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サードプレイスが人生を豊かにする。
お手伝い×旅で好きな場所を増やす
【株式会社おてつたび代表取締役CEO・永岡里菜】

目次
  1. 私にとって、尾鷲は夢の国だった
  2. 「どこそこ?」と言われる地域の魅力を知ってほしい
  3. 「おてつたび」で豊かな人生を送る人を増やす

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、地域と人とを結ぶ株式会社おてつたびの代表取締役を務める永岡里菜さんをご紹介。

おてつたびとは、地域にお手伝いに行くことで安価に旅ができるサービスです。永岡さんがこのサービスを着想したきっかけ、そして目指したい世界とは。お話を伺いました。

1私にとって、尾鷲は夢の国だった

三重県尾鷲市で生まれ、愛知県名古屋市で育ちました。
夏休みや冬休みなど、長期休みになると祖父母のいる尾鷲に遊びに行っていました。
祖父母だけではなく、尾鷲に住む人たちから「永岡さんとこのお孫さんかね」とかわいがってもらえるのがうれしかったです。
川や海、山で遊ぶのも楽しく、私にとって尾鷲は夢の国でした。

しかし、学校で「尾鷲に行くんだ」と話しても、友達は「どこそれ?」といった反応でした。
尾鷲の魅力をうまく言葉にすることもできず、中学生頃からは「三重に行く」と言うように。
メディアなどの影響もあり、どこか都会に憧れる気持ちもありました。

高校生で進路を考える時期になりました。
あまり将来について考えてこなかったので、「これになりたい」という明確な夢もありませんでした。
そもそも知っている職業自体が少なかったので、人と関わることが好きいう理由で小学校の先生を目指すことに決めました。
先生になれる自信がなかったこともあり、単科大学ではなく教育学部以外の人とも関われる総合大学を志望校にしました。

また、大学進学を機に実家を出ることに。
生物の先生から「名古屋から一度は出て、別の場所を見ろ」と言われたことに影響を受けたのです。
そんな理由から、学費の安い関東の国公立大学を受験。
受験の結果、教育学部の家庭科教育分野に進むことになりました。
もともと食に興味があり、授業は楽しかったです。

中部地方から離れましたが、尾鷲には変わらず年2回は帰っていました。
憧れだった東京を自分の目で見たとき、都市部はどこも同じなんだなと思ったのです。
私にとっては、東京より尾鷲の方が魅力的な場所でした。

教育学部生ということで、子どもと関わる機会が多くありました。
目の前の子どもたちが喜んでくれる姿がうれしく、成長していく様子を見ることが楽しかったです。
しかし、教育実習で高校に行ったことで迷いが生じました。
生徒のことを一心に考えている先生が、若いためなのかあまり評価されていない一方、お気に入りの生徒をひいきするような年配の先生が高い評価を受けるなど、納得のいかない現状があったのです。

自分を強く持っていないと、子どもたちではなく、自分が評価されることに意識が向いてしまうのではないかと怖くなりました。
周囲に流されてしまう人間には務まらない仕事だと感じ、私には流されない強さがまだないと思ったのです。
そこで一旦教師の道を選ぶことをやめ、まずは民間企業で最低3年間修行し、その上で教職に就きたいなら戻ってこようと決心しました。

人に喜んでもらえる仕事や、取引先やお客さんと一緒に何かを作り上げていける仕事を軸に就活を行いました。
加えて、若くてもチャレンジできる環境が希望でした。
大企業に行った先輩からは、「大企業では研修はしっかりしているけれど、大きな仕事はなかなか任せてもらえない」と聞いていたので、ベンチャー企業の方が向いていると考えていました。

保守的な大学だったので、友達の大半は大企業志望。
ベンチャー企業を志望する子はいなくて、親にも友達にも心配されました。
しかし、あまり悩みませんでした。
大学選びのときもそうだったのですが、自分なりに納得するところまで一気に考え尽くして、あとは直感に従って決めました。

