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仕事と遊びは分けなくてもいい。
遊びから始まったサブスク型キャンプ場
【株式会社Adventure Trip代表取締役・五十嵐貴博】

目次
  1. 何の仕事も続けられず、劣等感でいっぱいだった
  2. 競争社会に疲れて行き着いたキャンプ場作り
  3. 今の子ども、かつての子どもに夢を与えられる活動を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、新潟県でサブスク型キャンプ場「FREE ART FIELD」を運営する五十嵐貴博さんをご紹介。

事業を立ち上げ、順調に成長させていたにもかかわらず、全てを手放す決断をした五十嵐さん。事業を手放し、新たな挑戦を始めた理由とは。お話を伺いました。

1何の仕事も続けられず、劣等感でいっぱいだった

小学生時代からサッカー少年で、プロサッカー選手になるのが夢でした。
サッカー推薦で工業高校の土木科に進学。
体育会系の厳しい環境で、先輩の体を2時間揉まされることもありました。
試合では「超高校級」と呼ばれる同世代がいる学校と対戦することがあり、明らかな力量差に鼻をへし折られました。
上には上がいると思い知らされ、サッカー選手になりたいという夢を諦めざるを得ませんでした。

同級生たちが土木業界への就職を決める中、私は土木の道に進みたいとは思えませんでした。
土木の仕事として私がイメージしていたのは橋や道路などの建築。
どこにでもあるものをつくることに面白味を感じられなかったんです。

結局、卒業後は土木科出身なのに電子部品の製造会社に就職。
理由は給与の良さと、三勤三休体制でハードだけど休みが多い働き方に惹かれたからです。
しかし、働き始めてみると流れ作業的な仕事内容に魅力を見出せず、この仕事を一生続けていたくないと感じるようになり、入社8ヶ月で退職しました。

その後、いろいろな仕事に挑戦してみましたが、どれもこれも長続きしません。
自動販売機の補充や工場でのパソコン製造、嫌がっていた土木業など、アルバイトを転々とする生活を送り、一時期は無職になったこともありました。
そんな私に対し、かつての同級生たちは順調に経験を積んでいきます。
20歳を超え、現場監督になったという同級生も現れ始めました。

23歳になり、何か資格を取ろうと本屋に向かいました。
同級生が高校時代に資格を取っていた中、何も取らなかったことに劣等感を抱いていたんです。
資格の本を眺めていると、「整体師」という言葉に目が留まりました。
国家資格ではない整体師は、リラクゼーションサロンに入って弟子入りすれば学べると書かれていました。
高校時代に先輩の体を揉んでいたことも思い出し、「これだ」と思いました。

さっそく、地元のリラクゼーションサロンに面接を受けに行きました。
働き始めて施術ができるようになると、お客さんから「またあなたでお願いしたい、すごく楽になったわ」とか「またあなたで頼むよ」と言ってもらえるようになりました。
うれしかったですね。
初めて、世のため人のために役立っていると実感でき、施術の道で飯を食べていこうと心に決めました。

働くうちに主任になり、店長になり、全体の管理マネージャーに抜擢されと、順調にキャリアを積み上げていきました。
それに伴い、社長や専務に提案をするように。
女性客の人気を高めるために、内装に暖色照明を使って落ち着いた雰囲気に変えることや、採用は店のコンセプトに合った人を厳選するなど、アイディアを出しました。
しかし、親子ほどの年齢差がある社長や専務の価値観と私の提案内容は合わず、受け入れてもらえませんでした。

いくら提案しても受け入れられないのなら、いっそ自分で理想とするサロンを立ち上げた方がいいんじゃないか。
私を指名してくれているお客さんの中に、会社を経営している年配の社長さんがいて、彼に相談してみることにしました。
社長は「いいじゃないか」と賛同。
続けて、「貯金はどれくらいあるんだ?」と尋ねました。
「50万円」と答えたところ、「ふざけるな。50万円では何もできないだろう」と呆れられてしまいました。

