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生きづらさを感じさせない社会へ。
PRの可能性を最大限に活かす
【PRコンサルタント・細田知美】

目次
  1. PRの仕事は天職だ
  2. PRの力でより良い社会づくりに貢献したい
  3. 生きづらさを感じさせない社会をつくる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、電通PRコンサルティングの情報流通デザイン局でPRコンサルタントとして活動する細田知美さんをご紹介。

会社での仕事の他、社外にも活動の幅を広げる細田さん。PRの仕事には、社会をより良くしていける大きな可能性があると言います。細田さんが実現したい社会とは。お話を伺いました。

1PRの仕事は天職だ

絵を描いたりデザインするのが好きで、美術大学に進学。
在学中から、将来はエディトリアルデザインや広告代理店のクリエイティブ制作の仕事に就きたいと、出版社でアルバイトを始めました。

ある日、駅で掲載期間の終わった広告がビリビリと破かれていく様子を目にしました。
そのときにとても悲しさを覚えたんです。
せっかくデザインしても消えていってしまうのは嫌だ。
長く大切にしてもらえるものに携わりたいと思うようになり、行き着いたのがプロダクトデザインの仕事でした。
その中でも、アクセサリーが好きだったので、ジュエリーの会社に就職しました。

デザインの仕事は楽しくてたまりませんでした。
夢にまでアイディアが浮かんでくる状態で、枕元にスケッチブックを置いて寝る日々。
自己表現のアートとは異なり、デザインは世の中で売れるものを考えなければなりません。
大変ではありましたが、パリのメゾンやパリコレに関わり、やりがいも大きかったです。

仕事は楽しかったのですが、高校生のころから抱いていた海外で暮らしたいという思いが募り、3年働いたところで退職。
仕事の繋がりもあり憧れだったパリに留学しました。
あわよくばそのまま定住してもいいとまで思っていて、その後についてはあまり深く考えていませんでした。

パリ在住時代の長男との一枚。お腹には長女が

パリ在住時代の長男との一枚。お腹には長女が

現地でフランス語を学んだのち、フランスでもジュエリーデザインを学ぼうと専門学校を受験しました。
しかし、合格発表と同時期に、子どもを授かっているとわかったんです。
初めての妊娠、しかも海外生活で体力面や精神面でも不安があり、入学を断念。
結婚し、フランスでの育児に専念しようと決めました。
その後、現地でパリコレのお手伝いなどもしつつ専業主婦として生活しながら、二人目を出産。
トータルで5年在住し帰国した後には三人目も生まれ、長く子育てに没頭する日々を送りました。

長男と次男が遊ぶ、ゆったりした時間

長男と次男が遊ぶ、ゆったりした時間

子育ては刺激的で楽しい。
けれども、また働きたい気持ちもありました。
同じころ、夫との関係が悪化、別居し、実家の東京に戻りました。
自分で生計を立てるため、もう一度デザインの仕事をしたいと考えたものの、前職で関わりがあった人に会う中で、十年のブランクを痛感しました。
デザイナーには感性が求められますが、今の自分の感性に自信を持てなくなってしまったんです。

デザイナー以外の仕事にも目を向けてみましたが、十年間の専業主婦期間がハードルになり、なかなか仕事が決まりません。
子育てのために専業主婦になった女性の社会復帰のしづらさも痛感し、別居や離婚をした女性が生きていく大変さを知りました。

幸い、私は大学時代のデザイナーの先輩から「仕事を探しているならうちの会社で手伝ってほしい」と言われ、秘書兼PRの職に就きました。
秘書もPRも未経験でしたが、信頼のおける先輩からの誘いだったので、思い切って飛び込みました。

その先輩が経営している会社は他にもデザイナーを数名抱えていて、世の中や企業が幸せになるためのデザインを生み出していました。
デザインやデザイナーを、私がPRとしてメディアに繋ぎ、世の中に広めていける。
ワクワクしやりがいがある仕事だと思いました。

世の中に出していくには、扱ってくれるメディア側とコミュニケーションを取らなければなりません。
出版社でアルバイトをしていた経験から、私はメディア側の気持ちがわかるし、デザイナーとして働いていた経験からクリエイティブ側の気持ちもわかる。
創り手のデザイナーと届け手の一般の人たちの間にあるメディアとの架け橋になり、素晴らしいものを世の中に出していくPRの仕事は天職だと思いました。

