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「生活を支える家」を困窮者に提供。
ビジネスの成功と社会貢献を両立する
【社会事業家・岡本拓也】

目次
  1. 仕事とは、お金を稼ぐためだけのものなのか
  2. 今までの点が繋がり、進みたい道が生まれた
  3. ビジネスの成功と社会課題解決の両立を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、社会事業家として活動する岡本拓也さんをご紹介。

建設会社の二代目社長であり、住まいに困るシングルマザーに住宅を提供する事業にも取り組む岡本さん。根底にある思いとは。お話を伺いました。

1仕事とは、お金を稼ぐためだけのものなのか

名古屋で建設会社の社長を務める父の元に生まれました。
父を経営者として尊敬していたものの、世代的にも「稼ぐことこそが正しい」といったタイプでした。
私はそんな父の価値観に違和感がありました。

物心がついたころから、漠然と「仕事とは何だろう。お金を稼ぐためだけのものなのか?」との思いがあり、高学年になるとどんどん探求心が湧き「もっと広い世界を見たい」と考えるようになりました。
世界で社会貢献できる仕事のイメージから、「国連で働きたい」と夢見ていました。

大学入試では、国際文化に関する学部を受験しましたが、残念ながら落ちてしまい、滑り止めの商学部に合格。
浪人するより大学に入り、早く世界を見て回りたいと思い、入学を決めました。

しかし、いまいち勉強する意味が見出せず、やる気も湧きません。
留学しようとバイトに精を出していたものの、やはり勉強へのモチベーションは湧きませんでした。
そこで、大学3年生で休学し、ずっとやりたかったバックパッカーとして1年間、世界を見て回ることにしました。

バックパッカー時代の岡本さん

バックパッカー時代の岡本さん

旅の途中でインドを訪れたとき、元商社マンでその後に青年海外協力隊に参加していた旅仲間から、「君には何ができるの?」と聞かれました。
一瞬、答えに窮した後、「なんでもやれますし、できます」と答えた私に、彼は「なんでもできるは何もできないのと同じだよ」と返したんです。
なんでそんなことを言うんだろうとショックを受けましたが、同時に「これができる」と言えるものを身に付けなければ、との思いが芽生えました。

その後、訪れたバングラデシュでは現地の国連機関で働いている日本人の方との出会いがありました。
彼は「今、僕は国連に勤めながら、民間から始まったマイクロファイナンスに取り組んでいるんだ」と教えてくれて、現地を案内してくれました。
マイクロファイナンスとは、貧困層の女性たちに小口の貸し出しをし、彼女たちがそのお金を元手に起業して、貧困から抜け出すための取り組みです。

ただの支援ではなく、自立に導き貧困から抜け出すことを目指した仕組みに感銘を受けました。
それまで漠然と違和感を持っていたビジネスはお金儲けだという強い印象と、「それだけではないはず」という自分の疑問に、ひとつの方向性を示してもらった気がしました。

ビジネスの力は、社会貢献にも活かせるものなんだ。
その気づきと、インドで言われた「なんでもできるは何もできないと一緒」の言葉から、帰国後は勉強に本気で取り組み、自分の武器を身に付けようと思うようになりました。

せっかく挑戦するのなら、大きな壁を乗り越えて力をつけたい。
ならば最難関の資格取得を目指そうと考え、ちょうど会計基準が世界的に統一されたタイミングだったこと、経営に近い商学部にいたことを理由に、公認会計士を目指すと決めました。

まわりが就職していく中、卒業後も勉強を続け、受験。
3回目にして合格を果たしました。
合格後、まずは現場を経験しようと監査法人へ。
数年経験を積んだのち、東京の企業再生コンサルティングファームに転職しました。

仕事はやりがいがありましたが、いずれは直接的に社会貢献に繋がる仕事をしたいという思いを抱き続けていたため、このまま同じ働き方を続けていていいのかと自問する日々を送っていました。

自分の興味関心を口にしていたからか、あるとき同僚から「興味がありそうなイベントがある」と誘われました。
ソーシャルベンチャーキャピタル主催で、NPO、NGOが活動のプレゼンをし、選ばれた団体にメンバーが付いて経営に伴走する形で関わりながら支援をする、というものでした。

取り組みを聞き、社会性と収益性とを両立した事業を通じて社会をより良くしたいという自分の原点をはっきりと思い出しました。
そこで、これまで培ってきたスキルを活かした社会貢献活動として2つのソーシャルベンチャーの取り組みに参加することにしたんです。

会社員と二団体での活動という三足の草鞋の生活は忙しく、体調を崩すほどでした。
その後、考え抜いた末に、自分の情熱は2つの団体に注がれていると思い、退職を決意。
社会課題の解決を目指すソーシャル領域の仕事に絞ると決めました。

退職して11日後、東日本大震災が発生。
社会が受けた大きな影響を目の当たりにし、ソーシャルの仕事に全力を注ごうという気持ちがより一層固まりました。
その後、ソーシャルベンチャーキャピタルの代表理事が退任する流れを受け、私が引き継ぐことになり、時を同じくして、教育系NPOの事務局長にも就くことになりました。

