シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

大学時代、人間不信で人生に絶望。
「好き」の分析で唯一無二の自分に
【作曲家/トラックメイカー・KOTONOHOUSE】

目次
  1. 中学で問題児に、先生に反抗する日々
  2. どん底まで落ちた大学時代
  3. 僕を見てくれる仲間に感謝の気持ちを忘れず

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、アーティストのKOTONOHOUSE(コトノハウス)さんをご紹介。

大学生のとき、人間関係のトラブルで人間不信に陥ったKOTONOHOUSEさん。友人のアドバイスがきっかけで音楽を始め、25歳のときに本格的に音楽活動を開始。今年で3年目になります。KOTONOHOUSEさんが音楽に出会い、音楽を人生の軸に据えた背景とは。お話を伺いました。

1中学で問題児に、先生に反抗する日々

会社経営の父と劇団主宰の母との間に生まれました。
2人とも映画や音楽が好きで、マイケル・ジャクソンなどの海外作品に触れて育ちました。
何かこだわりを持った、哲学的な匂いのする作品が好きでしたね。
自分でも表現をしたくなって、絵を描いたり、レゴブロックで作品を作ったりしていました。
小学生になると、アカペラをやっていた8歳上の兄の練習に付き合い、歌も好きになりましたね。

小学5年生のとき、学校のパソコンでネット掲示板を初めて見ました。
いろいろなスレッドを見て大人って怖いと思いましたね。
それまで知っている大人は両親と先生くらいで、みんな良いことばかり言っていましたが、スレッドに書かれた言葉はとげとげしくて攻撃的なものが多かったんです。
自分の中の大人に対する性善説が崩れていきましたね。
世の中のことがわかったような気もしました。

中学校に入ってから、急に勉強しだした周りについていけなくなりました。
「なんで勉強するの?高校なんて行かなくてもいいじゃん。両親に甘えて生きればいいし、いざとなったら生活保護もあるじゃん」と、ネット掲示板で仕入れた情報を披露し、浮いていきました。

授業中には先生に「それなんのためにやるの?」と反抗し、嫌われました。
勉強が嫌なら帰れという先生に対し、「言質とりましたよ」と言って帰ったこともあります。
そんな僕に、両親は手を焼き、次第に憔悴していきました。
さすがに申しわけないなと、両親を安心させるため、行くつもりのなかった高校に進学しました。

高校生のとき、これまでの先生とは違う指導をする50歳くらいの男性教師が担任になりました。
注意するとき、自分の意に沿わない生徒を押さえつけるような指導法ではなく、きちんと対話をしてくれるんです。
僕の態度の何がいけないのか、どうすれば改善できるのか、一緒になって考えてくれました。
僕のことをきちんと見てくれているんだなと、この先生の言うことなら聞こうと決めました。

その頃、ネット掲示板に飽きて、アニメや映画、オンラインゲームにハマりました。
中学のときは自分と同じくらい詳しい人がおらず、物足りなさがありました。
でも、高校のクラスメイトには僕と同じくらいの知識を持っている人がいて、一緒に話すのが楽しかったんです。
同い年で僕みたいな人が他にもいたんだと喜びを感じましたね。
彼らとはどんどん仲良くなっていきました。
また、友人たちはネット掲示板の影響で口が悪かった僕に対し、「それは直したほうがいい」と指摘してくれました。

僕のことを見て、注意や指摘をしてくれる担任の先生や友人たちに囲まれ、充実した高校生活を送りましたね。

2どん底まで落ちた大学時代

高校卒業後は大学に進学しました。
高校の延長線上で学生生活を楽しみたかったのと、まだ働きたくなかったのが理由です。
しかし、19歳頃に人間関係で嫌なことがあり、家にこもってオンラインゲームをするようになりました。
人間不信に陥り、信頼できる友人にしか連絡を取らなくなってしまったんです。

ある日、大学の漫画研究会に所属している友人がDJを始めました。
彼がいろいろとやりたいことを実行に移している一方で、僕は今オンラインゲームしかやってない。
僕はいったい何がしたいんだと家の中で悶々とするようになりましたね。

そんな中、新しいオンラインゲームが登場しました。
せっかくだからどっぷりハマってみようと、1日の睡眠時間を4時間と決め、猛烈にやりこみました。
必死で取り組んだ結果、21歳の夏、このゲームで日本人1位にまで上り詰めました。

でも1位になった突端、急激な虚無感に襲われました。
1位になったけど僕の生活は何も変わらない。何も残らない。僕は何者なんだろう。
しばらくこの状態が続いたので、病院で診断を受けたところ、うつ病と診断されました。