しかし、社長はそこで話を終えずに「まずは事業計画書を書いてこい」と言いました。
事業計画書とは何なのかを調べるところから始め、右往左往しながらなんとか三年間分の事業計画書を作成。
それを見た社長は、「意外とちゃんと考えられている。すごいじゃないか」と褒めてくれ、銀行に融資の話を掛け合ってくれると申し出てくれました。
銀行からの信頼が厚い社長のおかげで、500万円の融資が決まり、独立開業できることになりました。

ずっと理想としてきた女性がリラックスできるインテリアにして、香りにもこだわりました。
店名は「ソフト整体と足つぼ ゆいま〜る」。
ゆいま〜るとは、自分が好きな沖縄の言葉で、意味は「結びつく」や「助け合い」です。
お客さんと一緒に手を取り合ってつくっていくイメージを込めて名付けました。
経営について学ぶために本を読み漁り、社長に相談したりアドバイスをもらったりしながら仕事を進めていきました。

前職からスタッフを一人連れてきて、二人体制でサロンをオープン。
自分でも驚くほどトントン拍子に軌道に乗っていき、施術中に予約の電話が鳴り響く状況になりました。
お客さんを待たせるのが申しわけなく、早々に受付アルバイトを雇いました。

オープンした「ソフト整体と足つぼ ゆいま〜る」

オープンした「ソフト整体と足つぼ ゆいま〜る」

お客さんとの親睦会を定期的に開催するなど、施術スタッフとお客さんの繋がりを大切にして運営していくうちにお客さんはどんどん増え、半年後には2店舗目を同じ市内にオープン。
前職の仲間から「店を増やすなら働きたい」と言ってもらえていたことも、早期に拡大しようと思った理由です。

2店舗目も軌道に乗ったころ、前オーナーから引き継ぐ形で岩盤浴を始めることにしました。
しかし、こちらは大失敗。
岩盤浴は常時加熱しておかなければならず、大きなコストがかかります。
そのコストに見合うだけの利益が出せず、一年で撤退。
岩盤浴スタッフには申しわけないことをしました。
しかし、この失敗に懲りずに、次は施術スタッフの育成のためにスクール事業を始めました。
自分のサロンの理念に合う人材を育てることができれば、採用にも活かせると思ったんです。

その2~3年後には3店舗目をオープン。
事業が成功しづらいと言われていた隣の市での開店に挑戦しました。
競合がいない分、成功するチャンスがある。
狙いは当たり、3店舗目も大繁盛。
人気店に成長しました。

2競争社会に疲れて行き着いたキャンプ場作り

独立してしばらく経ち、疲れている自分に気づきました。
スタッフたちに常にオンリーワンの店づくりをしようと謳い、「一番になろう」と鼓舞し続けることに疲弊してしまったんです。
そこで、競争社会とは真逆の世界観を持つコミュニティをつくりたくなりました。
テレビのバラエティ番組で放送していた、自然を開拓して自給自足生活を送るコーナーに惹かれ、自分でもやってみたいと思ったんです。
森の中で自給するすべを身につけることは、競争社会で取り組んできたこととは真逆。
大量生産や大量消費、効率性の重視が当たり前の時代で、あえて自給自足という面倒なことをやってみたいと、山の中の土地を購入しました。

まずはその土地で、余暇の時間を使って、できる限り自分で家を建てようと「アースバッグ工法」でドームハウスをつくることに。
土を使って陶芸のように積み重ねながら作っていく工法で、震度5、6でも倒れない構造だと言われています。
作り方を学ぶためにワークショップを受けてトライ。
自由度が高く独自性のあるものを作れることに魅力を感じました。

この土地で自分だけ楽しむのはもったいない。
いろいろな人と一緒にキャンプフィールドをつくりたいと、「お金の代わりにスキル交換で循環するコミュニティ」とコンセプトを設けました。
名前は「FREE ART FIELD」。
人はみんなアーティストであり、自由に遊べる庭としてこの場所を使ってほしいと思ったんです。

SNSで呼びかけると、大工や庭師など、さまざまな人たちが参加してくれました。
彼らに教わるうちに、私の大工や庭師のスキルも向上していきました。

アースバッグ工法で作った遊び心の詰まった家

アースバッグ工法で作った遊び心の詰まった家

私はアースバッグ工法で、ドームハウス、たき火台や塀、ベンチ、花壇や階段などいろいろなものを作成。
人と同じことが大嫌いな私にとって、唯一無二のものを作れるアースバッグ工法は非常に面白いものでした。
「好きこそものの上手なれ」で、メキメキと腕を上げ、仕事の依頼を月に数件もらえるまでに上達。
遊びで始めたことも、上達すれば仕事になるんだと驚きました。

