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隠してきた病の経験は「強み」になった。
選択肢の一つ「移植医療」を伝えたい
【ライター/医療コラムニスト・もろずみはるか】

目次
  1. 慢性腎臓病と共に生きてきた
  2. 病気の経験がライターとしての強みに
  3. より多くの人に移植医療を伝えたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、ライターや医療コラムニストとして活動するもろずみはるかさんをご紹介。

中学一年生で患った慢性腎臓病を隠してフリーライターとして活動してきたもろずみさん。夫からの腎移植を経て、今では自身の病気について積極的に発信しています。そのきっかけとは。お話を伺いました。

1慢性腎臓病と共に生きてきた

中学一年生のとき、地元の診療所で慢性腎臓病だと診断されました。
治療は長期にわたる可能性があること、悪化すれば人工透析になるかもしれないこと、腎機能の低下により妊娠出産が難しくなるかもしれないことを伝えられましたが、自覚症状がなかったことからあまりピンときませんでした。

しかし、得意だったスポーツで結果が出せなくなっていき、落ち込むように。
妊娠出産が難しいかもしれないことにもじわじわとダメージを受け、自己肯定感が下がっていきました。
病気を知っても友人たちはいつも通り接してくれました。
友人たちとふざけ合っている間は、病気を自分から切り離せていましたね。

持病を抱えながらも、子どものころからの夢である「大好きな音楽で食べていく」に向かって頑張っていました。
大学時代にアメリカで音楽を学ぶ姉の元に行って、オリジナル曲を作るなど活動していたのですが、デビューには至らず、活動資金を貯めるために就職。
その間に姉はパートナーとアメリカの有名な音楽賞を受賞するまでにスキルアップし、邪魔してはいけないと、長年の夢を手放す決断をしました。

音楽活動時代のもろずみさん

音楽活動時代のもろずみさん

帰国後、広告制作会社で企画部のプランナーとして働くことになりました。
直属の上司は実績のあるコピーライターで、友人のように接してくれる気さくな人でした。
あるとき「君も書いてみたら?」と言われ、お題をもらって書いてみたところ、「いけそうだね、やってみなよ」と背を押されたことを機に、ライターの仕事を始めました。

20代後半になり、恋人も私も結婚を考え始めるようになりました。
しかし、私には病気という事情があり、彼に「私は子どもが産めないかもしれない。それでも結婚してもらえますか?」と不躾なプロポーズをしました。
厳しいことをあえて軽く言うことで彼が「それならごめんなさい」と断れるような雰囲気を意識したのですが、彼の返答は「子どもがほしくて結婚するわけじゃない。一緒に年齢を重ねて、おじいさんおばあさんになって温泉旅行にでも行けたらいいよね」でした。
その言葉に安心し、28歳で結婚しました。

翌年、妊娠が判明。
授かりにくいだろうと思っていたので、自然に妊娠したことに驚きました。
うれしかったですね。
妊娠がわかった瞬間から、女性は母になるのだと感じました。
胸が張ったり、おなかが膨らみ始めたり、胎動を感じたり。
体の変化全てが愛おしかったです。

妊娠20週に差しかかったころ、夫と健診に向かいました。
一緒にエコーを見ようとルンルン気分で受診したのですが、医師から告げられたのは「産むのは止めたほうがいい」。
妊娠中毒症と診断され、腎機能が著しく低下する可能性があるというのです。
医師からは、このまま子どもが無事に育つとは限らないこと、子どもが助かっても私の命の保証がないこと、産後は腎臓病が悪化し、人工透析の可能性があることを告げられました。

現実を知っても、私はもう母です。
「私の命に代えても子どもを産みたい!」と医師と押し問答になりました。
夫は急激なストレスを受けて一時的に耳が聞こえなくなり、汗を大量に流して倒れ込んでしまいました。
頑として出産を譲らない私に、医師は「なんて身勝手なことを言うんだ、あなたは」と言いました。
「あなたはそれでいいでしょう。でも、母子ともに助からないかもしれないし、障がいを持った子どもが生まれてくるかもしれない。それらの現実を全て背負って生きていくのは旦那さんなんですよ」と言われ、ハッと我に返りました。

