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息子の障がいをきっかけに福祉の世界へ。
ゆるスポーツで誰もが生きやすい社会を
【コピーライター/世界ゆるスポーツ協会代表理事・澤田智洋】

目次
  1. 息子の障がいで福祉の世界に関心
  2. 誰もが遊べる「ゆるスポーツ」を開発
  3. 50年かけて日本の空気をゆるめる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、コピーライターでありながら「世界ゆるスポーツ協会」の代表理事を務める澤田智洋さんをご紹介。

息子の病気をきっかけに福祉の世界に興味を持ち、健常者も障がい者も一緒に遊べる「ゆるスポーツ」を開発した澤田さん。ゆるスポーツを通じて、澤田さんがつくりたい社会とは。お話を伺いました。

1息子の障がいで福祉の世界に関心

東京で生まれましたが、親の仕事の関係で海外と日本を行ったり来たりしました。

小学校5年生のときに1年間フランスの日本人学校に通いました。
でも、せっかく外国に住んでいるのだから英語が話せるようになりたいと考え、調べるうちに「パリのイギリス人学校」を見つけました。
その、超がつくほどマイナーなところにも惹かれ、「ここだ!」と思い、入学を決意しました。

しかし、入学してからは地獄でした。
話しかけてくれるクラスメイトがいても、うまくコミュニケーションがとれませんでした。
誰とも話せないので英語も上達しない。
だから友人もできないという悪循環に陥ってしまって、むちゃくちゃしんどかったです。
学校では「Hello」と「Thank you」しか言っていませんでした。

イギリス人からすると、イギリス社会が全てなので、アジア人が入学することに対してすごく違和感があり、僕の価値観を全然受け入れてもらえませんでした。
環境が変わると、こうも生活が変わるのか。
凝り固まった価値観の人たちの中でのマイノリティってとても生きづらいなと思いましたね。

高校3年生のときに日本に帰国。
日本の大学を卒業してから大手広告代理店でコピーライターとして働き、32歳のときに長男が生まれました。

生まれて3ヶ月ほど経ったある日、長男の目が充血してきたので病院で診察を受けました。
検査の結果、さまざまな目の病気を併発していて、障がいが残るとのことでした。
最初はショックで頭が真っ白になりました。

しかし、次第に冷静になり、事実を受け入れ始めました。
そして、視覚障がいを持っている人がどんな人生を歩んでいるのか調べ始めました。
学校には通えるのか、大人になったらどんな暮らしをするのか、3ヶ月で100人以上の障がいがある方やその家族、雇用されている方と会って話を聞きました。

話を聞いていくうちに、だんだんと息子の人生がイメージできるようになっていきました。
目が見えなくても、こんな勉強ならできる、こんな恋愛をする、こんな働き方がある、など具体的な生活が見えてきたんです。
意外だったのは会う人会う人、とっても性格が明るいんです。
自分が障がい者に対して持っていたイメージとのギャップを感じましたね。

最初は息子の病気や今後の人生を知りたいと思って始めたリサーチでしたが、これまで触れてこなかった福祉の世界の広さ、深さを感じ、何て面白い世界なんだとハマっていくようになりました。

2誰もが遊べる「ゆるスポーツ」を開発

障がい者や福祉関連の人と親しくなるうちに、彼らから相談を受けるようになりました。
話を聞いていくと、社会での生きづらさを感じていて、世間になかなかわかってもらえないと言うんです。

彼らの話を聞いていて、パリのイギリス人学校で生活していたときの自分を思い出しました。
あの頃の自分は、圧倒的なマジョリティの価値観の中でマイノリティとして生活していて、めちゃくちゃ生きづらかったんです。

昔の自分を思い出したとき、息子の今後の生活を考えてみました。
目が見えないというだけで、例えば一人で近所を歩くのも不便だし、社会で生きていくうえでさまざまな制約が生まれます。
社会のマジョリティからレールを外れると、一気に生活がしづらくなって居心地が悪くなるんだと、あらためて思いました。

あまり知られていない福祉や障がい者の生きづらさ、弱さを、自分のコピーライターやクリエイティブのスキルを使ってもっと世の中に知ってもらうことはできないか、福祉の魅力をもっと広げていくことはできないかと考えるようになりました。

考えるうちに、障がい者も気軽に遊べるスポーツがあればいいと思いました。
僕は小さいときから運動音痴で、体育の授業が嫌いで憂鬱でした。
なぜ嫌いだったのか考えたときに、ガチガチに縛られたルールがあるからだと思いました。
スポーツのルールは運動が得意な人に焦点を当てていて、運動が苦手な人には焦点が当たっていないと感じたんです。

それなら、ガチガチのルールをゆるめて、大人も子どもも障がい者も楽しめるスポーツをつくればいい。
年齢、性別、運動神経、障がいの有無にかかわらず誰もが一緒になって楽しめる「ゆるスポーツ」を開発しようと決意しました。

ゆるスポーツの開発にあたっては、スポーツが苦手な人や障がい者にもプレーしてもらい、フィードバックをもらいながら試行錯誤を重ね、競技を生み出していきましたね。

競技の1つには、サッカーをアレンジした「500歩サッカー」があります。
5対5で遊ぶ競技で、試合中は500歩しか動けないという制限があります。
試合中は歩数を計測する機械をつけて残り歩数がゼロになったらプレーヤーは退場するルールです。
3秒以上その場で休めば1秒につき残り歩数が1つ回復する仕組みも取り入れました。
こうしてサッカーのルールを「ゆるめる」ことで、サッカーの上手な人が必ずしも有利にならず、むしろあまり動かない人が長く遊べるようになりました。

ルールをゆるめることで、健常者も障がい者も、その場にいる全員が競技を楽しんでいる。
ゆるい世界は固執がなく、柔軟性も高い。
素敵な空間だと思いましたね。

350年かけて日本の空気をゆるめる

現在は広告代理店でコピーライターをしながら、2015年に立ち上げた「世界ゆるスポーツ協会」の代表理事を務めています。
開発したゆるスポーツはこれまでに90種目になりました。

僕が福祉関係の仕事をするときに大切にしているのは「弱さを大胆にPOPに」という考え方です。
障がいや弱さがあることを隠さず、あえて前面に、それもデフォルメして強烈に打ち出す。
弱さを打ち出すことで社会に大きなインパクトを与えることができます。

例えば3人に1人が65歳以上の高齢者という高知県のPRでは、平均年齢67.4歳のおじいちゃんだけで結成したアイドルグループをつくりました。
また、義足の女性を集めて「切断ヴィーナスショー」というファッションショーを企画しました。
いずれも反響は大きく、年齢や義足という弱さを前面に打ち出したものです。

関わる人に直接的に大きく影響を与えられるということが福祉の仕事の魅力です。
生きる希望を失っていたような人でも、半年くらい一緒にプロジェクトを進めるうちに生き生きしてきて、目が輝き、印象がまったく変わることがあります。
そんな姿を間近で見ると、人ってこんなに変わるんだと思いますね。
その振れ幅を間近で目撃できるのがうれしいです。

息子が病気になったことや自分の幼少期の経験を開示することで、マイノリティとされている方々に安心してもらえて、力になれるということもモチベーションの1つです。

今後は「日本の空気をゆるめる」ことをやっていきたいです。
「弱さこそ大切にしていこう」という空気を日本全体に共有していきたいです。
ただ、空気を変えていくのは1年や2年では難しいので、50年くらいかけて弱さを大切にする空気をつくっていきたいです。

空気をゆるめることで、どんな人でもどんな環境でものびのびと活躍ができる社会をつくっていきます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年6月)のものです

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