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悩みながらも取り組み続け、辿り着いた道。
自然を伝え、ビジネスの仕組みで守る
【雑誌の記者・エディター/大学教授・藤田香】

目次
  1. 「生きている」と実感できた山との出会い
  2. 仕事に取り組む中で見つけた、自然とビジネスの接点
  3. グローバルとローカルを繋げる生き方を模索したい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、生物多様性や環境保全の実現にビジネス・金融面から取り組む藤田香さんをご紹介。

雑誌編集、書籍の執筆、シンポジウムの企画運営、大学での教授業など多方面で活躍されている藤田さん。しかし、実は自身のキャリアについて悩んでいた時期も長かったと言います。そんな藤田さんがいかにしてキャリアを広げていったのか。お話を伺いました。

1「生きている」と実感できた山との出会い

私は学生時代、数学や物理が好きでした。
数学の数式に崇高で美しいものを感じたのです。
「数学の問題だけ解いて生きていければいいのに」と思ったこともありましたが、それでは食べていけません。
親や周囲の大人たちの言う「きちんとした職に就きなさい」に背く勇気もなく、就職活動を行いました。
ノートをまとめるのが得意で、難しい知識をわかりやすく解説することが好きという理由で、理系メディアを扱う出版社に入社。
半導体や電子機器について取り扱う雑誌の部署で働き始めました。

あるとき、学生時代の友達に誘われて都内の山に登ることになりました。
蒸し暑い時期だった上に天気も悪く、視界がゼロで何も見えない。
バテてしまい、山頂には行けませんでした。
小学生時代に遠足でハイキングしたときを思い出し、「やっぱり、疲れただけで楽しくなかったな」という感情だけが残りました。

ところが、登山家をモデルにした映画を見る機会があり、山への印象は一変しました。
そこに映し出された山は岩壁や氷、雪に覆われた雄々しい姿で、美しさに魅了されました。
偶然同じ時期に、今度は仕事関係の知人から登山に誘われました。
その山は北アルプスの剱岳。
岩と雪の殿堂とも呼ばれる山で、私が映画で魅了されたような見た目のカッコいい山でした。
何か血が騒ぐのを感じました。

しかし、剱岳は初心者にとっては難易度の高い山。
元山岳部で登山経験がある知人の「大丈夫」の言葉にだまされての挑戦でした。
やはり大変でしたが、体全体を使って岩壁をよじ登っていくことに、「生きている」実感を覚えました。
低い山は自分に合わなかったけれど、孤高のようにそびえる岩峰に挑むのは楽しいと思えたんです。
それは数学が好きだという感情にちょっと似たものでした。

登山の楽しさに目覚めるまで、自分を虚弱だと思っていました。
しかし、登山にのめり込む生活を送り始めると、一気に元気になったんです。
登山は自分に合っているんだ、私はこういうアクティブなことが好きだったんだと初めて発見したような気持ちになりましたね。

登山に魅了されるにつれ、バックパッカーとして世界を回って山に登る生活を送りたいと思うようになりました。
世界各地でレポートを書き、日銭を稼いでその日暮らしをすることに憧れました。
しかし、私には会社を辞めてまで世界に飛び出す決断はできませんでした。

就活のときと同じように、周囲が賛同してくれない選択をする勇気が持てなかったのです。
誰かひとりでも「登山、いいじゃん。放浪の旅いいよね」と言ってくれたらまた違ったかもしれませんが、自分ひとりで社会のメイン通りから外れる決断を下すことはできませんでした。
かといって完全に割り切ることもできず、やりたいことをしたい気持ちも手放せないままでした。

28歳のころ、北岳にて

28歳のころ、北岳にて

悶々としながら選んだのは、一年間のアメリカ留学でした。
留学ならばまだ周りから理解が得られるだろうと思ったのです。

半導体関係の仕事をしていたのに、留学先の専攻に選んだのは地質学。
当時は山登りが高じてロッククライミングもしていました。
岩のことをもっと知りたいと思ったんです。
同時に、地質学科であれば、アメリカでもロッククライミングができるのではという狙いがありました。

