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「やりたい」衝動で、一歩踏み出す。
アートの可能性に挑戦し続けたい
【マルチアーティスト・大城士武】

目次
  1. あのとき、死ななくてよかった
  2. 「誰かとやる」大切さを知った
  3. アートは無限。これからも常に挑戦したい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、フォトグラファー、マジシャン、動画クリエイターとさまざまな一面を持つ大城士武さんをご紹介。

写真スタジオを経営するArt8株式会社の代表取締役でもあります。マルチに活動する大城さんが目指す先とは。お話を伺いました。

1あのとき、死ななくてよかった

小学生のころ、テレビでマジックを見て興味を持つようになりました。
マジシャンが、まるで魔法使いのように見えたんです。
喘息持ちで体が弱く、あまり学校に通うことができずに、家でマジックの練習にのめり込んでいきました。

17歳のころ友だちとバンドを組み、和気あいあいと楽しく活動し、いつかプロミュージシャンになりたいなと漠然と思っていました。

アマチュアバンド時代の大城さん(写真中央)

アマチュアバンド時代の大城さん(写真中央)

そんな私の活動を知った父は、プロの生演奏が聴けるライブハウスに連れて行ってくれました。
父はライブハウス通いが趣味で、生演奏を楽しみながらお酒を飲もうと、足を運んでいたんです。

「どうせバンド活動をしているなら、プロを目指してやってみたらいいじゃないか」と父に言われ、その気になって音楽事務所のオーディションを受けてみたところ、まさかの合格。
事務所で集められたメンバーで、すぐにプロとしての活動が始まりました。

一年ほど活動した後、事務所の意向でそのバンドは解散しましたが、知りあいにメンバー募集しているバンドを紹介され、すぐに別のバンドでのプロ活動が始まりました。
プロとしてバンド活動が始まると、全国各地あらゆる場所で演奏する機会が増えました。

しかし、表舞台は華やかですが、舞台裏ではいろいろと大変です。
友だちと組んでいたバンドと、プロとして活動するバンドとでは、気持ちの面で大きな違いがありました。
人間関係への疲れや、お金をもらって演奏する責任やプレッシャー。
それらがだんだんと蓄積していき、うつ状態になってしまいました。

それまでは「精神的にしんどくて死にたい」と言う人の気持ちなんて理解できなかったのに、死ぬことへの恐怖がゼロになったんです。
「あ、このまま飛び降りたら死ねるな」などと、自然と思うようになってしまいました。

その後、自分がどうやって回復したのか、あまり記憶に残っていません。
それくらい精神的負荷が大きかったのだろうと思います。
30歳でバンドを抜けると決まるまでうつ状態は続きました。
人間関係の負担が大きかった私はこのころから、「一人で」活動したいとの意識が芽生え始めました。

仕事のゆく先々で写真を撮るのを楽しみにコンパクトデジカメをよく持ち歩いていた自分は、ある日参加した親戚の結婚式の二次会で、隣に座ったおじさんの一眼レフカメラに惹かれ、試し撮りをさせてもらいました。

シャッターを切った瞬間、コンパクトデジカメとはまったく違う世界に、衝撃が走りました。
一瞬で一眼レフカメラのとりこになり、いても立ってもいられず電気屋へ向かいました。

当時はお金もなく、新品の一眼レフカメラは買えずに、中古でカメラを購入しました。
本格的に写真を始め、写真を仕事にしたいと思うようになり、まずはポートフォリオがいるだろうと、写真ブログを開設。
一日1枚、写真をアップし始めました。

カメラマンと聞いてイメージできたのは、記者会見映像などで見る報道カメラマン、スポーツの試合を撮るスポーツカメラマン、あとはブライダルカメラマンくらいでした。

アート作品のような写真を撮る仕事をしたいと思ったので、一番イメージに近いブライダルカメラマンを目指そうと決意。
インターネットで「ブライダルカメラマン 募集」と検索し、トップに表示されたところに面接をお願いしました。

撮り溜めてきたポートフォリオは、ブライダルとはかけ離れた写真ばかりでしたが、社長に「すごくいいね」と言ってもらえて面接は盛り上がり、3時間ほど話し込んだ末に採用が決定。
バンド活動を続けながらブライダルカメラマンとしても働き始め、一年後にはバンドを脱退しました。
33歳で念願のカメラマン一本での生活が始まり、そのころにはうつ症状もかなり改善されました。

音楽活動一筋だったころの自分は、その後の人生で、趣味だったカメラが仕事になるだなんて想像もしていません。
人生には想像もしないことが起こるものなんだ、人生っておもしろいなと思い、そんなとき、ふと「死ななくてよかった」と思ったんです。

アマチュアカメラマン時代に撮影した一枚

アマチュアカメラマン時代に撮影した一枚

2「誰かとやる」大切さを知った

ブライダルカメラマンとして2年間働き、会社内でトップレベルの実力を身につけることができたので、撮影現場の幅を広げるべくフリーランスカメラマンになりました。

現場では、趣味で続けてきたマジックを披露し、場を和ませてから撮影に臨んでいましたが、「彼は何がやりたいんだ。カメラマンなら、カメラだけしっかりやればいいのに」という声を耳に挟みました。

マジックはいい写真を撮るために場を和ませる上で重要なスキルだと思っていた自分は、この言葉に奮起し、逆にマジックでもプロフェッショナルになってやろうと決意。
マジックの腕も本格的に磨くようになりました。

