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「できない」は強みにできる。
ADHDの集中力を切り絵に活かす
【葉っぱ切り絵アーティスト・リト】

目次
  1. 仕事が全然うまくいかない
  2. 試行錯誤を経て行き着いた「葉っぱ切り絵」
  3. 戦う背中を見せ続けたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、葉っぱ切り絵アーティストのリトさんをご紹介。

社会人になり、他の人と同じように仕事ができずに苦しんできたリトさん。30歳を過ぎ、その原因が発達障がいにあったと知ります。生きる道を探すリトさんが、見つけた道とは。お話を伺いました。

1仕事が全然うまくいかない

新卒で寿司の製造販売会社に就職しました。
他の人のように融通を利かせた働き方ができず「そこまで丁寧にやらなくていい」と指示されると、手を抜きすぎて問題になってしまったり、集中しすぎて周りが見えなくなってしまったり。
真面目に仕事をしているつもりでも、要領の悪さから不真面目だと思われてしまうことも多々ありました。

入社7年目に回転寿司部門へ異動。
回転寿司の仕事は、お客さんからの注文を聞いて反応し、同時に反対側にいるお客さんにも気を配らなければいけません。
臨機応変に対応できず、とても苦しかったです。
これまでの経験もあまり活かせず、周りからは「転職したぐらいの気持ちでやった方がいい」とも言われました。
それだったら他の会社に転職しても同じだと退職を決意しました。

次は段ボールの製造工場で働き始めました。
しかし、工場の人たちは寡黙で、仕事以外のコミュニケーションはほぼなし。
こうした職場の雰囲気に馴染めず、残業続きのハードさもあり、結局3ヶ月で退職してしまいました。

もう失敗したくない。
今度はあわてずに決めようと思い、一年ほどハローワークに通って和菓子店で販売の仕事に就きました。
製造がなく販売だけと言われていたので、できそうと思いました。

接客は社長に褒めてもらえました。
しかし、裏の事務作業が厳しかったです。
お店のあちこちにメモが貼られているのですが、僕はそれらを見て情報を把握できませんでした。
他の従業員に聞けば、「あそこに書いてあるでしょ?」と言われてしまう。
視野が狭くなりがちで、見落としも多かったです。
おまけに、僕より2ヶ月先に入った高校を卒業したばかりの女の子にすら、まったく追いつけませんでした。

一体、僕のこの仕事の出来なさはなんなんだろうと調べてみると、この世には発達障がいと呼ばれるものがあるらしいと知りました。
これは僕に当てはまると確信して病院に行ってみたところ、「ADHDです」と診断されたんです。

肩の荷がスーッと下りていく感覚でしたね。
生まれつきの脳の欠陥なら、それはできなくてしょうがないとあきらめに近い気持ちになりました。
自分のせいじゃないんだ、努力不足のせいじゃなかったと救われた思いでした。

しかし、あとから入ってくる人にどんどん抜かされていくのはつらい。
障がいを理由に、退職を申し出ました。

2試行錯誤を経て行き着いた「葉っぱ切り絵」

当面の生活は親に頼れましたが、今後を考えなければいけません。
いろいろと考えた末、障がい者雇用枠で仕事を探してみようとハローワークに行きました。

その時に知ったのは、障がい者雇用枠の求人数の少なさです。
自分にあった条件を少しでも入れると、3つほどしか選択肢が残りませんでした。
同じころ、ネットではYouTuberが活躍し始めていて、企業に勤める以外の道で生きている人の存在を知りました。
これだけ働き方が増えているのに、僕の人生が三択からしか選べないのはいくらなんでもおかしいだろうと思い、ハローワーク通いを中止。
自分で新しい仕事を見つけようと思いました。

まず始めたのは、TwitterでのADHDにまつわる発信です。
同じ障がいで悩んでいる人に届けばいいなという気持ちと、障がいのない人にはわからない、当事者だからこそ言えることを伝えられたらとの考えでした。
自分だからこそできる発信を求めている人がいるかもしれないと思ったんです。

