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「ナナメの関係」で人生に気づきを。
10代が意欲と創造性を育める社会へ
【認定NPO法人カタリバ代表理事/文部科学省中央教育審議会委員・今村久美】

目次
  1. 生まれ育った環境による格差を実感
  2. 親になってわかった、教育の本質
  3. どんな環境に生まれても、輝ける社会を目指して

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、認定NPO法人カタリバで教育事業を展開している今村久美さんをご紹介。

大学時代に社会にある格差を実感した経験が、現在の活動に繋がっているといいます。今村さんが目指す社会とは、お話を伺いました。

1生まれ育った環境による格差を実感

岐阜県高山市に生まれました。
テレビやファッション誌の中に広がる都会での大学生活に憧れ、関東の有名私立大学に進学。
大学で出会う人たちは皆、頭が良くて、議論が上手で、自信にあふれていて。
毎日刺激的で、学ぶことがとても楽しかったです。

成人式で地元に帰ったとき、高校時代の友人に刺激的な大学生活を話しました。
「学ぶことが楽しい」との思いをわかちあおうとしましたが、あまり共感を得られませんでした。
むしろ「学ぶことがつまらない」と語る友人が多くて。
高校時代は、私よりも一生懸命受験勉強をしていた仲間もそんな感じだったので、何が変わったのだろうとモヤモヤしました。

大学は自分で勉強しようと思えばいくらでも学べる場所です。
しかし高校までの教育課程で、多くの人たちは自分で学びたい何かを自己決定するトレーニングをしていません。
私の場合は、運良く周りの人たちに恵まれたこともあって、たくさんの刺激をもらえましたが、そういった出会いに恵まれなければ、自分で目標を設定する方法がわからないまま、ただなんとなく大学生活を送っていたかもしれません。

なぜ大学時代に出会った人たちは、自分で学べる人たちが多かったのかというと、背景には、ある種の「階層」のような、機会の格差があるのではないかと感じました。
大学で出会った彼らは、子どものころから学びに対して積極的な人が多い環境で育ち、周りの影響を受けつつ、十分な教育投資も受けて、たとえば海外留学に行く機会があったり、多様な経験をしていく中で自然と自分で学ぶことが身についてきたのではないかと思ったんです。

そうした気づきから、生まれ育った環境は子ども一人ひとりそれぞれ違っても、いろいろな機会や体験を通じて学びにつながれるのが、あるべき姿なのではないか。
どのような環境下に生まれても、自己肯定感や自信を持って生きていけるような社会にしたい
と思うようになりました。

では、どうすればいいのだろう。
自分の大学生活を振り返ってみると、行動や考え方が変わったきっかけは「こんな人になりたい」と思える人たちとの出会いでした。
その多くは、先生や友人ではなく、年上の先輩や地域の人々など、縦でも横でもない、利害関係のない「ナナメの関係」の人たちだったと思い至りました。
目指したいロールモデルというか、憧れの対象となるような「ナナメの関係」の人たちと出会う機会が生まれれば、あまり環境に依存せずに、自分のやりたい何かを見つけたり、もっと言うと未来をつくりだす力を持てるようになるかもしれないと考えました。

とはいえ、今の世の中は、SNSの普及や核家族化、受験の早期化などライフスタイルも変化してきており、幼少期からより同質性の高いコミュニティの中での生活を余儀なくされています。
そうした中で、所属するコミュニティ以外との繋がりが薄れ、以前のように、偶然「ナナメの関係」を築ける機会は減っているとも言えます。
ある意味閉じられた世界の中で完結してしまう状態をどうにかしたいと思い、10代の若者に「ナナメの関係」を提供し、心の支えとなれるような事業をつくりたいと、学生時代に起業を決意しました。

まずは、キャリア教育の一環として、学校に出向き、学生のボランティアスタッフが中心となって高校生と本音で語りあう出張授業「カタリ場プログラム」を立ち上げました。
少し年上のお兄さん、お姉さん的な存在とのフラットで本音のコミュニケーションを通じて、中高生に「こんな人になりたい」と思えるロールモデルを発見してもらうのが目的です。

