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仕事と出産リミットの間で悩んだ5年。
迷える人に「Mentor For」を届けたい
【株式会社Mentor For代表取締役社長・池原真佐子】

目次
  1. 働く女性に「産めるタイミング」はやってこない
  2. 模索を繰り返して行き着いた「メンター」
  3. 小さな「点」の繰り返しが未来に繋がっていく

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、メンターのプラットフォーム「Mentor For」を運営する株式会社Mentor Forの代表取締役社長、池原真佐子さんをご紹介。

仕事に懸命に取り組み起業に至った30代、「子どもを産むのか」「産んだあとの仕事はどうなるのか」といった悩みが湧き上がってきた池原さん。ご自身の課題感から、メンターを探せるサービス「Mentor For」を立ち上げました。池原さんが「Mentor For」で実現したい社会とは。お話を伺いました。

1働く女性に「産めるタイミング」はやってこない

私は公務員の母から「ずっと働けるよう公務員になりなさい」と言われて育っていて、小さい頃から「女性は手に職を付けて働くほうがいい」と考えるようになりました。

性格は負けん気が強いタイプで、小学生の頃から「強くならなきゃ」と思っていました。
いじめられたことや、ちょうど反抗期の兄もいたことで、「私がしっかりしなきゃ」「弱みを見せないようにしなきゃ」と思うようになっていったんです。

大学のインターンシップ経験を経て広報に絞った就活をし、PR会社に入社。
社会人になり、女性の働きにくさを急に感じるようになりました。
ビジネスの場面で女性の容姿について話すのを耳にしたり、女性は出産後には営業に戻ってこなかったりという状況にも「あれ?」と違和感を覚えていました。

1社目は全員女性の部署、2社目は働く母親や育児参加している父親がたくさんいるNPO、3社目は女性管理職が多くいる会社という環境だったため、女性の働き方に対する違和感はささやかなものでしたが、それでも「女性がバリバリ働くのは困難かもしれない」と感じるようになりました。

30歳で結婚。
お互いのキャリアを大切にするため、遠距離結婚を選びました。
結婚後すぐに夫が1年間の海外赴任に行き、帰国したと思ったら今度は私がシンガポールの大学院へ。
何かとあわただしい生活を送っていましたね。

結婚後くらいから、いわゆる世間で「活躍している女性」を見てつらさを感じるようになりました。
仕事もバリバリしていて、さらに子どももいながら女性としても美しく、という完璧な女性を見るのがしんどかったです。
自分と比較してしまい、落ち込んでいました。

30歳を過ぎて「子どもはどうする?」「産んだあとのキャリアは?」という問いに対する迷いや、出産に対する世間からの圧による焦りもありましたが、結婚当初は特に出産について具体的に考えていませんでした。
「いつか落ち着いたら子どもを」程度には考えてはいたのですが、夫婦でやりたいことに取り組んでいたのでタイミングが来ない。
とはいえ、年齢的に子どもを産むのか、産後キャリアはどうするのか決断を迫られていました。

33歳で、INSEADでコーチング・組織開発の修士(EMC)を取り、そのキャリアを活かして独立しました。
事業は、コーチングや人材開発など。
お客さまに喜んでいただけることにやりがいを感じてはいましたが、ミッションやビジョンといった軸を見つけられていないことに、モヤモヤしていました。

お客さまが喜んでくれることで十分なはずなのに、自分の軸がしっかりしていない気がして。
また、子どもがいながらも活躍している女性と自分とを比較して、自分なんてまだまだだと思っていたこともあります。

独立してすぐのワークショップ中の様子

独立してすぐのワークショップ中の様子

やりがいを感じながらも自分に満足できず、色々試すために大企業が協業や出資先のベンチャー企業を探すアクセラレータプログラムに参加しました。
英語のワークショップを開催したり、サービスの構想を立てたりと小さなトライを繰り返し、自分のやりたいことを探していました。

