今”やりたいという気持ちを尊重してあげたかったんです。
これから先もずっと農業をやり続けるぞという強い想いや目標があったわけではないけれど、「こっちの道を選んだら何だか楽しそう!」というワクワク感を信じて決めました。

畑では、定期的に「オープンファームデー」という農業体験を行っていて、参加者のなかには野菜が苦手だけど、私たちの作った野菜ならパクパク食べてくれるお子さんが多くいます。
その姿をみてお母さんたちは大喜び。
こうやって目の前で人が喜ぶ姿をみるたびに、畑をやっていて良かったなと思うと同時に、もっとたくさんの人の笑顔と喜びを引き出していきたいと決意も強くなりますね。

他にも、農業以外にいくつかイベントを始めました。
私がながしのスナックのママとなり場づくりをする「スナックはるな」や金と漆を使って壊れた器や骨董品を直す金継ぎという伝統技法の面白さを伝える「簡易金継ぎ教室」など。
最初は両方とも興味本位で始めたもので、咲里畑とは別物として楽しんでいました。

しかし咲里畑の魅力や農業の可能性についてお話すると、皆さん興味を持ってくださるんです。
なかには私たちの畑に対する考えや取り組みに共感して、実際に畑へ遊びにきてくれた方もいます。
まったく農業とは関係のない業種や馴染みのない世代にも、農業へ関心を持ってもらえたことは新しい発見でしたね。
そして私の今取り組んでいる活動が、全て咲里畑と繋がっていることにうれしさも感じました。

これをきっかけに私の役割は、農業と馴染みのない業種や世代の人たちと咲里畑とを繋げることなのだと気づきました。
だから今は「畑との架け橋づくり」を意識しながら、日々活動を続けています。

3遠くの人にも咲里畑のパワーを届けたい

現在は京都市西京区大原野にある「咲里畑(さくりばたけ)」で、両親とともに農業を営んでいます。
畑では、農薬・化学肥料不使用の野菜や食べられる花エディブルフラワー、ハーブなどを栽培中。
農作業だけでなく、マルシェへ出店したり飲食店に納品したり全国のご家庭にお届けしたりと、家族で役割分担をしながら行っています。

咲里畑で特に人気なのが、オープンファームデーです。
種植えや収穫体験をメインに月一回開催していて、毎回10〜15名の方々が参加してくれています。
多品目の野菜や花を育てているので、訪れるたびに違った野菜や花に出会えると好評ですね。

オープンファームデーに集まった人と一緒に収穫をしている様子

オープンファームデーに集まった人と一緒に収穫をしている様子

また多くの参加者さんが興味を持ってくれるのが「よろこびやさいの育て方」。
よろこびやさいとは、やさしく心を込めて育て、喜びをうみだす野菜や花のこと。
私たちが名付けました。

よくお花に水をあげるときに良い言葉を掛けてあげると、元気に長持ちすると言いますよね。
それと同じで、私たちは野菜や花だけでなく土にも良い言葉を掛けてあげて、毎日穏やかな気持ちで接するようにしているんです。
こちらの気持ちや言葉ひとつで食物に与える影響は、大きく変わると信じています。

この取り組みをオープンファームデーに参加してくださった方にも、実際に体験してもらっているんです。
例えばトマトの季節が終わって別の野菜苗を植え替えるとき、トマトの根を抜く際に、根っこと土にむかって「美味しいトマトをありがとう」と参加者全員で声掛けをします。

私たちの畑への向きあい方をより知ってもらうとともに、参加者の方々が少しでも咲里畑へ愛着を持ってくれたらうれしいなという想いでやっています。
意外と皆さん面白がってやってくれるので、毎回和やかな雰囲気になり、自然と参加者同士の仲も深まっています。

ただ、新型コロナウイルス感染症の影響でオープンファームデーやイベントができなくなってしまい、模索した時期もありました。
このままでは、私たちの畑や野菜の魅力を直接伝える場がなくなってしまうと。

でも諦めずに、SNSで季節のとれたて野菜を紹介したり農作業の様子を載せたりと発信を続けていました。
するとありがたいことに、お客さんや遠方に住む友人たちから配送の依頼をもらうことが増えていったんです。

「家にいる時間が増え自炊をやるようになったから美味しい野菜がほしい」という要望が特に多かったですね。
このことで、遠く離れた人たちにも咲里畑の野菜は届けられるんだということがわかりました。

こうしたコロナ禍での経験も踏まえ、今後は農業体験やイベントだけでなく野菜の配送サービスやSNSでの発信にも力を入れ、まずは地産地消、それからよろこびやさいを求めてくださる遠方の方たちにも咲里畑の野菜をお届けしていきたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年4月)のものです

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