1多様性を受け入れるアメリカ文化
高校生のころからプロミュージシャンを目指していました。
文化祭でジャズギターを披露し、音楽業界の人たちから褒められたのがきっかけです。
高校卒業後はジャズの本場で学ぼうと渡米。
3つの学校に通って自分の腕を磨きました。
しかし、練習を続けるうちに、とあるクラスメイトの圧倒的な才能を目の当たりにし「絶対にこの人には敵わない」と衝撃を受けたんです。
彼のような人だけがプロになれるのだろうと痛感し、それ以来ギターを弾くのを辞めてしまいました。
音楽を辞めた後は一転してビジネスに舵を切りました。
音楽家向けのアクセサリーの製造と販売をする会社を起業したんです。
経営の知識はほとんどありませんでしたが、計画も立てず、アメリカで事業をスタートさせました。
音楽雑誌への広告出稿や展示会参加、バイヤーとの商談など、挑戦を繰り返し、失敗したら軌道修正を繰り返していきました。
商品の企画から営業、生産管理、販売といったビジネスに必要なノウハウを一通り学び、何事も考えるよりも行動に移すのが大事で、行動が経験になり、実力に繋がると実感しました。
自分にとってアメリカは居心地の良い国でしたが、ブラックマンデーの影響で経済が悪化してきたことから、24歳のとき事業を畳んで日本に帰国する決断をしました。
帰国後、何の仕事をしようかと考えていたところ、たまたま新聞広告の片隅に英会話教室の募集を見つけて応募。
語学力が認められ、英会話教室の講師として働き始めました。
アメリカ留学中の園田さん(右)
2どうすれば皆がハッピーになれるのか
英会話教室の講師を辞め、その後29歳のとき、阪神淡路大震災が起こり、実家の父が経営していた内科クリニックが全壊してしまいました。
多額の借金を抱え、父とともに再起に奔走する中、今度はバイクで走行中に交通事故にあってしまったんです。
生死をさまようような大きな事故でしたが、奇跡的に一命を取り留め、生きていることはそれだけで尊いことだと改めて実感しました。
五体満足で健康に暮らせていることが決して当たり前ではないと思えたんです。
そう考えると、被災し、借金を抱えている今の状況も、そう悲観するものではなく「とりあえず生きてみればいいじゃないか」と心が楽になり、現状を前向きにとらえられるようになりました。
退院後、再びクリニックの再建に取り組みました。
バブル崩壊と震災が重なり、融資がおりないなど厳しい現実にも多く直面しましたが、人間のピュアさや素晴らしさを感じるシーンもたくさんありました。
病院の患者さんが自分も大変な状況なのに「先生たち、困っているでしょう」と、足を引きずりながら10リットルもの水を持ってきてくれた時は、深く感動しました。
人間の心は本来素晴らしいもので、目の前の人への感謝の気持ちを忘れてはならないと思うようになりました。
必死で動き続けた結果、ご縁が繋がり、不動産会社や建築会社、銀行を巻き込んで、なんとかクリニックの再建に成功。
その経験を活かして、医療経営コンサルタントとして独立しました。
医療コンサル業を手がける中で、医療業界におけるいろいろな問題を目の当たりにしました。
その一つが「パイの奪いあい」。
日本の診療報酬では医療行為それぞれに点数が決められていて、その点数に応じて報酬が決まります。
報酬のうち一部は患者さまの負担ですが、多くは国民健康保険によって集められた財源から支払われます。
この財源をめがけて、病院も製薬会社もサービスの提供や研究、開発に取り組んでいて、誰がどれだけの割合報酬を獲得できるのかを争っているように見えました。
このパイの奪いあいは、医療に限らず他の業界でも起きているとも感じていました。
限られた市場の中で、いかに自社のシェア拡大ができるのかを考えている企業が多いと感じたんです。
いくら価値のある商品やサービスでも、お客さんの取りあいをすれば、最終的には価格競争に陥り、結局品質を落とさざるを得なくなります。
留学していたアメリカではダイバーシティを受け入れる考え方が根付いていて、人々が互いを受け入れ、皆で一緒に幸せになる文化がありました。
日本ではあまり見かけないですが、街中ですれ違う人々が互いに、誰に対してもニコッと笑いかけるような習慣があり、住んでいてとても居心地がよかったんです。
ビジネスにおいてどうすれば皆がハッピーになるかを考え抜いた結果、市場自体を大きくするしかないと思い至りました。
きれいごとだと思われるかもしれませんが、自社が参入することで既存の会社も潤うような、そんなビジネスモデルをつくりたいと思いました。
コンサルタント時代
何をすべきか考えていたとき、縁あってブライダルプランナーの女性から結婚式の引き出物に関して相談を受けました。
話しているうちに、紙のギフトカタログをウェブにすれば、面白いかもしれないと思いつきました。
悩んだ末、ブライダル業界については何の知識もありませんでしたが、とりあえずやってみよう、やってみなければわからないと、46歳のとき会社を設立。
このままコンサルティング業務を続け、クライアントのサポートを続けるより、自分で事業をつくった方が、理想のビジネスモデルを生み出し、社会に貢献できる可能性が高いと思ったこともあります。
起業後は、限られた市場の中で戦うのではなく、市場自体を広げるようなビジネスをつくりたいと試行錯誤を繰り返しました。
3オールジャパンで日本のいいものを世界へ
現在は、株式会社ギフトパッドの代表取締役を務めています。
事業の1つとして企業や自治体向けに、デジタルギフトのプラットフォームを提供しています。
企業にとっては、店舗やインターネット通販以外の新たな販路拡大になりますし、自治体にとっては、観光誘致や地方産品の外販に繋がります。
人と商品やサービスとの新たな出会いの場所にもなっており、商品やサービスのPRに繋げ、新たな市場を創り出しています。
弊社の提供するプラットフォームは、メーカー、生産者、自治体といったさまざまな方から利用されており、今後は、そういった方々が自社の提供するプラットフォームを通じて出会い、イノベーションが起こり、新しいビジネスが生まれる仕組みをつくりたいと考えています。
創業時に引き出物のサービスからスタートした為、社名はギフトパッドですが、ギフトにこだわりはありません。
企業と自治体の課題解決をするDXプラットフォームを提供する会社として社会に貢献できればと思っています。
最終的には、自社と関わる人たちと一緒に、オールジャパンでグローバル市場へ挑戦していきたいと思っています。
人口減少が進み国内の需要は下がるばかりで、このまま国内市場にとどまっていては、家電製品や食品など、世界に誇れる日本のものの価値はどんどん下がってしまいます。
今こそ日本企業は手を取りあって、インバウンドの拡大やグローバル展開を目指していくべきだと思います。
自社と関わる全ての人が幸せになれるように、基本的な事業モデルはアライアンス(業務提携)型を採用しています。
弊社だけが儲かるのではなく、他社も一緒に儲かり、皆で幸せになる形を目指して、まずは、社員や取引先の皆様と喜びをわかちあい、ギフトパッドに関わる人が幸せを感じられるように会社経営を志しています。
これからも人との出会いやご縁を大切にしながら、事業を通して、やさしい社会の実現に貢献したいです。
ギフトパッド代表取締役として登壇する園田さん