シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

「いい子」の殻を破って自由な世界へ。
子どもの生きづらさを開放したい
【株式会社Hacksii代表取締役・髙橋未来】

目次
  1. いい子じゃなくてもいいんだと気づかせてくれた家族の存在
  2. 3度の事業失敗を乗り越え見えた、お母さんたちが求めるもの
  3. 日本中の親子が毎日のコミュニケーションを楽しめるように

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、オンラインで幼児教育サービスを提供する株式会社Hacksiiにて代表取締役を務める髙橋未来さんをご紹介。

幼い頃から親の言葉や周りの目がプレッシャーとなり、生きづらさを感じていた髙橋さん。しかし親に起きた変化や勤務していた幼児教室での気づき、3度の事業失敗を経て、自分の心地よい生き方を見つけていきました。どのような心境の変化があったのか、お話を伺いました。

1いい子じゃなくてもいいんだと気づかせてくれた家族の存在

歳の離れた姉二人に囲まれて、三姉妹の末っ子として大切に育てられました。
父は単身赴任の期間が長かったので、母と過ごす時間が長かったです。
母は、毎日早起きをして三人分のお弁当をつくってくれていて、きっと自分の時間もろくに取れていなかったと思います。
私たちのために全力で子育てをしてくれました。
一般的に言われる“いいお母さん”を体現しているような人でしたね。

でも、それが私たちのプレッシャーになることもありました。
子どもの評価=親の評価にもなるので、私たちもいい子でいなければいけない。
世間の目を気にした母から「女の子なんだからこうしましょう」や「いい子でいてね」と言われることも多かったです。

私が幼稚園児の頃、10歳離れた姉は反抗期でした。
学校をサボって遊びに行ってしまうこともしばしば。
そのことで、母がひどく落ち込み悩んでいました。
自分の子育てが間違っていたのだろうかと。

これをきっかけに、母から「未来ちゃんが心の支えだわ」とよく言われるようになりました。
それを聞くたび、子どもながらに「これ以上お母さんを悲しませちゃいけないし、もっといい子でいなきゃ」と思うようになっていきましたね。

高校へ入学してから、人間関係に疲弊することが多くなりました。
特に大きないじめなどはありませんでしたが、人を傷つけてしまったことも、自分が傷ついたこともたくさんありました。
思春期には誰もが通る道かもしれませんが、波風を立てたくない自分と、爆発したい自分の感情のせめぎあいで、疲労感と罪悪感に押しつぶされそうになりました。

高校生時代

高校生時代

次第にグループに属することが苦手になりました。
休み時間は机に突っ伏して寝たふりをすることも多かったです。
いつトラブルが起きるかという不安から、人と関わることが怖くなっていたんです。

嫌われないように傷つけないように、神経を尖らせてコミュニケーションを取っていました。
学校でも、いい子でいなきゃと頑張っていたんです。
そのうちに、自分を押し殺して過ごさなければいけないことに限界を感じ、だんだん学校へ向かう足取りが重くなっていきました。

しばらく学校へ行きたくない時期が続き、何かと理由をつけて休もうとしていました。
当然親からは「なんで学校に行かないの!行きなさい!」と厳しく言われていましたね。

でもある時いつものように行きたくないと呟くと、母が「無理して学校に行かなくてもいいよ。
今日は映画に行こう」と笑顔で誘ってくれたんです。
突然の出来事で驚きましたが、同時に「あ、いい子じゃなくても怒られないんだ」と心の底からホっとしました。

次の日からは、なぜだか学校へ向かう足取りが軽くなっていたんです。
これまであんなに行くのが嫌だったのに、逆に行きたい気持ちが上回っていました。

それ以降、母は人が変わったかのように厳しい言葉や固定概念の押しつけが減っていきました。
一人の人間として私を受け入れようと頑張ってくれていたんだと思います。
その母親の姿をみて徐々に「あぁ、私は私のままでいいんだ」と思えるようになっていき、息苦しさが薄れていきました。

後日、母が変わるきっかけをつくってくれたのが、2番目の姉だったことを知りました。
「学校へ行きたくない気持ちを尊重してあげて」と説得してくれたようです。
それを聞いて、自分の味方がこんなそばにいたんだと気がつきました。
どんな私でも帰る場所があることを知り、安心感に包まれましたね。

