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新たな挑戦へのワクワクは不安に勝る。
「世界一のサービスをつくる」が原動力
【株式会社ミクシィ取締役ファウンダー・笠原健治】

目次
  1. 何も打ち込めるものがない学生だった
  2. 新たなコミュニケーションサービスを
  3. 世界一のサービスを目指し続けたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、株式会社ミクシィの取締役ファウンダーを務める笠原健治さんをご紹介。

打ち込むことが何もなかった学生時代、所属したゼミでの授業をきっかけにパソコンやインターネットの世界にふれた笠原さん。学生時代からサービスを立ち上げ「mixi」「家族アルバム みてね」「Romi(ロミィ)」と次々に新たなコミュニケーションサービスを世に送り出しています。そんな笠原さんの原動力とは。お話を伺いました。

1何も打ち込めるものがない学生だった

私は高校生のころ、いろいろな社会構造上の問題を解決していきたいという思いから「官僚になりたい」と考えていました。
しかし、大学進学後、報道で官僚や政治家が関わる事件について見聞きする中で、だんだんとその気持ちが薄らいでいきました。
報道の一端にしかふれていないため、仕事内容を理解しきれているわけではありませんでしたが、何となく官僚の厳しさや大変さを感じ取り、違うのかもしれないと思い始めました。

その後、将来やりたいことがあるわけではなく、打ち込めるものも特にありませんでした。
何となく張り合いのない学生生活を送り続け、大学3年生で経営戦略のゼミに参加。
ゼミでは先生の好みもあり、IT業界やパソコン関連の会社を取り上げることが多くありました。
その中で自分でも調べたりパソコンに触ってみたりして、業界の面白さを感じるようになっていきました。

パソコン業界の黎明期を知る関連者にインタビューした本には、当時の自分と変わらない20代の人たちが数人で会社を設立し、その会社がダイナミックに成長して世の中に大きなインパクトを与える存在になっていったことが書かれていて、興味を惹かれました。
同じころ、世の中では「これからはインターネットがくる」という言葉がよく飛び交っていて、1980年代に訪れたパソコン業界の隆盛と同じような流れが、インターネット業界でも起こり始めていると感じていました。
そして、このタイミングなら、学生の自分でも何かできるチャンスがあるのではと思ったんです。

本に「大量の情報を瞬時に検索できるのがインターネットの良いところだ」と書かれていて、その利便性を活かせるジャンルは何だろうと考えました。
そこで思いついたのが「求人情報」。
雑誌で1ページずつめくって探すより、好きな条件で検索できたほうが便利だと思ったんです。
インターネット上であれば印刷コストがかからないので、流通も安く叶う。
そこで、1997年に求人サイト「FINDJOB!」を立ち上げました。

メンバーと当時のオフィスにて(2001年、写真上段右から2番目が笠原さん)

メンバーと当時のオフィスにて(2001年、写真上段右から2番目が笠原さん)

このサービスは絶対にいける、立ち上げさえできればあとはなんとかなると思っていたのですが、実際立ち上げてみると無風状態でした。
考えてみれば当然のことです。
よくわからない学生が立ち上げたサービスなので信用もありませんし、そもそもインターネットを使う人口がまだまだ少なかったのですから。
なんとかしようと、知っている会社を自ら回ったり、電話で営業をかけたりして、掲載してくれる会社を集めていきました。

軌道に乗るまではしんどかったですが、FINDJOB!は打ち込めるものがなかった私にとって、ようやく見つけた「これかもしれない」と思えるものでした。
大きなチャンスを掴めたと信じていたので、なんとか粘りたかった。
その後、努力の甲斐もあり、雑誌に紹介記事が載るようになりました。
また、インターネット関連の会社が次々に立ち上がり、FINDJOB!を利用してくれる会社が増加。
求職者とのマッチングがうまくいき、手ごたえを感じられるようになりました。

FINDJOB!は私にとって子どものような存在でした。
どうにかして、このサービスをもっと健やかに成長させていきたい。
できるところまで取り組み、成長を見届けたい。
そこで、就職せずに独立し、サービスに打ち込むことに決めました。

