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「目立ちたい」から社会を変える。
人脈や経験を等しく享受できる日本をつくる
【ICT授業作家・尾崎えり子】

目次
  1. 環境のせいで荒れてしまう子どもを救いたい
  2. 「世界で影響力を与える100人」に選ばれたい
  3. 子どもたちが、等しく人脈や経験を得られる社会を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、会社経営者、大企業の役員、公教育での仕事や母業など、マルチに展開する尾崎えり子さんをご紹介。

全ての肩書は、夢を成し遂げる道のりにある壁を壊す武器だと話します。尾崎さんが目指す未来とは。お話を伺いました。

1環境のせいで荒れてしまう子どもを救いたい

目立ちたがり屋な子どもでした。
変わったことをしなければ目立てないからとプレーヤーの少ない女子野球を始め、「日本初の女子プロ野球選手になりたい」と思っていました。
挑戦するなら、成功したときに目立てる茨の道がいい。
多少、血を流すくらいどうってことないし、それくらいやらないと意味がないとすら考えていました。

小学生のころの尾崎さん

小学生のころの尾崎さん

公立小学校に通う中で、いつも遅刻してくる子や服装が汚れている子を目にする機会がありました。
成長するにつれ、その理由がそれぞれの家庭環境にあると知ったんです。
遅刻ばかりしていてだらしないと思っていた子は、実は弟妹の送り迎えをしていました。
親が病気で、部活動に参加できない子がいることも知ったんです。
私が知らないところで、私がせずに済んでいることをやらねばならない子がいる事実に衝撃を覚えました。
中学生になり、その子たちはどんどん服装が派手になって、学校に来ない日が増えてきました。
小学校からの友人でしたが、少し怖くなって距離を取り始めました。

そんなある日、放課後にゆっくりその子と話をする機会がありました。
悪い仲間たちと人を傷つけようとした時に「駄菓子屋のおばちゃんが思い浮かんで手を止めた」と話してくれました。
その言葉を聞いて、親に限らず、愛してくれている人、自分を気にかけてくれる人の存在を感じられたら、最後の一歩を踏みとどまることができるのではないかと思ったんです。
中学生になり荒れていかざるをえなかった友人を救いたい思いから、少年犯罪専門の弁護士を目指そうと思いました。

弁護士になるために法学部に進学。
一年生のときから少年犯罪専門のゼミに入れてもらい、先生と少年院を巡りました。
少年たちと関わって知ったのは、稼ぐ手段を持たないために、院を出たあとも再び悪い大人に頼ってしまう場合がある現実でした。
親や地域から離れて自立したい、そうするにはお金がいる。
彼らの話を聞き、誰かがまっとうな稼ぐ手段を教える必要があると思いました。

弁護士を目指しながら、社会人硬式野球チームでプレー

弁護士を目指しながら、社会人硬式野球チームでプレー

課題意識を持つ一方、弁護士になるには頭脳が足りないし、それを乗り越えるエネルギーも湧きあがらない現実も突き付けられました。
加えて、子どもたちへの思い入れが強すぎて、判例を読むのがつらくてたまらなかったんです。
どうしても子ども側に肩入れしてしまい、親を許せない気持ちが強かったです。
ゼミの教授に話をすると、「あなたは、まず自分が親になった方がいい」と諭されました。

ドライに考えられるのであれば、今の私でも弁護士になって仕事ができるでしょう。
しかし、感情的になってしまうのであれば、母親になり視野を広げた上で、彼らに何ができるのかを考えた方がいい。
そのアドバイスに納得し、ストレートに弁護士を目指すのをやめようと決断。

子どもたちに稼ぐ方法を教えられる大人になるため、まずは自分が稼ぐ方法を身につけようと就職活動を行い、コンサルティング会社への就職が決まりました。

2「世界で影響力を与える100人」に選ばれたい

好成績を収めれば表彰される会社環境で、それをモチベーションに仕事に邁進しました。
結果、一年目で優秀社員賞に選ばれました。
ギリギリまでがんばって収めることができた成果でしたが、次の期に「期待しているぞ」とさらに上乗せされた目標数値が提示されました。
当時、まだ戦略をうまく立てられなかった私は、「あんなにがんばって出せた結果なのに、さらにその上を目指さないといけないのか」と心が折れてしまいました。
会社に行きたいのに、どうしても行けない。
行こうとすれば涙が出てきてしまう。
公園に座り、出勤していく人たちを見ながら、「もうこの波には乗れないんだろな」と思うと、強い恐怖感や不安感を覚えました。
人生で初めて知る感覚でした。

負けるのはダメ、泣くのはダメ、途中でやめるのはダメだと思ってきました。
いろいろなことを私は自分で乗り越えてきたという強い自負があり、折れるのは弱い人たちだと思ってきたんです。
しかし、私が支えたい、救いたいと思ってきたのは、がんばる力が削がれている子たちです。
がんばりたいけどがんばれない、そんな気持ちに寄り添えていなかったと、自分が折れて初めて気づくことができました。
今はつらい気持ちを知るタイミングだと思えて、会社に行けない焦りから解放されていきました。

