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「自分らしくできること」は原点にあった。
コミュニケーションの課題へ挑戦を
【NPO法人Silent Voice代表理事・尾中友哉】

目次
  1. わかりあうために努力する大切さ
  2. マジョリティだからこその思い込み
  3. 耳が聞こえない人の「教育」と「働く」を前進させるために

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、企業向けのコミュニケーション研修事業や、耳が聞こえない子どものための教育事業を展開する尾中友哉さんをご紹介。

耳の聞こえない両親のもとで育った尾中さんは「障がい者」という言葉に違和感を持ち、新しい事業を立ち上げます。尾中さんは何を目指すのか。お話を伺いました。

1わかりあうために努力する大切さ

耳が聞こえない両親のもとに生まれました。
家庭内の会話は全て手話。
日本語はほとんど喋れませんでした。

保育園に入園したとき、僕はいつも通り手話で自己紹介をしました。
周りの子はそれを見て、「魔法使いだ!」と叫びましたが、僕は「魔法使い」の意味さえもわからなくて。
結局、コミュニケーションが取れず、友だちはできませんでした。

ある日、保育園で山への遠足がありました。
友だちのいない遠足は全然気が乗らず、最後尾を先生とトボトボと歩いていました。
頂上についたとき、ある男の子が僕に木苺をとってきてくれました。
彼は僕が日本語がわからないと知っているから、僕の前で食べて見せてくれました。
「おいしいね!」と大げさなジェスチャーを添えて。
僕も真似して口に入れて、「おいしいね!」とジェスチャーで応えました。
帰り道は、その子と手をつないで帰り、僕にはじめて友人ができました。

家に帰り、お母さんにこの喜びを伝えようとしました。
でも、「木苺」を手話でどうやって表現したらいいのかわからず、絵を描いたり、つぶつぶを表現したり、外で木苺を探したりしましたが伝わりません。
伝わらない悲しさに、僕もお母さんも泣いてしまいました。

するとお父さんが仕事から帰ってきて。
僕らの姿を見て、遠足のしおりを掴み、「車に乗れ!」と手話で示しました。
遠足で歩いた山道をもう一度車で走って、茂みの中を探し回り、運良く木苺を見つけたんです。
「木苺だあ!」と伝えたら、その瞬間、お父さんが僕を抱きかかえてくれました。
伝わったときの感動と、わかりあうための努力を大切にすること。
人と共に生きていく上で大事なものを学んだ経験でした。

ご家族での一枚(写真中央が尾中さん)

ご家族での一枚(写真中央が尾中さん)

常に両親の通訳をしていたからか、子どもながらに、人が何を求めているのかを考え、その思いにこたえていくのが上手な人間になりました。
小中高と、大きなトラブルもなくうまく渡り歩き、大学進学。
大学でも友人に恵まれ楽しく過ごしていましたが、授業で映像作品をつくる機会がありました。
はじめは適当に取り組んでいたものの、どんどんのめり込んで。
気づいたら徹夜するほど、熱中していました。

今まで周りの顔色を伺いながら、自分を押し殺し続けてきた自分にとって、自ら表現するの は、はじめての経験でした。
これこそが自分の好きなことだと思いました。
その授業をきっかけに、映像制作以外にも、学外のチラシや新聞づくりといった表現活動に携わりました。
これを一生の仕事にしようと、広告代理店に入社しました。

2マジョリティだからこその思い込み

学生時代より規模が大きい分、仕事にはもっと夢中になれるだろうと考えていましたが、想像していたようなワクワク感はありませんでした。
広告の仕事は、当たり前ですが、自分がつくりたいものをつくる仕事ではなかったんです。
再度、「自分は一体何がしたかったんだろう」「自分は何のために生きているんだろう」と悩むようになりました。

入社して一年ほど経ったころ、たまたま人気のお団子屋さんに寄りました。
長蛇の列に並んでいると、急に流れが止まり、どうしたんだろうと前方を見てみると、一番前には耳の聞こえない人がいました。
お店の人が大声で聞いているのにもかかわらず、お客さんがまったく理解できていなくて。
その様子を見て、思わず前に出て手話で通訳しました。
その結果、無事に解決し、僕は列に戻りました。

するとその人が話しかけてきて、お団子を一つ分けてくれました。
これまで当たり前のようにしていた「通訳」で、感謝の気持ちを示してくれることに感動し、仕事では体験できなかった喜びを感じました。
久しぶりに味わった感覚に、自分が本当にやりたい仕事が見えた気がしました。

会社を退職し、地元へUターン。
耳の聞こえない両親のもとで生まれた自分自身のルーツを振り返りました。
自分という人間をもう一度、捉え直したかったからです。
両親や保育士さんに話を聞く中で、自分が好きなことかはどうかはわからないけれど、自分が自分らしくできることは、「耳の聞こえる人と耳の聞こえない人をつなぐこと」だと感じました。

