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視点が変わると自分の価値に気づける。
公務員と世界をつなぎ地方創生へ
【ソーシャルアーティスト・川那賀一】

目次
  1. 自分の存在価値をさがし続ける苦しい日々
  2. 外の世界に出てはじめて気づいた公務員の魅力とは
  3. 海外のノウハウを取り入れ、もっと地方を活性化させたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、地方公務員から合同会社DMM.comの社員へ転身した川那賀一さんをご紹介。

教師になる夢を諦め、大きな志も見つけられないまま公務員となった川那さん。公務員に求められる能力と自身の強みの乖離に悩みながらも、民間企業への出向や転職を経て、自分らしい価値を確立していきました。どのような心境の変化があったのか、お話を伺いました。

1自分の存在価値をさがし続ける苦しい日々

高校を卒業して、岐阜にある国立大学の教育学部へ進学しました。
中学生の頃に仲の良かった先生がいて、その影響でずっと教師になることを夢見ていたんです。
夢に一歩近づけた喜びと窮屈だった高校生活から解放され、ストリートダンスに明け暮れる学生生活を過ごしていました。

大学4年生になると、本格的な教育実習が始まりました。
長年憧れ続けた教育現場へ足を踏み入れると、そこに待っていたのは現実の世界。
圧倒的な業務量の合間を縫いながら児童生徒と向きあう日々の中で余裕がなくなり、時には児童生徒に満足に寄り添えない場面もありました。

子どもが好きで一人ひとりに寄り添った教育をしたいと思っていたので、理想と現実の大きなギャップに愕然としましたね。
現場で奮闘する先生方の姿を尊敬すると同時に、自分の無力さも感じ、長年の夢だった教師を諦めることにしました。

すでに世間では就職活動が始まっていたので、打ちひしがれている暇もなく、急いで就職活動を進めていかなければいけませんでした。
しかし、教師になることだけを考えて生きてきた私は社会に対する視野がとても狭く、業界分析はおろか志望動機も自己理解もないまま付け焼き刃で挑んだ就活は予想通りの惨敗でした。

ただ時間だけが過ぎていく状態で、このまま民間企業を受けても勝算がないと判断し、方針転換をしました。
焦りと不安の中でたどり着いたのが、公務員。
特に大きな志があったわけではなく、安定した職で、勉強すれば受かるという安易な理由で選びました。

結果的に公務員試験の勉強は予想以上に大変でしたが、後に引けないので必死に勉強し、無事に公務員試験を経て、大学卒業後は岐阜市役所へ入職しました。
教員免許と学芸員資格を両方持っていたこともあり、新卒としては珍しく市が運営する科学館に配属となりました。
当初、公務員は窓口対応や事務作業のイメージが強かったのですが、いざ科学館の仕事が始まると、仕事の幅が広く多岐にわたる業務があり驚きましたね。

一般的な公務員としての業務はもちろんありますが、広報やデザイン、イベント企画などクリエイティブな仕事も多くあったんです。
裁量も与えられていたため、自分で一から作り上げることもあり、毎日奮闘しながらもやりがいを感じていました。

サイエンスショーの様子、演者は同僚のスタッフ

サイエンスショーの様子、演者は同僚のスタッフ

企画した特別展の一例
企画した特別展の一例
企画した特別展の一例

企画した特別展の一例

しかし入職して数年が過ぎた頃から、迷いが出てきたんです。
科学館での仕事をがむしゃらにこなすうちに、写真やデザイン、プログラミングなど一般的に公務員には不必要とされるクリエイティブな能力ばかりが芽を出してきたんです。

正直、自分は公務員には向いていないのではないかと悩むようになっていきました。
だんだんと、自分の存在価値がわからなくなり、悶々とした日々を過ごしていました。

迷走を続けながらも大きなプロジェクトをやり切り、ある種の燃え尽き症候群になっていたタイミングで民間企業への出向制度を知りました。
公務員の立場で民間企業へ入り、協働してプロジェクトを行う制度です。
次年度の異動がほぼ確定しているタイミングだったので、どこへ異動になるかわからない状態よりは少しでも主体的にキャリアをつくりたくて、気づくと自然に手を挙げていました。