このタイミングで「初心に帰って新しい挑戦を続けよう」と、続けてきた3店舗のサロンを事業譲渡することを考え始めました。
しかし妻は「上手くいっている事業を手放すことはない」と反対。
店舗はフランチャイズ化し、スタッフの一部を移動式サロンに引き抜くことも考えましたが、おいしいところを取ることに対して、自分の気持ちに折り合いがつきませんでした。
任せるならちゃんと任せよう、それで私は新しい挑戦に注力しようと思い、経営のバトンを渡す決断をしました。

プライベートでFREE ART FIELDでの時間を楽しむうちに、整体の方でも新しいことにチャレンジしたいと思うようになりました。
そこで、イベントで見かけるキッチンカーを見て「移動式の整体サロンってないな」と思ったところから、木製のキャンピングトレーラー、別名「移動式タイニーハウス」と呼ばれるものを使って移動式のサロンを開始。
移動式サロンの先駆者になろうと決めました。
SNSに活動を投稿すると、物珍しさから各種メディアから取材を多数受け、軌道に乗り始めました。

アースバッグ工法や移動式サロンで収入を得て、FREE ART FIELDで仲間とスキル交換しながら遊ぶ日々を過ごしていました。
そんな中、2020年のコロナ流行を受け、FREE ART FIELDを会員制のサブスクリプション型プライベートキャンプ場として運営することにしました。
新型コロナウィルスで安心して遊べる場が少なくなってしまったので、会員制にすれば人数をコントロールしながら遊び場として開放できると思ったんです。
趣味で続けてきたキャンプ場の活動が事業化しました。

FREE ART  FIELD(キャンプ場)の様子

FREE ART FIELD(キャンプ場)の様子

新潟県内ではサブスク型キャンプ場が初めてだったことから、メディアに多数取り上げてもらえました。
入会前には必ず見学に来てもらい、双方が納得した上で加入してもらうようにしています。
不便を楽しめる人でなければ、FREE ART FIELDに馴染めないと思っているからです。
例えば、FREE ART FIELDには水洗トイレはなく、排せつ物が肥料になるコンポストトイレを採用しています。
こうした点を事前に伝えることがミスマッチを防ぐためにも大切なんです。

3今の子ども、かつての子どもに夢を与えられる活動を

現在もFREE ART FIELDを運営しています。
会員は、一人でキャンプに来るソロキャンパーと家族で来るファミリーキャンプがちょうど半々の割合で、中には県外在住の人もいます。
つまらなそうな顔をしている子どもたちが、自然環境の中で解き放たれて遊んでいる姿は親御さんも驚くほど。
大人も子どもも、五感をフルに使って過ごせる場所です。
サブスクリプションスタイルにして一年経ち、ただ遊びに来るのではなく、一緒にキャンプ場をつくろうというスタンスの会員も増えてきたと感じています。

今は、FREE ART FIELDの海版を作ろうと取り組んでいるところです。
旧臨海学校をリノベーションしたり、チャペルを作ってアウトドアウエディングができるようにしたり。
コワーキングスペースも作り、会員以外の人でも利用できるエリアを用意するつもりです。
飲食店やサウナも設け、アウトドアテーマパークのような場を目指しています。
11月のプレオープンに向けて注力しているところです。

大手企業のような大きなキャンプ場をやろうとは思っていません。
小規模だから支持してくれている方のためにこれからも運営したいですね。
社名の「Adventure Trip」は造語で、「日常に冒険を、人生に旅を」が理念。
これからも、子どもたちやかつて少年少女だった大人たちに夢を与える活動をしていきたいです。

私は遊びや趣味が仕事に繋がってきました。
ワークとライフといった具合にカテゴライズせず、全てをシームレスに結び付けたライフスタイルを構築したい。
そんなライフスタイルの先駆者になり、周りの人にも広めていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年11月)のものです

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