とにかく積み重ねだと思い、毎日Twitterを更新。
悩みや愚痴だけではなく、正確な情報を入れたり自分の気づきを入れたりして、コツコツ投稿を続けていきました。
反応を見ながら試行錯誤をし、医学書コーナーで売られている専門的な参考書を買ってきて読んだことも。
得た情報を学生でもわかる噛み砕いた文章で投稿したところ、投稿が拡散される「バズ」も経験しました。

ただ、仕事をせず自宅にいる日々は、言わば安全基地にいるような生活です。
ADHDで困ることは少なく、だんだんと書くネタがなくなっていきました。
どうしようかと思っていたとき、就労支援の場、「若者サポートステーション」があると役所の人に教えてもらいました。
さっそく無料講座を受けに行きました。

講座では、プリントに10分間でいろいろ書いてみましょうと課題が出ました。
簡単な課題ですから時間が余り、講師にバレないようにボールペンで細々とした落書きをしていたんです。
書き終えた落書きをふと見てみると、小さな四角や丸、三角が組みあわさったものがびっしり密集したものができていました。
それを見て、ふと「カッコいい」と感じたんです。
これを紙に広くびっしり書いたら、おもしろいアートみたいなものができるかもしれないと思いました。

SNSへの投稿ネタがなく、「ADHDの集中力を活かして、こんなことをやってみました」と落書きを投稿。
すると、思った以上に良い反響があり、見ている人に喜んでもらえるなら描き続けてみようと思いました。
絵を描いているときは、集中して時間を忘れ、気づけば2時間や3時間経っているような時も。
自分の集中力を活かすのにちょうど良い作業でした。

当事者として障がいの発信をするより、絵やアートの方が仕事になるのかもしれないと思うようになりました。
そこで、ビジネスやブランディングの勉強を開始。
ファストファッションブランドで1枚千円のTシャツが買える中で、1万円を出して高級ブランドのTシャツを買う人もいる。
その差はなんなのか、何者でもない僕の絵を1万円で売るにはどうすればいいのかを思案していたんです。

趣味であれば、フリマアプリで売るのでもよかったかもしれません。
ただ、一日かけて描いた絵を数千円で売るスタイルでは、今後の人生で食べ続けていく仕事にはできません。
いろいろ考えた結果、今すぐ簡単にお金にしようと考えず、ひとまずお金にならなくても、活動をコツコツ続ける道を選びました。

粘土で作られたカエルの置物にびっしり模様を描いてみたり、紙袋に絵を描いてみたり。
紙の切り絵にもチャレンジしてみました。
切り絵は色塗りや影を付けるといった作業が不要ですから、絵を専門的に学んでいない僕に向いていると感じました。

しかし、切り絵業界はアーティストが多く、SNSで投稿しても、すぐに他の人の投稿で流されてしまいます。
差別化したくて、何か別のものに切り絵ができないかと調べていたとき、葉っぱに切り絵を施すスペイン人を知ったんです。
衝撃を覚えました。
葉っぱなら公園でいくらでも拾えると思い、さっそくやってみました。

葉っぱ切り絵作品の1作目「優しいロボットの一日」

葉っぱ切り絵作品の1作目「優しいロボットの一日」

作品を投稿してみたところ、それほど大きな反応はもらえませんでした。
しかし、他にアイディアがあるわけではないので、とにかく続けました。
けれども、なかなか投稿が伸びていきません。
これだけ無風に近い状態なのは、葉っぱ切り絵自体が実はおもしろくないからかもしれない。
疑心暗鬼になりながらも試行錯誤を続けました。

僕が作っていたのは、海外の絶滅危惧種です。
テキスト欄に解説文を入れて、学べるし楽しめる、一粒で二度おいしい作品を作っていました。
しかし、方向性を模索する中で解説文を載せずに、作品名だけにしてみてはどうだろうと思いつきました。
説明がない以上、見ただけでわかるものでなければいけません。
登場するのを猫やうさぎといったなじみのある動物にしたところ、その路線で作った「葉っぱのアクアリウム」がバズり、多くの人から「いいね」やリツイートをしてもらえたんです。