出産についても悩み続けていました。
会社が軌道に乗るまで妊娠は難しいと感じていたのですが、事業を成長させていく間も年齢は上がっていく。
でも、起業家には産休育休制度がない。
出産で仕事を休んでも駆け出しなので代わりがいない。
かといって「産まない」とも決め切れなかった。
同じ課題にぶつかっている同年代の起業家がおらず、ロールモデルや相談相手がいない不安もありましたね。
興味本位で受けてみた卵巣の年齢診断の結果があまりよくなかったことも焦りに繋がりました。

「よし、産もう」と決断できたきっかけは、医師からの「子宮に不調が見られるから、産むつもりがあるなら早いほうがいいよ」という言葉です。
結局、「落ち着いたら」と思っていても、人生は常に続いているので落ち着くときはこない。
医師のアドバイスがなかったら、悩み続けてずっと決断できなかったんじゃないかと思います。

その後妊娠しましたが、臨月まで、直接お会いした方以外には妊娠について明かすことはほぼありませんでした。
公に「妊娠しました」と言ったら、クライアントを不安にさせるのではと思ったんです。

臨月で夫の海外赴任が決まり、産後の働き方の不安はより強まりました。
夫婦で話し合った結果、まず夫は単身赴任で、私は日本に残り出産育児をワンオペでやりながら仕事を続けることにしました。
仕事を続けたいという思いが強く、キャリアを断念して家事育児だけに専念するイメージは持てませんでした。
そのうえ、産後ワンオペになることは、クライアントを不安にさせないようにと公開せず、自分一人で抱え込もうとしていました。

そんなある日、妊娠を知っていた知人に「1人でやり続けていたらパンクするよ」と忠告されました。
誰かに助けを求めて、弱みを見せられるようにならないとダメだよ」と、ビシッと言ってくれたんです。

その言葉を受け、「妊娠10ヶ月で夫が海外赴任になり、私は日本で子育てと仕事をすることにしました。不安ですが困った時は助けてほしい」と思い切っていろいろな人にお知らせしてみたのです。
反応が怖かったのですが、励ましや応援のコメントが寄せられ、「弱みを言ってもいいんだ」と一気に楽になりましたね。

2模索を繰り返して行き着いた「メンター」

出産後は、なりふり構わず仕事と子育てに向き合い、気づけば誰かと比較してうらやんだり落ち込んだりすることもなくなっていきました。

お子さんとのツーショット

お子さんとのツーショット

友人や知人、両家の両親、マンションの管理人さんまで、多くの人に家事や子育てを助けてもらいましたね。
体調を崩したとき、以前なら1人でタクシーを呼んで病院に行き、対症療法の注射を打って這ってでも平然を装って仕事に行っていたはずの私が、「助けて」と言えるようになりました。
助けてもらう価値、弱みの見せ方を知り、出産前後で人格が変わったかのような変化がありました。

試行錯誤してきた仕事では、「ロールモデル」がこれからやりたいことを表すキーワードとして固まってきました。
ロールモデルに気軽に人生相談ができたら便利だと思い、多様なロールモデルを掲載し、読者が質問できるウェブサイトを作ろうと思ったんです。
まず、素敵だと思う知人やネットで知った素敵な人に片っ端から連絡をとり、会いに行ってインタビュー記事を作成し、ウェブサイトに掲載。
しかし、記事の掲載を始めても問い合わせや相談はきませんでした。

どうしようか1年弱くらい考え、ビジネスの最前線にいて奮闘しているキャリア女性と、そのロールモデルが「直接話せる」サービスを思いつきました。
そのコンセプトを「社外メンター」として使うことに決めました。

産後からワンオペで1年半ほど過ぎた2018年1~3月頃、現在の前身となる小さなメンタープログラムを、「育キャリカレッジ」という名前で開始。
女性がキャリアを「育む」という意味です。
大企業と提携して企業でワークショップを行ったり、小さな試行錯誤からスタートしました。

育キャリカレッジを始めた矢先の4月、東欧で駐在中だった夫が今度はドイツに異動することに。
今までは直航便はなかったのですが、夫の異動先の都市は日本からの直行便がありました。
日本との行き来がしやすいことや、2歳半になる子どもにとってそろそろ画面越しではないパパとの触れ合いが必要なことを考え、今度は私がドイツに行くことを検討し始めました。