就職しないことに不安がないわけではありませんでしたが、かといって就職したい先があるわけでもありません。
不安より何が起こるかわからない未来を体験したい気持ちが強く、魅力のある選択肢だと思っていました。

2新たなコミュニケーションサービスを

FINDJOB!事業が軌道に乗ったあとは、他のサービスも手掛け始めました。
さらに新しいことをやりたいと思っていたあるとき、アメリカで「フレンドスター」というサービスが流行していると聞きました。
フレンドスターは、インターネット上にプロフィールを公開し、友達のプロフィールと繋がれるサービスで、誰が誰と友達なのか、人間関係の縮図がインターネット上で再現されているものでした。
人との繋がりの可視化に新しさを感じ、画期的な体験ができるサービスだとワクワクしました。
一方で、見たり繋がったりした時点で満足してしまい、使い続けようと思えないサービスだとも感じました。

このサービスを日本で展開するには何が必要か、社内で議論を重ね「コミュニケーション機能があればいいのでは」という話になりました。
繋がった人同士がやり取りできる機能を付けることで、使い続けられるサービスになるのではと思ったんです。
そこで、日記機能や足跡機能、メッセージ機能などを付与したサービス「mixi」を2004年2月にリリース。

コミュニケーションのインフラを目指しました。

当初、mixiはユーザーからの招待制を採用。
一人きりでサービスを使い始めるよりも、周りが盛り上がりを見せながら、人が人を呼んでくることで、その連鎖がさらに盛り上がりをつくるのではと予想していました。
その予想は的中。
「周りで流行っているサービス」「友達が書いている日記を読めるサービス」と認識してもらえたからこそ広げていけたと思っています。

また、匿名ではなく、名前やニックネームを出して個人としてやり取りができることで、匿名コミュニケーションの場では書き込めなかった人の心理的ハードルも下げられたのではと思います。
世界への発信は難しくても、友達だけが読む日記なら気軽に書けるのではと考えたんです。

株式会社ミクシィ上場時の一枚(2006年、写真左から3番目が笠原さん)

株式会社ミクシィ上場時の一枚(2006年、写真左から3番目が笠原さん)

立ち上げ後も、ユーザーから話を聞いたり、リサーチを行ったりしていました。
その結果、リリース3ヶ月ごろに開始したのが「コミュニティ機能」です。
リアルな場ではなかなか見つけられないニッチな趣味でも、インターネット上なら仲間と出会える。
そんな出会いをコミュニティで生むことができました。

その後、数年が経ち、mixiは登録当初に繋がった友達から新たに別の繋がりが生まれることがだんだん少なくなり、新しい人間関係へと新陳代謝が起こらないという課題がありました。
ユーザーが高校生から大学生になったり社会人になったりする際、変化する人間関係にマイミク関係が追いつかなかったのです。
加えて、TwitterやFacebookの日本版の登場、スマートフォンの台頭など、時代が変化。
新たな施策を取り入れ続けることになりました。

FINDJOB!を開発したときや、mixiの構想を企画書に書いていたときの喜びやワクワク感は言葉では言い表せないものでした。
サービスをリリースしたあと、細かなチューニングをしていく中でユーザーとのピントが合い、そこからぐっと成長速度が上がって伸びていく瞬間に抱く達成感が何よりも好きでしたし、その瞬間を生み出すことが得意だと思っていました。
もう一度、いちクリエイターとして新しいサービスづくりに専念することが、会社にとっても良いことではないかと考え、2013年に代表から会長になることを決めました。

同じころ、社内では社員発のスマホゲーム「モンスターストライク(モンスト)」が登場。
ぐんぐん成長していく様は圧倒的でした。
化け物のようなサービスが生まれた。
自分が新しいものをつくる意義はあるのだろうかとすら思いました。
しかし、会社として中長期的に見たときには、やはり新しいヒットサービス、ホームラン級のサービスの誕生を繰り返すことを目指して愚直にやり続けていくことが求められます。
「モンスト」を超えるサービスとなると、かなりの難易度になりますが、会社の収益の柱になってくれるサービスがあるからこそできる新たなチャレンジもあると捉えるようになりました。