多くの人に見てもらうにはリツイートをされなければならないと痛感しました。
特に共感されたときにリツイートされることにも気づき、絶滅危惧種の作品には共感する人がいなかったからダメだったのかと思いましたね。
そのころ見てくれていた人の気持ちは、共感ではなく「切り絵の技術がすごいね」だったのではないでしょうか。
僕にとって、切り絵は生きていく術です。
だからこそ、自分が好きなものを作っているだけではダメだ、共感されるものを作ろうと舵を切りました。

ある日、展示会の依頼が舞い込みました。
九州の百貨店からのオファーで、心が躍りましたね。
しかし、関東住まいの僕には九州は遠いと思い、断ろうと返信をしましたが、「郵送で構いません。
ぜひとも私たちにリトさんの個展をやらせてほしい」と再オファー。
その熱意を受け、話を受けました。

当日、百貨店に向かうと、開店を待つお客さんの列ができていました。
開店と同時に、お客さんたちは一気に僕の個展へ。
バズった投稿での反応からもファンの熱量を感じていましたが、興奮しながら作品を見たり写真を撮ったりしている姿を目の当たりにし、衝撃を受けました。

お礼を言おうと名乗り出たところ、芸能人が来たかのような大騒ぎ。
これが会社であんなに仕事ができず迷惑がられていた人への反応かと思いました。
場所を変えると、これだけ変わるのかと。
作品は半数以上が売れ、数千円しか入っていなかった口座にお金がドンと入ってきました。
驚きと同時に、安心をもたらしてくれましたね。
どっしり腰を据えて、少しずつ知名度を上げながらがんばっていこう。
地味でも長く活動を続けようと思えたんです。

3戦う背中を見せ続けたい

作品展やイベントが増えてきた今も、日々の活動の基本は作品作りとSNSへの投稿です。
昔あった楽しい思い出などをベースに絵を描いていき、肉付けしていったところで一枚の葉っぱにデザインを落とし込む。
葉っぱを細かく切っていき、完成後にタイトルを付けるのが一連の流れです。
特にタイトル付けが難しく、決まるまで2時間以上かかる時も。
状況を説明してしまわず、見た人それぞれが物語を想像できる余地を残したタイトルになるよう心がけています。

2021年5月には作品集も発売することができました。
この著書が思いがけないほどの反響をいただき、12月には第2作目も発売されます。

初の作品集『いつでも君のそばにいる』(講談社)

初の作品集『いつでも君のそばにいる』(講談社)

葉っぱ切り絵のメッセージカード24枚を収録した『離れていても伝えたい』(講談社/2021年12月3日発売)

葉っぱ切り絵のメッセージカード24枚を収録した『離れていても伝えたい』(講談社/2021年12月3日発売)

今はもう、バズを起こそうとはそこまでこだわっていません。
それよりも、例えば寝る前や起きたとき、一日の中で僕の作品を見てほっこりしてもらえるとうれしいです。
作品を通して伝えたいことやメッセージを聞かれることがありますが、僕はあえて自分の思想や想いを作品に込めないようにしています。
作品に僕の想いが乗ることで受け入れられないと感じる人も出てくるでしょうし、作品が広がりにくくなると考えているからです。

自分が作りたい、楽しいだけでやらずに、画面の向こうで見てくれる人、楽しんでくれている人を意識するのを大切にしています。
楽しんでもらえたら、それでいい。
人に勧めたくなったり教えたくなってもらえたら、もっとうれしいと思っています。
とはいえ、過去の自分の作品を超え続けたいとも思っています。

過去も今も、プロフィールにはADHDと明記し、投稿にはハッシュタグも付けています。
「ダメだ」ばかり言われていた男が場所を変え、弱みを強みに転じさせてここまできた。
その道筋を見てもらいたいですし、同じ当事者の方のなんらかの希望になれたらうれしいと思っています。

僕の姿を見て、「今、これだけ苦しい自分でも、何かを新しく始められるかもしれない」と思ってくれる人がいてくれたらうれしい。
そのためにも、常に最前線で戦う背中を見せ続けたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2022年1月)のものです

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