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繋がることで、人生はもっと楽しくなる。
提供者から消費者まで、想いを伝える
【にほんのもの応援社 和altz代表・アサノノリエ】

目次
  1. 自信がない、だから正しい知識を身につけ生産者さんに会いに行った
  2. 40歳を前に生き方を再検討、人から必要とされたいから独立を選んだ
  3. 「楽しむ人」や正しい知識を持つ「伝え手」を増やし「造り手」の支援につなげたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、ソムリエ経験を経て独立し、「にほんのもの応援社 和altz(わるつ)」の代表を務めるアサノノリエさんをご紹介。

和altzの主な活動は、生産者=「造り手」と、レストランや店舗などの提供者=「伝え手」、そしてエンドユーザーの消費者=「楽しむ人」との3つの点をつなぐことです。アサノさんが独立し、本活動に至った背景とは。お話を伺いました。

1自信がない、だから正しい知識を身につけ生産者さんに会いに行った

絵を描いたり、料理でもてなしたり、物を作るのが好きな子どもでした。
高校卒業後、アメリカに留学していた2人の姉たちからボストンの大学を勧められ、19歳で渡米。
ボストン美術大学と、ボストン美術館付属の美術大学の2つの美術大学に通いました。

長期休みを活かして、あちこち旅行に行くのが好きでしたね。
旅行先はヨーロッパが多かったです。
現地での名物料理やお酒を楽しむうちに、だんだんと食が目的になっていきました。
特にアルコールは、その土地の文化や伝承、宗教や風習が関係しているものがあり、興味深かったんです。

留学中のボストンとヨーロッパ旅行時のお写真

留学中のボストンとヨーロッパ旅行時のお写真

現地の人から話を聞くにつれて、飲食は歴史や文化を楽しみながら体験できるアートだと思うようになりました。

アメリカ暮らしは自由で楽しく、卒業後は2つの美術館での仕事と寿司屋でのアルバイトを掛け持ちしていたのですが、ビザが切れるタイミングで帰国。
本当はまだアメリカで暮らしたかったのですが、大学卒業直後に起きたアメリカ同時多発テロの影響で、外国人へのビザ発行のハードルが高くなっていたんです。

7年半のアメリカ生活を終えて帰国し、画廊に勤務していた頃、体調を崩して入院することになってしまい、病室でこれからの自分の人生について考えていました。
退院後は身体に負担がないよう、近くのインターナショナルスクールでアートを教える仕事をすることにしました。

アメリカから帰国せざるを得なかったことから、海外への想いがまだ残っていましたね。
今後についてぼんやり考える中で、思いきり自分の好きなことを自由にできるのは今しかないかもしれないと思い、1ヶ月ほどオーストラリアやアジアに行ったりしました。
美術館やワイナリー巡りをしたり、自然に触れる体験をしたりと満喫しましたが、「これからどうしよう」という問いへの答えは出ませんでした。

結局、何をしたいのかわからないまま帰国しましたが、たまたま職業訓練というものがあることを知り「じゃあ行ってみよう」と軽いノリで通ってみることに。
興味を抱いた飲食喫茶科のコースを受講しました。

楽しく学ぶ中で子どもの頃から、物を作ったり、料理やお客さまへのおもてなしが好きだったりしたことから、漠然と料理や接客の仕事をやりたいと思うようになりました。

ただ、身長の低い私が男性サイズに合わせた厨房で働くのは難しいだろうと思いました。
さらに、重い生理痛の不安もあったため、ホールを希望し、ドイツで好きになったビールの輸入や飲食店経営をしている会社に就職しました。

しかし、何となく業界に入った側面もあったため、働き始めて出会った人たちの志の高さに「何となくのままじゃダメだ」と思わされ、提供者としての勉強に力を入れるようになりました。

2年半後、クラフトビールを扱うお店に転職。
当時は今みたいにクラフトビールの取り扱いが多くない時代でした。
きっかけはドイツビールの仕事をしていた時にイベントをお手伝いし、生産者さんとお話して、日本のクラフトビールはこれから面白くなる!と思ったからです。

