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弱音を吐けない自分からの脱却。
ベンチャー×歴史で「やりたい」に挑戦
【株式会社COTEN代表取締役CEO・深井龍之介】

目次
  1. 大企業の文化にあわず苦しんだ新卒時代
  2. ベンチャー企業での大失敗が自分を変えた
  3. 激動の時代こそ大切なメタ認知。歴史を通して伝えたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、株式会社COTENの代表取締役CEO、深井龍之介さんをご紹介。

勤めていた企業での人格が変わるほどの失敗を経て、自分のやりたいことに純粋に注力できるようになった深井さん。深井さんが失敗から得たものとは。お話を伺いました。

1大企業の文化にあわず苦しんだ新卒時代

地方国公立大学に入り、おもしろそうと感じた社会学を専攻。
学ぶうちに、俯瞰的に社会や物事を見るメタ認知能力が大切であると考えるようになりました。
20歳ごろからは独学で歴史の勉強を始め、歴史からもメタ認知能力を養えると感じていました。

就職先と言えば公務員か大企業の二択といった環境で、それ以外の選択肢の情報は特にありませんでした。
公務員は自分に向いていなさそうと思ったため、大企業メインで就職活動を行いました。

就職先に選んだのは、大手電機メーカーです。
私は最新の機械が好きで、その会社は半導体で日本一と呼ばれる大手企業。
しかし、世界規模で見ると、韓国企業、アメリカ企業と三国志状態で、日本は数字的に一番弱い立場だったんです。
そんな会社に入社して、蜀に貢献した諸葛孔明(軍師)のように世界で勝てる会社にできればおもしろいだろうと夢を抱き、入社を決意しました。

その夢は、働き始めてすぐ打ち砕かれました。
会社のカラーにまったくと言っていいほどあわなかったんです。
私は学生時代まで、あわない人からは嫌われても構わないと考え、自然と付きあう人を絞りながら過ごしてきました。
しかし、会社員になってみると、周りの人たちは会社文化に自分をあわせていける「常識人」だらけだったんです。
私はそれでも自分を変えられませんでした。

特にあわなかったのは、指示やフィードバックをいちいち言葉にしない文化です。
言外の意味を汲み取るのがどうしてもうまくできませんでした。
具体的に注意をされないから、怒られる理由もよくわかりません。
毎日のように怒られながら、「俺はダメなんだ、なにもできないんだ」と自己肯定感は急降下。
それでもなんとか出社する私に対し、「昨日あんなに怒られていたのに、よく会社に来られるな」と言った先輩がいたほどでした。

2011年3月11日、東日本大震災が発生。
東京にいた私も強い揺れを経験し、「いつ死ぬかわからない。早くやりたいことをやらなきゃだめだ」と感じました。
その後、技術系企画部への異動辞令が出ました。
仕事内容はおもしろそうでしたが、この会社の文化にこれから何十年もあわせていくのは無理だと感じ、退職を決意しました。

退職を決意したちょうど同じころ、大学の先輩がITコンサルティングで独立していて、「一緒に働こう」と誘ってくれました。
先輩を尊敬していたため、その誘いを受けること。
しかし、先輩はフリーの身なので、社員として雇われるのではなく、自分も個人事業主として独立する形をとりました。
前職での経験から、会社に属することにはネガティブな印象があり、そもそもどこかに社員として転職したいとは思っていませんでした。

やりたいことをやるには、まずスキルを身につけなければいけません。
私が先輩と一緒に始めたのは、「新しいことをやりたい」と考えているいろいろな会社や個人の依頼を受け、新規事業の立ち上げを手伝うコンサルティングの仕事です。
出版系、メーカー、スポーツ選手、中には霊能力者なんていう依頼者もいて、新しいことをどう企画し、予算はいくらかけられて、どういったアクションに落とし込めばいいのかをクライアントと一緒に考えていく。
前職では求められなかった、自ら考えて行動に起こす仕事が自分の裁量内でできるのが楽しかったですし、得意だとも気づけました。

