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今の時代に必要なのは個人の意思。
「WILL」を羅針盤に、弾みではみだせ
【株式会社ローンディール最高顧客責任者(CCO)・大川陽介】

目次
  1. 武道で培った「守破離」の精神
  2. 倒れるまで走ったことで「私」の不在に気づいた
  3. 「私が」で生きられる人を増やす

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、株式会社ローンディールの最高顧客責任者を務める大川陽介さんをご紹介。

大企業からベンチャー企業への転職を後押ししたのは、数年かけて見つけた「自分のやりたいこと=WILL」でした。大川さんが見つけたWILLとは。お話を伺いました。

1武道で培った「守破離」の精神

6歳から伝統空手を習い始め、高校生になって柔道も始めました。
武道には「守破離」という考え方があります。
基本の型を身につける「守」、型を破って応用する「破」、自らのオリジナリティを加え、型から離れ創造する「離」で守破離です。
武道に慣れ親しむ中で、自然と武道以外の部分にも守破離の考え方が浸透していきました。

大学生になり、新しいスポーツを始めてみたくてスキーサークルに入りました。
選んだ種目は基礎スキー。
滑る速さではなく正確性や表現力を競うもので、上達に伴って、よりシンプルさを追求していく種目です。
スキーのステージは雪山という自然環境ですから、まったく同じ環境で滑ることはありません。
常に変化する状況に応じて対応する力が求められました。

スキーサークル時代の大川さん

スキーサークル時代の大川さん

スキーを通じて、物事をシンプルに突き詰めていく美学に惹かれていきました。
また、武道で身につけた守破離の考え方はスキーにも活用できました。
基本的な動きを理解し、身につけてから、自分の表現を加えていく点が武道の上達と共通していたんです。

スキー1本で食べていくことは難しいため、社会人スキーヤーとしての活動と両立できる仕事環境を求め、コピー機などを販売する大手企業に入社。
技術とユーザーとを繋げる「フィールドSE」という職種で働き始めました。
入社したてのころ、会社の経営や戦略について、いまいち理解ができませんでした。
自分もいずれは理解できるようになるのだろうと思っていたのですが、30歳になっても「全然理解できるようにならない」と気づきました。
時間の経過と共に自然と知識が身につくのではなく、当たり前ですが、自ら勉強しなければならないのだと危機感を抱きました。

経営者と語れるだけの共通言語を身につけたいと思い、中小企業診断士の資格取得を目指すことに。
30歳ごろから居酒屋で話す内容が会社や上司への愚痴や文句ばかりになっていることにふと気づき、「あ、俺やべえかも」と思ったんです。
会社のことも理解せずに他責で文句だけを垂れ流していても何も変わらない。
自分でなんとかしなきゃ、と思いました。

知識を身につけて思ったことは、「会社を変えることは難しい」ということです。
特に大企業は仕組みが合理的に最適化されていて、大きく変えるのは難しい。
また、自分が楽しいと思う仕事を、そう簡単に会社に与えてもらえるわけではないとも気づきました。

会社に対して感じてきた不平不満は、会社が組織として成り立つ構造上、仕方がない側面もあります。
なら、会社の型を破り、離れた場をつくれば、「楽しい」をつくれるのでは。
そんな自分の考えに共感してくれた人たち8人の先輩後輩と「秘密結社わるだ組」を結成しました。

各人が興味あるテーマを思いつきでイベント化し、社内外の交流会、先輩との対話会、新規事業企画など、多い時は毎月2、3件のペースで楽しんでいました。

「楽しそうならやる!」という行動指針のもと、楽しくて仕方がなかったわるだ組の活動。
しかし、続けていくうちに何となくモヤモヤした感情を抱くようになりました。
同じころ、先輩社員たちに「大川は何をやりたいの?」とよく尋ねられていました。

先輩たちの多くは、「自分のやりたいこと=WILL」を問う社風のある会社からの転職者で、その問いかけを私にしていました。
私の答えは、毎回「知の創造と活用をすすめる環境の構築」でした。
しかし、これは、会社が掲げるミッションそのものだったのです。
だからか、先輩たちからは「本当に?」と幾度も同じ問いかけをされていました。