「出張授業カタリバ」の様子

「出張授業カタリバ」の様子

正直、プログラムを開始した当初は事業としてなかなか成立しない日々が続きました。
ただ、目指す社会像や教育のあり方は明確に見えていたのでそこへの迷いはなくて、その目標に向かって、足りないお金はアルバイトで稼ぎながら、事業づくりを進めていきました。

2親になってわかった、教育の本質

そんな中で2011年に起こった東日本大震災。
「大変なことが起こった」と思いました。
ニュースを見ている中でいても立ってもいられなくなり、すぐに東北に向かいました。

現地の、実際の避難所の様子は、テレビで見ていた状況とは違うと実感しました。
たとえば、物資。
テレビでは連日物資が足りないとの報道がありましたが、しばらくすると避難所には充実しすぎるくらいに段ボールがつみあげられて、無駄遣いさえされている場面を見ました。
当たり前といえば当たり前ではあるのですが、人づてで情報を知るのと、自分の目で確かめるのとでは、まったく違うと実感しました。

自分の目で確かめる大事さを知り、もっと被災者の人たちに寄り添い、本当に求められている支援を行いたいと思い、避難所の人たちに頼み込んで、一緒に避難生活を送りました。
どうやって物資が届くのか、どう夜が来て、朝を迎えるのか、被災者の人たちとともに過ごし、対話を重ねながら、何が自分にできるのかを考え続けました。

その経験の中で私たちが始めたのが、子どもたちが安心安全に過ごせる居場所づくりでした。
家が流されたり全壊したりして、住む場所がなくなった子どももいましたし、通っていた学校がなくなってしまった子どももいました。

家は無事でも、泥のかき出しや瓦礫の撤去など、大人たちが目の前のことでいっぱいいっぱいな状態の中、親の帰りを待ちながら、ただ一日を一人で過ごす子どももいました。
いろいろな事情で、安心安全に過ごせる居場所がなくなってしまった子どもたちに対し、いつでも来られる場所が必要だと考えました。
空いている学校の教室を貸してもらい、その地域で教員をしていた人たちの協力を得ながら、子どもたちの放課後の居場所を立ち上げることができました。

子どもたちの放課後の居場所となった当時の大槌臨学舎

子どもたちの放課後の居場所となった当時の大槌臨学舎

大事にしたのは、子どもたちと長く続く関係性を築くことです。
被災して不安を抱えている子どもたちにとっては、1回きりだったり、たまに来るボランティアよりも、少しの時間だったとしても毎日関わってくれる人の方が心の支えになります。
そうした考えから、できる限り地域の人をスタッフとして迎え入れました。

大学生ボランティアは、半年以上移住可能を条件に募集。
子どもたちと、普段ほとんど関わりのない、少し年上のお兄さんお姉さん的な存在の大学生との「ナナメの関係」を築ける機会を提供してきました。

震災から3年が経ったときに、子どもを授かりました。
これまで、教育の現場で活動してきたので子育てにはある種の自信がありました。
しかし、実際にやってみると、私は教育をなにひとつわかっていなかったと思い知らされました。

たとえば児童虐待のニュースを目にした時の感情。
心が痛いのは、子どもが生まれる前も後も変わりません。
しかし、「親の責任」の一言では片付けられない問題だなと思うようになりました。

子どもが0歳なら、親だって親0歳。
子どもが生まれたからといって、親としていきなり立派な人間になれるわけでもありません。
親だって、子育てをしながら孤独を感じる時もある。
親は子どもとともに成長していくんだと思います。
一人の母親という当事者になってみてはじめて、虐待などが起こる原因のひとつには、親という存在に完璧を求めすぎている社会構造もあるのではないかという考えなど、新たな視点を持つようになったと感じています。

私の場合は、幸いたくさんの友人や周りの人にサポートをしてもらいながら子育てができていますが、その状況もいつどうなるかわかりませんし、紙一重だなとも思います。
家族や友人、先輩ママやパパなど、身近に頼れる人が不在で、日ごろから悩みを打ち明けられる場所がなく、いざという時に助けを呼べない状況だったら、孤独ですごく苦しいはずです。
追い詰められて、どうしようもなくなる前に、何かできないだろうかと考える日々が続きました。