思惑通り、現地では登山仲間に恵まれ、放課後にロッククライミングをする生活を送ることができました。
しかし留学期間の終了が近づいてくると、このまま仕事に戻っていいのかなと焦りが生じました。
自然をもっと体感したい、世界を旅したい、でも飛び出しきれない。
どっちにも振り切れず中庸を選び取るために、中途半端になってしまうのだと思いました。

そこで帰国前の3ヶ月間、思い切ってバックパック一人旅に出かけました。
アメリカの国立公園や、山・森・川・洞窟などの大自然を回れるだけ回ろうと、リュックを背負ってバスやヒッチハイクで旅をしました。
雄大な自然を一人で歩く自由とワクワク感と怖さ。
そこで出会う地元の人々。
やっぱり好きなのは冒険や自然体験、人との出会い、こうした現場の肌感覚なんだと痛感しました。

しかし、帰国したら、膨らんだ風船が一気にしぼむようでした。
このまま半導体や電子機器の記事を書いていていいのか、自然を扱う雑誌を出している出版社に転職した方がよいのか、それとも、アメリカの国立公園のレンジャーのように自然体験活動を提供する仕事をするのがよいのか。
モヤモヤしながら、ここでもまた決断できずにいました。

2仕事に取り組む中で見つけた、自然とビジネスの接点

社会人10年目、思いもしない機会が訪れました。
私の会社がナショナルジオグラフィック(世界の自然と文化を紹介するアメリカ雑誌)の日本版を出版することに決まったのです。
アメリカのバックパックの旅で何度も目にした憧れの雑誌です。
異動願いを出し続け、ようやく3年越しに異動できることに。
うれしかったですね。

念願の自然に関われる仕事ということで、前向きに取り組みました。
「日本人の読者向けに、国内地域についてのコラムもあったほうがいい」とオリジナルページの企画を提案。
その結果、日本各地の自然を取材する機会が増えました。

地域の自然は、気候や文化、歴史、風習、食と深く絡み合っています。
地形の成り立ちという長い地球の歴史から見たその地域の位置づけと、おじいさんおばあさんが伝承する風習や食などの身近な話の両方に心惹かれました。

山登りでは気づけなかった干潟や田んぼなど、さまざまなタイプの自然の良さにも気づきました。
印象的だったのは、名古屋港にある藤前干潟です。
都市部の自然にあまり期待はしていませんでしたが、実際に見て衝撃を受けました。
一見汚らしい港湾が、大潮で潮が引いていくと、みるみる生き物の楽園に変わったんです。

やりがいを感じながら仕事をしていたのですが、7年ほど経ったとき、再びビジネスに絡む雑誌に異動することに。
今度は環境や企業の社会的責任(CSR)を扱うビジネス誌でした。
自然のことはほとんど扱っていなかったので、この時もまた、自然関係の仕事に転職した方がよいのだろうかと悩みました。
しかし、やはり決断できない自分がいました。

ビジネスと自然はかなりの距離感があります。
当時の企業は生態系の保全にあまり関心を持っていませんでした。
しかし、社会貢献や社員教育、組織力向上のために生態系保全や自然体験活動を取り入れている会社があり、まずはそうしたところから取材をし、記事を書くことにしました。

異動2年目、大手スーパーがサステナブル・シーフードの取り扱いを始めました。
サステナブル・シーフードとは、魚を持続的に食べ続けられるよう、水産資源や環境に配慮した漁業で獲られた水産物や養殖水産物を指します。
他にも、森林を保全するために木材や紙の調達に配慮したり、鉱山資源の採掘時に生態系保全に取り組んだりする企業の例が出てきました。
企業のメインビジネスでも生態系を守る活動が増えてきたと感じて特集を組んだところ、多くの人に読んでいただける記事になりました。

