シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

社会「進出」から「活躍」へ。
パラレルキャリアで広がる女性の可能性
【エール株式会社代表取締役/パラレルキャリア推進委員会代表・美宝れいこ】

目次
  1. 50代の自分が働く姿をイメージできなかった
  2. 自分の好きなこと、やりたいことを見つけたい
  3. パラレルキャリアを広め女性が活躍できる社会を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、パラレルキャリアで働く女性の活躍を推進する美宝れいこさんをご紹介。

社内初の女性部長となり、仕事にやりがいを感じていた美宝さん。働き詰めだった母の死を受け、自らの働き方を見つめ直したと言います。美宝さんがパラレルキャリアを女性に広げていきたい理由とは。お話を伺いました。

150代の自分が働く姿をイメージできなかった

私は、共働きの父母、6つ年上の姉の4人家族で育ちました。
母は福島県から集団就職で上京してきて以来、ずっと働き続けてきたそうです。
家庭を支えるために仕事を掛け持ちすることもあり、子どもながらに働く大変さを感じ、自分は専業主婦になりたいと思っていました。

短大時代に父のがんが発覚。
私はお父さんっ子だったこともあり、ほぼ毎日病院に行き、付きっきりで看病に当たりました。
しかし、3ヶ月が過ぎ、課題提出のために大学に行ったその日に父が亡くなってしまいました。
母と姉は臨終に立ち会えたのに、私だけがその場にいられなかった。
大きな悔いが残りました。

短大卒業後、大手旅行会社に就職。
事務職員として働き始めました。
その後、短大時代から付き合っていた人と結婚することに。
すぐに専業主婦になっても家事以外にやることはなく、特別やりたいことも見出せていなかったので、漠然と子どもを授かるまでは働こうと思っていました。
しかし、なかなか子どもを授かることができず、結局ずっと働き続けることに。
私のやりたいことは何だろうと模索しながら、転職を重ねました。

3度目の転職で広告代理店に入社しました。
今の自分のスキルでこれだけの給与がもらえるならいい会社だな、と思えたのが入社を決めた理由です。
早々にいいポジションを与えてもらうことができ、成果を出せば評価に繋がる会社でした。
条件重視で入った会社でしたが、キャリアアップする中でやりがいを感じられるようになってきました。
そして、入社8年目、20代後半で社内初の女性部長職への昇進が決まりました。

昇進はとてもうれしかったのですが、これ以上のキャリアとなると役員しかありません。
男性中心の会社だったこともあり、女性としては部長職が昇進の限界だと思えました。
ロールモデルとなる先輩女性社員が社内にいるわけでもなく、ここから20年以上、今の会社で同じ働き方を続ける姿が自分の中でうまく思い描けませんでした。

33歳のとき、母が急に倒れて入院することになりました。
母に付きっきりになれるのは、姉と私しかいません。
父の死に目に会えなかった後悔もあり、今度こそは悔いのないように母との時間を過ごしたいと強く思っていました。
しかし、私は会社員。
会社からは早退許可をもらえていましたが、部長である以上、仕事にも責任が伴います。
病院にいても仕事のことが頭をよぎり、葛藤や後ろめたさがつきまとっていました。
会社員は家族の一大事に思う存分寄り添えない働き方だな、と思うようになっていきました。

母に付き添うために会社を辞めようか悩んでいた最中、母が死去。
ひどく落ち込んで何も手につかず、まるで廃人のような状態に陥ってしまいました。
会社でも涙があふれてくるほど情緒不安定になってしまい、退職を願い出ることに。
引継ぎの準備を進めていく中で、同僚や上司が何度も引き止めてくれました。
チームメンバーからは「あなたがリーダーだから、今までやってこられたんです」とまで言ってもらい、退職の決意が揺らぎました。
結局、退職予定日1週間前に退職を取り下げ、もう一度がんばってみようと思い直したんです。

2自分の好きなこと、やりたいことを見つけたい

再スタートを切りましたが、漠然と抱いてきた今後の自分の働き方への悩みが解決したわけではありません。
さらに、母の死を機に母の人生に思いを巡らせるようになりました。
私から見た母は、趣味も特に持たず、家庭を支えるためだけに働き続けてきた人でした。
仕事に好きや楽しみを重視しない時代だったこともありますが、そうして働き詰めだった母の人生は何だったのだろうと思うようになったのです。