当初はウエディングプランナーを志望していたのですが、残念ながらご縁がなく、プロモーション系に近いベンチャー企業で働くことになりました。
ゼロイチで何かを作っていく仕事であること、若手であっても挑戦させてもらえる社風が魅力でした。

仕事はハードで、会社に寝泊まりすることもありましたが、裁量権を持たせてもらえ、非常にやりがいがありました。
新卒2年目には大きなプロジェクトを任せてもらい、プレゼンしたことも。
失敗したときには先輩が必ずフォローしてくれるのですが、成果を出したときには若手に花を持たせてくれる。
クライアントにも恵まれ、仕事に没頭していました。
自分の行動で目の前の人が喜んでくれ、社会にも何か良い還元ができるのに魅力を感じ、教育の道には戻らず、このままこの会社で頑張ることを決めました。

2「どこそこ?」と言われる地域の魅力を知ってほしい

3年目を迎えたころから、自分の仕事に迷いが生じ始めました。
ハードに働くのが平気なのは、働いた結果、最終的に喜んでくれる人がいるからです。
しかし、展示会では多くの名刺を集めることが重視されるなど、本質的ではないと感じる仕事もありました。
対企業の仕事なので、最終的なお客さんとなるエンドユーザーの顔が見えないことも、モヤモヤに関係していたかもしれません。
もっとダイレクトに喜んでくれる人を増やせる仕事がしたいと思い、退職しました。

退職したものの、次はこれがやりたいといった明確なイメージはありませんでした。
考えていたときに、思い浮かんだのが「食」です。
大学時代に学んでいたことに加え、前職で仕事に没頭するあまり食べるのを忘れて倒れてしまった経験から、個人的に食に向き合い直したことがあったのも理由でした。

食分野の会社を見ていましたが、どこにするのか決め切れません。
その中で、二度三度オファーをしてくれる会社がありました。
中途半端になってしまうと申し訳ないので断っていたのですが、あるとき、その会社の社長から「だったら、うちでやりたいことを探せば?」と言われました。
「週4日働いて、あとはやりたいことを探すことに使えばいい」と言ってもらい、入社を決意しました。

その会社は一次産業をサポートする仕事をしていて、全国各地を巡る機会に恵まれました。
そこで知ったのは、全国には尾鷲のように「どこ?」と言われてしまうような地域がたくさんあること。
そして、それらの地域で面白さをたくさん感じられることでした。
地域の人と関わり、コミュニケーションを取る中で、地元の魅力を知れるのが楽しかったです。

また、食分野でやりたいことを探す一歩として、フードコーディネーターの資格を取得。
しかし、フードコーディネーターの仕事を手伝う中で、私がやりたいのは料理の見栄えを際立たせる仕事ではなく、もっと食の本質に触れられる仕事なのだと気づきました。
地域を巡りいろいろな方と話す中で、歴史や文化、料理人など、背景をひっくるめて食が好きなんだ。
そして、私が楽しいと感じるのは、美味しいものを食べることだけではなく、地域の背景や物語を知ることなのだと気づいたのです。

一つひとつの気づきから、尾鷲のような地域の魅力を伝えられる仕事をしたいという気持ちが膨らんでいきました。
しかし、私がイメージしている事業をしている会社はなかなかありません。
地域をとり上げるローカルメディアはありましたが、記事を読むだけで終わってしまう人も多いのでは、そして人が地域に流れるとしても、そのためには長い時間を要するのではと思いました。
私は現地に行くことが地域を好きになることに繋がると考え、もっとダイナミックに人が地域に動く仕組みをつくりたいと思ったのです。

私が尾鷲に感じていたように、地域の人とコミュニケーションを取ることで伝わる魅力がある。
自分の旅行体験を振り返ってみても、印象に残っているのは有名観光地を訪ねたことよりも、その地に住む人とのふれあいでした。
偶発的なものである旅先での地域住民との関わりを、サービスとしてつくりたいと思いました。