2PRの力でより良い社会づくりに貢献したい

その後、縁あって現在のPR会社に転職しました。
東日本大震災後で社会的に不安定な時期の入社だったので、最初は正社員としてではありませんでしたが、仕事があるありがたみを強く感じながら、目の前の仕事に懸命に取り組む日々を送りました。

入社して十年経ち、仕事を進める中で時代とともにPRに求められる役割が変わっていくさまを感じました。
一昔前、PRの仕事は、できたサービスや製品の情報を広く世に広めることとされてきました。
しかし近年は、「戦略的コミュニケーションのプロセス」であり、終着点のある一方的な情報発信活動ではないとされています。
会社の経営においてパーパス(存在意義)を重視する企業が増え、PRの力を通して社会をより良くしていこうとの流れも生まれています。
その流れの中で、私は社会貢献活動に関心を持つようになっていったんです。

2020年の春、一般社団法人Famieeの代表から声を掛けられプロジェクトに参画しました。
この団体は、多様な家族形態が当たり前のように認められる社会の実現を目指し、ブロックチェーンの技術を活用して、民間から家族関係証明書を発行するサービスを立ち上げようとしていました。
自治体のパートナーシップ制度では、転出してしまうと関係性の証明が持続できなくなります。
そういった課題を民間からできるサービスで解決しようとしている活動に賛同したんです。

私自身は性的マイノリティの当事者ではありませんが、このプロジェクトを聞いたとき、フランスにいた記憶が思い浮かびました。
フランスではLGBTQの人たちや障がい者の人たちが当たり前のように社会に溶け込んで暮らしていて、アンビジブル(不可視的)にしてしまう日本に違和感を覚えていたんです。

こうしたフランスで感じた感覚を思い出し、日本でいろいろな人たちが存在していると感じにくいのは、マイノリティの方々に「表に出にくい」と思わせてしまう社会をつくってしまっているからだろうと思いました。
そして、私の子どもたちが大人になったとき、日本は多様性を当たり前に受け入れる社会になっていて欲しいと強く願っていました。

社会全体をいきなり大きく変えられなくても、自治体や企業単位といった小さなコミュニティから生きやすい場に変えていくことはできますし、変えていかなければならない。
いろいろな人たちがふつうに生活できる環境をつくっていく必要性を感じています。

3生きづらさを感じさせない社会をつくる

現在、電通PRコンサルティングでの仕事と一般社団法人Famieeの活動をしています。
Famieeの家族関係証明書は自治体を含め現在55企業団体が導入。
Famieeや導入企業、賛同企業、賛同者とともに、社会が変わるスピードを加速させていきたいと思い活動しています。

表現者が何かを作り、それを広めることができれば世の中を良くしていける。
私は、PRとして「表現者とメディアの間に立って、一緒に世の中を良くしていきたい、変えていきたい」との思いで仕事を続けてきました。
その仕事が認められ、2021年12月、公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会が主催する「PRアワードグランプリ2021」でゴールドを受賞しました。

受賞したのは、東京藝術大学と取り組んだ「コロナ禍の芸術家を救え! オンライン上のアートの可能性を拡げる『東京藝大アートフェス』の挑戦」。
コロナ禍で活動が制限され困窮に陥ってしまった芸術家の支援と活動の場の創出を行ったプロジェクトでした。
今後PRパーソンとして活動していく中で、大きな転機となる受賞だと思います。

PRは、捉え方も大きく変化し、幅広い可能性がある仕事だと考えています。
会社もPRの力で未来のより良き社会の実現に貢献すると提唱していて、だからこそ私の社外での取り組みにも賛同しています。

今は、何か社会に大きく貢献できるアクションを起こそうと、何人かと計画を練っているところです。
社会をより良くする活動をしていきたい。
私にとっての「より良い社会」は、生きづらさを感じさせない社会。
性自認や障がいの有無、シングルマザーなど、何かで生きづらさを感じたりしない社会にしたい。
今の子どもたちが大人になったとき、「日本の社会って変わったよね」「住みやすくて生きやすいよね、快適だよね」と言える社会になっていてほしいです。
そんな未来実現に、PRの力はもっと貢献できる。
これからも、PRの仕事に邁進したいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年3月)のものです

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