医師からは、「もっと冷静になりましょう。家族の未来をどうしたいのか、きちんとみんなで考えるべきです。子どもを産みたいなら、計画して手順を踏みましょう。そのためにも、今回は諦めて仕切り直しましょう」とも言われました。
家族とも話し合い、泣く泣く子どもを諦めました。
人生で一番つらく悲しい出来事でした。

ベッドの上で涙を流し続ける私に、担当医は「転院してはどうか」と提案。
自宅近くの医大病院に腎臓病患者の妊娠出産に長けている医師がいるからと、紹介状を書いてくれました。
母になる希望を捨てきれなかった私は転院を希望。
転院先の医師はとても丁寧にコミュニケーションをとってくれる方でした。

2病気の経験がライターとしての強みに

妊娠中の体調悪化で会社を辞めましたが、組織で働くことは好きだったので、体調が回復したら再就職したいと思っていました。
しかし、腎臓は一度悪くなったら回復が難しい臓器なので、検査入院は頻繁に続きます。
体調を見ながら働くことができ、気兼ねなく通院できるという理由から、フリーライターとして独立することを決めました。
「病気の人に依頼して大丈夫なの?」と思われるのが怖くて、病気のことはクライアントには伏せ続けていました。

36歳の夏、医師から「このままだとあなたの腎臓は4年後までもたないかもしれない」と言われました。
腎臓病末期患者が選べる治療法は、人工透析か腎移植。
「僕が腎臓をあげるからね」とずっと言ってくれていた夫が、ドナーに名乗り出てくれました。
私は臓器移植にあまりいいイメージを抱いていませんでした。
臓器売買というネガティブなイメージや過去の心臓移植の失敗事例の印象が強く、怖いものだと思っていたんです。

しかし、通っていた病院がたまたま腎移植の権威と言われる医療の進んだところで、最新情報を知ることができ、不安が薄らいでいきました。
移植後に腎臓を維持できる確率の高さや手術で死亡する可能性はほぼゼロに近いこと、ドナーが将来的に人工透析になる可能性は1%以下であることなど、さまざまな正しい数字を知りました。
最近知り合った患者さんの中には、移植腎を45年間も保っている人もいるんです。
私たち夫婦の目標は、夫婦で長生きして老後に温泉に行くこと。
その目標を果たすため、移植を決断しました。

一旦移植を決めはしたものの、しばらく気持ちは揺れていました。
移植ではなく人工透析を選ぶ道もあるわけです。
事実として、日本の透析医療は世界一といわれるほど質が高いことで知られています。
2つの選択に悩み、参考にできる情報をネットや書籍で探しましたが、人工透析や食事療法の本はあるのに、腎移植について詳しく書かれている本は見つかりませんでした。

医療情報は医師に教えてもらえますが、私が一番知りたかったのは「移植後に患者とドナーが本当に幸せになれたのかどうか」でした。
手術が上手くいっても、その後に夫が精神的ダメージを受けるかもしれない、腎臓をあげたりもらったりしたことで夫婦の関係性が変わってしまうかもしれない。
やさしい夫だからこそ、「はるかさんのために」と思わせてしまっているのではないかと不安がありました。

あるとき、主治医に「腎移植は私のエゴですよね。愛する人の健康な体にメスを入れるなんて不健全ですよね」と葛藤をぶつけてしまいました。
医師を心から信頼していたからこそ言えた言葉です。
そんな私に医師は、「ということは、僕ら医療者は不健全な治療をしていることになっちゃうよ」と少し寂しそうな顔をして言いました。
その言葉と表情を受け、「なんて失礼なことを言ってしまったんだろう」と猛省しました。

昼夜問わず研究してくれているおかげで、移植技術の進歩がある。
そのことを改めて痛感し、ようやく覚悟を決めることができました。

移植予定日の半年前、あるメディアの編集長に会う機会がありました。
専門分野を聞かれ、「いただいた仕事はなんでもやってきました」と答えると、「なんでも書けるはなんでも書けないと同じことなんですよ。40年くらい生きているのだから、何か絶対マニアックなことがあるはず。一緒に棚卸しをしましょう」と指摘されたんです。