右も左もわからないまま無我夢中で仕事を掴んできていたことが、世の中を知る機会になりましたし、明日生きていけるかわからない保証されていない状況下で働く重さを知ることもできました。
仕事のひとつひとつが本当に重いんです。
相手を本気で考えた提案をし、数もこなさなければいけない。
毎日死ぬほど考え判断を下すので、判断のスピードが速くなりました。

いつ死ぬかもしれないサバイバル状態で味わうヒリヒリした感覚は、経験してみないとわからないものかもしれません。
しかし、私にとっては、会社員よりもその方が楽でした。
コンサルティングでは、クライアントへの忖度は不要です。
むしろ論理的に考え、本当にこれでいいのか、クリティカルに考えた結論を相手に伝えることこそが求められます。
自分の考えを忖度せず口にすることに価値を感じてもらえ、感謝される。
私に向いている仕事だと感じていました。

2ベンチャー企業での大失敗が自分を変えた

ある程度スキルを身につけられたと感じられるようになったところで、次はチームで働いてみたいと思うようになりました。
ベンチャー企業でマネージャーをやってみたいと思い、小さなスタートアップ企業に応募。
採用してもらえて、取締役として働きはじめました。

しかし、採用もうまくできなければ、資金調達も失敗続き。
何度も資金がショートしかけ、自分の給料を止めなければならなかったり、人員削減を検討せざるを得なくなったりしてしまいました。
懸命に仕事をしていましたが、チームの空気も悪化していき、最終的に仲間割れする形で会社を辞めざるを得なくなってしまいました。
要するにクビになってしまったんです。
やる気があっただけに、この結果はショックでした。

結果を受けて自分を見つめ直し、退職を前に社長とも対話する機会を得られました。
その時に気づいたのは、そもそもこの会社に入ろうと思った動機が歪だったことです。
「ベンチャー企業のマネージャーになりたい」との志は中途半端で、この会社に入る理由としては非常に浮ついた自分本位なものでした。

スキルさえ身につければ仕事ができるようになると思ってきましたが、それも違いました。
誠実さや、自分の課題にきちんと向きあうといった人間の基本的な姿勢も大切だったと気づかされました。

これまでの私は、成長しなければ、スキルや自分の給料を上げ役職も上げていかなければ、という価値観を持ってきました。
それが私の正義で、当てはまらない自分には価値がないと思ってきたんです。
そんな自分になるには、弱音も吐いてはダメだと思ってきました。
しかし、結局自分のキャリアだけを考えていて、会社のことを考えられていませんでした。
自分のことだけを考えている人には限界がきます。
どうすれば会社が成長するか考えている人の方が役に立てるので、結果的に出世にも繋がっていくんです。

改めてやりたいことを考え始め、思いついたのがずっと勉強してきた歴史でした。
私は基本的にクリティカルシンキングにしか興味がなくて、だからそれができるコンサルティングの仕事が楽しかった。
ただ、その中でも特に興味があったのはビジネス分野に関するクリティカルシンキングではなく、哲学や歴史分野だと思ったんです。

世界の成り立ちや人間の社会とは何かといったことを突き詰めたら、社会にどういう価値を生み出せるんだろうと考えるようになりました。
突き詰める方法として学者になる道もありましたが、社会的にインパクトを残すまでが長そうで、性格的にも学会の人間関係はうまくできないかもしれないと考えました。

他に私が詳しいことといえばベンチャー企業です。
そこで、ベンチャー×歴史で突き詰めてみようと株式会社COTENを設立しました。
しかし、歴史でお金を稼ぐのは難しく、会社が生きていくには資金がいります。
結局最初は、利益を出すマネタイズのために教育系の月額課金サービスを始めました。