2外の世界に出てはじめて気づいた公務員の魅力とは

出向先の大手通信企業では社会貢献事業部に入り、会社のリソースを使って主に自治体の社会課題を解決する取り組みをしていました。
特に教育系のプロジェクトに参画する機会が多く、ロボットを活用したプログラミング教材の企画開発を中心に、その他多様な取り組みを全国の自治体に届ける仕事を担っていました。

民間企業での仕事の仕方やルールには驚くことも多かったですが、それ以上に新鮮で面白かったですね。
公務員とは違った仕事の進め方を経験できるし、これまで関わったことのない人たちとも一緒に仕事ができて、毎日が刺激的でした。

当初は単純に民間企業に興味があったのですが、意外にも外から自治体を見たことで、全国の自治体にすごく興味が湧いてきました。
外部の力を借りれば、地方自治体はまだまだ発展できる可能性があることに気がつき、もっと自治体の課題を解決したいという思いが強まっていったんです。

仕事を通じて全国の自治体に所属する公務員の人たちと一緒に仕事をすることも増えました。
自治体同士、実は横の繋がりが薄いので、これまで他の市区町村の自治体職員と関わる機会がほとんどなかったんです。
だから私自身が公務員は受け身で単純作業が得意な人ばかりだという勝手なイメージを持っていたのですが、実は熱い想いや高いスキルを持っている素晴らしい方々が全国に沢山いることを知ってうれしくなりました。

そのような方々と一緒に仕事をする中で、「公務員ってめちゃめちゃカッコいい!もっと全国の素晴らしい公務員の役に立ちたい!」という気持ちを抱くようになりました。

2年間の出向が終わり、岐阜市役所へ戻ることに。
教育委員会の中枢部署でGIGAスクール構想やグローバル教育などの先端教育分野を担当することになりました。
出向時代に知り合った民間企業や国と積極的に連携し、新規事業を提案する機会も多く、やる気に満ちた日々を過ごしていました。

改めて行政の仕事に戻ってみて「実は公務員って、クリエイティブな仕事なのではないか」と思う場面が多くありました。
仕組みづくりやまちづくりにより、人と社会をより良く変えていく。
これはまさにクリエイティブな仕事で、自分の得意分野そのものだったんだと気づいたんです。

これまで公務員としての自分の存在価値に悩み、モヤモヤしていましたが、公務員は実はクリエイティブな仕事なんだと思えるようになってから気持ちが晴れていくのを感じました。

そして同時に、こんなに面白い仕事なのに、世間のイメージが堅苦しくて近寄りがたい存在になってしまっていることに残念な気持ちを抱きました。
公務員の中にも自分の仕事の本質や面白さに気づけず、半ば挑戦することを諦めてしまうような人も見受けられました。
世間にも公務員のみんなにも、もっと公務員という仕事をポジティブにとらえる機会を提供できたらと思うようになりました。

そこで、まずは自分が変わろうと、プライベートでは自らを「公務員アーティスト」と名乗り、写真やストリートダンス、企業とのコラボなどの公私にわたるクリエイティブ活動を包み隠さず全部堂々とオープンにしました。
こうした活動を通して対外的には「公務員でもこんな人がいるんだ」とステレオタイプなイメージを変えてもらい、対内的には公務員でもイメージを恐れず自分らしく、自己表現やクリエイティビティを我慢しなくていいんだ、というポジティブなメッセージを届けられたらと思いました。

Adobe社を巻き込み、行政×デザインというテーマでイベントを主催

Adobe社を巻き込み、行政×デザインというテーマでイベントを主催

しかし、こうした公務員のイメージを変える活動とは裏腹に、公務員の組織そのものの壁にぶつかることも多く、もどかしさも感じるようになってきました。
いくら外から見た公務員のイメージが良くなっても、根本的な中身を変えなきゃいけない部分が多分にあります。
組織構造、長時間労働、年功序列文化、紙文化など、時代の変化に対応しなければいけないことがあるのは間違いないと思っています。