勤務当時は生産者さんと直接つながれる機会が多く、地方のブルワリーに出張してはお話をお聞きし、これまで以上にビールの面白さを感じるようになりましたね。
生産者さんとイベントを企画したこともあり、さまざまな経験を積ませてもらいました。

ビールの面白さにも魅了されていましたが、働くうちに、今後の自分のキャリアのためにも飲料のプロとしての知識を身につけたい、より上質なサービスを勉強したいと思うようになっていきました。
そこで、仕事が始まる夕方までの日中時間を活用して、サービスのプロの資格であるソムリエ資格を取るため、ワインスクールに通い始めたんです。

ソムリエ=ワインの資格と思われがちですが、学び始めて奥深さを実感しました。
ソムリエの仕事はお客さまに喜んでいただけるサービスを提供することです。
お客さまの要望を聞きながらケースバイケースで判断し、その方にベストなサービスを提供する力がいるため、ただワインだけの知識を詰め込めばいいわけではなく、歴史や法律、全ての飲料や料理、サービスの勉強もたっぷりします。

ソムリエ資格を取得後、東京に引っ越しました。
有名なソムリエが経営する店の店長として勤められるチャンスを得たのですが、周りのソムリエはすごい人ばかり。
かたや私は「試験に受かって、たまたま有名ソムリエの店に入れてしまった」初心者です。

オーナーの右腕だと思われるだろうから下手なことはできないというプレッシャーと葛藤を抱え、自信のなさからひたすら勉強し続けましたね。
日本ワインの専門店だったのでクラフトビールに引き続き日本の生産者さんをたくさん知る機会に恵まれました。

「ソムリエは自国の酒も知っておくべき」という方針だったため、国酒である日本酒や焼酎についても勉強し、資格を取得。
学ぶきっかけは必要に迫られてでしたが、学んでみると日本酒や焼酎の作り方や歴史も面白くて、その神秘的な奥深さに夢中になっていきました。
ソムリエの時代が一番勉強し、休日はワイナリーや酒蔵や農家をたくさん訪れて、とにかく仕事以外も全てがむしゃらな時期でしたね。

240歳を前に生き方を再検討、人から必要とされたいから独立を選んだ

30代後半に入り、持病が見つかり、このままソムリエとして立ち仕事を続けるのは体力的にも体質的にも難しいだろうと思うようになりました。
今後について考える中で地方の生産者と消費者とをつなげることができるツーリズムに興味を抱き、退職後に半年ほど学校に通い、添乗員の資格を取得しました。

周りの飲食関係者から「店を立ち上げるからワインリストやスタッフの教育マニュアルの作成をお願いしたい」「日本酒について相談したい」「一緒にイベントを開催してほしい」と声を掛けられ、合間に手伝うように。
現場でサービス内容を考え、店づくりをしていく仕事に楽しさを覚えましたね。
また生産者さんから相談やPRのお声かけをいただくようになったのもこの頃からで、人から必要とされることをうれしく思いました。

修了後には日本酒関係のイベントやPR、ツアーを企画する会社に入社しました。
多くの生産者さんの話を聞くことで、こだわりや裏話の面白さ、問題点すらも消費者に知ってほしいと思うようになり、ツアーの仕事に飲食業界で出会ってきた人や経験を掛けあわせて両者をつなげないかと考えるようになっていきました。

企画したツアーにて、ガイドとして参加者をご案内

企画したツアーにて、ガイドとして参加者をご案内

2020年2月、父親の介護が必要になり、横浜の実家に戻るために退職し、独立しました。
時間の融通をつけながら働けるだろうと思ったんです。

商品は、生産者である「造り手」、消費者である「楽しむ人」、両者をつなぐ流通や提供者の「伝え手」の3者で成り立っています。
私は現地で造り手の話を聞くことで、より楽しみを見出し、お酒や食に興味を抱くようになり、ソムリエという伝え手として接客を行ってきました。