それから「手話」や「聴覚障がい」をキーワードに転職先を探しはじめましたが、すぐに違和感を覚えたんです。
「健常者」と「障がい者」を分けていて、「障がい者」をあたかも「弱者」と捉えている印象を受けたからです。

耳が聞こえない人は、一般的に「障がい者」とラベリングされています。
しかし耳が聞こえない両親のもとで育った自分は、両親からたくさんのことをしてもらいました。
家族というコミュニティでは、「健常者」が「障がい者」を支援する役割分担ではなく、助け、助けられる関係性が成り立っていたんです。

耳が聞こえない人たちの多くは、物理的に聞こえないだけでなく、自分を取り巻く社会や、人との関係性に困難を抱えています。
たとえば「耳が聞こえない人とは、会話ができない」と思われる場合がありますが、実際は筆談や手話などコミュニケーションの手段はあります。
もし日本の公用語が手話なら、そんな悩みは生まれなかったのではないでしょうか。
「聴覚障がい者」という言葉すらなかったかもしれません。

「健常者」と「障がい者」を区分し一方的な支援関係をつくるのではなく、お互いがフラットに協働できる世界を実現したい。
その思いを発信すると、共感する仲間もできました。
そして25歳のとき、仲間と共に株式会社Silent Voiceを立ち上げました。

事業内容を構想する中で、注目したのはやっぱり「コミュニケーション」でした。
耳が聞こえない人は、伝わらない瞬間を何度も経験しています。
身振り手振りをしたり、その場から推測をして、試行錯誤するのが当たり前で、その過程からコミュニケーション諦めない心を形成したともいえます。

逆に耳が聞こえる人同士の方が、「伝わっているだろう」と思い込んで、コミュニケーション不全に陥る場合も少なくありません。
ちょっとしたコミュニケーション不全が、ストレスや仕事のミスに繋がることはよくあります。
耳が聞こえない人がコミュニケーションに大切な心をお伝えする研修を作れれば、他者とわかりあうために必要なことを学べる機会になるかもしれないと思いました。

研修中の様子。耳栓をし、身振り手振りで意思疎通にトライするワークショップ中

研修中の様子。耳栓をし、身振り手振りで意思疎通にトライするワークショップ中

いろいろな企業で研修を展開しました。
徐々に知見がたまっていくうちに、聞こえる人と聞こえない人が一緒に働くノウハウがたまり、コンサルティング事業「DEAF Biz」を立ち上げて、聞こえる人と聞こえない人が共に働く職場の支援をはじめました。

大阪に耳が聞こえない子どもたちを対象にした塾「デフアカデミー」も立ち上げて、耳が聞こえる人たちが当たり前に経験してきた「プロセス」を積むためのアクティブラーニングプログラムの他、ことばの学習プログラムや、速読力といった見る力を養うプログラムを提供しました。

しかし、塾が成り立つのは人口の多い都市圏のみ。
地方在住の子どもたちにまで、このサービスを届けるのは現実的に不可能です。
しかも地方は、支援者がいなかったり、支援環境が整っていない場合も少なくありません。
1,000人に1人生まれると言われている耳が聞こえない子どもたち。
出張授業で地方に展開するだけでは、サービスを行き届かせられないと感じ、2019年、オンライン対話授業「サークルオー」を立ち上げました。

3耳が聞こえない人の「教育」と「働く」を前進させるために

現在は、NPO法人Silent Voice代表理事と株式会社Silent Voice代表取締役を務めています。
耳が聞こえない人や聞こえにくい人の「働く」と「教育」に注目した複数の事業を展開していて、最近はコロナの影響もあり、オンラインの手法に特に注力しています。

ろう、難聴児向けオンライン対話授業「サークルオー」の様子

ろう、難聴児向けオンライン対話授業「サークルオー」の様子

聞こえない人とのコミュニケーションは難しいと感じる人が多いかもしれませんが、実は耳が聞こえる人同士のコミュニケーションにも怪しい部分があると思います。
一緒の世界を見ていると思い込んで、相手と自分の違いをよく知ろうとしないからです。
「わかって当たり前」との思い込みが、逆にコミュニケーションの不全を生み出しています。
この「人との間」にあるズレもある種の障がいであり、向きあい方次第でこの障がいはなくなると思います。

耳が聞こえない人の中には、普段から「伝わらない」問題に何度も直面しても、諦めずにいろいろな手段を講じている人が多くいます。
相手を知ろうとし続ける姿勢を持っているのです。
その姿勢は、耳が聞こえる人にも参考になる部分があるだろうと思います。

これからも、耳の聞こえない人や聞こえにくい人を軸に「教育」と「働く」の課題を繋げ、解決するような活動を進めていきます。
聞こえない子どもたちが自分に自信を持って社会に出て、わかりあえるコミュニケーションのある企業で活躍するのが当たり前になる。
そんな未来が訪れるとうれしいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年3月)のものです

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