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誰しもが病気や障がいの当事者になる。
音楽で医療福祉をもっとカジュアルに
【株式会社デジリハ代表取締役/NPO法人Ubdobe代表理事・岡勇樹】

目次
  1. がんを打ち明けられなかった母
  2. 自分のような後悔をする人を減らしたい
  3. 誰もが生きて死ぬまでを当たり前に過ごす社会に

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、音楽やアートによる医療福祉の普及やエンターテインメント化に取り組む岡勇樹さんをご紹介。

岡さんが活動を通して目指したい社会とは。お話を伺いました。

1がんを打ち明けられなかった母

三歳のとき、親の仕事の関係でサンフランシスコへ家族で引っ越しました。
成長するにつれ周りの子たちに影響され、ヒップホップが大好きになっていきました。

小学6年生のとき、日本に帰国。
その時期の編入は珍しく周りからは「アメリカから来たんでしょ」と変な目で見られました。
日本語も苦手でうまくコミュニケーションが取れないし、ヒップホップの話題で語りあえるような友だちもいません。
中学に進学しても、学校になじめないままでした。

高校生になり、ハードコアという音楽に出会いました。
ハードコアのライブでは、ステージの前で、観客ももみくちゃになりながら暴れ回ります。
今まで体験したことのない世界が広がっていました。
そこでは、自分の出身地も過去も何ひとつ関係がありません。
お客さん同士で「あのバンド超カッコよくない?」と、音楽の話だけでコミュニケーションが成り立つ世界がありました。

「自分は音楽が好き」だけで生きていける世界と出会い、居場所のなさから解放されて、ライブハウスやクラブに入り浸るようになりました。

大学生になってからは、DJバーでアルバイトを始めました。
勉強はほとんどせず、音楽漬けのただ楽しいことをする毎日を過ごしました。

大学生時代、夜な夜なクラブ遊びしていたころの岡さん

大学生時代、夜な夜なクラブ遊びしていたころの岡さん

大学2年生のある日、家に帰ると「体調が悪いから入院します」と書いた母の手紙を見つけ、見舞いに行って初めて母ががんだと知りました。

今までちゃらんぽらんに生きてきたけれど、同世代と同じように就活をすれば、母も喜んでくれるかもしれない。
そんな思いから、スーツを着て就活をしました。
当時興味があった「瞑想」に近い、リラクゼーション業界に見事合格できました。

しかし母に報告したところ、「あんた、そうやって形だけで人生を決めてもしょうがないんだよ。ちゃんとしなさい」と言われました。
本気で将来を考えていないと見透かされたんです。
「すげえな、母ちゃんは」と思いました。

ある日、僕が母の病室にいたとき、母の友人が見舞いに来ました。
母が「このドラ息子がね」と話すのを、僕はいつものように「はいはい」と受け流していました。
しかし母は、突然こう切り出しました。
「でも、この子は大丈夫なの。生きる喜びをちゃんとわかっているから。一日一善をちゃんとわかって実践している優しい子だから」と。

母の前でやさしいことをした記憶といえば、祖母のお見舞いに行くのが好きだったことくらいしか思い当たりません。
なのに、こんなにもあたたかい言葉で僕を紹介してくれたのが、すごく印象に残りました。

入院から半年後、母は亡くなりました。
遺品整理をする中で、母は入院するまでの約2年間、家族の誰にも打ち明けずに、一人で闘病していたと知りました。

母は元気で明るい人です。
まさか一人で苦しんでいたなんて思いもよらない事実でした。
もし自分が定期的に家に帰って、「母ちゃん、最近痩せたね」など声をかけていたら、もっと早くカミングアウトできていたかもしれない。
もしかしたら、「がんで迷惑をかけてしまう」といった社会的な強制力もあったのかもしれない。
母の真意はわからないものの、一人でつらい思いをさせてしまったことに、大きな後悔が残りました。

生前に母が友人に伝えていた言葉「勇樹は、生きる喜びをちゃんとわかっているから。一日一善をわかって実践している優しい子だから」も、ずっと遊んでばかりいた僕への願いのようなものが込められていたと感じるようになりました。

2自分のような後悔をする人を減らしたい

大学を卒業し、リラクゼーション業界で働く中、祖父が認知症になりました。
母のときは大好きな音楽に逃げて、今は仕事に逃げている。
同じ後悔を繰り返すのではないかと思い、退職を決意しました。

祖父の見舞いをする中で、昔聴いていた音楽をかけると反応してくれると気づきました。
調べてみると、「音楽療法」と呼ばれる手法がヒットし、大好きな音楽で祖父の力になれると、音楽療法を学べる専門学校へ進学しました。

授業の一環で離島の障がい児施設で演奏会に行ったときのことです。
「障がい児」施設なのに、大人ばかりが入居していて違和感を覚えました。
話を聞いてみると、両親が施設に預けて、二度と迎えに来ないケースもあると説明されました。
ただ障がいをもって生まれてきただけで、不自由を強いられていることに憤りを覚えました。
死や障がい、病気といった部分が、社会的にクローズになっていることを実感しました。

帰り道、冷静になってじっくり考えてみたとき、「無知」が原因の一つだという結論に至りました。
母に対して、少しでもがんのことを知っていたら、こんな後悔をせずに済んだかもしれません。
無知が解消されれば、解決できるものはたくさんあるかもしれないと感じました。

