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「買ったその先」を見据えた服作り。
持続可能な社会をつくるために
【株式会社10YC代表・下田将太】

目次
  1. 学生時代の経験をバネに、社会人として活躍
  2. ビジネスプランを生んだTシャツヨレヨレ事件
  3. 10YCがなくなるとき、社会は良くなっている

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、株式会社10YCの代表を務める下田将太さんをご紹介。

グローバルな仕事をしたいとアパレルメーカーに入社しましたが、業界自体に興味はなかったのだそう。そんな下田さんがアパレルブランド立ち上げに至った理由とは。お話を伺いました。

1学生時代の経験をバネに、社会人として活躍

小中学校時代は、周りの状況を見ながらいじめられないように気をつけていました。
いわゆるスクールカースト上位とされる同級生にゴマをすり、彼らに目をつけられたり、問題を起こしたりしないように過ごしていました。

高校では小中学校時代とは異なり同じくらいの学力の人が集まるからか、雰囲気の合う人と出会えました。
野球部へ入部後は主力選手として活躍でき、人目を気にせずのびのびと過ごせるようになりました。

大学でも野球部に所属。
大学野球部はプロ選手を輩出している強豪で、高校時代に伸びた天狗の鼻を入部1日目でへし折られました。
そこからは、裏方へ。
寮生活も厳しく、辞めたくて仕方がなかったです。
しかし、親からは「よくわからないサークルとは違い、野球部ならフラフラされないだろうから安心」と思われ、高校時代の先生からは「あの野球部に入ってくれてうれしい」と言われていて、そんな気持ちを裏切ってまで辞める勇気が出ませんでした。

苦しみながら引退まで部活を続け、就活を開始。
「グローバルな仕事ができたらカッコいい」という単純な思いで、外国語が得意だったわけでもないのに商社を中心に就活を行いました。
部活生活を経て、社会人になったら4年間耐えるばかりだった自分をリセットしたい、誰かから押し付けられた仕事をこなすのではなく主体的に動きたいという思いがありました。

しかし、エントリーした商社全ての選考で不合格に。
就職浪人を考えていた4年生の夏、体育会人材の斡旋会社の人に「面白い会社がある」と会社を紹介されました。
その会社は、中国や東南アジアの会社や縫製工場とやり取りし、日本のブランドに服を納める企業でした。
グローバルに仕事ができること、ベンチャーゆえに若くから裁量権が持てること、そして入社1年目で中国の現場研修に行けることを聞き、入社を決意。
ただ、アパレル自体には特に興味はありませんでした。

入社後、まず戦力として必要とされたのは取引先との飲み会で「お酒を飲む能力」と「盛り上げる能力」でした。
ベンチャー企業とはいえ、中で働く社員は別の企業で経験を積んできた人がメインで、営業スタイルも「飲み会で盛り上げて、仕事をもらう」イケイケ体育会スタイルでした。

昼間は商品の検品や納品、送り状の発行といった作業をして、仕事が終われば飲み会に呼ばれて日付が変わるくらいまで飲む。
ヘビーな働き方でしたが、それでも野球部での過酷な環境に比べたら、「社会人のほうが楽だな」と思えるほどでした(笑)。

入社半年後、中国に現場研修へ。
工場の動き方や服の作られ方、どれだけ多くの人が服作りに関わっているのかを自分の目で見られるのが、非常に面白かったです。

文化の違いも新鮮でした。
半年間の研修期間中、最初の2ヶ月は上海から車で5時間ほどの田舎へ。
インフラの整備が日本ほど整っていなくて、トイレは溝が掘られているところに並ぶ個室のないスタイルの場所もありました。
衝撃的でしたが、初めて触れる異文化に面白さを感じていました。

中国研修時代の下田さん。中国・蘇州で撮影

中国研修時代の下田さん。中国・蘇州で撮影

この研修期間中に、会社は大手アパレル小売会社に買収されました。
帰国後は小売企業の自社生産部に属し、今度は営業ではなく、品質維持やコスト低減が主な仕事になりました。

ブランドの一部門のアシスタントを経て、部門全体を任せてもらえるようになり、発注する工場や価格設定に関われるようになりました。
携われる仕事が増えていき、範囲も広がっていくことにやりがいを感じていました。

2ビジネスプランを生んだTシャツヨレヨレ事件

新卒入社して2年後、引越しの手伝いをきっかけに、高校時代の友人と一緒に住むことに。
その後別の友人も誘い、1LDKを3人でルームシェアすることになりました。

3人で「1円でも自分たちでお金を稼いでみたい」と盛り上がり、平日はお互いに別々の仕事をしながら、土日にLINEスタンプやFXなどのアフィリエイトサイト作成といった、さまざまなことに挑戦していました。

ただ、仕事に不満があったわけではまったくありません。
生産し、納品する服の枚数は何千枚、時には何万枚と増大し、扱う金額も増加。
仕入れや納品で年間10億円ほどの金額を動かすこともあり、自分の身の丈以上の規模の仕事をしていると思いながら、楽しさややりがいも感じていました。

ルームシェアを始めて約1年後、家主である友人に「1万円ほどで買ったTシャツなのに、一度洗っただけでヨレヨレになった。おまえの業界って、どんな仕事をしているんだ?」と言われました。