そのタイミングで事業名を「育キャリカレッジ」から、「Mentor For」に変更。
「育」という文字があるとママ向けに捉えられてしまうことから、より多くの女性を対象にしたいと思ったのです。
大きなリブランディングを実施し、日経新聞にも取り上げていただきました。

リブランディングパーティーでの一枚

リブランディングパーティーでの一枚

メディアにも大々的に打ち出し、事業が進み始めた秋、ドイツ行きを決行しました。
「とりあえず1年試してみよう」と夫と話し、子どもとドイツに渡ったんです。
仕事面には不安がありましたが、1年間で20往復ほど日独を行き来することで仕事も続けられました。

ドイツで実感したのは「やる気になればなんでもできる」。
ドイツにいるときはオンラインでできる仕事をし、対面仕事は帰国時に一気に進めました。
帰国中は朝から晩までミーティングで予定が埋まることもありましたね。

移住当時はドイツには知り合いがおらず、何かあったときに助け合える人がいなかったため、掲示板に「誰か助けてください」と募集をかけ、出会った人のご縁で家事や育児のサポートを頼みながら乗り越えました。

ドイツ滞在中、お子さんと一緒に遊んでいるところ

ドイツ滞在中、お子さんと一緒に遊んでいるところ

もう1つ実感したのは、効率だけを考えていると非効率になるということ。
私はせっかちなので、効率的に進めるためにマルチタスクにしすぎるところがあります。
起きている時間は仕事仕事で、ゆとりがなかったんです。
でも、ドイツの午後は日本では真夜中なので、クライアントとのやり取りも減ります。
そのゆとり時間にいいアイディアが生まれてくるようになったんです。

子どもに声を掛けられて仕事を中断し、一緒に遊んでいるときに急にアイディアが浮かぶこともありました。
人間、間がないとダメなんだと気づきましたね。

3小さな「点」の繰り返しが未来に繋がっていく

現在は、再び日本で暮らしています。
新型コロナウイルス感染症によりドイツがロックダウンに突入し、子どもの幼稚園も閉鎖されたため、2020年12月末に帰国したんです。
現在は、まだドイツに残っている夫とは離れて生活をしながら、仕事と育児に励んでいます。

2021年は自分の中で挑戦をしたいと思っていて、特に「Mentor For」の価値をどう多くの人に広げていくのかについて、24時間フルで考えています。
「Mentor For」の軸は「ダイバーシティ&インクルージョン」と「メンター」。
ダイバーシティ&インクルージョンという言葉は、女性に限らず、全ての人が自分らしい能力を性別関係なく発揮できる手伝いをしたいと思い、掲げています。

メンターの定義は2つあります。
1つは、人生の先を行く先輩であり、人生のコツを教えてくれる人のこと。
もう1つは学術的な定義で、キャリア支援をしてくれるロールモデルであり、キャリアのサポートをしてくれる人を指しています。

Mentor Forサービスサイト

Mentor Forサービスサイト

私は、誰にでもメンターが必要だと思っています。
特に企業で働く女性は、男性中心の職場の中で相談相手が見つかりにくかったり、ライフイベントにおける課題がたくさんあったりすると感じています。
キャリアを積み上げていく中で迷っている女性たち、そして女性を中心に人の能力を活かしていきたいという企業に、まず「Mentor For」を届けたいと思っています。
そのためにも、我々の組織やチームを強くして、もっと価値提供できる範囲を広げられるパワーを備えたいですね。

起業したときの私には、明確な未来へのビジョンはありませんでした。
今の自分にできること、やりたいこと、「どうにかならないのかな」と思った小さな違和感を元に、小さくていいから何かをやってみる。
スモールステップの繰り返しが、今に繋がっていると感じます。

そのときは迷走しているだけに思えても、全ての点は未来に繋がっていく。
そう思うと、今も未来の私から見ると小さな点なんですよね。
今のスモールステップが、3年後、5年後に待っているまったく違う未来の何らかの点に集約されていくのだと思っています。
「Mentor For」を広く届けられる未来に向けて、事業のスピードをより上げていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年7月)のものです

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