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弟の死で「ちゃんと生きる」と決意。
一次産業を軸に、西伊豆を盛り上げる
【西伊豆町役場 産業建設課 農林水産係 主査・松浦城太郎】

目次
  1. 弟の死で芽生えた「ちゃんと生きたい」思い
  2. 自分のダメさを痛感し、責任感が生まれた
  3. 次の段階は「西伊豆をどう導いていくのか」

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、静岡県西伊豆町の公務員として働く松浦城太郎さんをご紹介。

のらりくらり日々を過ごしていた松浦さん。弟の死を経験し、「ちゃんと生きなければ」と思うように。松浦さんが思う「ちゃんと」とは?そして「ちゃんと生きる」先に見えてきた未来とは。お話を伺いました。

1弟の死で芽生えた「ちゃんと生きたい」思い

好奇心旺盛な子どもで、興味を抱いたものには貪欲に取り組む一方で、興味が湧かないものにはまったく手が伸びない極端な性格でした。
小学生時代は釣りに夢中になり、毎日のように友達と海に出かけていました。
勉強も楽しかったですが、高校で進学校に入ったことで、勉強漬けの生活に苦痛を覚えるように。
モチベーションが下がっていってしまい、落ちこぼれていってしまいました。

高校時代、中学生の弟が脳腫瘍になりました。
難病で、その事実を真正面から受け止めてしまうと心が折れてしまいそうで、あえてあまり考えないようにしていました。
意識して今まで通りの生活を取り繕っていたような気がします。

大学受験の時期になると、ぼろぼろの成績だった私に、担任の先生が「海に興味があるなら」と海洋系大学の推薦状を手に入れてきてくれ、進学できることに。
家を出て、一人暮らしをすることになりました。

大学の裏が海だったので、入学後はしょっちゅう釣りに行く日々。
授業をおろそかにしすぎてしまい、留年する羽目になってしまいました。

大学時代、釣りに夢中だった松浦さん

大学時代、釣りに夢中だった松浦さん

帰省するたび、弟が弱っていくのがわかりました。
そんな弟を見るのがつらかったです。
心のどこかで「そうは言っても、なんとか良くなるんじゃないか」と構えてもいました。
現実逃避からきていた思いだったのかもしれません。

弟の症状は少しずつ悪くなっていき、いよいよ深刻な症状で入院することに。
そこで、ようやく覚悟を決めて現実と向き合わなければと思うようになりました。
そうして私が21歳のとき、弟は他界。
なんとか受け止めようとしたのですが、いざ亡くなってしまうと、ショックからふさぎ込んでしまい、引きこもってしまいました。

ただ、元の性格が前向きなこともあってか、数日間引きこもっているうちに「このままだとダメだ、廃人になってしまう」と思い、立ち直らなければという意識が芽生えました。
なんとか外に出ると、事情を知っている友達がこれまでのように遊びに付き合ってくれました。
馬鹿話をしたり夜通し飲み明かしたり、ノリのいい仲間たちに非常に救われたと思っています。

一方、これまでのようにのらりくらり生きるのではなく、「ちゃんと生きたい」という思いも芽生えました。
弟の死を経て「人はすぐに死んでしまうのだ」と体感し、弟の分まで生きてやるぞと思うようになったのです。

学生生活は残り1年ほどしかありませんでしたが、きちんと大学に行くようになりました。

しかし、学生生活の大半を遊びに費やしてきたので、将来のことを真剣に考える間もなく就活が始まってしまいました。
合同説明会に行ってみたものの、これまできちんと準備してきた他の学生たちの姿に、自分の準備不足を突き付けられました。
「これはダメだな」と思いましたね。

そんなあるとき、地元の役場が公務員を募集していると親が教えてくれました。
そこで就職試験を受けたところ、無事に合格。
西伊豆町の公務員として働くことになったのです。

2自分のダメさを痛感し、責任感が生まれた

学生時代の大半を遊びに費やし、だらだらと過ごしてきてしまったため、社会に出て学生気分のままではダメだと痛感しました。

学生時代は、いい加減なことをして失敗しても自分一人が困るだけでした。
しかし、仕事では自分のミスが仕事相手や上司に迷惑をかけることに繋がってしまいます。
仕事をする中で、いい加減なことをしていたら、いろいろな人に迷惑がかかってしまうと強く感じるように。
これまで漠然としていた「ちゃんと生きる」が、社会に出たことで「責任を持って物事に取り組むこと」と自分の中で具体化されました。

真面目に仕事に取り組めば取り組むほど、自分の薄っぺらさもわかるようになりました。
知識もなければ、経験もない。
そのため、公務員の立場で受けられる研修制度を利用して積極的に学ぶようになりました。
大人になってからでも学べる環境があることはありがたいと思っていました。

行政の仕事は、人事異動によってはガラッと業務内容が変わります。
異動先では、また一からのスタートになるので、楽しみを見つけないと面白くないなと思うようになりました。
前任の仕事をただ踏襲して、次の人に同じことをただ引き継ぐのではつまらないなと。

そこで、その部署で手を出せていない仕事を見つけては、積極的に挑戦するように。
既存の仕事のバージョンアップより、新しい仕事を始めるほうが性に合っていました。

30歳のとき、静岡県庁の水産部署に出向。
町役場以外の仕事を学びたいと願い出たことで得られた機会でした。
多くのインプットをして町役場に戻ると、人材育成研修を担当する部署でもある総務課へ配属。
自分から人材育成研修を「やらせてください」とお願いして、担当させてもらうことになりました。
組織にとって人の育成がどれだけ大切なことなのかも理解でき、強い組織をつくりたいと熱心に取り組みました。

