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一歩踏み出した先、景色は変わる。
地域の公園をみんなで守る
【一般社団法人みんなの公園愛護会代表・椛田里佳】

目次
  1. 一歩踏み出せば、自分の世界は大きく変わる
  2. 子育てを支えてくれる公園を守りたい
  3. 公園愛護会の情報や活動の楽しさを知ってもらう

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、一般社団法人みんなの公園愛護会代表を務める椛田里佳さんをご紹介。

遊び場だった公園が雑草だらけになっていく様子を見て、自分たちの使っている公園は誰かの管理があってのことだと気づいたという椛田さん。自分たちで維持活動を続けるため、市から支援を受けられる「公園愛護会」を立ち上げることに。そんな椛田さんが公園の維持活動を通して伝えたいこととは。お話を伺いました。

1一歩踏み出せば、自分の世界は大きく変わる

環境に漠然とした興味があり、農学部に進学しました。
なんとなく4年間過ごすよりも何かに集中してみようと思い、学業よりアメリカンフットボール部でのマネージャー活動に打ち込む大学生活を送りました。
就職活動はほぼせず、部の監督に勧められた大手上場企業を受けて就職することにしました。

入社したからには思いきり働こうと意気込んで働き始めたものの、配属はソフトウエアの営業。
売る製品の良さを実感しきれず、魅力がいまいちわからないまま売り込む仕事にモヤモヤするようになりました。
課長からは「自分がわからなくても売るのが営業の仕事や」と言われ、そうなんだろうなと思える部分はあったものの、どうしても「それでいいんだっけ?」という迷いを捨てきれませんでした。

このままなんとなく働き続けるのは面白くない。
でも、私はまだ新卒2年目。
このまま転職活動を始めても、経験もスキルも未熟で同じような仕事しかできないかもしれません。
今と同じような仕事に転職するのではなく、全く違う世界に行ってみたいと思うようになっていきました。

別の世界に行くためにはまず学ぶ必要があると考え、仕事を終えたあとに建築系の2年制の夜間学校に通い始めました。
興味があるから建築系を選んだものの、細かい計算を積み重ねて図面を書く作業は私には向いていませんでした。

退職後にどうするのか決められていない状態で会社を辞めると言い始めた私に、「もったいない」「転職先が決まってからの退職でもいいんじゃない?」という友人もいました。
でも、私の決意は揺らぎませんでした。

退職を考えながらいろいろと動いていると、友だちからある学校について教えてもらいました。
それは飲食業界やデザイン業界といった各分野で、現役で活躍するクリエイターから学ぶ社会人向けスクール。
講師から具体的なスキルを教わるのではなく、共に学び合うコミュニティに近いスタイルでした。
デザイン、レストランといったテーマを掲げた学部はあるものの、学位や資格取得はなし。
学びながら生まれた新たなアイディアを実現させられるヒントを学べる場所でした。

私が入ったのはデザインコミュニケーション学部。
面白そうだと思って選んだのですが、情報量の多さと、経験不足から生まれる想像力の低さで、講義を受けても内容が理解しきれませんでした。
でも、この「よくわからない」と感じる点に惹かれました。
これまで、学校は分かりやすく手順を踏んで教えてもらう場でしたが、この学校はわからないモヤモヤが新鮮で、学んだあとにワクワク感が残る場だったんです。

ここで学びながら、いろいろな生き方や仕事のあり方を知りました。
毎回訪れるゲストたちは、自分たちが思ったことを突き詰めた結果、仕事に繋がっている人たちで、輝いて見えました。
私も彼らのようになりたい。
そう思いました。

学校では、自分で作品を作って発表する機会がありました。
発表は受講生の前、つまり憧れていたクリエイターたちが立っている場所でした。
私にはまだ満足するレベルの高い作品はつくれないという迷いがありましたが、ダメでもなんでもいいからとにかくつくって発表しようと取り組みました。

発表したときに見えた景色は、これまでのただ「聞く」側から見えるものとは全然違いました。
憧れていた登壇者側からの景色。
同じ空間でも、立つ位置によって見える景色がまるで違っていることを知りました。
そして同時に、一歩踏み出せば景色をガラリと変えることができることも実感しました。

