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たくさんの「やりたい」を諦めない。
本業・副業・育児を全取りする人生を
【4足のわらじを履くパラレルワーカー・有田直子】

目次
  1. 憧れのコーチから贈られた「芯」
  2. 「やりたい」を実現した結果、パラレルワーカーに
  3. 志の高い人たちが自分を活かして働ける組織作りを

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、会社の人事、業務委託による副業、個人事業主と3種の仕事に取り組みながら、育児も両立するパラレルワーカー・有田直子さんをご紹介。

その時々で出会った「やりたい」に貪欲に挑戦してきた結果、行き着いた4足のわらじ生活。有田さんがこれから目指す先とは。お話を伺いました。

1憧れのコーチから贈られた「芯」

小4のときにミニバスケットボールを始めました。
ミニバスのコーチは笑顔が素敵でバスケもうまく、私の憧れの存在でした。
何よりも、私たち一人ひとりとまっすぐ向き合い、私たちにチームプレーの大切さや感謝、マナーなど、バスケだけではなく“人として”大切なことも教えてくれました。
私も大人になったらコーチのような女性になりたい、そして人の個性を活かして支えられる仕事をしたいと思い、漠然と学校の先生など教育に携わる仕事に就きたいと考えるようになっていきました。

小学校卒業を前にしたある日、コーチが一人ひとりに漢字一文字を書いた色紙をプレゼントしてくれました。
私の色紙に書かれていたのは「芯」。
見たことのない漢字で、読み方もわからない。
コーチに尋ねると、「トイレットペーパーの芯のシンだよ」と言われました。
第一印象は、何だか地味な漢字だなと思いましたね(笑)。
コーチには「芯のある人生にしてね」とも言われましたが、当時はその言葉の意味がいまいちよくわかりませんでした。
ただ、「芯のある人生」という言葉は印象に残り、部屋に飾った色紙を見るたび、「それってどういう人生なんだろう」と思っていましたね。

中高時代は、バスケットボール一筋。
高校のバスケ部はルールが厳しく、化粧や染髪は不可。
携帯電話を持つこともできず、365日バスケットボール漬けの毎日を送っていました。
進路を考え始めたとき、そんな自分の世界に狭さを感じたんです。
狭い世界しか知らないまま教育大学に進学して教師になるのは、本当にいいことなのだろうかと迷いが生まれました。

結局、自分の世界をもっと広げたいと、教育大学には進みませんでした。
大学生活を送る中でやっぱり先生になりたいと思ったら、必要に応じてダブルスクールなり専門学校に通い直すなりしたらいいと柔軟に考えたんです。

大学に入り今まで我慢してきたことから解放され、まずはタガが外れたようにたくさん遊びました。
初めての携帯電話、初めてのポテトチップス、初めてのカラオケオール。
その楽しさに浸ってしまい、半年間ほど遊びに夢中に。
毎日始発が動き始めるまで徹夜で遊び、翌日大学に行けないといった有様でした。

半年間遊び尽くしたある日、たまたま友人のダンスの発表会を見に行くことになりました。
半年間で見違えるほど成長していた友人を見て、「私、半年間何してたんだろう」と我に返り、「何かに挑戦したい、もっと世界を広げてみたい」と思うようになりました。
そんな矢先、たまたま9ヶ月間のアメリカ留学の募集が目に入り、「せっかくなら海外だ!」と思い切って応募しました。

行ったのはアメリカ・サンフランシスコ。
ホームステイやさまざまなイベントを通して、日本の日常生活では目にしたことのないことにたくさん出会いました。
また、現地の教育系NGOでの経験も含め、自分が当たり前だと思っていたことは当たり前ではなく、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと痛感し、もっと色々なことを知りたいと思うようになりました。

アメリカ留学後は、フットワークがぐんと軽くなりました。
先進国の次は発展途上国を見てみたいと、アフリカ・ケニアで教育系NGOに携わってみたり、インドに行ってガンジス川畔で人が火葬されている様子を目にしたりと、20ヶ国ほどの海外経験を重ねていきました。