だからといって、当時の僕は「日本人の二人に一人が、がんに罹患する」なんて聞いても興味を持たなかったのではないでしょうか。
医療や障がいに興味がない人はたくさんいます。
当時の僕に届けるならば、「クラブやライブハウスで情報発信をすればいいのではないか」と思いつきました。
そこで2010年、「がん」をテーマにしたクラブイベントを開催しました。

「がん」をテーマにしたクラブイベントの様子
「がん」をテーマにしたクラブイベントの様子

「がん」をテーマにしたクラブイベントの様子

イベント後、首までタトゥーが入った怖そうな男性に声をかけられました。
「主催者さんですよね。このイベントめっちゃいいっすわ。うちのおかんは病気でもなんでもないっすけど、とりあえず今日帰っておかんに電話しますわ」と。

過去の自分のような人に思いが届いて、達成感を抱きました。
この方法ならば、がんだけでなく、病気や障がいなど多方面にも拡張していけるかもしれない。
そこでNPO法人Ubdobeを立ち上げ、音楽イベントや謎解きイベントなどで、医療福祉のカジュアル化をテーマに活動を始めました。
実績ができるにつれて、全国の行政機関や企業とのコラボレーションも実現していきました。

活動に共通するコンセプトとして、「あらゆる人々の積極的社会参加の推進」を掲げました。
思い描いているのは、ピザを食べたいときにピザを食べるような、単純なことです。
でも障がいのある方だと、車いすでの入店を拒否されるといった現状があります。
もっと視野を広げてみると、がんであることを打ち明けられないなど、病気や障がいによって人として生きる自由が制限されている現状があります。
「人が生まれて死ぬ」中で、趣味を楽しんだり社会参加するといった当たり前を、脅かされているのです。

これは、一部の人だけの問題ではありません。
人は誰しも、老いるし、病気になります。
自分自身や家族、親しい人たちが、突然そのような状態になる可能性は十分にあるのです。
その状態が苦しいものとされていたり、差別されているような社会通念や環境を変えたい。

ある日、NPOの仲間から、娘さんの動画を見せてもらいました。
そこにあるのは、リハビリが嫌で、泣きわめいている女の子の姿。
心が痛みました。
リハビリは継続が大事なものの、単調でつらく、中には苦痛を伴うものもあって、子どもたちにストレスをかけていると知りました。

当時僕らは、デジタルアートの事業を展開していました。
デジタルアートとリハビリ。
楽しいこととつらいことを組みあわせたら、相殺できるかもしれない、むしろ楽しいものになるかもしれないと、デジタルアートを用いたリハビリのサービスを構想しました。

とはいえ、僕はリハビリの専門職でもないし、デザイナーでもプログラマーでもありません。
専門職の人を集めなければ、この事業は到底成り立たないと考えました。

そこでNPOから分社化し、株式会社デジリハを設立。
専門家とともに、デジタルアートやセンサーを使ったリハビリツールの開発と提供を行うことにしました。

3誰もが生きて死ぬまでを当たり前に過ごす社会に

現在は、株式会社デジリハの代表取締役とNPO法人Ubdobeの代表理事をしています。

デジリハは、デジタルアートとセンサーを掛けあわせたゲーム性のあるツールで、現在26種類のアプリを提供しています。
単調でつらいリハビリを、楽しめるゲームへと生まれ変わらせました。
しかもリハビリ専門職でなくても使える設計であり、家庭用のトレーニングとしても使えます。
今は子ども向けに特化したサービスですが、将来的には成人や高齢者にも提供できるプロダクトにして、世界中に拡張するプラットフォームになりたいと考えています。

デジリハ提供中の一枚

デジリハ提供中の一枚

NPOの活動としては、従来のイベント事業やデザイン事業の他、最近では障がい児者の居宅介護や重度訪問介護、移動支援事業を手がける福祉事業所「WASSUP」をオープンしました。

テーマは、「寄り添わない」。
利用者が「山に行こう」と言ったら、「海に行こう」と提案するイメージです。
やりたいことを叶えるだけでは、広がりがありません。
重い障がいを持っている方の中には、周りに迷惑をかけたくない意識から、ヘルパーや介助者に対しても自分のやりたいことを言えない人もいます。

職員側からの働きかけで、利用者自身が思いつきもしなかったことができれば、それだけでも人生経験は大きく広がると思います。
利用者の方と一緒に冒険するような事業所を作りたいです。

取り組んでいるどちらの事業も、「あらゆる人々の積極的社会参加の推進」を推し進めている意味では変わりません。
デジリハは圧倒的な拡張であり、Ubdobeは身近な拡張です。
お金も規模感も全然違うけれども、拡張した結果、楽しんでくれたり自由になってくれる人がいることで、僕自身も喜びを感じています。
誰だって当事者になりうると伝え、それによって自分のように後悔をする人を減らしていきたいです。

とはいえ自分は、努力とか苦労はあまりしたくありません。
楽しく生きていきたい人間です。
最近では、自分の趣味からオンラインレコードショップを始めました。
これはただただ、楽しいからです。
だから自分が楽しめる音楽やアートが好きな人に、届けばいいと思います。
なぜなら、漫画が好きな人や、本が好きな人には、もっと有効な手段があるからです。
自分たちの世界観を好きでいてくれる人たちに届け続けることが、僕の使命だと思います。

僕らの事業を拡張し、誰しもが「生まれて死ぬ」というシンプルな世の理を、その人なりに楽しく生きていける社会を実現していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年1月)のものです

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