学生時代、私はいわゆる優等生タイプで、社会人になってもその性格はあまり変わらず、「会社のミッションや与えられた仕事をこなすことこそがプロ」と思っていたんです。
不満を抱くこともありましたが、それでも私は会社が好きでした。
自分の回答に違和感はなく、むしろ誇らしい感覚です。
だからこそ、先輩たち問いに対して、「そうです」と優等生のように答え続けていました。

しかし、そのやり取りが100回を超えたあたりで、ふと「いや、もし明日この会社がなくなったら、たしかに俺はコピー機を売るのをやめるな」と思い始めました。
その時初めて、会社のWILLの中にいつしか自分が同化してしまっていたことに気づかされたのです。

考えることを放棄し、自分の意思をなくしてしまっていた。
わるだ組の活動に感じ始めたモヤモヤも、変化し始めた私のWILLとわるだ組のWILLとのズレが原因だと気づきました。

2倒れるまで走ったことで「私」の不在に気づいた

私が本当にやりたいことは何なのか、私のWILLは何なのか。
模索し始めましたが、すぐに確固とした答えは出ません。
考え続ける一方で、仕事やわるだ組の活動は継続していました。
わるだ組を始めて一年が経ったころ、新しいことをしようというイノベーターたちと交流する機会が増えました。
大企業の中でもイノベーション活動をしようという機運が高まっていったんです。
その流れで、大企業の有志団体が横に繋がる「ONE JAPAN」の発足が決定。
共同発起人兼副代表を務めることになりました。

「楽しそうだからやろう」くらいのライトな感覚で参画したのですが、その反響や影響力は大きく、次々に生まれてくるさまざまなプロジェクトやコラボに、心から楽しんで取り組んでいきました。
得られた経験は本業にも活かせ、新規事業の立ち上げやオープンイノベーションといった役割を与えてもらえるようになり、どんどん忙しさが増していきました。

ところがある日、オーバーワークで倒れてしまいました。
それを機に自分が抱えている活動を見つめ直すと、いつしかモチベーションが「人の期待に応えるため」になっていて、主体が自分ではなくなっていたことに気づきました。
「私が」が消えて「○○社の大川が、ONE JAPANの大川が」になってしまっていたのです。

ONE JAPANの取り組みも、わるだ組と同じく面白いことに変わりはありません。
でも、このタイミングできちんと「私が」を探したいと思いました。

ある交流会で、レンタル移籍を手掛ける株式会社ローンディールの代表と知り合いました。
レンタル移籍とは、大企業の社員が半年から一年、ベンチャー企業で事業開発に取り組み、大企業ではできない経験を積むものです。
取り組み内容に魅力を感じ、当時の会社にも導入するために奔走しました。
代表ともよく飲みながら語り合い、ボランティアとしてローンディールの仕事を手伝うことになりました。

ローンディール社、ベンチャー企業、挑戦者であるレンタル移籍者など多くのWILLにふれることで、数年間考え続けた私のWILLが言語化し始めました。
私のWILLのキーワードは「発掘・覚醒・新結合」。この3つにより個と組織の生命活動を紡ぐことが、私のやりたいことです。

WILLの構成要素について図示したもの。大川さんが説明の際使っている資料

WILLの構成要素について図示したもの。大川さんが説明の際使っている資料

企業の中にいる魅力的な人材や思いを「発掘」し、その人たちを育成するのではなく、「覚醒」させる。
そして、それらを「新たに結びつける」ことでイノベーションを狙う。
従来の採用・育成・配置というプロセスではなく、発掘・覚醒・新結合により、個と組織の生命活動を紡ぎ、相互信頼の強い関係性を築きたいのだと気づきました。