それからは、少しずつ自分の本心やありのままの姿を出すことに抵抗がなくなっていき、親からのプレッシャーも受け流せるようになっていきました。

23度の事業失敗を乗り越え見えた、お母さんたちが求めるもの

大学卒業後は、IT企業を経て幼児教室の先生になりました。
先生の職を選んだ理由は、姪っ子。
姉が妊娠し姪っ子が産まれてくると知ったときに、たまらなく愛おしくなり、いつかこの子のためになる仕事をしたいという想いで入社を決めました。

幼児教室では発想力や創造力を鍛えるため、右脳を刺激するようなアイテムを取り入れながら授業を行っていました。
子どもたちは素直で可愛くて、仕事がとにかく楽しかったです。

そんなあるとき、授業中にこちらから質問を投げかけても、自ら手を挙げる子がいないことに気がつきました。
理由を聞くと、みんな口を揃えて「間違えたくないから」と言ったんです。
本来は自由であるはずの子どもたちが、正解しなければいけないという恐怖心を持っていることに衝撃と寂しさを覚えました。

なぜこんな恐怖心があるのだろうと疑問に思い子どもたちを観察していると、いつもふざけて遊んでいる子たちが親御さんの前では大人しくなっていることに気がつきました。
この様子を見て、親の望むいい子でいなくちゃと気を張っていたのかと納得しました。

同時に、親の期待に押しつぶされそうになっていた幼少期の自分と重なりました。
自分の気持ちやありのままの姿を押し殺すことがどれほど苦しいことか、痛いほどよく分かりました。
すると、「子どもたちには私と同じ息苦しさを味わってほしくない」という想いが自然と湧き上がってきました。

それからは、どうしたら子どもたちの心がもっと開放されるのかと解決策を考える日々。
そんなとき、ふと母と姉のことを思い出しました。

高校時代に母が私との関わり方を見直してくれたおかげで、自分の存在を肯定できるようになったな。
姉のおかげで何があっても帰る場所があるのだという安心感が生まれ、好きなことをやれるようになったな。
そんなことを思い返していると、あることに気がつきました。

それは子どもの心を開放するカギは、親が握っているということ。
親や家族の関わり方ひとつで、子どもの人格形成や成長に大きな影響を与えることは自分の経験から強く感じていました。
きっと私と同じように息苦しさを感じている子は、親御さんの子どもに対する接し方や言葉が変わるだけで心が開放されていくのではないか。

これに気づいてからは、積極的に親御さんへ子どもとの関わり方をアドバイスするようにしました。
あるとき、授業に集中できず反抗的な態度をとる男の子がいたので本人とじっくり話をしてみると、ママのことが大好きな子だと判明したんです。

これをお母さんに伝えて、関わり方のアドバイスをしたところ、翌週には男の子の顔つきが穏やかになり、積極的に授業へ参加してくれるようになっていたんです。
この様子を見て、親の関わり方一つでこんなにも子どもに変化があるのだと感動するとともに、確信へと変わっていきました。

その後、会社の都合により1年弱勤めた幼児教室を泣く泣く辞めることに。
幼児教育への未練を残したまま、近くの介護施設で人事の仕事へ就きました。
3年が経とうとした頃、知人に誘われ、食育に特化したベビーシッター事業を立ち上げることになりました。
そして、事業を進めていくうちに、もともと持っていた幼児教育への想いが再熱してきたんです。
物理的に親御さんのお手伝いをするのではなく、もっと子どもの人格形成に目を向けた事業をやりたいと。

そこでベビーシッター事業からは身を引き、新たな事業を立ち上げました。
「正解に囚われず、自分の考えに自信をもって発信できる子どもが増えてほしい」という想いで、自宅訪問型の幼児教育サービスをスタート。
講師を派遣し子どもと一緒に既存のレシピを参考にせず、一から一緒に考えて料理をするハクシノレシピというサービスです。
特に、講師たちには“否定をしない声掛け”を意識しながらやってもらっていました。

しかしだんだんと事業の雲行きが怪しくなってきたんです。
利用者は一定数いるものの、思い描いていた効果が出ていないことに気がつきました。
サービス開始当初は、子どもを否定せず認めてあげることで、子どもの自己肯定感とチャレンジ力が養われるはずと仮説を立てていました。

仮説自体は大きく間違っていなかったと思います。
しかし、月数回かつ短時間の関わりだけで全てを変えることは難しいという結論に達したんです。
このままのやり方では限界があることを思い知らされました。

どうしたものかと改善策を考えるうちに、幼児教室時代に感じていた「親の子どもへの関わり方の重要性」を思い出しました。
親へのアプローチにより子どもが変化した成功体験から、思い切って親向けのサービスへ方針転換することにしました。