ケニア滞在中のお写真

ケニア滞在中のお写真

ケニアやインドでの経験は特にインパクトが大きく、世界にはさまざまな当たり前があり、幸せの価値観も人によって大きく違うのだとも気づきました。
そして、「自分はどんな生き方がしたいのか」と考えるようになりました。
なかなか簡単に答えが出る問いではありませんが、私は「自分の心に正直に、大切な人を大切にして生きていきたい」と思いました。

さらに、ミニバス時代に抱いた「人の個性を活かし支える仕事」への想いもあって、自分らしく生きる人をサポートしたい、なにより自分がそうありたいと思うようになりました。

就活を始めるタイミングで、ミニバスのコーチに会いに行きました。
色紙に書かれていた「芯」について尋ねたところ、「誰かと比べず、自分の芯や基準でしっかりと頑張り続け、周囲に影響を与えていく子だと思っていたから、その強さをこれからも大切にしてほしいと思って『芯』を選んだんだよ」と説明してもらえたんです。
芯という字に改めて向き合い、自分の人生を自分らしく生きようと決心しました。

教育系NPOに手伝いに行く中で、日本の学校現場にも何度か出向いていました。
当時の私には現場はやるべきことに追われているように見え、同時に学校という枠組みの中で動かなければならない窮屈さも感じました。
できることが制限される学校や学校教師の枠組みの中で、私は何がしたいのだろうか。自分のやりたいと思った教育ができるのだろうかと考えるように。

また、NPOを知ったことで“教育=学校”という思い込みから解放され、影響力を持って外側から学校教育にアプローチできるようになりたいと思うようになりました。

一方、NPOでは資金難についての現実も知りました。
教育がお金になりづらいこと、そのことに対する違和感を抱き、ビジネスについても学びたいと思ったんです。
そこで、まずは学校教育現場やNPOではなく、民間企業に入って“ビジネス”を学び、ビジネスパーソンとして力や視野を広げた上で、教育にアプローチできる影響力を身につけようと決意しました。

就活では、「若いうちから裁量を持って大きなお金を動かす経験を積めること」、「意思決定をして周りを巻き込む力を育めること」、「カッコいい、おもしろいと思える人たちと働けること」の3点を重視し、業界は絞りませんでした。
結果、縁あって出会えた不動産会社の社風や人に惹かれ、入社することにしたんです。

2「やりたい」を実現した結果、パラレルワーカーに

入社後は、1年半は営業、2年目の下期から新卒採用を担当することになりました。
“新価値創造”を大切にする会社で、採用活動では出会った学生に価値を提供することをポリシーにしています。

また、就活のゴールを“内定”とするのではなく、学生の“理想の人生”や“ありたい姿”に向け、一歩を踏み出すことに置いています。
そのため面談では、何を大切に生きてきたのか、これからどんな人生にしたいのか、どんな自分になりたいのかを学生一人ひとりと真剣に向き合い、理想に向け一歩を踏み出す背中押しをするのです。

そんな対話を大切にしている場なので、面談を重ねるにつれちゃんと体系的にスキルを学びたいと思うようになり、コーチングスクールに通うことに決めました。

スクールの課題を通して実際にクライアントさんに向けセッションを提供するようになり、徐々にコーチングに魅了され始めました。
セッションを重ねるにつれ、クライアントさんがみるみる変化する様子を見られたり感謝の言葉をもらえたりすることで、やりがいを強く感じるようになったのです。

1回きりの人生、もっと挑戦して、より多くの人に価値を提供できるようになりたいという想いから、国際資格を取得できるコースを受講。
学び始めた当初は、あくまでも面談スキル向上のためであり、コーチ業としての活動を思い描いていたわけではなかったのですが、学びや経験が深くなるにつれ、コーチとしても多くの人の人生に伴走したい、背中を押したいと思うようになりました。

オンラインでのコーチングセッションのイメージ

オンラインでのコーチングセッションのイメージ

社会人4年目の2019年、個人事業主として開業。
会社は辞めず、パラレルワークをすることにしました。

2020年2月、就活のときに出会い、Facebookで繋がりを持っていた人が、「志の高い若者を増やすことに挑戦したい」と投稿しているのを見かけました。
自分の人生のテーマである“自分らしく生きる人を増やす”という想いと重なり、胸が熱くなりました。
そして、その会社が人材を募集しているらしいことがわかり、詳しく話を聞かせてもらおうと連絡を取りました。

