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「らしく働き、ちゃんと稼ぐ」を応援。
町の変化を生む、人が集う場をつくる
【「Homebase YAIZU」運営者・竹村織音】

目次
  1. 「やらなきゃわからない」なら飛び込んでみる
  2. 縁が縁を呼んで実現したリノベーションまちづくり
  3. 「らしさで自走する地域経済」をつくりたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、静岡県焼津市でコワーキングスペース「Homebase YAIZU」を運営する竹村織音さんをご紹介。

スキルを身につけるために通った社会人向けクリエイター養成スクールでの出会いをきっかけに、焼津でのまちづくりに関わることになった竹村さん。竹村さんがまちづくりを通して目指す未来とは。お話を伺いました。

1「やらなきゃわからない」なら飛び込んでみる

長野県で生まれ育ち、大学進学を機に静岡県に移り住みました。
友人と遊ぶときには「何かやろう」「行こう」と提案や誘いをかけるタイプで、大学でも積極的に友人に声をかけ、自分から遊びを計画することが多かったです。

考えていても、結局やってみなければわからないと思うことなら、まずやってみる。
行動力があるタイプでもありました。
大学時代には思い切って3~4ヶ月のアメリカ留学に行ったことも。

卒業後は、地元に戻らず静岡で就職しようと就活をしました。
就職先には悩んだのですが、大手の企業より、中小やベンチャー企業のほうが、自分の裁量で仕事ができそうなイメージがあり、中小・ベンチャーを中心に受けていました。

最終的には、情報系大学で学んだITの知識を活かし、中小規模のシステム系会社に入りました。
プログラマーから始まったのですが、吸収できるものはなんでも吸収しようと、とにかく目の前の仕事に熱心に取り組んでいました。
思ったように動かないプログラムとにらめっこしたり、夜間の保守作業をしたり。
大変な仕事もありましたが、新人だったこともありとにかく前向きに取り組んでいました。

あるとき、「若手社員ひとりを上海に連れていく」という話が社内で浮上しました。
率先して手を挙げ、念願叶って上海に約1年半駐在しました。
新規事業立上げの仕事で、上司と一緒に奔走したのですが、なかなか結果を出せず失敗に終わり、最終的には自分から帰国の希望を出しました。
日本に帰ったあとは、別の事業部に配属され、システム開発やカスタマーサポートなどさまざま経験を積みました。
仕事は徐々にできるようになったのですが、この仕事は自分にとって天職なのか、日々悩みながら過ごしていました。

「30歳」がひとつのターニングポイントだと思っていて、その目前である29歳のとき、改めて今後の自分の仕事について考えてみたんです。
一通り仕事ができるようになったけれど、仕事には何か閉塞感があり、刺激が足りない。
鳥かごの中にいる感覚がして、飛び立ちたいと思ったんです。
もっと自由に刺激を求めて働きたいなと。

自分の裁量で働けることから、起業への憧れも漠然とありました。

ひとまず、「自由に働ける場所」について考えたり調べたりした結果、どうやらウェブの世界は比較的自由らしいと知りました。
フリーランスの人も多い印象で、スーツを着ずに私服でOKだったり、リモートワークが可能だったりするんだなと。

そこで、社会人向けクリエイター養成スクールの静岡校に通おうと一念発起。
費用は学費やパソコンを買ったりしておよそ100万円かかりました。
一人目の子どもが生まれてまもないタイミングだったこともあり、妻は不安そうでしたが「どうしてもやりたい」と頭を下げて説得。
クリエイターとして独り立ちできるかなど、先のことは何もわかりませんでしたが、それでも「どうにかなるだろう」と思っていました。

2縁が縁を呼んで実現したリノベーションまちづくり

静岡校に通っている間に、東京校で外部講師をしている起業家を紹介されました。
その方は東京で起業して一人でウェブ制作会社を運営されていたのですが、「地元の静岡でも何かやりたいんだよね」と言っていました。

彼と話す中で、「おもしろそうな人だな、彼の会社に転職したいな」と思うように。
社長からも「僕の会社に入って静岡で何か好きにやってみてよ」と言われ、自由に何かできるのは楽しそうだなとワクワクしました。

ただ、社長も僕も「何かやりたい」の「何か」はぼんやりとしていて、何も具体的に決まってはいませんでした。
社長は「まちづくりに興味がある」と言っていたのですが、当時の僕はそれほどまちづくりに惹かれていたわけでもありませんでした。
ただ、ゼロから何かを始めることには面白味を感じていました。