退職し、フリーランスとして働きながら事業の準備を開始。
起業した友達が周りにいたわけでもなく、何から始めていいかわからず不安もありましたが、思い立った勢いで動いていきました。

まずは、半年間をかけて地域を巡りながら一次情報を集めることに。
地域の方や行政の方に話を聞いて回りました。
中には、突然何者かわからない若い子が話をしにきたと捉える方もいて、「それは夢物語だね」と言われることもありました。

地域を巡っていたときの様子

地域を巡っていたときの様子

同時に、都市部では200人ほどの人たちにアンケートを実施。
地域に旅に行くことについてどう考えているのかを探りました。
その結果、見えてきたのが旅費問題です。
限られたお金で旅に行くと、どうしても有名な場所に偏ってしまう。
観光地化されていない地域にも行ってみたいけれど、行けない。
そうした現状があると知ったのです。

地域を巡る中で、過疎化の進む速さを目の当たりにし、もっとスピードを上げて事業に取り組む必要があると感じ、法人化を目指すことに。
想いを伝えながら動き続けたことで、共感する仲間も増えていきました。

「話しかけていいですよ」というバッジを、地域の人と旅する人の双方が付けるという案や、地域の人と飲める場所をつくるという案など、さまざまな形を考え、行き着いたのが旅先でお手伝いをする「おてつたび」でした。
地域で人手不足になっている仕事と、その地域に行ってみたい人とをマッチングするサービスです。

地域に旅に行く人は、現地でお手伝いをすることでその土地の人とコミュニケーションを取ることができます。
また、お手伝いは有償なので、旅にかかる金銭的負担を抑えられる。
私自身、地域を巡る中で手伝わせてもらい、地域に溶け込める体験をしてきたという実感がありました。
また、お手伝いが来てくれることで、地域の人手不足問題も解消できると思ったんです。

おてつたびを思いついた後もヒアリングを続け、私もあらためて地域に手伝いに行ってみる体験を重ねました。
そうして会社を立ち上げ、「おてつたび」をリリースしました。

3「おてつたび」で豊かな人生を送る人を増やす

おてつたびは好評で、学生から30代を中心に、現在では60代、70代の方にも利用されています。

「おてつたび」利用者の様子

「おてつたび」利用者の様子

新型コロナウイルスの流行を受け、遠距離移動が気軽にできなくなってしまいましたが、それでも地域の人手不足がなくなるわけではありません。
PCR検査費用を地域側が負担することで、安心して来てもらえるよう工夫をしている地域も出てきています。
また、同じ県内や近隣県など近場でのマッチングも増えてきています。

地域のファンを増やすべく、5月にはおてつたび参加者のコミュニティをつくりました。
おてつたびは一人で参加する方も多く、「〇〇町に行ったことがある人」というコミュニティがあることで、参加者同士が共感したり、情報交換したりできるのです。

私は、日本のどこかに自分にとって合う地域があると思っています。
かかりつけ薬局のような「かかりつけ地域」を持つ人が増えるといいなと思いながら、おてつたびの事業に取り組んでいます。

今後、人口が7,000万人に減ったとき、その7,000万人が居住地と出身地以外に好きでたまらない場所を2、3ヶ所持っていれば7,000×2、7,000×3の地域が賑わったままでいられます。
人を取り合うのではなく、シェアする形を実現できるのです。
一人が複数の場所で何かしらの役割を担えれば、過疎化も防げるのではないかと思っています。

また、個人にとっても好きな場所が複数あることはいいことです。
サードプレイスとして居住地以外の場所があることで、新たな視点を持てることもある。
おてつたびで農業や宿泊業など、ふだんと別の立場を経験することは、他の人の立場に立って物事を見ることにも繋がります。
それが人としてのやさしさを育んだり、その人の人生を豊かにしてくれたりするのではないかと思うのです。
日本がやさしく、あたたかな世界になるためにも、おてつたびで多くの人の人生を豊かにしていきたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年8月)のものです

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