こうした中で大きな節目になったのが国連の会議であるCOPへの参加でした。
国連と国、市民、企業が結びついたと感じられた出来事でしたね。
地球環境問題に関する国連のルールがどのように決議され、それが国内政策にどう生かされるのか。
NGOや企業もさまざまな提言をしたり、ロビーイングをしたりする様子を見ることができました。
提言を出して、そこからルールや法律ができていくプロセスを間近で見たんです。
中には、企業が持つ技術で解決できる課題もあります。
生物多様性や自然を守ることを考えるとき、企業を動かす重要性がだんだんと見えてきたのです。

同じ想いの仲間と知り合えた点でも、COPの取材は転機になりました。
関係者同士が繋がるメーリングリストができ、勉強会も開催されるようになりました。
想いを共にする人々と何かを仕掛けることに面白さを感じ始めました。

COPでは、記者として取材するだけでなく、自ら仕掛ける立場も経験しました。
生態系保全のために日本企業が取り組んでいる活動を国連の場で発表できるよう場づくりに奔走したり、企業の取り組みを紹介する書籍を作ったりしました。
人との繋がり、それが自分が求めていた「味方」「背中を押してくれるもの」だったのだと思います。

COP取材風景

COP取材風景

2015年からは、サステナブル・シーフードの国際的シンポジウムの企画・運営も行っています。
これもまた、人との出会いがきっかけで始めました。
水産業者やスーパーだけではサステナブル・シーフードの取り組みが社会に大きく広がっていかないため、漁師や加工会社、運送会社はもちろん、金融機関や、漁業の在り方を変えるようなIoTを提供するIT企業など、あらゆる人や企業に声をかけ、社会を変えるムーブメントを作ろうと、取り組んでいます。

サステナブル・シーフード・シンポジウムでの一枚

サステナブル・シーフード・シンポジウムでの一枚

3グローバルとローカルを繋げる生き方を模索したい

現在は、企業の持続的な成長性を表す指標「ESG(環境・社会・ガバナンス)」に焦点をあてた雑誌で主に自然や生物多様性関係の取材や記事執筆、編集、シンポジウムの企画などのプロデューサーを続けています。
一見、自然と関係のなさそうな企業でも、実は無関係ではありません。
例えば、自動車メーカーの場合、タイヤには天然ゴムが使われていて、その天然ゴムの素材は森を切り拓いて作られたゴム農園で育てられている、といったように。
どんな企業でも自然や生態系と関係があるというスタンスで、あらゆる業界の企業を取材しています。

コロナ禍の影響で2020年から2021年に開催が延期されたオリンピック、生物多様性のCOP15、気候変動のCOP26の取材・フォローを今年はやり切りたいと思っています。
加えて、いま力を入れているのが、次世代教育や地域への貢献です。
以前から仕事をしていた富山大学に加え、今年度からは兼務出向する形で東北大学の教授の仕事も始めました。
いくつかの地域のまちづくりの委員もしています。
グローバルな話は大切ですが、若い人や地域の人々とふれ合うというローカルな現場感覚が大切ですし、そもそも好きなんです。
そして、そういうふれ合いの中から、次の新しい一歩が出てくるものです。

生物多様性・ビジネス・金融のグローバルな動きを取材し、発信することには使命感を持っています。
この分野で長い蓄積があり、多くのネットワークを持つのは自分だという責任感があるからです。
それとは別に、ローカルに自然の中で暮らしてみたいとか、旅をしながら自然に根ざして生きている人々を巡り、その記録を作りたいという夢はありますね。

変わらず自分の核にあるのは、自然の持つ驚きや不思議や感動を体感し、それを人に伝えたいという想いです。
今も悩みがないわけではありません。
でも、悩みながら目の前のことに一生懸命取り組んでいる中で、「これなら私に合うかも。こんな挑戦ができるかも」と思えるチャンスが時々訪れてきたように感じています。
そのためには小さな一歩を積み重ねていくしかないと思っています。
自然をテーマにグローバルとローカルを上手く繋げられる生き方を見つけていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年8月)のものです

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