思い返してみれば、私がわるだ組やONE JAPANに込めた思いや設計思想はまさにこれ。
これまでは、「個」を起点に取り組んでいた一方で、「個」が盛り上がるほど、「組織」である企業が置いていかれているのを感じていました。
「個の時代」が来るとはいえ、私は自身を育ててくれた「大企業」の価値や可能性を信じています。
社会にインパクトを出すためには「個」だけでは足りず「組織」を起点としたアプローチの両輪が必要だと思うようになりました。

WILLが言語化され、それに全力を傾けられるローンディール社にコミットすることを決めました。
それまで積み上げてきた仲間や環境を手放す決断は、非常に大きな勇気が必要でしたが、WILLにしたがって「自ら選択する」ことで目の前の景色が大きく変わりました。

転職して多くの人のレンタル移籍に携わりましたが、大企業社員の中には、面接で問われる「あなたは何をしたい人なんですか」に答えられない人が多いと感じました。
昔の私のように、会社での役割やミッションしか答えられず、「私が」がわからなくなってしまっていたのです。

WILLが強いベンチャー企業との面接前に、レンタル移籍者のWILLを明確化させておきたい。
そこで、「キックオフミーティング」という研修を始めました。
社会人2、3年目から50歳くらいまでと年齢幅の広いレンタル移籍者たちに、「あなたのWILLは何ですか?」と問う。
ただひたすら問い詰めるのでは、本人もつらいしハラスメントになりかねません。
私が自分のWILLを見つけた経験やレンタル移籍者の変化を参考に、プロセスやノウハウを体系化。
それらをまとめ、ひたすらいろいろな人のWILLに向きあうことで、「WILL発掘ワークショップ」が生まれました。

3「私が」で生きられる人を増やす

いまや、公私ともに、WILLの発掘は私のライフワークです。
「WILL発掘おじさん」と自称しながら活動し、レンタル移籍事業を進化させながら、「発掘・覚醒・新結合によって、個と組織の生命活動を紡ぐ」という自分のミッションを楽しんでいます。
企業や社会人向けのワークショップに加え、学校での授業にも取り組み始めました。
WILLの発掘は中高生、大学生にも必要だと思ったからです。

一方で、レンタル移籍を通じて伴走してきた40代、50代を見てみると、こちらもWILLを発掘することで、変わることができると確信しています。
歳を重ねてきた分、ミドル・シニアは掘れる地層(=人生経験)が厚い。
掘るのは大変ですが、その分たくさん詰まっている石油をうまく製油(=言語化)できれば、活用できる可能性はとても大きいのです。
「与えられた仕事ではなく、本当に私がやりたいこと」を再発見した時の彼らの行動力は目をみはるものがあります。

WILLを明らかにするには、「私」を主語にして徹底的に考えることが不可欠です。
「私」の「I」に「偏愛」の「愛」の意味を重ねて、「I-mode」と呼んでいます。
「I-mode」で思考し、生きようぜと。
社会人歴が長くなると、他人の評価や社会的地位などを気にしてしまう他人モード=「YOU-mode」で生きている人が少なくありません。
しかしながら、守破離の「破」で自分の殻や社会の閉塞感を打ち破っていくには「I-mode」になることが求められます。

「わたしがこうしたい!」という思いのある人が、現状や常識を「破」り、うねりや可能性を生み出します。
それが共感によって「わたしたち」が主語になる「WE-mode」に変わると、社会に波紋が疾走し、「離」が起こるのです。

変わること、挑戦することには怖さもあるでしょう。
その方たちには、ぜひ「踏み出す前にはみだせ」と伝えたいですね。
私もいきなり一歩を踏み出したわけでなく、つま先だけ小さくはみださせながら、活動の幅を広げてきました。
WILLを羅針盤にして自分の立ち位置や向かいたい方向を確認しながら、I-modeでやりたいことを思いきり楽しみ、その弾みでちょっとはみだしてみる。
安心できる足場が見つかれば、そのときに重心を動かせばいい。
個や組織の可能性を広げるためにも、圧倒的一人称で生きられる人を増やし、それを活かせる組織をつくっていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年9月)のものです

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