転職に対して、特に不安はありませんでした。
小さな会社やベンチャー企業のほうが自分に合っていると思っていましたし、もし3ヶ月~半年くらい働いてみて合わないと感じたら、そのときは辞めればいいと考えたんです。

同じころ、スクールで焼津の方と知り合い、焼津と静岡を行き来するように。
焼津は僕の母の地元でもあり、子どもの頃から何度も訪れたことがありました。
縁を感じていると、転職先の社長の地元も焼津だったんです。
これは何か縁があるのではと思いました。

焼津を改めて訪れる中で、駅前商店街がシャッター通りになっていることに気づきました。
子ども時代に訪れたことはなかったので、昔の様子は知らなかったのですが、知り合った地元の人や社長は、「さびれてしまった」と話していました。
でも、焼津にはまちおこしをしようというプレーヤーがほとんどいなかったんです。
当初、候補として考えていた静岡市では、すでに多くのプレーヤーがいてまちおこしが進んでいたのですが、「焼津だったら、自分たちにできることがあるのでは」と思いました。

実際の焼津商店街

実際の焼津商店街

そんなある日、日頃から好きで視聴していたドキュメンタリー番組で、リノベーションまちづくりに取り組んでいる人の特集を見ました。
「まちづくり」にアンテナを張っていたからか、その回が特に印象に残ったんです。
持続可能な事業計画を立てて、オーナーから物件を安く借り、リノベーションをして人が集う場所をつくり、町を盛り立てていく。
そんなリノベーションまちづくりの概念に面白さを感じ
、社長に話すと「面白いな!」と好反応。
「好きにやってみていいよ」と言ってもらえました。

そこで思い出したのは、スクールで出会った方と訪れた焼津商店街のシャッター通りでした。
ドキュメンタリー番組で見た、シャッター通りの空き店舗を使ったリノベーションまちづくり事例と、焼津のシャッター通り。
これらがリンクし、「ここでリノベーションまちづくりができるのでは」とひらめきました。

リノベーションまちづくりで何をやろうかと考えたとき、思い浮かんだのは「若者が少ない」問題です。
地方の商店街の多くが抱えるこの問題は、焼津商店街も同様でした。
そもそも、商店街には電源やWiFiが使えて仕事ができるスペースがなく、僕や社長も何かしたくてもできないんです。

「じゃあ、まずは自分たちが仕事できる場所をつくろう」と、コワーキングスペースを商店街の中につくることに。
まちの面白い人が集える場所ができることで、テレビで見た事例のように新しいコンテンツが生まれ、町が変わっていければいいと思ったんです。

そこで、「みんなのタマリバ、みらいのシゴトバ。」をコンセプトに、繋がりが生まれる場所を目指すことにしました。
副業やリモートワーク、二拠点生活など、自分らしい新しい働き方をする人たちが集える場所にしたい。
そんな人たちの間から、新しいプロジェクトが生まれてきたら面白いな
と思ったんです。

その思いを実現するには、まず物件。
それも、人がいない場所である特性上、通常より安価に物件を借りる必要があります。
また、リノベーションを許してくれる物件であるのも必須です。
焼津で出会った人たちに「物件を貸してくれるオーナーさんを探している」と話していたら、ご縁でお世話になっていた焼津のアートギャラリーのオーナーさんが商店街の人を紹介してくれ、その方が商店街組長さんに繋いでくれました。

そして、組長さんからとあるオーナーさんを紹介してもらい、築約80年の元工場&店舗だった物件を快く貸していただけることになりました。
5年間ほど使われずに「もう誰にも貸さない」と言われていた物件だったのですが、「若者が面白いことをしようとしているから」と快諾してくれたんです。

リノベーションの際にも、次々に人が人を呼んで繋がりができていきました。
最初は社長と2人だったのですが、社長の大学時代の同級生である一級建築士の方が「面白い」と参加することに。
さらに、社長の焼津の知り合いに土建屋さんがいて、さらにその方が大工さんを連れてきて…と、次々と仲間が集まって作業を進めていきました。

自分たちの手でリノベーション

自分たちの手でリノベーション

そうして完成したのが、コワーキングスペース「Homebase YAIZU」でした。
コワーキングスペースとしての場所の貸し出しだけではなく、地元の酒を使った利き酒イベントやDJイベントなど、さまざまなイベントを企画開催して、人が集まる機会を頻繁につくりました。

