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竹箸の魅力を広めるため、挑戦。
作り手に経済的・精神的な豊かさを
【株式会社ヤマチク専務取締役・山崎彰悟】

目次
  1. 家業を支える社員たちに恩返しをしたい
  2. ただ「忙しい」だけではダメだと思った
  3. 箸の魅力を伝え、世界に「HASHI」を届けたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、株式会社ヤマチクの3代目で専務取締役の山崎彰悟さんをご紹介。

山崎さんは、創業58年のヤマチクで初のオリジナルブランド箸作りに挑戦しています。山崎さんが挑戦し続ける原動力とは。お話を伺いました。

1家業を支える社員たちに恩返しをしたい

竹の箸作りを家業とする家に生まれました。
家には竹と箸がたくさんあり、両親は内職をすることもしばしば。
家の隣に工場があり、忙しい両親に代わり社員たちに遊んでもらうことが多かったですね。

創業者は祖父で、父は2代目。
長男でしたが、両親から3代目として跡を継いでくれとは言われませんでした。
しかし、社員や周りの大人からは「跡取り息子だね」と言われることがあり、跡継ぎなのだと意識するようになっていきました。

京都の大学へ進学。
将来的に実家に戻る気持ちはありましたが、大学や専攻を選ぶ際に「跡を継ぐため」という意識は特になく、興味があった法学部で税法や会社法を専門的に学びました。

将来的に家業を継ぐ気持ちに変わりはありませんでしたが、社会人経験を積むために就活をしました。
後継者になる以外、他にやりたいことがなかったので苦戦しましたが、なんとかシステムエンジニアとして就職することに。

入社2年目、富山への異動を命じられました。
任された仕事は魅力的だったのですが、退職の機を逃してしまいそうで、これを機に家業に戻ることにしました。

しかし、僕から帰郷の報告を受けた祖母は「せっかく大学を出ていい会社に入ったのに、わざわざ戻ってきて苦労することはない」と反対。
僕を思っての言葉だと頭では理解していましたが、戻ってくる必要がないと言われたようでショックでした。
両親も「本当に戻ってくるの?」と複雑そうでしたが、実家に戻ってくると知った父は、僕のために設備投資をして環境を整えてくれました。
「自分の代で終わらないことになったから」という気持ちがあったようです。

戻ってきて気づいたのは、箸作りの難しさと人件費の安さでした。
国内で竹の箸を作れるのは、おそらくうちの会社しか残っていない。
世界中を見てもここでしかできない稀有な技術を持った職人たちが、僕が想像していた以上に多くの工程を経て箸を作っている。
それにもかかわらず、社員たちが最低賃金ギリギリの給料しかもらえていないことに衝撃を受けました。

僕が大学まで出させてもらえたのは、恵まれていたことなのだと痛感しました。
もちろん親のおかげですが、親が学費を工面できたのは社員ががんばって働いてくれたからです。
社員が受け取っている給料は地方で生活するには事足りますが、子どもを大学に通わせるのは厳しい。
社員たちが自分の子どもに経済面で進学を諦めさせなければならないのは嫌だ、彼らに恩返しをしたい、社員の給料を上げられるようにしたいと思うようになったのです。

戻ってきた僕がまずすべきことは、技術を身につけることでした。
日中は製造業務に当たり、ひたすら学ぶ日々を過ごしました。
その一方で、会社に入り、見えてきた課題解決にも着手する必要がありました。

昔から「いいものを作ってさえいれば大丈夫」という意識だったため、社内には仕様書や生産管理がなかったのです。
これでは、いくらがんばっても今以上の成果は出せない。
なんとかしなければという危機感がありました。

社員たちには僕より長くこの仕事をしてきた自負があり、これまでのやり方を大きく変えることに抵抗感があったようです。
「こう変えていくべきだ」という僕の意見と現場の考えとが衝突し、思い悩むことも多かったです。