また、自分で選んだことであれば後悔は生まれないと感じました。
思い返してみると、何かを選ぶとき、私は特に疑問も持たず世間の常識や評価に頼ることが多くありました。
しかし、人がどう思うかよりも、一番は自分の考えや感覚を大切にすることなのだとはっきり思えるようになりました。

学校のゲスト講師だったインテリアデザイナーから「上海スタッフを募集しているんだけど、来る?」と声をかけられました。
当時の上海は、世界の中でドバイと肩を並べて勢いのある都市で、街がどんどん変化し、世界中から人々が集まってさまざまなビジネスが伸びている状況でした。
「まだ20代、なんでも経験してみたい!」と話を受けることにしました。

上海在住時代、椛田さんが現地で撮影した一枚

上海在住時代、椛田さんが現地で撮影した一枚

中国は文化や価値観が日本とは大きく違い、お金がない人でもみんな楽しそうに暮らしているのが印象的でした。
「こうでなければいけない」は本当にないんだと思いましたね。
中国で好きになったのは、「差不多(チャーブドー)」という言葉。
「大体OK」を意味する言葉で、完璧でなくてもOKと思える図太さや、自分の意思を貫く度胸を中国で身につけられたように思います。

上海での仕事は、インテリアデザイン会社の現地事務所の運営。
工事の様子を東京にいるデザイナーに報告するといった現場調整や連絡が主な仕事でしたが、メインは一人だったので、銀行の送金手続きに、中国人スタッフの雇用、契約書の確認、日本から現地に進出したい企業の案内や紹介、不動産の契約や手続きなど、とにかくなんでもやりました。
次から次へと事件が突発する日々でしたが、いろいろな人に助けてもらいながら、多様な価値観と「なんとかなる」を体で実感しました。

2子育てを支えてくれる公園を守りたい

帰国後に結婚。
通っていたクリエイターたちの学校に挨拶に行くと、「新事業として、誰もが自由に学び、教え、作れる大学を始めたんだけど、やる?」と誘いを受けました。
またもやご縁で、事務局の整備を担当することになったんです。
次第に、大学のカリキュラムづくりや運営の仕事もするようになりました。
ここでの働き方はユニークで、社員ではなく、個人事業主が仕事内容に応じて集まって取り組むスタイルでした。

いろいろな専門家を「教授」として招き、受講生たちに学びと挑戦の機会をつくることが私の仕事です。
一歩踏み出せば世界が変わる体験は、私が学校で得られて一番よかったもの。
同じような体験を他の人にもしてもらうための仕事は、やりがいがありましたね。

しばらくして出産し、産後も子育てをしながら働いていました。
赤ちゃんの間は成長を近くで見ていたいと思い、最初は保育園に預けませんでした。
その間、子どもとの時間を大切にしながら、参加者も子連れで共に学べる場をつくったりという挑戦もしました。
しかし、子どもが1歳半ごろになってくると、本人の意思も強くなってきます。
お互いがより充実した時間を過ごせるように、保育園に預けることを考えました。

お子さんとのツーショット

お子さんとのツーショット

しかし、保育園は待機児童が非常に多く、住んでいた世田谷は特に保育園に入りにくい自治体でした。
希望園はおろか、別の候補の園にも入れず、なんとか待機児童向けに設けられた園に入れることになりました。
一安心したものの、実際に通い始めてみると、その園の環境や保育は私にはフィットせず、「これなら近くの公園に私が連れて行く方が子どもにとってもいい」と思うようになったんです。
2人目の子どもを妊娠したタイミングで、子育てと仕事への向き合い方を思い切り変えてみようと決意。
担当している仕事を他のメンバーに引継ぎ、繋がりは残しつつも一旦休止状態にしました。

環境を変えようと夫婦で話し合い、海が近い街に惹かれて鎌倉へ。
引っ越して間もなく、夫の難病が判明しました。
入退院を繰り返す大変な日々を支えてくれたのは、幼稚園で知り合った友人たちです。
子どもを預かってくれたり、ご飯まで食べさせてくれたり。
公園に集まることも多く、子育ての些細な迷いや心配ごとを笑い合いながら話せる時間が精神的な支えになっていました。

その公園には、子ども会館という児童館のような市の施設が隣接していました。
赤ちゃんや幼児の親子連れ、小中学生など、さまざまな人が利用している自由な雰囲気でした。
ところが耐震問題や市の方針といった事情があり、施設が閉鎖することになりました。
しばらくすると、公園の景観は一変。
雑草がジャングルのように生い茂り、遊びづらい環境になってしまいました。

