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強みは「愛される後輩力」。
王道ルートを外れた医者芸人の目指す先
【医者芸人・井たくま】 <後編>

目次
  1. 医者になってから1番苦労した経験は何か、またどう乗り越えましたか?
  2. 反対に1番うれしかった瞬間や事例を教えてください
  3. 最後に今後の展望やご自身の将来のビジョンなどを伺わせてください

人はどのようにして人生の道を選択し、壁を乗り越え進むのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、医者芸人の井たくまさんをご紹介。

前回は、医者を志したきっかけや道のり、医者×芸人という独自のあり方についてお話しいただきました。後編となる今回は、医者としての苦労談や今後の展望についてお話を伺いました。

1医者になってから1番苦労した経験は何か、またどう乗り越えましたか?

井たくまさんが医者になってから1番苦労した経験は何ですか?

2年間の初期研修中に経験した夜間の当直ですね。
上の立場の先生も1人くらいいますが、基本的には研修医が1人で担当しなければならず、その責任の重さに直面したのが1番つらかったです。

私の判断1つで、目の前の患者さんの生き死にが決まることがあるのだなと思い、「これはヤバいな」と思っていました。

そうした気持ち面での大変さは、経験と共に慣れて楽になっていくものなのでしょうか。

いえ、慣れることはなかったですね。

では、どう乗り越えていかれたのですか?

自分に足りない部分を先輩に頼りながら乗り越えました。

例えば、当直中に患者さんの容体の変化への対応に迷ったときには、無理に自分だけで判断せず、他の当直当番の先生に聞くようにしていました。
聞ける先生が院内にいないときには、夜間だからといって遠慮せず、詳しい先生に電話をして適切な処置の助言をもらっていました。
賛否あるやり方だとは思いますが、私は先輩医師に助言を求めることで責任の重さに向き合っていたのです。

困った時に頼れるよう、普段から関係性づくりは重視していました。
コロナ禍以前から「今どきの若者は仕事での飲み会を嫌がる」と言われていましたが、私は積極的に参加していましたし、遊びの場があれば出向くようにしていました。
もちろん、本当に楽しくて参加していた面もありますが、あまり乗り気ではない場にも参加して関係性をつくっておくと、仕事中に困ったときに助けを求めやすくなり、結果自分が楽になれるとわかっていたのです。

また、信頼関係を築くため、とにかく質問したい先生のところに出向き、直接話す機会を設けるようにもしていました。
電話で話すこともできましたが、直接話す機会を増やしたほうが関係性がよくなるだろうと思っていました。
報告もやりすぎて怒られるほどするタイプでしたね。

1番大切なのは患者様の命を守ることであり、究極的に言えば、私の力だけで対処する必要はなく、病院全体で対応できていればいい。
だからこそ、普段から助けてもらえる関係性を築き、分からないことがあればすぐに聞けるようにしていました。

夜間に電話をかけてこられた先生の反応はいかがでしたか?

怒る先生もいました。
その先生にとっては労働時間外なわけで、怒るのはもっともです。
そこは謝りつつ、それでも私が怒られるだけで患者さんが助かるのなら、気にならなかったですね。
仲のいい先生からは「俺が今から行くから待っとけ」と言っていただいたこともあり、やはり関係性の構築が大切だと思っていました。

何かと聞きに行く、報告をしまくるといった行為が、先生方に「こいつが言ってくるなら助けてやらないとまずい」と感じさせるようになっていったのかもしれません。
いい意味での頼りなさ、後輩感みたいなものはあったかなと。
私はいい意味でプライドがなく、聞ける、頼れるタイプだったのがよかったのでしょう。

研修医の期間を終えたあと、医者芸人として2足の草鞋を履くようになってからの大変さはありますか?

実務面で大変なことはあまりありませんが、王道ルートを外れていることからくる不安感はあります。

今後、人口が減って医者の数も必要なくなっていったら、最初に職を失うのは私たちのようなドロップアウトした医者「ドロッポ」だと言われることもあります。
自分で選んだ道ですが、安定を捨てちゃったなという不安が今の大変さですね。

2反対に1番うれしかった瞬間や事例を教えてください

反対に、医者になって1番うれしかったことは何でしょうか。

患者さんと関係性を構築でき、人として信頼してもらえ、いろいろ話していただけたときです。
あとは、自分が決めた薬や治療法を実行した結果、患者さんがよくなってくれたとき、学んできたことが実際に活きたことに楽しさやうれしさを感じていました。

医者芸人となってからも関わる人に「ありがとうございます」と喜んでいただけることが喜びに繋がっています。

例えば、健康診断の結果に関して相談を受けたとき「それなら〇〇科に行ってみたらいいですよ」という助言に対し、「どこに行けばいいのかわからなかったので、すごくありがたいです」と言われたときには、今の自分でも多少なりとも医者として役に立てるのだなと思えました。

3最後に今後の展望やご自身の将来のビジョンなどを伺わせてください

井たくまさんの今後の展望をお聞かせください。

生活のために医者の仕事を、夢のために芸人の活動を続けていきたいです。
今の目標は、テレビに出ること。
ただ、そのために何をどうしていこうという長期的な計画は特にありません。
私は中長期的な目標を立てるタイプではなく、目の前にきたものを打ち返すことに集中しながら、「さて、結果はどうなるかな」と生きている人間なのですよね。

今、YouTubeやTwitter、TikTokなどさまざまなSNSで活動しているのも、戦略を練って始めたわけではありません。
養成所時代にTikTokで「あるある」が流行っているなと思ったので、医者あるあるを始めてみた、くらいの感じです。
TwitterもYouTubeも「とりあえずやってみよう」と始めたので、今になって「ここからどうアカウントを育てていこう」と焦り始めています。

そもそも、「医者芸人」も成り行きでした。
本当は医者を芸人にかけ合わせるつもりはなく、養成所時代にはコンビを組んで医者とは関係のない漫才をやっていたのです。
でも、なかなかうまくいかなかった。
30歳目前という年齢的なこともあり、プライドを捨てて医者も芸のネタにしていこうと決めたのです。

当面は芸人として成功すべく活動していきますが、5〜6年鳴かず飛ばずだったら、医者専業に戻る可能性もゼロではないとも思っています。

もし、そんなときがきたとしたら、どういうお医者さんになりたいというイメージはありますか?

精神科関連の仕事をしたいですかね。
中学時代にメンタルクリニックにお世話になり、随分と楽になった経験がありますので。
また、芸人で売れなかったとしても、医者の中では1番面白いと言われるくらいには面白い存在でありたいです。

数年後の自分が芸人として成功しているのか、医者メインで仕事をしているのかはわかりません。
にっちもさっちもいかない状態になっている可能性だってあります。
行き当たりばったりな生き方をしていると思う人もいるでしょうね。
でも、やりたいことに挑戦するのはやっぱり楽しい。
未来が不透明すぎる怖さもありますが、それでも唯一無二の生き方を楽しんでいきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年8月)のものです

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