私はこれまで、災害に直面した子ども、不登校の子ども、経済的困難を抱える子ども、外国ルーツの子どもなど、子どもたち自身に注目し、支援をしてきました。
しかし、子どもたちと一番多くの時間を過ごすのは親であり、自明ではありますが親と子どもの関係性がとても重要です。
子どもたちの問題を解決するには、子どもたちへの支援をするだけでは足りず、あわせて親への支援も必要だとの思いが強くなっていきました。

そして、学校生活や登校に困難を抱えている子どもとその保護者向けの「オンライン不登校支援プログラム」や、経済的に困難を抱えている家庭を支援する「キッカケプログラム」を立ち上げ、子どもだけでなく、親も含めて家庭ごと支援するプログラムを開発しました。

活動の中で、親にとっても「いつでも話を聞くよ」と言ってもらえる「ナナメの関係」の存在は必要不可欠だと日々実感しています。
貧困や不登校などの課題を抱えている親が、心の余裕を持てるようになり、子どもたちにも良い変化が生まれるケースも出てきています。

3どんな環境に生まれても、輝ける社会を目指して

認定NPO法人カタリバでは、教育に関するさまざまな事業を展開していますが、今私が特に注力しているのは、オンラインの活用です。
どんな子どもにも、その子にあった適切な学びに当たり前に繋げられる世界をつくりたい。
そのような想いから、オンラインで一人ひとりにあわせた学びの形を模索しています。

貧困世帯や不登校、地方の子どもなどの学びを止めないために、いろいろなプログラムを開発し、情報の送り手と受け手をオンラインで繋いで、多様な学びの機会を提供しています。

オンラインでの不登校支援プログラムの様子

オンラインでの不登校支援プログラムの様子

現在はカタリバの代表理事を務めながら、文部科学省中央教育審議会委員として国の教育改革にも携わらせていただいています。
学級にはさまざまな特性をもつ子どもが存在し、一斉授業スタイルは限界に来ているとの指摘もある中で、皆同じことを一斉にやり、皆と同じことができるのを評価してきたこれまでの教育に対する社会全体の価値観を変える時が来ているかもしれません。

既存の標準化された基準では落ちこぼれと呼ばれてきた子どもたちも、何か得意な、秀でた分野で輝けるかもしれません。
子どもの状況に応じて、一人ひとりにあった個別の最適な学びの構成が大事だと思います。

カタリバのビジョンであり、私の使命は「どんな環境に生まれ育っても未来をつくりだす力を育める社会を目指す」です。
好奇心を持てる意欲や、こんなふうになったら楽しいだろうなと考える創造力を、全ての子どもたちが持てる社会にしたいです。

活動を通して大事にしているのは、当事者の声を聞くことです。
たとえば不登校支援のプログラムにおいては、悩んでいる家庭に徹底的にヒアリング。
自分たちの想像ではなく、困っている子どもや家族、先生の話を聞いて、役割を探しています。
メディアやネットでも情報を得られますが、それらは誰かが切り取り、加工した二次情報の場合も少なくありません。
自分の目で見て、本当の課題を探るのを大事にしています。

私たちは、ビジョンとして「どんな環境に生まれ育っても、未来をつくりだす力を育める社会」を掲げていますが、達成に向けては、日本はまだ何もかも足りていないと思います。
カタリバも、事業も組織も規模は拡大し続けていますが、成功した実感はなくて、むしろ今も迷走を続けているという方が実感に近いです。

教育業界に限った話ではありませんが、新型コロナウイルスの感染拡大、世界情勢の変化、経済の動向など、子どもたちを取り巻く環境はより複雑になり、多様化の様相を呈してきている中で、世の中が「何が正解かわからない」問題であふれているから、これからもあっちに行ったり、こっちに行ったりしながら走り続けていくと思います。
エンジニアの世界でいう「アジャイル」の開発スタイルで、常に時代の変化に応じてスピーディに、柔軟に解決策を探していきたいです。

関わってきた子どもたちや保護者と数年後に再び繋がり、それぞれの人生を歩んでいると知って、本当にやっていてよかったなと思う時があります。
言いすぎかもしれませんが、教育活動を私の生きる使命として、「どんな環境に生まれ育っても、未来をつくりだす力を育める社会」を目指して、これからも頑張り続けていきます。

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