2今までの点が繋がり、進みたい道が生まれた

40歳を前に、今後の人生を考えるようになりました。
そこで代表の座を後進に譲り、余白をつくって見つめ直すことにしたんです。
そんな矢先、父が急逝。
通夜や葬儀を終えたあと、社員たちから「次の社長が決まっていないんです。拓也さん、やっていただけませんか」と打診を受けました。

私が「これだ」と思えたのはソーシャルの仕事であり、父が残した建設会社の仕事とは大きくかけ離れている印象でした。
中途半端に引き受けられないとお断りした私の気持ちを社員の方たちはわかってくれましたが、問題が解決したわけではありません。
母や社員の困っている様子を見ながら、徐々に気持ちが変わっていきました。

社会の困りごとを事業を通じて解決したいと思って取り組んできましたが、今、課題や危機に直面しているのは身内です。
身内をそのままにしていていいのか。
その気持ちに向きあい、彼ら彼女らを大切にすることが自分にとって1番大切なのではないかと思い、社長を引き受けようと決意しました。

建設会社時代の岡本さん

建設会社時代の岡本さん

慣れないながらも建設業界で懸命に働き始めて2年。
コロナ禍によって、世の中の景色が一変しました。
社会にも大きな変化が訪れ、自分を見つめ直す中で、「私がやりたいのは、社会課題を事業で解決することだ」という原点がよみがえりました。
自分に何ができるのか考え始め、浮かんだのは、コロナ禍のせいで増えた非正規雇用者のシングルマザーが住まいを失う問題。
建築業界で働く私だからこそ、できる解決方法があるのではないかと思いました。

これまで自分が歩んできた点と点とが繋がった気がしました。
これからも社長業を続け、その上で自分のやりたい社会課題解決の事業も、社業を通じて取り組もうと決意しました。

社員たちも私の想いを応援してくれ、部屋を借りるのが困難な状況にあるシングルマザーに住まいを貸し出す事業を始めました。

シングルマザーを対象としたのは、調べていくうちにコロナ禍で最も深刻な状況に陥っている方々だとわかったからです。
境遇から大家さんに断られるケースが多く、住まいが見つかっても子どもの学校や自分の勤務地から遠く、生活に不便な場所しか借りられないような問題があります。
単に住まいがあればいいわけじゃない。
生活が成り立つ場所に住まいがなければならないのです。

我々が提供する物件に入居いただいたシングルマザーの方は、環境の整った生活のしやすい場所にある部屋を私たちが貸し出したことで、生活を立て直すことができ、笑顔で暮らせるようになりました。
子どもたちに笑顔が戻ったのが、何よりの喜びです。

欧米には「ハウジングファースト」という言葉があり、住まいは公共的なもので、何かあった際にはサポートすべきだという考えがあります。
しかし、日本では住まい=高級品との考えが根強く、自己責任論の風潮から困ったときの支援も不十分だと感じます。
生活の実態に配慮せず、「借りられたらどこでもいいでしょう」とされてしまうのも、こうした価値観があるからではないでしょうか。

困っている人が生活を立て直せる住まいを貸し出したい。
そんな事業に、「LivEQuality」と名付けました。

Liveは「住まい」から、Qualityは「質」、間にあるEqualityは「公平性」を意味します。

3ビジネスの成功と社会課題解決の両立を

今も建設会社の社長業をしながら、LivEQualityの事業を継続。
「ソーシャル大家さん」として、生活に困難を抱える方に住まいを提供しています。
名古屋だけではなく東京でも事業を始めました。

LivEQualityの事業説明会の様子

LivEQualityの事業説明会の様子

住まいを貸し出すだけではなく、その後の生活支援の必要性も感じ、LivEQuality HUBというNPOを立ち上げて、伴走支援にも取り組み始めました。
この取り組みの開始をきっかけに、過去に縁があったソーシャルベンチャー時代の繋がりも復活。
新たに他の支援団体との協力関係も生まれ、活動が広がってきています。

こうしてLivEQualityの取り組みにも注力できるのは、建設会社の社員たちから賛同を得られているからこそです。
2年間、郷に入っては郷にしたがえと、どっぷり建設業界に浸かった姿を見てくれていたから理解してもらえているのかもしれません。
全ての点が繋がってきていると感じています。

関わる人が増えれば、当然しんどいことは出てきますが、みんなで取り組むからこそ一人では辿り着けないところまで行けます。
これからも、建設会社の強みであるハード(=住まい)の提供と、NPOが行うソフト(=伴走型の居住支援)を続けていきます。

私がこの事業を成功させれば、収益性だけを考えて高い家賃で貸し出すだけが成功のスタイルではないと考えてくれる大家も出てくるかもしれません。
同じような事業をやる人が出てくる可能性もあるのではないでしょうか。
それが大きなムーブメントに繋がり、結果として社会にもっと大きなインパクトを与えられる、そう信じています。

これからも社会事業家としてチャレンジを続けながら、この事業を広げていきたいです。

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