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多様な見方があるから世界は面白い。
考えるきっかけとなる体験を創造する
【キュレーター/プロデューサー・田中みゆき】

目次
  1. 地元の価値観に窮屈さを覚えていた
  2. 「多様な見方があっていい」を体現していた盲学校
  3. いろいろな見方があるから世界は面白い

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、キュレーターやプロデューサーとして多くのプロジェクトを手掛ける田中みゆきさんをご紹介。

プロジェクトの多くは障がいのある人と共につくられています。田中さんがプロジェクトを通して伝えたいこととは。お話を伺いました。

1地元の価値観に窮屈さを覚えていた

私が生まれ育った地方では、昔ながらの価値観が根強く、「他人と同じように生きること」を良しとする人が多いと感じていました。
「女は大学に行く必要がない」と考えている人も周囲に多く、どこか窮屈さを抱えながら育ちました。

美術館や映画館もなく、メディアといえばマスメディア。
テレビやラジオとふれるうちに、世界のことを伝える方法に興味を持ち、ジャーナリズムに関心を抱きました。
高校時代にはテレビCMなどの広告を批評する雑誌を好きになり、毎号購読していましたね。
ただ見栄えの良い広告にはあまり興味がなく、時代を表した広告に特に惹かれていました。

ジャーナリズムについて学びたかったのですが、日本の大学には新聞学科などはあっても、私が学びたい領域に適した進学先はありませんでした。
また、英語が好きなことに加えて地元から飛び立ちたい気持ちが強く、アメリカ留学を考えていましたが、両親の猛反対を受け、仕方なく日本の大学に入学。
入学後は懸命に留学準備を進め、留学を叶えました。

アメリカで受けたジャーナリズムやフォトジャーナリズムの授業では、主語や言葉の選び方、何を文頭に持ってきて大文字にするかといった工夫次第で、記者の視点を入れられると学びました。
誰かが関わる時点で、客観的な事実というものは存在しない。
そこには必ず「こう伝えたい」という意図が含まれること、切り取り方次第で伝わり方が変わることに面白さを感じました。

アメリカではデザインにも出会いました。
「コーポレートアイデンティティ」という企業文化を内外に伝えるための企業戦略や、そのためにロゴやマークをデザインする「ビジュアルアイデンティティ」などグラフィックデザインの世界を知り、デザインで思想を伝えることを学びました。
学びを深める中で、事実をできる限りそのまま伝えることよりも、デザインのような、なんらかの表現を通して伝える面白さに魅力を感じるようになっていきました。

もう一つアメリカで得たものは、この世にはいろいろな人がいるという実感です。
暮らしていたシェアアパートの同居人はアフリカ系アメリカ人の女性で、日本ではあまり出会うことのないくらい裕福で上流階級のお嬢様でした。
同じように生きる人たちが多かった地元と比べ、アメリカには本当に多種多様な人がいる。
いろいろな人がいる方が当たり前なのだということが、私の価値観の前提になりました。

新卒で考えられる大企業の選択肢の中でも、もともと好きだった広告に携わりたいと広告代理店に入社。
私が好きだった、時代を表すような広告をつくりたかったんです。
しかし、入社時には時代を表す広告はもう主流ではなく、マーケティング主導の販売促進の要素が強い広告ばかりに変わってしまっていました。

消費者を調査し、層ごとに読んでいる雑誌や暮らし方などを分析することに対し、人はそんなに簡単に分けられるものだろうかという疑問を持っていました。
また、私はモノやサービスを買ってもらうことでなく、物事を考える機会をつくることによって人の暮らしを豊かにする仕事をしたいと考えるようになりました。

大学時代にアメリカで学んだので、今度はヨーロッパで学びながら現地のクリエイティブを見てみたいと思うようになり、働きながら準備を進めました。
すでに不便のない英語で暮らせる国、さらにデザインのキュレーションコースがある大学院のある国、と選択肢を絞ってイギリスへ。
キュレーションに関わる歴史や事例の研究、企画のデザインについて学びました。

2「多様な見方があっていい」を体現していた盲学校

一年間の留学を終えるころ、デザイン専門施設の運営に関わっていた日本にいる知り合いから話を聞き、求人に応募することにしました。
縁がなければ卒業後にもらえるビザの期間内はイギリスにいようと思っていましたが、採用が決まり帰国。
外部ディレクターと、「骨」をテーマにした展覧会の企画を担当することになりました。
「骨」は生きものの骨ではなく構造の「骨」で、物事を構造から考えようという企画展でした。

ある日、ディレクターが義足に興味があるという話を聞き、義足の陸上アスリートの映像を一緒に見ることに。
健常者の記録を上回った陸上アスリートで、その美しい走り方に「義足ってすごい」と盛り上がりました。
展覧会では、そのディレクターが研究を始めた義足のプロトタイプを展示しました。

展覧会に関連して、義足のアスリートたちに会場周辺を走ってもらうイベントも開催。
イベントを通し、義足を使っている人たちと交流することもできました。
好きな布を義足に貼ったり、素材を変えたり、ヒールを履けるよう足首の角度を変えられるようにしていたり。
彼らが楽しんで義足との生活を送っている様子を見て、欠損したものを補うものとしてではなく、創造性やクリエイティブの側面から興味を感じるようになりました。

展覧会やイベントにいくつか関わったあと、山口県にある図書館やホール、美術館などの複合施設に転職。
一年かけて行われる十周年記念祭の準備と実施に携わりました。
仕事はとても楽しかったのですが、東京を拠点にする方が自分には合っているのもあり、記念祭が終わるとともに東京に戻り、国立の科学館で働き始めました。