そうやって活動しているうちに、地域おこし協力隊で活動している人やNPO起業家など、焼津の面白い人たちと次々に出会うように。
彼らと一緒にプロジェクトをする機会にも恵まれました。
代表的なプロジェクトの一つは、クラウドファンディングでカツオの実寸大のハガキをつくった「カツオハガキプロジェクト」です。
メディアにも取り上げられて話題になりました。

ただ、自分が始めてみて実感しているのは、「継続していけるまちづくり事業や活動をつくることは簡単なことではない」ということ。
コワーキングスペースも、利用料は1日500円からと格安な上、毎日多くの人が出入りするわけでもありませんので、単体の収支は、なかなか厳しいものです。
もし、本業のウェブ制作がなく、コワーキングスペースだけの運用をしていたら、おそらく今まで続けることが出来なかったと思います。

他の地域では、とても良い取り組みをされているのに、事業が潰れてしまうケースをよく耳にしました。
楽しそうだったり、魅力的に見えたりする反面、厳しさもあるというのが実情かと思います。

私たちはコワーキングスペースの活動をうまく本業にも繋げて、相乗効果が出るような形で運営を続けたいと考えました。
Homebase YAIZUに面白い人が集まってきて、彼らによって面白いプロジェクトが生まれていく。
それが最終的には、自分たちや町のメリットに繋がる。

そんな場所をつくるため、運営やイベント企画を行いました。

3「らしさで自走する地域経済」をつくりたい

今も変わらず、Homebase YAIZUの運営をしながらウェブ制作の仕事をしています。

Homebase YAIZU をオープンして3年が経ち、焼津にも新しいまちづくりプレーヤーが増えてきました。
同時に、町の雰囲気も何だか変わってきたと感じています。

とんとん拍子のように進んだHomebase YAIZUの取り組みですが、ここまで来られたのは、多くの方からの協力と共感をいただいた結果があったからこそと思っています。
「空き店舗を活用して面白いことをやってみたい」と言ったあの日から、人とのご縁が数珠つなぎになりました。
まるで、ともしびが広がっていったように
その結果が、今のHomebase YAIZUなんですよね。

Homebase YAIZUを利用してくれる人とも、そうやってゆるく繋がれたら。
そして、ただ場所を提供するだけではなく、面白い出会いになったらいいなと思いながら運営や接客をしています。

Homebase YAIZUで開催されたイベント

Homebase YAIZUで開催されたイベント

新しい人や店に出会う中で、「もっと焼津の面白さを内外の人に伝えたい」という思いが強くなりました。
そこで、最近、焼津の人を紹介するフリーペーパーを発行したんです。
「ミライをつくるヒト」をテーマに、面白い取り組みをしている人を取り上げています。

所属する会社は8年目を迎え、自分たちの活動の柱を表す言葉として、「らしさエコノミー」を掲げました。
デジタルとクリエイターの力で地域の「らしさ」を磨いて、自走できる地域や人を増やしたいという思いが込められています。
自走のためには、ちゃんと稼げなければなりません。
「らしく生きて、ちゃんと稼ぐ」人が増えたらいいなと思っています。

SNSが多様化し、YouTuberやインフルエンサーなど、自分の「らしさ」を活用し、生活していける人が増えてきました。
「らしさ」を磨くと、経済の動きにも繋がる。
その連鎖で最終的に町が変わっていくといいですよね。
僕も会社も、「らしさエコノミー」に繋がる取り組みをやっていきたいと思っています。

ただ、僕自身は自分の「らしさ」があると思えず悩むこともあるんです。
何せ、周りにいる人たちが強烈な「らしさ」のかたまりですから。
ただ、それで落ち込むのではなく、いい刺激になっていると感じています。

また、「コワーキングスペースをつくりたい」と言い出し、実現に向けて自分がやってきたこと、やっていることが僕の「らしさ」なのかもしれないとも思っています。
会社は、本当に自由にやらせてくれるんですよ。
「鳥かご」の存在は感じないです。
だからこそ、仕事が楽しいんだと思います。

ゆくゆくは、Homebase YAIZUの取り組みを活かして、Homebase SHINBASHIやHomebase HOKKAIDOなど、いろいろな場所で展開できたらいいですね。
その出発点として、焼津での取り組みをこれからも続けていきたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年7月)のものです

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