あるとき、「人の動かし方を学びたい」と松下幸之助の著書を読みました。
そこに書かれていたのは「人を動かす方法はない」。
元も子もないと思ったのですが、「強いて挙げるなら、他人から気の毒だと思われるくらい自分が動き、初めて他力が求められる」とも書いてあり、結局まずは自分なのだと納得。
これまで以上に死ぬ気で仕事をして、生産技術を身につけました。

2ただ「忙しい」だけではダメだと思った

ヤマチクは時々、地元物産展に出店していました。
ブランドから注文を受けて、依頼先のブランド商品として納品する「OEM」という生産形態がうちのビジネスのメインです。
作った箸がどこでどのように売られ、どのようなお客さんに購入されているのか、社員は把握していません。
物産展は、直接お客さんに箸を売れる貴重な機会。
売り場でお客さんと接してみたいと思い、父に「行かせてくれ」と願い出ました。

物産展でヤマチクの箸を販売

物産展でヤマチクの箸を販売

物産展では、見に来た人から「高い」と言われてしまうこともありました。
いいものを作っている自信がある分、腹立たしさを覚えましたが、一方で「いい」を言語化できていなかったことにも気づかされました。
箸自体は100均でも売られていますし、コンビニで食べものを買えば、無料で割りばしをもらえます。
僕たちが箸作りでこだわっているポイントは、お客さんにとって付加価値を感じてもらえるものなのか、改めて考えるようになりました。
竹製にこだわっているのはなぜなのか。
「竹の箸は軽い」と話してきたけれど、そもそも軽いと何がいいのか。
自信を持って「いい」と思っている箸の魅力をお客さんに伝えたくて、2年間ほどかけて試行錯誤しながら言語化していきました。

あるとき、それまで1日で3〜4万円程度だった物産展やポップアップストアなどの売り上げが、12万円ほどに跳ね上がりました。
売れたのは、他の箸より2〜3倍ほど高い漆の箸です。
売れるかどうかは値段だけではない。
商品の魅力をきちんと伝え、お客さんに価値を見出してもらえれば買ってもらえる
とわかりました。
2年間を経て商品知識が増え、接客時の説明の幅が広がったことが、売れる接客トークに繋がったのでしょう。
自分たちはいい仕事をしているという自信を得ることができました。

自分の言葉で商品や生産管理について説明し、実行できるようになったので、OEMの販路開拓に着手しました。
日中は製造管理をしながら、終業後に企画書を作り、問い合わせフォームから企業にメールを送る。
「1週間に1社」と自分にノルマを課して続けているうち、メールに反応してくれる企業が出てきました。

OEMの多くは製造社名が表に出ません。
そのため、出張でヤマチク製の箸を見かけると、社員に見せるため写真を撮るようになりました。
どんなところで売られ、どんな人に購入されているのかを彼らに知ってほしかった。
その結果、「お客さまが待っているから」「お客さまがこう使うから、こんな風に改善したい」など、社内で「お客さま」という言葉が交わされるようになり、漠然とした「いいもの」から「お客さまにとっていいもの」を作ろうと意識が変わっていったのです。

ただ、OEMの仕事で手一杯になることに危機感も抱いていました。
受注側には予算や生産ペースの決定権がなく、下手をすれば忙しさに対して見合った利益が出ないかもしれない。
また、発注先次第で仕事が一瞬でなくなるリスクもあります。

しかし、長年OEMをしてきた父や社員にとっては忙しいほど受注があるのは「いいこと」。
周りが安泰だと思っている中で危機感を訴えていた僕は、まるで晴れの日に「天変地異が来る!」と叫んでいる預言者のように、変わり者扱いをされていました。

そんなあるとき、ヤマチクの名を出して販売してくださっている取引先の社長から「自社ブランドを作ったら?」と言われました。
モヤモヤが一気に晴れ、「その手があった!」と思いました。
OEMではヤマチクのものづくりを自由に語れませんが、自社ブランドであれば職人の仕事や想いを自由に発信できる。
僕は職人の仕事や想いをもっと伝えたいのだと気づいたんです。

