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話すと、心は楽になる。
働く人を孤独にしない社会を目指して
【株式会社Lilymoff代表取締役・本山友理】

目次
  1. 誠実で的確なプロの姿に感激
  2. やりたい仕事を両立したい
  3. 心を吐き出す居場所になる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、フリーアナウンサーとして活躍しながら、キャリアコンサルタントとして中小企業向けのカウンセリングサービスを展開する本山友理さんをご紹介。

今の事業を始めるきっかけは、適応障がいとなった経験だったといいます。なぜ今のキャリアを選んだのか、お話を伺いました。

1誠実で的確なプロの姿に感激

元々スポーツが大好きで、中学でソフトテニスをはじめました。
どんどん好きになり、もっと上手くなりたいと、ソフトテニスの強い福岡県の高校に進学。
長崎県の実家から離れて、寮生活を送りました。

三年生のときには、キャプテンに任命されました。
チームメイトと意見がぶつかったり悩みも多かったです。
何よりも、自分はキャプテンだから絶対にインターハイに出場しなければならないとのプレッシャーがつらかったです。
不安でいっぱいだったものの、寮ではケータイの所持が禁止だったので、気軽に誰かに相談もできませんでした。

どんどん不安や苦しさが募り、鍋の蓋がカタカタと鳴って、沸騰したお湯がいまにも溢れそうな、そんな精神状態になりました。
もう耐えられないと、寮にある公衆電話で幼なじみに電話。
はじめて「帰りたい」と、弱音をはきました。

「いやいや、もう少しだろ。がんばれよ」。
そんな励ましがあると思いきや、返ってきたのは意外な言葉。
「おお、いつでも帰ってこいよ」でした。
幼なじみは、私の弱さや苦しみを、そのまま受け入れてくれたんです。
その言葉に、鍋からいまにも溢れ出しそうだったお湯が、すっと引き下がって。
話を聞いてもらったおかげで、心が軽くなり、部活をやりきることができました。

高校卒業後は、都内の私立大学のキャリアデザイン学部に進学。
ある日、課外授業で出版業界に勤めている方とお話ししたところ、モデルの誘いを受けました。
モデルの仕事自体には興味がなかったものの、メディア関係の仕事には興味があり、せっかくいただいた機会だからやってみようとプロダクションに所属。
大学卒業後はそのままモデルの道に進みました。

モデルの仕事は立ち位置が1cm変わるだけでも、写真の印象が大きく変わる繊細な世界で難しさを感じました。
特に苦しかったのは、自分の本当の気持ちを伝えられない点です。
広告モデルの仕事では、ときには、自分自身が抱いた感想とは違うメッセージを伝える場合もあり、モヤモヤした思いを抱えました。
事務所の力ではなく、自分の力で仕事を決められるようになりたいと、退所を決意しました。

退所後は、イベントの司会やFMラジオのアシスタントなど、話す仕事をいただける機会が増えました。
その中で、自分が本当にやりたかったのは、モデルではなく、「自分で見たものを自分の言葉で伝えること」だと再認識。
アナウンサー事務所のオーディションを受け、合格をいただき、所属が決まりました。

アナウンサー時代の本山さん

アナウンサー時代の本山さん

スポーツ業界を中心に仕事をいただく中で、パラアスリートにインタビューする機会が増えました。
そんな中、東京オリンピック、パラリンピックの開催が迫ってきました。
ただ伝えるだけでなく、もっと内側からサポートする仕事ができないかと考えるようになり、パラリンピックを支援する団体へと転職しました。

これまで正社員として組織に所属した経験がなかった私にとっては、全てが新鮮なことばかり。
新しい挑戦や、パラアスリートの支援といった自分のやりたい仕事ができて、楽しい反面、苦しいことも多かったです。

これまでのモデルやアナウンサーの仕事は、毎日違う現場に行き、違う人と仕事をする機会が多く、言ってみれば「初対面のプロ」でもあります。
しかし組織で働くと、同じ人たちと毎日顔を合わせます。
これまで仕事において誰かと深く関わってきた経験が少なかったので、どうやって人間関係を構築すればいいのかわからず、苦悩しました。

追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルス感染症の拡大でした。
開催自体が危ぶまれて目的を見失い、メンタルと体が限界になってしまいました。
軽度ではありますが、適応障がいの症状も出たため、志半ばで退職しました。