ところが、3つのプロダクトを展開しても、全て失敗。
親向けのコーチングやSNS発信、メッセージカウンセリングを行いましたが、思うように利用者が増えませんでした。

3つ目のプロダクトを断念したとき、ついに何も仮説が立てられなくなり八方ふさがりの状態になってしまったんです。
そして、自分がこれまでやってきたことが、本当に誰かの役に立てていたのか分からなくなっていきました。
次第に自分の存在価値さえも否定するようになっていきました。

そんな不安定な状態から救ってくれたのが、ハクシノレシピを利用してくださっていた方々。
サービスの再開を願う声が多く、事業も私自身のことも必要としてくれる人がいるんだと強く実感できました。
思えば失敗してしまったプロダクトにも、わずかながら利用してくださっていた方がいたんです。

これをきっかけに、自分のやってきた全てのことが少なからず誰かの役に立っていたんだと改めて気づけました。
応援してくれる人たちのためにも、ここでくじけてはいけないと思い直し、もう一度前を向くことができました。

そこからは幼児教育に関する論文を読み漁ったり子育て中のお母さんたちから悩みをヒアリングしたり、とにかく大量のインプットをしていきました。
自分自身の知識不足や仮説の弱さが浮き彫りになり心が折れそうになりながらも、なんとか続けていきましたね。

すると徐々に、世の中のお母さんたちに本当に必要なものが見えてきたんです。
それは「自分の子育てを認めてもらい、自信を持ちたい」ということ。

これまで頑張れば頑張った分だけ成果が出て評価してもらえる世界で生きてきたのに、子育てが始まったとたん、すぐに成果は出ず誰も評価をしてくれなくなります。
それでも子育てからは逃げ出せない。
正解がない中一生懸命取り組んでいるのに努力は認めてもらえない。
そんな虚しさや不安感がお母さんたちの中にあることを知りました。

こうした実情を知り、私のやるべきことはお母さんたちからこのモヤモヤを消してあげることだと感じ始めました。
そして子育てに自信が持てるようになれば、きっと子どもたちへのプレッシャーがなくなり、息苦しさを感じる子が減っていくはず。
そう信じ、新たなサービス展開をスタートしました。

3日本中の親子が毎日のコミュニケーションを楽しめるように

私が代表取締役を務める株式会社Hacksiiでは、新しいサービスを開発しています。
以前のコンセプトは残したまま、オンラインで音声付きのスライド教材を見ながら親子で料理をしてもらいます。

旧版と変わらず食材選びからレシピづくり、調理まで全てやってもらいますが、今回は親子のコミュニケーションをサポートする役割が大きくなっています。
例えば、料理はこうやってやるんだよというレクチャーではなく、「匂いを一緒にかいでみましょう」といった親の声かけや接し方に焦点をあてた内容となっています。

レッスン中のお写真

レッスン中のお写真

さらにこれだけではなく、料理中に親子の会話を録音してもらい、こちらで音声解析をします。
それをもとに、親御さんへフィードバックをするんです。
よかったところはもちろんですが、改善した方がよさそうなところは「こんなポジティブな言い換えができますよ」とアドバイスを加えます。

このように客観的な評価をお伝えすることで、まずはご自身の子育てが間違っていないと自信を持ってもらいたい。
そして、足りない部分は道しるべを辿っていけば良くなるんだと前向きに捉えてほしい
という想いでやっています。

すでに十数名の方にモニターをお願いしています。
特にフィードバックサービスは好評で、大きな手応えを感じていますね。
将来的にはもっとたくさんの人にこの新しいサービスを利用してもらい、日本中の親子が日々楽しくコミュニケーションをとれるようになってほしいですね。

もしかしたら私の母も、誰からも評価されず道しるべもないまま子育てをしていて苦しかったのかもしれない。
でも姉の一言で、自分の子育てを客観視できたと同時に、そばで見守ってくれている人がいるという安堵感から、変われたのかなと思うことがあります。

今度は私が世の中のお母さんたちへ安心と自信を与えたい。
そして私のように「親の期待に答えなきゃ」と息苦しさを感じている子どもたちを減らしたい
という想いを胸に、事業展開を進めていきます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年5月)のものです

この記事は役に立ちましたか?
はい いいえ
ご協力ありがとうございました
Related Stories

関連ストーリー

この記事を読んでいる人は、こんな記事も読んでいます
シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

マイマガジン

旬な情報をお届け!随時、新規ジャンル拡充中!