撮影時だけではなく、仲間内での新年会といった場でも披露するようになると、マジックの腕もだんだんと上がり、周りから「お金を払わないといけないよね」と言われるようになりました。
お世辞かなと思いつつも、そう言ってくれるのはうれしかったです。

そんなとき、友だちの結婚式の三次会で訪れたバーでいつものようにマジックを披露していると、別のお客さんから「こっちにもマジシャンがいるんだ」と声を掛けられました。
マジシャンと出会う機会はレアな上、彼は私と同い年でした。
彼とマジックを披露しあううちに、意気投合。
「二人でマジックをしよう」とコンビを組むことにしたんです。

漫才のようにマジックでボケとツッコミをする、コンビでないとできないスタイルに挑戦しました。
イベントに出てお金をもらえるようになり、マジックも趣味から仕事になりました。
彼とは、本音でぶつかりあえる相性の良さが心地よかったです。
ずっと「一人で」にこだわってきた私にとって、誰かと一緒にやる素晴らしさを感じるいい機会になりました。

34歳でカメラマン兼マジシャンとしてマジック業界で活動を開始し、そこから数年後、なんと世界的プロマジシャンの専属カメラマンを務めることに。
これをきっかけに話が広がり、延べ150人以上のマジシャンやパフォーマーの撮影を手掛けました。

赤坂のマジックバーでマジックをする大城さん

赤坂のマジックバーでマジックをする大城さん

銀座や赤坂のマジックバーに来店される経営者のお客さまから、個人では契約できないような大きな撮影の依頼をいただく機会も増え、2017年2月、41歳のときに「Art8株式会社」を設立。
8は無限(∞)を指していて、アートは無限の可能性を秘めている、アートを無限にし続けたいという二つの意味を込めて名付けました。

会社設立後、拠点として撮影スタジオを設けようと決めました。
これまで、プロフィール写真の撮影場所を手配するのに苦労してきて、他のカメラマンにも使ってもらえる場所があれば便利だろうと思ったんです。

しかし、資金に余裕があるわけではありません。
機材にもお金がかかりますし、インテリアには本物のアンティークを使いたかったので、公庫からお金を借りての挑戦を決めましたが、賭けのような気持ちもありました。

できるところは自分で施工し、2017年4月にオープン。

施工前のStudio Art8(1号店)

施工前のStudio Art8(1号店)

オープン当初はまったくお客さんが来ませんでした。
撮影スタジオを紹介してくれるポータルサイトに掲載し、ホームページも作っていたのに、4ヶ月間で来たお客さんは1~2組。

ネットの宣伝で十分だろうと看板を作っていませんでしたが、試しにスタジオの名前とURL、電話番号を載せた簡単な看板を出してみると、その日のうちに電話が鳴り、ようやくお客さんがやってくるようになりました。
こうして、経営も独学で試行錯誤しながらひとつひとつ乗り越えていったんです。

Studio Art8(1号店)の広告写真

Studio Art8(1号店)の広告写真

マジックを通して、人が何かに集中しているときのデメリットにも気づきました。
マジックでは、お客さんの視線を手元に集中させ、視野を狭くするのが成功の秘訣。
それでふと、一つのことに集中するあまり、周りが見えなくなってしまうのは仕事や人生においても同じかもしれないと気づいたんです。

それををお客さんに話すと、皆さんハッとされるんです。
経営者の私も、集中しすぎて周りを危険にさらしているかもしれないし、迷惑をかけているかもしれない。
一歩立ち止まって視野を広くする瞬間も大切にしなければと思っています。

3アートは無限。これからも常に挑戦したい

現在は、カメラマン、マジシャン、スタジオ経営に加え、動画撮影、動画制作、専門学校や大学での講師業もしています。

コロナ禍で、写真撮影やマジック、2店舗あるレンタルスタジオの仕事が激減する一方で、伸びてきたのが動画です。
動画も10年程前から密かに独学で学んでおり、昔「動画をやろうと思ってる」と話した相手から、「そういえばやってるの?」と連絡がきて、仕事の依頼に繋がりました。
口にして行動していたことが、結果的に未来の仕事の種まきになっていたと思いました。

今年2021年9月には3店舗目の撮影スタジオをオープン。
スタッフが引っ越しを理由に1号店を辞めざるを得なくなってしまうのをきっかけに、引っ越し先のエリアに新店舗を出そうと決めたんです。
以前は「一人で」の活動が心地よい自分でしたが、今では人に頼る、任せる大切さを感じています。

2021年9月28日にオープンしたStudio Art8(3号店)の外観

2021年9月28日にオープンしたStudio Art8(3号店)の外観

直近の目標は関西進出。
その後も拠点を増やして、最終的にはお城のようなアートのテーマパークを作りたいです。
生演奏やマジックを楽しめたり、仕事を通じて知りあった美容業界の人たちのサービスを受けたりできるような場所を夢想しています。

子どものころ、大人たちに「1つのことを一生懸命やりなさい」と言われましたが、自分は「どうして1つにこだわるんだろう」と思っていました。
実際、さまざまなチャレンジによって、そのひとつひとつが互いに影響しあい、思いがけない発見をもたらしたり、人との繋がりが増えたりして、自分を新たなステージに連れて行ってくれたと実感しています。

講師として教えている生徒から、よく「これやりたいんですけど、どう思いますか?」と聞かれます。
私の回答は「とりあえずやってみなよ」です。
まずは最初の一歩を踏み出す。
始めてみれば向き不向きもわかるはずです。
とにかく、興味をもったものはなんでもやってみるのが大事だと思っています。
アートは無限。
私自身、これからも常に挑戦し続けていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年12月)のものです

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