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「若い=ダメ」をひっくり返す。
人と人との繋がりで、社会を変える
【人と人を繋ぐ公務員・納翔一郎】

目次
  1. 大学を中退、公務員に。きっかけはバイト経験と一人旅
  2. 悔しさを推進力に公務員としての活動を広げた
  3. 人と人を繋ぎ、地元をもっと良い街に

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、大阪府富田林市の市役所職員の納翔一郎さんをご紹介。

高校時代に始めたアルバイト経験、大学時代での一人旅経験をきっかけに、「地元の方たちを笑顔にしたい」と公務員を志した納さんは、上司からの言葉を機に人との繋がりの奥深さを知ります。プライベートでも人と人との繋がりづくりを精力的に行う納さんが目指す未来とは。お話を伺いました。

1大学を中退、公務員に。きっかけはバイト経験と一人旅

私は小中学生の頃、グループには属さず、まんべんなくみんなと仲良くするタイプでした。
親しくしながらも、俯瞰的に見て自分の立ち位置を見直すことが癖でしたね。
「あのグループの子たちにどう思われているのか、聞いてきてくれない?」と言われることもありましたが、必ずしも相手が言っている言葉をそのまま伝えるわけではなく、内容によってはオブラートに包むなど、言い方を工夫するようにしていました。
副キャプテンを務めた少年野球やサッカーでも、チーム全体を見ながら、自分の立ち位置を考えていましたね。

高校に入り、ファストフード店でアルバイトを始めました。
店では年に2~3回お客さんに楽しんでもらうためのイベントをやっていて、どうすればお客さんが笑顔になるか考え続けていました。

アルバイト先の先輩たちに連れられてあちこちの街に行き、はじめて旅の面白さを知り、大学に入ってからは一人旅をするように。
近畿・東海・北陸・四国・中国地方を、車や原付バイク、電車で見て回りました。
これまで、南河内地区や富田林市という狭い枠組みの中でしか生きてこなかったので、旅行というより外の世界を見たい気持ちがありましたね。
よその街を見ることで、自分の街について全然知らないことにも気づかされました。

一人旅中、滋賀県琵琶湖で撮影した写真

一人旅中、滋賀県琵琶湖で撮影した写真

アルバイトは継続していて、いつの間にかバイトリーダーになりました。
イベントを主催するうちに、将来は自分が生まれ育った地域の方たちを笑顔にする仕事に就きたいと思うようになり、市民のために働く市役所の公務員になりたいと思ったんです。

大学のキャリアセンターに相談すると、卒業生で公務員になった人は少数だと言われました。
学生生活を遊んで過ごしてしまう人が多いことも知り、このまま通い続けていると私も一緒に遊ぶ方向に流されてしまうのではないかと思いました。

だとしたら、大学はやめて公務員になる勉強を自分でしたほうがいい。
決断したあとの行動は早かったですね。
親に相談もせず、勢いで大学を中退。
公務員資格を取る専門学校に入り、晴れて富田林市役所の職員になりました。

2悔しさを推進力に公務員としての活動を広げた

配属先は課税課。
水道や道路といったまちづくりに携わる環境部署や都市整備部署、広報の発行や政策調整に携わる企画部署など、窓口業務以外にもさまざまな部署があることや部署によって仕事の大変さが異なることは、働き始めてから知ったことでしたね。

公務員になってすぐの飲み会で、当時の課長補佐に「仕事を覚えるだけではなく、いろいろな人と繋がってみるといいよ」と声を掛けられました。
これまでも人と出会うことは好きでしたが、この言葉を受けて改めて「繋がること」を意識しました。

3ヶ月程が経った夏のある日、課税課窓口に男性が怒鳴り込んできました。
税金の通知書を受け取った市民の方で、「こんなん払えるか、なんでこんな高いねん!」と文句を言いに来られたんです。
アルバイト経験からそういった方への対応に慣れていたこともあり、冷静に説明をしたのですが、バーンと机を叩かれ「若いもんに言われても納得できん。上と代わってくれや」と言われてしまいました。

上司に代わってもらいましたが、「若い」だけで話を聞いてもらえないことが悔しくて、「見返してやる!」と思いましたね。
なぜ若いとダメなのか、「若い=ダメ」をひっくり返すにはどうしたらいいのか考え、若者全体の付加価値を向上させるか、周りを引っ張り上げられるくらい自分自身の価値を高めるかの2択だと結論付けました。

私は後者を選びました。
いきなり若者全体の底上げをするのは難しいと思ったので、自分の付加価値を高めることにしたんです。

それから、地域のキーマンに会いに行ったり、積極的に地域のイベントに顔を出したりするようになりました。
休日にも何かあれば街に顔を出しに行くので、歳の近い先輩方にはあまり良く思われていなかったようです。
「若者」でくくられ、「納くんみたいにがんばらないとダメだよ」と先輩方が市民の方に言われることもあったと聞いていました。
いわゆる「出る杭は打たれる」の経験もしました。