ある日、深夜3時にオンラインゲームをしながら友人とスカイプでやり取りをしていました。
たわいもない話の途中、ふと僕は「人生暇なんだけど、何かやることないかな?」と話しました。
すると、友人は「音楽とか作ってみたら?DTM(デスクトップミュージック)ってのがはやっているらしいよ」と軽いノリで答えてくれたんです。

音楽は好きだけど、作ろうという発想はありませんでした。
面白そう、と思いましたね。
せっかく友人が勧めてくれたんだし、どうせやるならどっぷりハマってみようと、僕は2週間かけて音楽機材一式をそろえて作曲をしてみることに。

作曲経験はまったくありませんでしたが、教科書通りの作曲の勉強をしてもつまらないと思ったので、アニメ音楽をはじめとした自分の好きな音楽ジャンルを分析し、そこから好きなエッセンスを取り入れ、曲を作ることにしました。
好きな曲のどの部分が好きなのか、テンポ、コード、音色、一つひとつを分析していきました。
分析するうちにどんどん、作曲の面白さにハマっていきましたね。

音楽活動を始めてしばらくすると、失恋や神経系の指定難病の発覚など、立て続けに不幸な出来事が続きました。
服用していた薬を過剰摂取するようになり、意識が飛び飛びになることも。
自暴自棄になり、酒を飲んで夜の街を徘徊し、もう死んでも悔いはないと思っていましたね。
そんな姿を見て、高校時代の友人たちが「音楽があるじゃん」と全力で僕を励ましてくれました。

失恋で空っぽになった気持ちを音楽で埋めたい。
僕はさらに音楽に力を入れるべく、この頃から「KOTONOHOUSE」と名乗り、本格的に音楽活動を始めました。
配信活動にも力を入れ、少しずつ反響も広がっていきました。
知らない人に僕の音楽を受け入れてもらえるのはうれしかったですね。

分析好きが高じて大学院では統計学を専攻。
卒業後は学んだことをビジネスに活かすため広告代理店に就職しました。
しかし、仕事が忙しくなると音楽を作る時間が取れなくなりました。
しばらく僕はいったい何をしているんだろうと悩む日々が続きました。

ある日、お世話になっている先輩の音楽家から「仕事の両立ではなく、本格的に音楽活動をやってみたらどうだい」と言われました。
その言葉を聞いて、僕が本当は音楽の道に進みたいのに、仕事を言いわけにためらっているのを見透かされた感じがしました。
道を踏み外して失敗してもなんとかなるだろう。
挑戦のタイミングは今しかない。
僕は仕事を辞めて、25歳のとき、音楽一本で活動する決意をしました。

3僕を見てくれる仲間に感謝の気持ちを忘れず

今は楽曲を作ったり、アイドルに曲を提供したり、DJをしたりしています。
アーケードゲームの音楽も作っています。

DJをするKOTONOHOUSEさん

DJをするKOTONOHOUSEさん

今は「マスとサブカルの融合」をテーマに音楽活動をしています。
アーティストは常に、自分のやりたい音楽とファンから求められている音楽のジレンマに悩まされます。
ファンの求める音楽を作りつつ、僕のやりたい音楽を多くの人に受け入れてもらえるよう頑張っていきたいです。

僕は好きなものを、とことん分析したことで自分の人生が豊かになったと思います。
人は直感的にものを好きと判断します。
でも、そこから好きな理由を細かく分析すると、自分が好きなものの本質が見えてくるんです。
僕の場合は音楽の何が好きかを分解し、一つずつ分析してきました。
それを突き詰めていった結果がKOTONOHOUSEというアーティストの唯一無二のスタイルになっています。

僕は小学生のころから、漠然と25歳で死ぬと思っていました。
でも、25歳でアーティストになると決めて活動している人生は悪くないと思っています。
そう思えるのは、人生の節目で僕をちゃんと見てくれた恩師や友人に出会ったからです。
彼らがいなかったら今の僕はありません。

将来ずっと音楽をやっているかはわかりません。
どこかでやりきったと思う瞬間が来るんだろうなと思います。
そうなっても好きなことを新しく見つけて、分析をして自分のスタイルを作っていきたいと思っています。
これからも、僕をまっすぐ見てくれる仲間への感謝とリスペクトは忘れず、生きていこうと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年11月)のものです

この記事は役に立ちましたか?
はい いいえ
ご協力ありがとうございました
Related Stories

関連ストーリー

この記事を読んでいる人は、こんな記事も読んでいます
シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

マイマガジン

旬な情報をお届け!随時、新規ジャンル拡充中!