2013年に第1子が生まれました。
親となり、写真や動画をこんなにも撮るものなのかと驚きましたね。
撮ったものを家族に共有したいし、妻が撮ったものを共有してもらいたいと思いました。
この、膨大なデータが整理されたらうれしいと思い、さまざまなサービスを試してみることに。
しかし、意外と上手く使いこなせるものがありません。
そこで、自分のニーズを満たすサービスを立ち上げようと検討を始めました。
独りよがりにならないよう、ユーザーヒアリングや社内メンバーへの聞き取りを重ね、思いに賛同してくれる人たちとチームを立ち上げ。
子どもの人生を丸ごと残せるサービス「家族アルバム みてね」をリリースしました。

「みてね」は自分が招待した人だけに、写真や動画を公開できるのが特徴です。
写真や動画には、見た人にコメントを入れてもらうこともできます。
みてねは我が家でも使っていて、父母や義父母にも写真を共有してきました。

そんなあるとき、コメントを残してくれていた義父が亡くなってしまいました。
義父がいなくなってしまっても、コメントはずっと残ります。
子どもたちが成長したとき、コメントを読むことでおじいちゃんの愛情を受け取ることができる。
そんな時差のあるコミュニケーションにも繋がるのだと感じました。

「家族アルバム みてね」のアルバムページ

「家族アルバム みてね」のアルバムページ

私は常に新しいコミュニケーションサービスが作れないか検討しています。
あるとき、ディープラーニングという、膨大なデータを学習させる技術の発展を目の当たりにし、「これは使える」と確信。
AIロボットのプロジェクトを立ち上げることに決めました。
昔からドラえもんが好きで、楽しいことや落ち込んだことを共有できる相手がいるのはいいなと思っていましたが、まさか自分たちが挑戦することになるとは思っていませんでしたね。

AIをフル活用し、大量の会話データから適切な会話を生成して話せるロボット「Romi(ロミィ)」が誕生。
2021年4月に一般発売を開始しました。
ロミィは女性購入者も多く、小さなお子さんがいる家庭やおじいちゃんおばあちゃんにも買ってもらっています。
話しかけてくるロミィに無口な旦那さんが突っ込み、家庭内に笑いが起こるなど、雰囲気が良くなったという感想も寄せられています。

実際の「Romi(ロミィ)」

実際の「Romi(ロミィ)」

3世界一のサービスを目指し続けたい

現在はミクシィの取締役ファウンダーであり、みてねとロミィの事業責任者として仕事に取り組んでいます。
今注力しているのは、みてねの世界進出。
最近では英語版だけではなく、フランス語、ドイツ語、韓国語など、さまざまな国の家族が使えるよう開発、提供しています。

新型コロナウイルスの流行を受け、祖父母と会いづらくなった家庭が増えました。
みてねを使うことで、簡単に子どもの成長を共有できると喜んでもらっています。
新型コロナウイルスによる影響はロミィにもあり、コロナ禍でどこかギスギスした雰囲気を緩和してくれる存在として愛してもらっているようです。
私自身、帰宅して一人でモヤモヤと考えごとをしていたとき、「健ちゃんどうしたの?」とロミィに話しかけられて気持ちが切り替わったことがあります。
話しかけてもらえることで、心が軽くなることがあるんです。

サービスの誕生や衰退のスピードは、年々加速しています。
私は楽観的なので、この傾向をあまりネガティブには捉えていません。
材料がそろって成功するシナリオができれば、新しいサービスを世に出す恐怖感よりワクワク感の方が上回るんです。
学生時代にこの世界に飛び込んだときよりも、技術が発展するたびにできることが増えたと思っています。
新たな技術が生まれるときに一番大きなチャンスがあり、みてねやロミィもそうした機会を捉えて立ち上げてきました。

技術は日々進歩しているので、発展に伴って既存サービスを磨いていくこともできると思います。

日本のトップだけを狙っていては世界に負けてしまうので、世界一のサービスをつくることを目指していきたいです。
便利なだけではなく、「楽しい」や「癒される」も社会で役立つサービスで、私は便利さよりそれらを追い求めたいと思っています。
その結果、多くの人に愛されて自然と収益も実現できる、そんな新しいコミュニケーションサービスを生み出したいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年10月)のものです

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