ただ、よくよく考えてみると、そもそも私が先輩たちと十分なコミュニケーションを取れていないことにも原因があるのではと思いました。
私がどんな人間で、なぜ土日にも自主的な活動をしているのか、先輩方は知らないままだったんです。

そこで、コミュニケーションを取るきっかけづくりのため、同世代の交流会を企画することにしました。
2~3年続けた結果、互いがどういう想いを持ってどんな仕事をしているのか、賛同しきれずともわかり合える関係性を築けました。

研修などで他の役所の状況を知る中で、富田林市役所は窓口を訪れる人や問い合わせ件数が多いことを知りました。
何も困っていることがなければ、市役所には来ないはず。
これだけ数が多いのはどこかに課題があるからで、その課題を解決するのも私たち公務員の仕事
だと思うようになっていきました。
市役所に人が来ない状況が私の理想です。

5年目、府庁への出向を命じられました。
好奇心旺盛なので、辞令が出たときには単純に楽しそうだと思いましたね。
出向後、100〜200人規模の交流会に誘われて参加しました。
驚いたのは、それだけ大規模な交流会を取り仕切っていたのが、50代の管理職の方だったこと。
そんなお偉いさんが幹事をすることなんて、市役所ではまずありませんでしたね。

交流会は何年間も継続して行われているものでした。
目的は若者同士が横の繋がりをつくって持ち帰ること。
「大阪府庁は職員が1万人もいる大組織なこともあって、各組織間に壁がある。大阪を良くするためにも壁を超えたネットワークをつくる必要がある」というのが、管理職の方の想いでした。
「10年後、20年後に大阪府庁内の横の繋がりが花開くのを待っている」と聞き、何年も先を見据えて動いていることに感銘を受けましたね。
その方にとって、交流会は仕事ではなく完全プライベートでの活動だったことにも志の高さを感じました。

2年間の府庁勤務中、その方のコミュニティに2ヶ月に1~2回ペースで通い、公務員仲間の繋がりが広がりました。
これまで、プライベートでの交流会は、ただ自分が好きで参加していただけで、いわば遊び感覚でした。
そうした繋がりがまさか仕事に活きるとは思っていませんでした。
でも、「これは彼に聞けば教えてくれるかも」など、困ったときに相談できる相手が増えて、繋がりの奥深さを実感したんです。
自分が繋がりをつくる活動をすることで、課題を解決できたり新しい価値を生み出せたりするのではないかと思うようになりました。

市役所に戻った頃には、地域のキーパーソンの方から私の活動を応援してもらえるようになり、活動を続けていける心の支えができました。
たとえ、誰からなんと言われても、他人を気にすることよりも、動くほうに力を使おうと思うようになったんです。

3人と人を繋ぎ、地元をもっと良い街に

3月までは、仕事では市長公室都市魅力課広報シティセールス係として、官民連携やシティプロモーションを主に担当、4月からは産業まちづくり部商工観光課の副主任をしています。
シティプロモーションでは、約4年間、インターネット番組「富田林テレビ」を月1回放送、2020年7月からは市の公式noteの運用も始めました。
これらの取り組みは全国でも先進事例として自治体間で注目を浴び、メディアにも取り上げていただいています。

プライベートでは、情報発信に力を入れています。
2019年10月から「地方公務員ブロガー」と名乗ってブログでの発信を行い、まだ公務員の実名アカウントが少ない時期から実名でTwitterも始めました。
2021年になってからは、新しい音声SNS、Clubhouseも始めています。

プライベートで参加した「よんなな会」の様子

プライベートで参加した「よんなな会」の様子

さらに、公務員同士の横の繋がりをつくる「よんなな会」や「オンライン市役所」という全国規模の公務員コミュニティの運営に参加したり、地域コミュニティに入って地域住民同士を繋ぐ活動もしたりしています。
仕事よりプライベートのほうが忙しいですね(笑)。
人が繋がることで、一瞬で解決できる課題もあるという大阪府庁時代の経験がコミュニティ活動を立ち上げた理由です。
自治体同士が繋がることで全国の課題が解決でき、社会をもっとよくしていけたらいいと思っています。

コロナ禍で直接人を繋ぐ難しさも感じていますが、方法を模索しながら繋ぐ活動を続け、私を含めた多くの人が楽になればいいなと思っています。
たとえば、オンラインツールが使えずに孤立してしまうおそれのある人に対し、アプローチをしている市民団体さんとやり取りを重ね、裏側からサポートをしています。

住民同士が繋がった結果、地域で面白いことが起こり、各地域が良い地域になればいいですね。
私は富田林市役所職員なので、やっぱり最終的には富田林市をもっと良い地域にしていきたいです。

将来のビジョンはまだ漠然としていますが、定年が70年に延びると考えたら残り時間は40年。
地元を良くしていくために挑戦できることはまだまだたくさんあり、貪欲にチャレンジしていきたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年5月)のものです

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