科学館では、毎年12月第一週にある「障がい者週間」にあわせて、さまざまなイベントを企画しました。
2004年には「義足のファッションショー」を企画。
義足のアスリートがランウェイを歩いたり、靴を履き替えたり、走ったり、日常の延長にあるさまざまな動作を披露することで、人間にとっての「脚」の存在の可能性をポップに伝えたいと思ったんです。

同じ時期に、義足のファッションショーだけではなく、障がい者スポーツやテクノロジーを使って多様な人が楽しめるスポーツを一堂に集めて体験できるイベントや、知的障がい者施設の人たちがミュージシャンと演奏するライブなど、さまざまなイベントも企画しました。

ブラインドサッカーのイベントも企画していて、盲学校にリサーチに訪れました。
そこで目の見えない人たちに出会い、気づかされたことがあります。
盲学校の体育の授業では、「手を上げて」の指示に対し、上、横、前と、それぞれ思い思いの方向に手を上げるのです。
見えるとどうしても手本と同じようにしてしまいますが、見えていないと「こうでなきゃいけない」から解き放たれると知りました。
私がやりたかった「いろいろな見方があっていい」が体現されている場だと感じました。

無事にイベントを終えたあと、だんだんと科学館で働き続けることにモヤモヤを抱くように。
大きな仕事を手掛ける組織のため、広告代理店の仕事と似ている部分を感じていたんです。
また、障がいのある人との取り組みに魅了され、そちらに重きを置いた活動をしたいと思うようになりました。

そのタイミングで、ファッションショーを見た国際交流基金の方から「何か新しい企画をご一緒できませんか」と話を持ち掛けられました。
何ができるか考える中で思い出したのは、見学に行った盲学校でのワンシーンでした。
次に何かをするなら、見えない人と何かをやってみたい。
それがきっかけとなり、独立を決めました。

2017年、視覚障がい者が監督となり映画をつくるプロセスを追ったドキュメンタリー映画「ナイトクルージング」、見えない人とともに音声ガイド(音声で視覚情報を補助する手法)でダンスを鑑賞する「音で観るダンスのワークインプログレス」、音からつくり、音だけで楽しむ「オーディオゲームセンター」といったプロジェクトを次々と立ち上げました。
見えない人たちとさまざまなプロジェクトに取り組むことで、見える人たちがいかに普段視覚に支配されているかを実感することができました。

音だけで楽しむゲームをチームで開発している様子

音だけで楽しむゲームをチームで開発している様子

例えば、集団の中に一人見えない人がいるとすると、見える人たちが見えない人に対して、言葉で説明を行う状況が生まれます。
私はそれが好きで、見えない人がいることであえて言語化し、共有することになるという状況の捉え方の違いを面白いと思っています。

また、見える人が視覚に頼れない状況をつくると、物事の考え方や表現のあり方に変化が生まれる点も非常に面白いです。
わかりやすいのは映像などのビジュアルがなくても楽しめる、音だけのゲームセンター「オーディオゲームセンター」ですね。
近づいてくる敵は音だけで、姿は見えません。
私たちはその敵を「オーディオエネミー」と名付けていますが、説明なしに音だけだとみんなが共通のイメージを想起しにくいので、それぞれ異なるオーディオエネミー像を描くんです。
説明する情報を制限することで、思い思いに創造できる可能性があるのだと実感しました。

3いろいろな見方があるから世界は面白い

現在は、10件ほどのプロジェクトを同時に進めています。
2021年7月からは、古巣の「21_21 DESIGN SIGHT」で取り組んだ「ルール?展」が開催されています。
規制するというルールが持つ窮屈な側面だけではなく、ゲームを生んだり発展させたりするポジティブな面も含めて、ルールについて考えてみようという展覧会です。
展覧会を通して、自分も社会のルールづくりの一端を担っていると感じてくれたらうれしいです。
マジョリティのルールが当てはまらない障がいのある人たちが、独自ルールを生み出している様子も展示しています。
誰がルールを決めているのかを考えるきっかけにしてほしいですね。

ただ障がいに関する取り組みをしたいと思ってきたわけではなく、表現の多様性に興味を持ち続けてきました。
どのプロジェクトにも共通しているのは「物事への見方は人それぞれである」、ということを浮かび上がらせたいという思い。
多様な見方があるから世界は面白いということを伝え、さまざまな人と共有したいと活動してきました。

障がいのある人はマジョリティにとって「普通」とされることを、同じように行うのが困難であるから“障がい者”とされてしまっています。
それは社会的な課題である一方、その制限の中で日々生まれている創意工夫があり、それは人間全体にとっての表現のあり方に疑問を投げかけたり、可能性を広げたりする側面がある、というのが私の考えです。

周りからは「田中さんが何をやっている人なのか紹介しづらい」と言われます。
キュレーターは一般的に展覧会をつくる人ですし、舞台芸術のプロデューサーは舞台芸術をつくり、ゲームも映画もその業界の人がつくります。
「これをつくろう」ではなく、「どんな体験をつくるか」から考えるのが私のやり方です。
その活動の多様性を包括してくれるのが「アート」だったりするので、「アート」の領域にいるのかもしれません。

また、「アート」は人と違うという点に価値が置かれる貴重な分野なので、障がいと相性が良いはずなんです。
ただ、「アート」としてしまうと広く届きにくくなってしまう側面もあると思うので、あくまでも間口は広く活動していきたいです。
これからも障がいについて考えることを通して、そもそも多様だったはずの私たちがなぜ今こんなに均質化してしまったのかを考えられるきっかけを、世界に向かって投げかけ続けたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年10月)のものです

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