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心を鎮め、五感を研ぎ澄ませる茶道。
アート×茶道で幅広く魅力を伝えたい
【アーティスト茶道家・小堀宗翔】

目次
  1. 茶道が心を育んできた
  2. 世界の舞台で実感した茶道の偉大さ
  3. マルチな活動で茶道の門戸を広げたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、アーティスト茶道家として活動する小堀宗翔さんをご紹介。

遠州茶道宗家に生まれ、茶道を仕事にしながら、ラクロス選手として活動してきた小堀さん。スポーツの場で茶道が与えてくれる力を実感する出来事があったといいます。その出来事を機に小堀さんの中に芽生えた思いとは。お話を伺いました。

1茶道が心を育んできた

遠州流茶道の家元の次女として生まれました。
お茶会のときには、着物を着せてもらいお茶をお客さまに運ぶ「お運び」をしていました。
子どもながらに、他の人の家よりも行事が多い家だな、節目を大切にしている家なんだなと思っていました。
ただ、私は着物を着て正座をするよりも、当時は外で遊ぶ方が好きでした。

9歳で剣道を習い始めてからは、お茶よりも剣道に夢中になりました。
遠州茶道宗家は長男が継ぐのが伝統で、8歳下に長男にあたる弟がいたので、お茶のお稽古だけに向き合うことはありませんでしたし、親から何か言われたりもしませんでした。

剣道に夢中だったころの家族全員で撮影した一枚(本人は右端)

剣道に夢中だったころの家族全員で撮影した一枚(本人は右端)

大学生になり、姉に「一緒に日本一を目指そう」と勧められ、剣道からラクロスに転向しました。
日本代表を目指す本格的な部活動で、練習に励む日々。
日本代表になりワールドカップに出るのが目標でした。

部活は大学4年生の11月で引退を迎えましたが、その翌年にはワールドカップを控えていました。
代表選考会に出て、ワールドカップに出場したい。
それまでは就職活動をせず、ラクロスに集中しようと考えていました。
しかし、私の話を聞いた母は「あなた、一体何をして生きていくつもり?」と問いかけ、続けて言われた「あなたには茶道しかないでしょ」の言葉にハッとさせられたんです。

改めて振り返ると、茶道を通じ多くを学んでいると気がつきました。
例えば、お茶席では「取りあわせ」が大切で、茶碗や掛け軸など、全てが高級品であればいいわけではありません。
全体のバランスが調和して良い組みあわせになるのです。
その思想はラクロスのようなチームスポーツでも同じように言えます。
全員が速く走れれば勝てるわけではありませんから。

わたしの精神性を育んできたのは、スポーツではなく茶道だと気づきました。
茶道を通して磨かれた心が人間として成長させ、アスリートとしてのプレーにいい影響を与えてきたんだと思ったんです。

「茶道しかない」との母の言葉が腑に落ち、初めて茶道を仕事にしたいと思いました。
8歳下の弟が跡を継ぐまでには時間があるので、その間を繋ぐ役目を担えるのではないかとも考えていました。

2世界の舞台で実感した茶道の偉大さ

平日は茶道、土日はラクロスの練習をする日々。
「大変だね」と言われたりもしましたが、自分では特に大変だと思いませんでした。
むしろ、茶道とスポーツとで静と動のバランスを取れていたと思います。
茶道は自分の内側に矢印を向けていき、スポーツは外に向けてエネルギーを発散するものです。
お点前を通して清められた心がスポーツのパフォーマンスにいい影響を与えてくれると実感していて、どちらにも100%の力を注いでいました。

社会人クラブチーム「ミストラル」でプレーする様子

社会人クラブチーム「ミストラル」でプレーする様子

努力の結果、日本代表に選ばれ、念願叶ってワールドカップへの出場が決まりました。
日の丸を背負って戦えるとワクワクしながらカナダに向かいましたが、強豪国アメリカの代表選手たちを目の当たりにし、心が怯んでしまいました。
あまりのオーラの強さに圧倒されてしまったんです。