それは岐阜市役所だけの話ではない。
全国で同じように悩んでいる同僚がいる中で、このまま一職員として地方公務員を続けるよりも官民両方経験している自分なら、もう一段チャレンジできることがあるのではと考えました。

せっかく自分の活かし方がわかり、公務員のプレイヤーとしての仕事が楽しくなってきたのに、という葛藤はありました。
でも、こんな特異なキャリアの自分が飛び出さなかったら、もう他に誰もできないんじゃないか、一歩踏み出して挑戦してみようという気持ちの方が上回っていき、思い切って転職をすることにしました。

転職先は東京にある複数の事業を展開している合同会社DMM.comに決め、地方創生のお手伝いをすることになりました。
最後まで悩みましたが、全国の大好きな仲間たちと同時かつ直接仕事ができるという視点でDMM.comを選びました。

実際に入社してみると、まず驚いたのは、自治体の首長と対等に意見交換ができること。
市役所では年功序列が厳しく、基本的に平職員は市長に提案どころか話すことすら許されません。
それが外部の立場になった途端、上下関係を気にすることなく同じ目標に向かって一緒に対話することができるようになったんです。
また多くの部署や職員の方と関わることができるので、結果的に公務員時代よりも公務員のことに詳しくなっていくような不思議な感覚があります。

このように一人の行政職員では乗り越えられなかった縦と横の壁を超えていく中で、今の自分に求められている役割が少しずつわかってきました。
それは「対義にあるもの同士のハブ」になること。

行政と民間、地方と都会など対義しているものを両方経験してきた自分だからこそ、的確なアプローチや提案ができると思っています。
これを今の自分の使命だととらえ、全国の自治体がより活性化するよう活動を続けています。

3海外のノウハウを取り入れ、もっと地方を活性化させたい

今は、合同会社DMM.comで地方創生事業部に所属しています。
DMM.comでは50以上の事業を展開していて、それらの事業を柔軟に組み合わせながら地方自治体が抱えるさまざまな課題の解決に挑む仕事をしています。

自治体から困っていることをヒアリングしたうえで、民間の視点から課題の本質を見極め、具体的な解決策を提案し実行まで落とし込んでいく、いわばコンサルティングとプロダクト設計を行ったり来たりするような作業をします。
一例を挙げると、現在長野県の須坂市で観光の課題を解決するために地域の方の意見と行政の意見を取りまとめながら、中長期的な観光施策を仕様書づくりからサポートしています。
まさに地域と行政のハブとなり、双方の想いをDMM.comが形にするイメージです。

チームメンバーたちとオフィスにて会議の様子

チームメンバーたちとオフィスにて会議の様子

今はこのように、都会にあるノウハウを地方へお渡ししたり、地域間のノウハウを横展開したりしていますが、将来は世界のノウハウを地方に持ち込める人材になりたいと考えています。
というのも、実は最近日本の国力が下がってきていることに個人的に危機感を覚えているんです。
いくら国内のノウハウを地方に共有し全体最適化を図ったところで国自体が衰退してしまったら本末転倒ですよね。

そこで、世界中に散らばっているノウハウを日本や地方に取り入れることで新しい施策や価値観がうまれ、これまでとは違ったアプローチで国力の向上に寄与しつつも地方の力を高めることができないかと考えています。

もともとプライベートで海外旅行をしたり海外の友人が多かったりと、グローバルな経験を通して気づきを得る機会が多く、自分の次の役割は「地方と世界のハブ」になることかなとも感じています。
今はそこを目指して、語学を始め日々できる限りの下準備を進めています。

地方創生の主体はその地域に住む人であり、公務員です。
そんな地域で頑張る一人ひとりにスポットを当てて全力でサポートしていくことが民間企業の地方創生の本質なのかなと思います。
だから私は公務員でなくなった今でも公務員や地域で頑張る人たちが大好きですし、そんな地域の熱い方々の力になりたいという想いが一番の仕事のモチベーションになっています。
これからもみんなに必要としてもらえる存在でいられるよう挑戦をしていきたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年5月)のものです

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