あるとき、共用のメールアドレスにふるさと納税に関するメールが届いていました。
担当業務ではなかったのですが、たまたま中身を見て、自治体が自らアピールをして自発的な寄付金をつのる、ふるさと納税の仕組みに「これは面白そうだ」と興味を抱きました。
担当の係長も同じように思っていたらしく、話してみると「そうなんだよ!」と共感してもらえ、東京で開催される説明会に行ってみることになりました。

説明会では、すでに億単位の寄付金を集めている自治体があること、まだ取り組んでいる自治体数が少なく、今後もっと増えていくだろうことを知りました。
「このタイミングで挑戦しないと」と、一緒に東京に行ったメンバーでプロジェクトチームを立ち上げることにしました。

説明会から戻った後、他の西伊豆町役場の職員にあえて「稼げる」という言葉を使い、「自治体が稼げる仕組みなんです。西伊豆でもやりましょう!」と伝えたものの、最初にプロジェクトチームに集まったのはわずか5人。
そこで、東京での説明会で話をしてくれたプラットフォームの社長を西伊豆に呼び、職員全体に向けてふるさと納税について話してもらうことにしました。
すると、メンバーが25人ほどに増加。
西伊豆町役場の4分の1ほどの人数を集めることができました。

ふるさと納税を成功させるには、返礼品が必要です。
しかし、地元の人たちにとって行政の取り組みが自分たちのメリットに繋がるという意識はあまりありませんでした。
「役場は役に立たない場」と言われることもあるほどで、返礼品のお願いに上がってもなかなか信用されません。
そこで、メンバーそれぞれが居住地に近いエリアを担当し、人海戦術で説得することに。
その甲斐あって、100種類ほどの返礼品を集められたのです。

ふるさと納税返礼品の干物。松浦さんが撮影

ふるさと納税返礼品の干物。松浦さんが撮影

初のふるさと納税は大成功。
3億7,000万円と静岡県内1位の寄付額を達成しました。
「自分たちで稼げた」経験は、民間企業のように数字を目標とする仕事があまりない公務員の私たちにとって、大きな自信や達成感にも繋がりました。
また、寄付額の半額を事業者さんにお渡ししたことで、地元の人たちにとっては「行政との取り組みで成功できた」体験になりました。
その後は新たな取り組みをしようと話を持ち掛けると、「今度は何?」と好意的に受け止めてくれるようになったのです。

その後、担当を離れ、まちづくり課の商工係に異動しました。
「西伊豆にある全てのモノやコトを売って、町内の経済を回す仕事」だと解釈し、仕事に取り組むことに。
その中で目を向けたのが「地産地消」でした。

きっかけの一つが、友人からの連絡でした。
大学時代の友人から「今度、西伊豆に遊びに行くんだけど、オススメのご飯屋さんを教えてほしい」と連絡を受けたとき、自分の町には地物を出す飲食店があまりにも少ないことに気づいたのです。
観光に関連する部署で働く機会が多かったことから、仕事として同様の問い合わせを受けることがあり、そのたびに「ここです!」とすぐに言えないもどかしさを感じてきました。

西伊豆の公務員として、近隣の町のお店を紹介するのは悔しい。
でも、西伊豆には地物を食べられる飲食店が少ない。
なんとかしたいと思うようになっていきました。

西伊豆に地物が残らないのは、そもそも地物を集めて事業をする場がなく、市場に上がった魚の大多数が沼津や東京の市場に流れていってしまうからです。
地産地消を進めるためには、核となる地物が集まる場所をつくらなければならないと思い、「はんばた市場」を設立することになりました。
予定地の近くのコンテナで仮施設を運営したりしながら、構想を練ること3~4年。
2020年5月、はんばた市場オープンを迎えました。

3次の段階は「西伊豆をどう導いていくのか」

現在は、西伊豆町役場産業建設課・農林水産係に所属しています。
まちづくり課から異動となりましたが、仕事内容が大きく変わることはなく、はんばた市場の仕事を始め、一次産業を軸とした地域おこし活動に取り組んでいます。

はんばた市場にて働く様子

はんばた市場にて働く様子

はんばた市場はオープンがコロナ禍にぶつかってしまったので、構想段階で想定していた計画の半分もまだ進められていない状態です。
Zoomを活用した取り組みなど、工夫しながら今できる方法を模索しています。
観光客だけに頼るのではなく、地元に根差した運営方法も考えているところです。

弟が亡くなってから、折に触れて人間はどうあれば幸せなのかを考えてきました。
一日のうち、睡眠・仕事・プライベートはそれぞれ3分の1に分けられます。
睡眠を除くと、人生の半分は仕事。
私は仕事が充実していないと幸せにはなれないと思っています。

仕事に充実感を抱いている今の状況に対し、ありがたさを感じますね。

西伊豆町は静岡県内で高齢化率ナンバーワンの町で、業種問わず後継者問題を抱えています。
はんばた市場を核として、漁業や飲食業、宿泊業に寄与できる活動をしていくことで後継者問題の解決に繋げていきたいと思っています。

学生時代に「ちゃんと生きたい」と思うようになり、意識して仕事に取り組んできました。
今は「ちゃんと」と意識しなくても、自然と責任感を持って物事に取り組む姿勢が染みついたと感じています。

社会人になり、ちゃんと目の前のことに懸命に取り組んだ結果、ありがたいことにやりたいと思える仕事ができる環境に身を置かせてもらえています。
今、私は「ちゃんとやらなければ」の段階を超え、「西伊豆をどう導いていくのか」について、考え動くところにきているのだと思っています。
西伊豆の魅力を上げられるよう、今後も取り組んでいきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年7月)のものです

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