幸い事業は軌道に乗りました。
しかし、もともと私にやる気があったわけではありません。
本当に湧き出てきたビジネスモデルではないから、しっくりこない。
そんなやる気のない私に、この事業に積極的だった取締役はイライラしていたのでしょう。
最終的に、彼に教育事業を渡して袂を分かつことになってしまいました。
事業を始めたのは私ですから、事業を渡さずに済む道もあったかもしれません。
しかし、ここで100%リセットした方が前を向けると判断したんです。

起業二年目にして、マネタイズまでの道のりが遠いのは覚悟の上で、ベンチャー×歴史に取り組もうと決意しました。
儲からないかもしれませんが、自分が本当にやりたいことに取り組むのが一番シンプルにエネルギーが湧くと理解できたんです。
「これをやったらどうなるだろう」ではなく「やりたいからやる」に切り替え、「歴史のデータベースをつくりたい」と口に出し始めたところ、「おもしろそうだ」と共感してくれた人が仲間になってくれました。

人間は、もっとも意志の強い人に引っ張られるのではないでしょうか。
地位や年収を考えずに動くとエネルギーが湧き、物事に集中できる。
その状態になった人は強く、周りを引っ張っていく力を生み出します。
社会が納得しないなら、社会の方を変えようとの気持ちを持てばいいと考え、「これからは人文学が大切だ」「俯瞰する力を身につけるためにも、歴史は大切だ」と言い続けてきました。
数年経ち、「人文学、大切かもね」と思ってくれる人が増えてきたように思います。
社会は変えていけるんです。

3激動の時代こそ大切なメタ認知。歴史を通して伝えたい

現在は、歴史のデータベースづくりを行いつつ、事業内容や私たちの考えを広めるために、ポッドキャストで「COTEN RADIO」を配信しています。
データベースは儲かりそうなイメージが湧きづらく資金を集めるのに苦労しましたが、理解してくれる投資家に出会え、ようやく本格的にデータベースづくりに取り組めています。

COTEN RADIOは、どんな人が聞いてくれるのか見えない中で始めましたが、今では大企業の役員やベンチャー企業の社長などが多く聞いてくれていて、良い反応をもらえています。
うれしいですね。
ラジオでは、メタ認知や教養の大切さを歴史を通して伝えています。

COTEN RADIO収録風景(本人は写真左)

COTEN RADIO収録風景(本人は写真左)

激動の時代を生きていくには、俯瞰して社会を見る力が必要です。
俯瞰した視点を持てないでいると、状況を把握できずに振り回されてしまうのではないでしょうか。
客観視する力を身につけるには、いろいろな異質な社会を見ることが大切です。
いろいろなケースを知ると、似た事例、違う事例、それぞれの共通点を見出せるようになりますから。
グローバル化が進み、インターネットで世界が繋がったことで、世界が画一化されました。
同じような社会ばかりを見ていては客観視する力を身につけるのが難しいため、現代は客観視が難しくなっている時代だとも思います。

歴史や古今東西の哲学を学んだ結果、人生は予測できない、コントロール不可であるとの考えに行き着きました。
どんな偉人であっても予測し切った人はいないんです。
キャリア形成を考えさえすれば実現できると思いがちですが、キャリアも人生も結果論に過ぎないのが現実であり、人生をコントロールしようとしないことが大切だと思います。
社会や自分をメタ認知するとストレスが減らせ、結果的に人生を選べる余地を生み出すのかもしれません。

そんな考え方だから、自分の今後は本当に考えていません。
向かいたい方向だけは考えていますが、結果の予測は人生において意味がないと思っています。
事業に関しては、私たちに共感してくれるサポーターを増やしていきたいと考えています。
そのためにも、今、この瞬間にかけるエネルギーをきちんと最大値に持っていきたい。
自分の人生を楽しむためにも、教養によるメタ認知能力は大切な要素。
教養と社会をつなぐ架け橋になれる会社を目指して、今を生きていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年12月)のものです

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