その会社の事業の1つが、都心に住んでいる子どもたちが地方の学校に通う『地域みらい留学』でした。
慣れ親しんだ環境から飛び出す「越境」体験、行った先で出会うだろう「逆境」と、さまざまな挑戦を通して体感する「熱狂」の3つの「キョウ」をつくり出し、子どもの成長を促すことを目的としていると聞き、深く共感。
私の価値観や想いとシンクロしている取り組みだと感じたことと、何よりそこで働く人の熱い想いに触れ、「一緒にやりたい!」と強く惹かれたんです。

ただ、今の会社でもやりたいことがあったため、業務委託として週1~2ペースでプロジェクトに参画させてほしいとお願いしました。
会社にも自分の想いを伝え、副業を許可してほしいとお願いしたところ、熱意と決意をくみ取ってもらえ、応援してくれました。

副業先では、地域みらい留学を知ってもらうためのイベントの企画・運営を担当することになりました。
また、ただ地方の学校に進学すればいいのではなく、行った先で何を思い、どのような挑戦をして未来に繋げていくかを考えることが大切だと思っているので、中学生の背中を押すワークショップの企画・運営も行っています。

「挑戦の一年にてキャリアを飛躍させる」と決心し、企業人事・コーチング・地域みらい留学事業と3足のわらじになり、ほどなくして妊娠がわかりました。

決心と裏腹につわりで初めて自分でコントロールできない体調の変化を経験し、さすがに戸惑いました。
そんな中でも、周囲の応援や自分の決心を裏切りたくないという想いから、「むしろこの経験を自分の武器にして、キャリアの飛躍を加速させてやろう」と思いました。

寝るときには寝る、やれそうな体調のときには思いきり仕事をするといった具合に、工夫と気合で乗り越えましたね。
「自分らしく生きる」を諦めないで必死に挑戦し続けていました。
全部自分のやりたいことでしたし、期待してくれている人のために頑張りたいという想いもパワーになっていました。

妊娠中のお腹を撮ったマタニティフォト

妊娠中のお腹を撮ったマタニティフォト

2021年1月、無事に出産。
子どもができたことを自分がやりたいことを諦める言いわけに使いたくないと思っています。
今までの仕事に育児を加え、4足のわらじを履くことを決めました。
子どもとの時間も楽しみながら、夫に任せるときは任せ、子どもが寝ているときに仕事に集中するなど、メリハリを付けながら全部両立できるよう工夫しています。

子どもに対して、「人生を楽しんでほしい」、「仕事が楽しいものであると感じてほしい」と思っています。
そのためにも、まずは母親である自分が誰よりも人生を謳歌して、やりたいことを全部やる生き方をしたいと思っています。

3志の高い人たちが自分を活かして働ける組織作りを

現在、本業の会社は育休中で、副業とコーチングを続けています。
育休を終えたあとは、本業・副業の両方で組織開発・チーム作りにさらに力を入れていきたいと思っています。

個人へのアプローチのみならず、人の力を掛け合わせ、組織・チームとしてさらに相乗効果を生み出せるように仕掛けたいと考えています。
そうすることで、社員を、またその先のお客さまや学生など出会う人を、より活き活きさせることが、私の夢の1つです。
本業・副業・コーチング、それぞれのアプローチで“自分らしく生きる人を増やす”を叶えていきたいと思っています。

これからも、個々の価値観やその人らしさを引き出しながら、それを大切にする生き方に伴走すること、そして、その人たちが活躍できるチームや組織を増やしたいです。
そうすることで、日本社会はもっと明るくなると思っています。

そのためにも、まだまだ学び続けなければいけませんし、自分が誰よりも自分らしく挑戦し続けなければと思っています。
それを楽しめる自分でありたいですね。
どのような時代や状況でも自分の価値を高めながら、周りの人に還元できるようになりたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年6月)のものです

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