退職後、失業保険の申請でハローワークに向かいました。
そこで働く職員さんたちの姿が、すごく素敵だったんです。
「ここがわからなくて」と聞くと、すぐに的確な答えを与えてくれますし、誰に対してもフラットで誠実。
ハローワークに来る人たちは年齢も事情もさまざまですが、一人ひとりに対して、適切な対応をしていました。
制度や法律などをたくさん勉強してきたからこそ、困っている人たちに寄り添えるのだと思いました。

ハローワークの職員さんたちの姿に、自分にはなかったかっこよさを感じました。

2やりたい仕事を両立したい

所属していたフリーアナウンサー事務所の厚意から、再所属させていただくことが決まりました。
快く受け入れてくださった事務所の皆さんには、今も心から感謝しています。
同時に、自分が適応障がいになった経験から、カウンセリングの仕事に興味を持つようになりました。

自分に合ったカウンセリングの仕事はないかと情報収集をするうちに、国家資格のキャリアコンサルタントを知りました。
キャリアデザイン学部に所属していた大学時代の学びも活かせます。
しかも資格取得講座では、大学時代の恩師が講師を務めています。
「ああ、自分の人生、全部繋がるじゃん」と思い、講座の受講を決めました。

キャリアコンサルタントの資格を勉強する中で、これまで知らなかった理論や考え方など、多くの学びがありました。
たとえば、キャリア理論の一つのプロティアンキャリアとは、社会や環境の変化に適応しながら、変幻自在に仕事や働き方を変えていく理論です。
以前は、私の働き方って中途半端なのではないか?本当にいいのか?と不安を持っていましたが、変幻自在に変えていいんだ、と自信を持つことができました。
その他にも、カウンセリングの実践で教わった傾聴スキルは、本当に人生の財産になりました。

キャリアコンサルタント講座受講中の本山さん(左)講師だった宮城まり子氏(右)とのツーショット

キャリアコンサルタント講座受講中の本山さん(左)講師だった宮城まり子氏(右)とのツーショット

キャリアコンサルタントの資格取得後、個人事業主として独立。
主に一般消費者向けのカウンセリングを展開しました。
自身がハローワークで困っているときに助けられた経験から、失業中や休職中、シングルマザーなど、困っている人たちを応援する事業も始めました。

3心を吐き出す居場所になる

現在は、株式会社ライムライト所属のフリーアナウンサーとして、テレビのレポーターや企業のPR動画などいろいろなお仕事を受けながら、2022年2月に立ち上げた株式会社Lilymoffで、ハラスメント案件に特化したカウンセリング事業を展開しています。
特に、加害者側のケアに力を入れています。

株式会社Lilymoffのウェブサイトのトップビジュアル

株式会社Lilymoffのウェブサイトのトップビジュアル

事業を通して目指すのは、働く人の孤独を解消し、ハラスメントが起きない世界です。
ハラスメント被害者のケアは世の中に溢れていますが、加害者側のケアはまだまだ少ない。
誰かを傷つけてしまう可能性は全ての人にありますし、ハラスメントをしてしまった人が少しずつ自分と向きあいながら、根本原因を探し、行動変容に繋げていく。
そういったサポートができるといいなと思います。

私のモットーは「働く人を孤独にしない」。
物理的に距離が近くても、心の距離が遠ければ、孤独になってしまう場合もある。
高校生のときや失業したとき、自分自身もたくさんの人に支えてもらい、孤独な状態から抜け出せたからこそ、今があると感じます。
誰かにとって、本音を吐き出せる場所になれればと思っています。

仕事の比重は半々です。
両方好きだし、大事なんです。
とはいえ、切り替えはあまり得意ではないので、この日はアナウンス業、この日はカウンセリング業など、一日一日で切り替えています。

それぞれの仕事が活かされる場面もあります。
アナウンサーとしてインタビューする際、対象者は会社の代表の方が多いのですが、自分でも会社を設立した経験から、その大変さや相手を尊敬する気持ちが増したと思います。
二つの仕事の両立で、自分の幅が広げられている感覚があります。

今取り組んでいることの他にも、アスリートのセカンドキャリアの支援をはじめ将来的な目標はたくさんあります。
まずは出会う人たち一人ひとりに誠実な姿勢で寄り添っていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年3月)のものです

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