隣接していた市の施設閉鎖後の公園。草が伸びすぎて鉄棒とベンチが埋もれかけている

隣接していた市の施設閉鎖後の公園。草が伸びすぎて鉄棒とベンチが埋もれかけている

伸び放題になっちゃったなあと思っていると、ある友人が「今度、草取りをやらない?」と言い出したんです。
「そうか、自分たちでやればいいんだ」と、すぐに賛同しました。
実際やってみると、公園利用者のお母さんたちはもちろん、お父さんや子どもたちなど、たくさんの人が参加していて、全員大活躍。
なんとも言えない達成感と爽快感を味わうことができました。

2年間の闘病の末、夫が亡くなりました。
夫が亡くなった直後の記憶は曖昧で、今をとにかく生きよう、やりたいことを全部やろうという思いだけが頭にありました。

シングルマザーになって、自分の仕事への見方も変わりました。
できるだけ子どもたちが見える範囲で働き、災害はもちろん、何かあった時にすぐに駆けつけることができ、自分が子育てに困った時には気軽に相談できる環境をつくっておくことを最優先に考えました。
また、地域で子育てをする中で得た経験や感覚をもとに、夫が仕事にしていた「公園」をテーマに、自分も働くことにしました。

地域の小さな公園をもっと楽しむにはどうしたらいいんだろう。
思い出したのはどこかで聞いた「愛護会」の存在でした。
公園の維持活動は、以前友人が旗振り役になって行った単発の草取り活動だと、ゴミ袋といった備品の用意を全て自前でやらなければなりませんが、継続して活動する人には愛護会をつくることで支援を受けられる制度があることを知りました。
早速市役所の公園課に相談に行って、仲間たちと一緒に公園愛護会を立ち上げることになりました。

公園愛護会は古くから存在する制度ですが、市町村ごとにその内容は異なっています。
聞いたことがある人でも、「よくわからない」「高齢者がやっている活動」「大変そう」など、実態と理解の間にギャップがあるのではないか。
担い手は高齢化が進んでいると聞くし、このままでは荒地のような公園が増えてしまうかもしれないと思いました。

そこで、私たちの活動のイメージをアップデートさせることで地域の小さな公園に注目を集めたいと考えました。
行政とは違った民間の立場で情報を発信し、公園ユーザーである子育て世代や若い人たちにも公園を守る活動を広げたいということで、夫が勤めていた公園遊具メーカーの社長と一緒に一般社団法人を設立。
社長には、業界のことを教えてもらい、今でもいろいろな相談に乗ってもらっています。

3公園愛護会の情報や活動の楽しさを知ってもらう

現在は、みんなの公園愛護会として全国の公園愛護会やボランティアの応援、サポートや、私たちがつくった愛護会での公園維持活動を行っています。
活動開始から2年。
私たちの愛護会では掃除や草取りだけではなく、掲示板や花壇をDIYで作るといった活動を子どもと一緒に実施しています。
子どもたちは遊びながら気の向くままゴミ拾いなどに参加していますが、日常生活でもサッとゴミを拾うようになるといった変化が見られています。

愛護会での公園維持活動の様子

愛護会での公園維持活動の様子

愛護会や公園ボランティアの活動はやってみると楽しいのですが、私たちの世代がそのことを知るきっかけは少なく、担い手の固定化と高齢化が課題となっています。
誰が公園を維持してくれているのか、意識できていない人もいるんじゃないでしょうか。
私もそうでした。
公園ユーザーである親子や若い世代が、管理者側と一緒に支えていく形をつくれるといいですね。
利用者と管理者の隔たりが少しでも減り、コミュニケーションが活性化するといいなと思います。

小学校学区内にあるいくつかの公園について住民で話し合った結果、「静かに過ごす公園」と「目いっぱい遊んでいい公園」とに分けたという事例があります。
公園に「こうあるべき」はありません。
地域の事情に合ったいい形を、自分たちでつくっていけるといいですよね。
今は愛護会やボランティア団体の横の繋がりをつくるべく、まずは実態を知ろうと調査中です。
そうした情報や自分たちの活動を発信することで、親子や若い世代に公園との新たな関わり方を見つけてもらえたらと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年11月)のものです

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