3ヶ月後に復職したあとは、いろいろな仕事を経験。
ハードに働き続けましたが、結婚を前に立ち止まりました。
結婚生活と仕事との両立や、今後の妊娠出産について考えた結果、今の仕事のやり方では無理だと思ったんです。
子どものいない今の時点で転職し、仕事に慣れてから妊娠出産を迎えたいと思い、転職を決断。
ちょうど、営業先の社長から「一緒に働こう」と誘われていたのも背を押しました。

子どもを産んだあと、子育てと仕事の両立がいかに大変かを知りました。
まず、住んでいる千葉県流山市から東京への通勤が負担になりました。
満足に寝られずに会社に行き、熱を出したと呼ばれてはすっ飛んで帰る。
おまけに、目立ちたがり屋の私にとって、「やって当たり前」とされる母親業は、目立てないフラストレーションが溜まるものでもありました。

夜泣きで睡眠不足、仕事は思うようにいかない。
このままではこのイライラを子どもたちに向けてしまうのではないかと危機感も覚え、1,000万円ほど予算をもらって取り組んでいた新規事業を親会社に吸収してもらい、会社も辞めました。

保育園に通い続けるには次の仕事をしなければと、コンビニやファストフード店に面接に行きました。
しかし、面接官に「うちの仕事で満足できるの?」と思われてしまうこれまでのキャリアが邪魔をして、不採用続き。
自分で働くしか道はないと思い、起業してコンサルティング業務を請負い始めました。

2016年、クラウドファンディングをしてシェアオフィス「トリスト」を立ち上げました。
子育て中の通勤が苦でやめてしまった自分の経験から東京に行かずとも、東京並みの収入を得られてキャリアアップできるケースを増やしたかったんです。
それには、箱だけをつくっても意味がない。
大手IT業界の会社に掛けあい、テレワーカー育成プログラムを一緒につくってもらい、トリストで開催しました。

プログラムを受けたお母さんたちがテレワーカーとして企業で働き始め、新しい働き方をする人が増え始めました。
メディアにも取り上げられ、視察が全国から来るようになります。
新事業の立ち上げ事例をつくれたことで、コンサルタントとしての実績ができ、講演の仕事も増えました。

会社を立ち上げてからも目立ちたがり屋は変わらず、2030年に「世界で影響力を与える100人」に選ばれることを目標に据えました。
そのためには大きく社会を良い方向に変革する必要があると考え、「親の文化資本によらない機会を全ての子どもたちが享受できる社会をつくる」という、少年犯罪弁護士になりたかった当初のミッションに全てのエネルギーを注ぎたいと思いました。

日本の教育を変えるために、公教育に関わりたいと考え始めました。
そんな私にちょうどいい募集が奈良県生駒市であり、200人中2人の枠に応募し、採用されました。

中に入って知ったのは、法律や条例でたくさん制限されている公教育の現状です。
現場の先生は子どもの教育をしているだけではなく「命」を守っている。
現場の状況を見て、要望に沿って動き続けたことで関係性ができ、今では「盾になるから、存分にやってください」と言われるまでになりました。
他の自治体からも仕事の話をいただくようになっています。

3子どもたちが、等しく人脈や経験を得られる社会を

今は、自分の会社、大企業役員、公教育、母親業と、4つの領域で活動しています。
肩書は全て、「親の文化資本によらない人脈や経験を、未来の子どもたちが享受できる社会をつくる」との自分のミッションを成し遂げるために必要な武器として名乗っているもので、特にこだわりはありません。
自社でやった方が早いと判断できれば自社で、大企業の力がある方が良さそうと思えればそちらでと、目の前の障壁を壊すのに最適な方法を選び、取り組んでいるところです。

原動力はいつも「目立ちたい」。
「世界で影響力を与える100人」に選ばれた姿を子どもたちに見せたい思いもあります。
目立ちたいという欲は、なんとなく悪いもののように思われる風潮があると感じていて、それをなくしたいとも思っています。
私が目立つことで、私が取り組んでいる課題にも光が当たるだろうとも考えています。

今まではマルチでやった方がいいと思い、いろいろなものに手を伸ばしてきました。
今は、あえて絞ったらどうなるかが気になっています。
ただ、何に絞るかは決めていません。
先に決めるとおもしろくないからです。
2年後、会社が10周年、子どもが中学生になる年を迎えます。
そのときまでに、今やっている活動に区切りを付けられるよう動いています。
区切りが付いたとき、どの分野にエネルギーを全投下して教育を変えていきたいと自分が思うのか、今から楽しみにしているんです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年1月)のものです

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