なんとなく自信がなくなってしまった状態で、私はチームメイトたちを誘ってお抹茶を飲むことにしました。
普段から毎日お抹茶を飲み、二日も飲まないと耐えられない生活を送っていたので、簡易的なお茶道具を持ち歩く習慣があったんです。

すると、周りにいた外国人選手たちが寄ってきて、リスペクトのまなざしを向けてくれました。
国際大会とはいえ、試合中以外は国関係なくフレンドリーな雰囲気なんです。
「私も飲みたい!」の言葉を受け、外国人選手たちにもお茶を振る舞いました。

カジュアルな場ですから自由な飲み方で飲んでも構わないのに、彼女たちは「どうやって飲めばいいの?」と聞いてくれました。
日本文化へのリスペクトが感じられてうれしかったです。
自信をなくしていた心も安定し、茶道の偉大さを肌で感じました。
自国の文化は自信や誇りにも繋がる。
茶道を知ることで、アスリートたちが自分の国に誇りを持てるのではないかと思いました。

その出来事があってから、「お茶をやってみたい」とのアスリート仲間たちの声に応え、お茶会やプライベートレッスンをはじめました。
すると、意外にも茶道に興味を持っている人がいると知りました。
ただ、茶道を教えられる人に出会うきっかけや場は少ない。
そのことが実際にふれてみるハードルを上げていると感じました。
私自身、宗家に生まれていなかったら茶道をやっていなかったかもしれません。
「茶道って難しそう」「ハードルが高そう」と思う気持ちがわかるからこそ、そのハードルを下げたいと思いました。

本来、お茶はもっと自由に楽しめるものだと思っています。
「日常茶飯事」という言葉があるように、日常のそばにお茶があるような茶道との出会いの場をつくりたいと思うようになっていきました。

アスリートたちとの茶会は、「アスリート茶会」と名前を付けて継続。
この「アスリート」はスポーツ選手だけを指してはいません。
「明日」「力」「人」と漢字を当て、「明日に力を与えている人」に向けたお茶会、心のよりどころにしていきたいとの思いも込めて名付けました。

3マルチな活動で茶道の門戸を広げたい

2021年12月、ラクロスの現役選手を引退。
これからを考えたとき、私は茶道の世界をもっと広くいろいろな人に知ってもらいたい。
そのためには、茶道という概念をいい意味で壊し、今の時代に沿うものにしていきたいと思うようになりました。

茶道が400年以上も残っているのは、真髄を保ちつつも時代にあわせて変えていった柔軟性が理由だと思ったからです。

案のひとつとして思い浮かんだのが、「見る茶道」です。
音楽や演劇、書家など、何かのアート活動と茶道とを掛けあわせ、お稽古事ではない茶道の形を模索してみたいと思っています。
音楽や演劇などのアートを好む人たちが、見る茶道を入口にして伝統的な茶道にも興味を持ってくれるかもしれません。
いろいろなものと掛けあわせることで茶道のファンを増やせたらうれしいです。

そもそも私は、茶道もアートのひとつだと捉えています。
お茶にはその人の魂がこもっているので、同じ人が点てたものであってもまったく同じお茶はできないんです。
それは、同じ絵が描けない、同じ音楽が存在しないのと同じだと思っています。

茶道の世界に入ったときには、弟が家元を継ぐまでの間をつなぐのが私の役目だと思っていました。
しかし今は、私だからできる何かで茶道に関わっていきたいと思っています。
家元ではない私だからこそできる自由な切り口があるはずだと思います。
家元も私のいろいろなチャレンジを否定せず応援してくれているので、新しい茶道のあり方を私なりに表現していきたいです。

一服のお茶を点てる時間で、私たちは五感を研ぎ澄ますことができます。
客としてお点前の所作を見ているだけでも心が動かされるものがあり、茶室は心のよりどころになり得る。
私が茶道とスポーツで静と動とのバランスを取ってきたように、何かと忙しい現代社会を生きる人にこそ茶道が必要だと感じています。
スポーツ選手という意味でのアスリートだけではなく、明日に力を与えているあらゆる人に、茶道が何かしらの力になればいいなと思いながらマルチに活動していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年2月)のものです

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