僕が関わっているブランドのものではなかったので、「何で俺が怒られるんだろうなあ」と感じたのですが、ふと自分が売った服がその後どうなっているのか知らないことに気づかされました。
売り場に立っているわけではないので、顧客との接点はありません。
単に「レジを通したら終わり」であると思っていて、知ろうとする意識すらありませんでした。

これまで、僕はExcel上の数字ばかりを見ていました。
何枚納品して、売上が何円上がったと喜ぶだけ。
彼の一言を機に、アパレル業界の課題である大量生産、大量廃棄への疑問も抱くようになっていきました

また、彼の発言はずっと抱き続けてきた「何かやりたい」にも影響を与えました。
「自分たちでヨレヨレにならないTシャツを作ってみたら面白いのでは」とビジネスの話になったのです。
服を作るなら、まず工場を見に行きたい。
これまで日本国内で、ものづくりをした経験がなかったので、最初は日本の工場を回ってみようと調べ始めました。
その中で、Tシャツやスウェットなど、編みの一大産地である和歌山に良さそうな工場があると知りました。

和歌山出身で「自分で何かをやりたい」と言っていた同僚に話を持ち掛け、工場への案内役を依頼すると快く受けてくれました。
早速3人で和歌山に行き、日本に2ヶ所しかないとされている吊り編み機がある工場を見学。
吊り編み機で編むと、一般的な編み機よりもゆっくりと空気を含んで編まれていくので着心地が良くなり、耐久性も増すのだと工場長から話を聞きました。

職人さんたちの意識の高さに面白みを感じ、数枚のTシャツをサンプル品として作ってもらうことに。
業界で知られる会社の名刺が役立ち、依頼を受けてもらえました。

サンプル品の出来映えが良く、商品化できると確信。
起業するか思案している間に、一足先に同僚が起業のために退職を決断。
彼の行動が後押しとなり、「起業して失敗しても、死ぬわけじゃない」と会社設立に踏み切りました。

社名は「10YC」。
3人で考えに考えて決めた名前です。
日本の作り手の技術継承など、ブランドを通して伝えたいメッセージを考えながら、「10年着たいと思える服」というブランドメッセージを込めました。

10YCブランドのTシャツ。原料や編み方、縫製仕様などにこだわり毎日着たくなる着心地と、簡単にはへこたれない丈夫さを兼ね備えている

10YCブランドのTシャツ。原料や編み方、縫製仕様などにこだわり毎日着たくなる着心地と、簡単にはへこたれない丈夫さを兼ね備えている

310YCがなくなるとき、社会は良くなっている

現在は、オンラインショップで自社ブランドの服の販売を行っています。
元いたメンバーに新たに1人が加わり、4人で10YCを運営しています。

設立当初、お客さんとの接点はオンラインショップの問い合わせ窓口だけだったのですが、1年ほどが経った頃、地方でポップアップイベントを始めたことで、直接コミュニケーションを取れるようになりました。
オンラインで買ってくれたお客さんが来てくれることもあり、生の声を聞く面白さに気づきました。
そこから、問い合わせ窓口だけではなく、インスタライブや各SNSのDM、イベントなど、お客さんとの接点作りにも意識を向けていきました。

茨城県つくば市で開催されたイベント「つくばポップアップストア」の様子

茨城県つくば市で開催されたイベント「つくばポップアップストア」の様子

生の声を聞くことで、「買ったその先」が見え、お客さんのニーズも明確に理解できるようになりました。
「白いTシャツが黄ばんでしまってタンスの肥やしになっている」「食べもので汚した染みが落ちない」「キャンプで火の粉を落として溶かしてしまった」。
僕たち4人だけでは想像できなかったユースケースを知り、10年着てもらうためにはリペアや染め直しが必要だと実感。
新たにサービスを始めることに決めたのです。

新サービスに対し、お客さんからは「10YCらしい」「一歩ずつ進んでいますね」と言ってもらえているのですが、全てお客さんの声があってこそのアイディアです。
僕たちは「長く着られるいいものを作って、着てもらえればOK」としか思っていませんでした。
生の声から気づかされることは多く、最近では服の下取りサービスも始めたところです。

10年着られる服が世の中に広まれば、服の必要量は減ってしまうのではないか。
10YCのビジネスは、長期的に成長拡大させられるものなのか。
そうビジネス界の人から尋ねられることがあるのですが、その考え方は企業目線であり、社会的には過度な成長戦略は悪循環を生むものだと思っています。

永遠に成長し、売上を上げていかなければならないとなると、課題となっている無駄な大量生産、大量廃棄という悪循環から抜け出せない。
10YCを着ている人が増えた結果、ブランドが「存続できなくなった」ときこそが、もしかしたら持続可能な社会が実現できている状態なのかなと思っています

ブランドイメージを上げるためだけのSDGs施策には興味がありません。
僕たちは「普通にいいものを作っていたら、いい社会になるのでは?」というスタンスで、ブランドを育てています。
10YCが広まって、新たな服が求められなくなったときには、作った服をリペア・リユースで循環させる活動を続けたい。
将来的にはアパレルブランドに限らず、さまざまな取り組みに興味を抱きながら、いい社会づくりに繋がる活動をしていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年7月)のものです

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