一方で、やりたいことをやれていないのは私も同じだと気づきました。
やりがいを感じられるようにはなったけれど、やりたいことをやれているわけではないし、やりたいことが何なのか見つけられてもいない。
50代、60代を迎えたとき、働きがいを見つけていたいという思いが強まっていきました。

そんなとき、電車の中吊り広告に「キミじゃなきゃダメなんだ。そう言われることが人生で何回あるだろう。」というキャッチコピーが書かれているのが目に入り、ハッとさせられました。
私でなければいけないと言われることは、人生であと何回あるのだろうと思ったんです。
例えば明日辞表を出したとして、会社は確かに大変な状況になるけれど、とはいえ何だかんだで回っていくでしょう。

会社員として働くことは、代替可能な歯車であるということです。
昇進してこられたことにうれしさを感じてはきましたが、何を評価してもらえたのか、いまいち理解しきれていませんでした。
やりたいことだけではなく、強みもよくわかっていないままだったのです。
そんな私が会社から飛び出し、社会でできることは何だろう。
それを見つけたいと思うようになりました。

やりたいことがわからないままだったので、好きなものを考え、アロマに行き着きました。
仕事終わりにアロマセラピストの資格を取れるスクールに通い始め、2年後に夜や土日にオープンするサロンを始めました。
まず副業として始めたのは、20歳から独立して仕事をしてきた姉の姿を見てきたからです。
独立して仕事をしていく難しさを感じていたので、いきなり起業を考えることはありませんでした。
会社関係の人たちや学生時代の友達に留まっていた人間関係が、立場や年齢問わずぐんと広がったことで、世界の広さを感じました。

しかし、肝心のサロンの活動は、早くも壁に突き当たります。
「好きだから」とアロマの道を選んだものの、実際に活動し始めてみると、50〜60歳になっても私はこの仕事をしていたいのか疑問が浮かんだんです。
好きなことと、仕事としてやりたいことがイコールになるとは限らない。
私にとって、アロマは趣味として好きなものだったのかもしれないと思うようになりました。

活動を続けていると、ブログやSNSに反応や質問が寄せられるように。
副業や起業ブームが起こり始めていたこともあってか、昼間は会社員、夜はサロンという働き方についての発信に、副業の始め方や顔や本名を明かさない方法に関する質問が届くようになったのです。
私のように今の働き方に不安を感じていたり、納得できていなかったりする女性がたくさんいると気づかされました。
同時に、私の発信がこれから会社以外で活動したいと思っている人の役に立つことも知りました。

アロマサロンを続けながら、副業についてのセッションやセミナーも始めました。
続けるうちに、アロマサロンとの比重が逆転。
セッションやセミナーの方がやりがいを感じられるようになっていました。

あるとき、夫から「パラレルキャリアみたいな働き方をしているよね」と言われ、パラレルキャリアの存在を知りました。
自分のできることを複数の場所で活かすパラレルキャリアの考え方に魅力を感じ、私が目指したいのはこれだと思いました。
しかし、副業に関する情報発信は世の中にあっても、中には怪しげなものも多いのが現状です。
スキルやキャリアを活かした「複業」について教えてくれたり、実践している仲間同士が出会えたりする場がなく、繋がれる場がほしいと思うようになりました。

女性は結婚や出産の影響もあり、やりがいのある仕事に就けないこともあります。
でも、たとえ今の会社で満たされなくても、パラレルキャリアの考え方を知れば、可能性はもっと広がる。
パラレルキャリアを広めたいという思いが強まりました。
しかし、パラレルキャリアがまったく知られていない状況で、私一人が発信するだけでは社会的認知度はなかなか上げられない。
そこで、仲間を募って大勢で発信することでムーブメントを起こしたいと考え、女性コミュニティを立ち上げることにしました。

まずは食事会を月1回ペースで始めました。
パラレルキャリアについて語り、情報共有をしようと、まずは食事会を月1回ペースで始めました。
非常に盛り上がり、楽しい場をつくることができたのですが、食事会を続けるだけではパラレルキャリアの推進には繋げられないのではと感じました。