造り手を支援するには3者をつなぎ、ものの良さを伝えることが大切だと思ったんです。
たとえばツアーなら、現地で造り手の話を聞く機会を設けることで、消費者がより商品や産地を理解し、楽しんだり購入してくれたりするかもしれません。
飲食店のシェフやスタッフが農家を訪れることで、食材や料理に対する意識が変わり、より美味しいものを提供できるようになるかもしれません。

そんな造り手や伝え手への思いを友人に語りながら指で三角形を描いているうちに、その動きがワルツの指揮棒の振り方と同じだと気づき、「にほんのもの応援社『和altz』」という名前を思いつきました。
いち、に、さん、いち、に、さん…。
ワルツを踊るように、「輪」になって、手を取り合って、一歩一歩ゆっくりでもいいから、3者をつなぐことをしていこうと思ったんです。

「和」=日本、「alt」=ドイツ語でold、と古くからの日本文化にも敬意を払う意味もあるのですが、実はワルツって元々オーストリアのチロル地方やドイツのバイエルン地方中心の農民の男女のダンスで「不潔」「挑発的」という理由で法律で禁止されていた面白い歴史もあります。
古い文化を大切にしつつも新しいことで挑発、挑戦したいと思う野心も込めて、この名前にしています。

3「楽しむ人」や正しい知識を持つ「伝え手」を増やし「造り手」の支援につなげたい

現在は、お酒や食材をPRするための記事の寄稿やイベントを頼まれたり、コロナ禍のため地方から東京に営業に来られなくなっている造り手の代わりに、営業活動やPRを行ったりしています。
お酒の賞の審査員やオンラインでの発信依頼、レシピ作成など、お酒以外にもご相談いただける内容は幅広いですね。

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ワイナリー視察中の様子

ワイナリー視察中の様子

新型コロナウイルス感染症の流行が収まらないため、造り手に直接取材に行くことが難しく、取材や発信はオンラインでの活動が増えてきたと感じています。

今後、特に力を入れていきたいのは「伝え手」である飲食店、販売店、宿泊業などといった提供者への教育です。
生産者・提供者・消費者の三角形の中で、造り手と楽しむ人とをつなぐ伝え手の役割は、販売や売上げにつなげる最重要な点だと思っています。

特に飲食店や販売店は、初アルバイト先として「何となく」選ばれやすい存在です。
私も「お酒が好きだから」と入った一人ですが、食材やお酒の奥深さ、造り手の想いを知ったおかげで、「何となく」働くのはもったいないと思うようになったんです。

知識を得ることで、仕事へのモチベーションが上がったり自分の仕事をもっと楽しんだり誇りを持てるようになります。
接客トークで相手を楽しませることもできるようになるかもしれません。
お客さまは飲食店や酒販店、旅先で知識を深めることで、より食体験や買い物を楽しめるようになるでしょう。
それが巡り巡って、造り手の応援につながると思っているんです。

現在、伝え手である酒屋さんや飲食店そして企業から、直接お客さまやスタッフにお酒の楽しみ方を伝える教育の場を作りたいとご相談を受け、企画を進めています。

特に日本文化の良さを知ってほしいのは20代の若者、外国人と言ったビギナーで、もっと敷居を低くして楽しむ人を増やしたいと思っています。
初心者向け講座の数も増やしていく予定です。
最近は20代の男性とYouTubeをやってみたりしていて、もっともっと幅広く面白い活動に挑戦していきたいですね。

とにかく自信がなく、やりたいことがわからなかった私が、自分の意志でいろいろな勉強や活動をできるようになったのは、人との出会いのおかげだと思っています。
だからこそいろいろな人たちに造り手の想いを体験してもらい、もっと興味を持ってもらいたいと思っています。

これからは、私の原点であるアートや日本の工芸品といった領域にも活動範囲を広げていきたいと思っています。
単体で発信するだけではなく、お酒や料理と合わせることで広く若者や外国人にも知ってもらえる切り口を作れるのではと考えています。
造り手・伝え手・楽しむ人をつなげる活動を続けて、日本のもの全般を応援していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年5月)のものです

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