オリジナル商品自体は、僕とデザイナーが企画をすれば作れます。
しかし、それでは職人たちのオリジナルブランドにはならない。
仕様書を渡して作ってもらうのでは、職人たちにとってOEMと変わりがありません。
そこで、オリジナルブランド開発を社内に告知し、プロジェクトメンバーを公募することに。
志願してきたのは4人の職人でした。

地元から出たことがなく、営業もデザインも未経験。
マーケティングも知らないメンバーでどうやってブランドをつくるのか。
市場調査と称して東京や関西の展示会に一緒に行ってみたり、強み・弱みを可視化するマーケティング手法を試してみたり。
また、どんな場所で自分たちが作った箸が売られているのか、初めて職人たちにその目で見てもらいました。

そして1年をかけ、オリジナルブランド「okaeri」が完成しました。
コンセプトは「箸の原点回帰」。
開発メンバーたちと話している中で、彼らから出た「竹のお箸に帰ってきてほしい。そのときにお出迎えするようなブランドにしなきゃいけない。おかえり、みたいな」という言葉が由来です。
竹を切る人、切った竹から箸を作る人。
作り手が主役になる、ストーリーを持たせた、非常にいいブランドになりそうだという予感がありました。

オリジナル竹箸ブランド「okaeri」

オリジナル竹箸ブランド「okaeri」

さらにブランドをつくる上でこだわったのが、伝統工芸らしさを出さないこと。
箸は日常使いされてこそだと考え、価格も手の届くラインに設定しました。
OEMで鍛えられた技術が活かせたからこそ、実現できたと思っています。
うちで働く社員の大半は女性です。
価格設定には主婦目線も活かされたと感じています。

3箸の魅力を伝え、世界に「HASHI」を届けたい

「okaeri」発売後は、ブランド認知度を向上させるため、やれることは全てやろうと思っていました。
福岡でポップアップストアに出たあとに、さらに沖縄で1週間、そのまま東京の展示会に1週間出張、といったハードスケジュールをこなしました。

自社で開催したイベントの展示

自社で開催したイベントの展示

2020年、コロナ禍の影響でOEMの売上が激減しました。
世界中に店舗を持つ量販店から絶えずあった発注もなくなり、仕事が止まる事態に陥りました。
しかし、幸いにして「okaeri」への問い合わせが増え始めていたため、売上激減に耐えることができました。
オンラインでの売上が好調で、9月の総売り上げは昨対比を上回る結果に。

社員たちからは「仕事の幅が広がった」との声が上がっています。
言われたものを作るだけだった状態から「作りたいものが作れる」、「やりたい気持ちさえあればチャンスが得られる」と思ってもらえているのかなと思います。

今後は「ヤマチク」の名前が出る仕事を増やしたいと思っています。
OEMで製造元の名前が出ないのは、売り手側に製造元の名前を出すメリットがないからです。
「ヤマチクの箸」と明記するほうが売れる箸を作ることが、問屋への価値提供になる。
新しいOEMのあり方の一つなのではと思っています。

また、海外にも積極的に出ていくことで、箸のグローバルスタンダードを竹の箸にしたいと思っています。
すでに海外で売られている「日本の箸」は材質が輸入木材なことも多いので、文化的にも制作背景的にも正しい日本の箸を知ってもらいたいですね。

実際に箸作りを行う様子

実際に箸作りを行う様子

家業に戻ってから僕を突き動かしてきた根本にあるのは、ものづくりに携わる人たちが、儲かってやりがいもある状況をつくりたいという思いです。
ものづくりの本質は、誰かに喜んでもらえるものを作ること。
日本製だから素晴らしいとか、100均の大量生産品は悪だといった考えは持っていません。

しかし、環境問題やエネルギー問題、労働環境問題など、安価な大量生産だけでは歪みが生じてしまう段階に来ているのは確かです。
課題意識を持つか否か、消費者側に判断が委ねられているのではないでしょうか。
作る側として、価格以外の判断基準が出てきたことは喜ばしいですが、安く大量に作って届ける能力も否定したくはない。
その上で、僕は作り手が物質的にも精神的にもやりがいを感じられるようにしたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年8月)のものです

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