パラレルキャリアについて語り合う、月1回の食事会の様子

パラレルキャリアについて語り合う、月1回の食事会の様子

食事会を続ける一方、「複業を教えてほしい」というニーズに応えるべく「美宝塾」という専門スクールも始めました。
兼業ではどうしてもスクールに割ける時間が限られます。
これまでは本業の効率性を上げながら両立させてきましたが、スクールを始めたことで、会社を辞めてパラレルキャリアの推進活動に集中したいという思いが高まっていきました。

そして、ついに会社を退職。
スクール1期生の卒業と同時期に独立することになりました。

そこからは女性キャリア支援を軸に、美宝塾やセミナー活動、化粧品のプロデュースなど、さまざまな活動に取り組みました。
その中で、私が一番やりたいことは女性活躍の推進であり、パラレルキャリアを広げていくことだという思いが強まっていきました。
3年間模索した結果、コミュニティをリニューアルする形でパラレルキャリア推進委員会を設立。
模索して原点に戻ってきたことで、より軸が強くなりました。

3パラレルキャリアを広め女性が活躍できる社会を

現在はエール株式会社の代表と、パラレルキャリア推進委員会の代表として活動しています。
二つの活動内容は重なっていて、どちらも女性の活躍の場を広げるパラレルキャリアを推進することが目的です。

パラレルキャリア推進委員会は組織化されていて、企業からのプロジェクトに参加したメンバーには報酬が出ることもあります。
女性支援団体のコミュニティですが、きちんとした体制から「まるで会社のようですね」と言われることも多いです。
メンバーは口コミで増え、現在は2,000人を突破。
海外在住の方もいて、活発に勉強会や交流会が行われています。
人数が増えたことでやれることの幅が広がりましたね。

最近では、大手企業と共に大阪・関西万博で行うジェンダーレスの社会問題解決に繋がるプロジェクトを立ち上げたり、大手化粧品メーカーと協業したりしています。
エール株式会社は、パラレルキャリア推進委員会のメンバーをさまざまな企業やプロジェクトに繋ぐことを軸にし、事業を組み立てています。
両者の活動は繋がっているんです。

パラレルキャリア推進委員会のメンバーが集まった、交流会の様子

パラレルキャリア推進委員会のメンバーが集まった、交流会の様子

ここ数年で、パラレルキャリアという言葉が地方でも浸透してきたと感じています。
パラレルキャリア推進委員会の支部がある東海や関西や九州では、支部がイベントを開催してくれたことで認知が広がってきました。

私がパラレルキャリアを特に女性に知ってもらいたいのは、女性の活躍に繋がる働き方だからです。
非正規を含めると年代によっては8割近くの女性が働いている現在、すでに女性の社会進出は実現できていると捉えています。
しかし、活躍となるとまだまだ。
女性たちから相談を受ける中で、男女関係なく評価を得ることは難しい現実があると実感しています。
今の会社だけで思う存分活躍できている人は、実はまだ一部に限られているのではないかと思っています。

そうした女性たちにとって、社外で自分のやりたいことを実らせたり、スキルを活かせたりできる方法があると知ることはとても大切なことです。
社会全体で見たときに女性の活躍が叶う環境、土壌をつくっていければいい。
その役目を担うのが私たちだと思っています。
実現のためにも、メンバーを増やし、パラレルキャリアの輪を広げていきたいです。

「自信がないから動き出せない。どうすれば自信をつけられますか」と尋ねられることがあります。
私の答えは、「まずは動き始めること」。
とにかくやってみる、やり続けてみることで、あとから自信がついてくるものです。
やりたいこと、向いていることを探すつもりで歩みを進めてほしいですね。

また「キャリア=仕事」と限定してしまい、自分とは縁遠いものだと思っている方には、それは違うよと伝えたいです。
キャリアはライフスタイル。
ママもキャリアのひとつです。
家事や育児など、みんなすでに何らかのパラレルキャリアを実践しているはず。
その気づきからスタートして、もっと私たちは多くのことに挑戦できるのだと感じてほしい、と願っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年9月)のものです

この記事は役に立ちましたか?
はい いいえ
ご協力ありがとうございました
Related Stories

関連ストーリー

この記事を読んでいる人は、こんな記事も読んでいます
シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

マイマガジン

旬な情報をお届け!随時、新規ジャンル拡充中!