話の中で、半年後に夫から腎臓をもらうことを明かすと、編集長は「それですよ!」と言いました。
今まで秘めてきた病気のことが、実は私の強みであると気づかされ、目からうろこが落ちました。
私が探しても見つけられなかった腎移植の当事者のリアルな情報やドナーとの関係の変化について、私なら発信できると思いました。

腎臓移植は、手術日1週間前にレシピエント(臓器受容者)の私が先に入院し、ドナーの夫が前日に合流します。
夫を待っている間、前日に怖くなってドナーが来られなくなったケースがあることを思い出し、ギリギリになって心が変わることもあるだろうと思うようにしていました。
でも、夫は病院に来てくれました。
「万が一のときのために、家を掃除してきたよ」と言われ、夫の覚悟の大きさを痛感。
もしかしたら来ないかもしれないと思ったことが恥ずかしかったです。
2人で手を繋いで手術室に行き、移植手術に臨みました。

全身麻酔から目覚めたとき、一回死んで生まれ変わったような気持ちがしました。
何も怖い物はないなと感じたんです。

看護師さんから「旦那さんの腎臓からおしっこがじゃんじゃん出てますね」と声をかけられ、人体のタフさに驚きました。
手術6日後には退院し、すぐに仕事に復帰。
手術前は仕事ができないほど弱っていたのに、日ごとにどんどん元気になっていくんです。
医療技術の進歩のすごさに驚きました。

入院中の様子

入院中の様子

復帰後、ライター、医療コラムニストとして腎臓病についての執筆活動を始めました。
体は元気になったものの、夜にパッと目が覚め、夫から腎臓をもらった現実を突きつけられ、「とんでもないことをしてしまったのでは」と罪悪感にさいなまれることがありました。
「果たして自分は夫から腎臓をもらう資格のある人間なのか」と苦しくなるんです。

夫は恩を着せるような発言は一切しませんし、「はるかさんが元気でいてくれるのがうれしい」と言います。
相談した移植コーディネーターにも「ドナーは患者さんが元気に生きていてくれることが一番の幸せなんですよ」と言われ、笑顔で楽しく生きていこうと心に決めました。

3より多くの人に移植医療を伝えたい

今は、ライターや医療コラムニストとして体験談や取材記事の執筆をするだけではなく、YouTubeやラジオ番組での発信にも取り組んでいます。
文章以外の発信を始めたのは、読むことが苦になる人たちにも情報を伝えたいと思ったからです。

共同で運営しているYouTubeチャンネル「腎臓生活チャンネル」

共同で運営しているYouTubeチャンネル「腎臓生活チャンネル」

70代の父が長年取っていた新聞を「もうテレビとラジオでいいから」とやめた姿を見たり、私自身が移植前に資料を読むのがしんどくなったりしたことが気づきになりました。
動画やラジオは「こんにちは!」とハツラツと挨拶することで、移植をして元気になった様子を伝えられるのが強みだと思っています。
透析患者数34万人に対し、移植手術は年間2,000件。
移植へのネガティブイメージを拭い、選択肢の一つとして知ってもらいたいですね。

YouTubeは、夫に腎臓をあげたドナー側の女性と一緒に発信しています。
移植医療の情報は患者側に偏りがちで、ドナー側の感情や手術後の変化はあまり世に出ていません。
手術を受ける前の夫からも「調べてみたけど見つからなかった」と聞いていて、情報の必要性を感じていました。
ドナーと患者、双方そろっての移植医療です。
ゆくゆくは、彼女と一緒にレシピエントとドナーの両者の視点で移植医療を語る本を出せたらと思っています。

夫婦での一枚

夫婦での一枚

現在、私は妊活に取り組んでいます。
ただ、子どもを授かっても授かれなくても、夫と生きていくことに変わりはありません。
老後に温泉に行くその先、夫より少しでも長生きして彼を看取りたいですね。
それが夫への恩返しだと思っています。
夫の存在があってこその腎移植ではありましたが、私が情報発信することで「愛があるなら腎臓をあげられるよね」と誤解されたくないな、とも思っています。
愛のかたちも家族のかたちも人それぞれだからです。
人工透析を選択し、幸せに暮らしているご家族も私はたくさん知っています。
私の発信はあくまでも一つのサンプル。

表現に気をつけながら、今後もさまざまな方法で伝えていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年10月)のものです

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