1子どもの声に気づけずショック
母親が「日本の子育て環境」について関心を持っている人でした。
私は小学生のときから、日本の母親の子育てや働く環境などの課題を母親から聞かされていました。
ある日、自分と同じ年齢の子どもが親の虐待で亡くなったという新聞記事を母親が見せてくれました。
母は記事を見て涙ぐみながら「あなたも虐待されたら、隣の家に助けを求めて逃げるんだよ」と言いました。
「私が虐待されるとしたら、あなたからなんだけどな」と不思議な気持ちになりました。
そう思うと同時に、「子どもは子どもなりに充分に助けを求めたんじゃないのか。その結果、亡くなってしまったのではないか。その子どもに対して助けを求めろと大人が言うのはおかしい。助けを求めている子どもに大人が気づくべきだ」と、子どもながらに思っていましたね。
母親が看護師だった影響で小さいころから医療業界に興味があり、将来はぼんやりと命に関わる仕事がしたいと思っていました。
高校生のころ、医者を目指している友人に「なんで医者になりたいの?」と聞いたら、「人の役に立つから」と言われました。
私は「人の役に立つ職業ってたくさんあるけど、その中からなぜ医者なの?」と質問をしたら、友人から明確な答えが返ってこなかったんです。
医者を目指す人って熱い思いを持っていると思っていたので、医者に対するイメージが変わりました。
「医者よりも役に立って、医者にできないことってなんだろう」と思ったとき、小児の人工心臓に興味を覚えました。
小型の人工心臓をつくることができれば自分が医者になるよりも多くの人を救うことができて、医療に貢献できるかもしれない。
そのためには工学部に入る必要があると考え、勉強を始めました。
迎えた大学受験。
第一志望の大学に入れず、どうしようか悩んだ末、なんとなく歯学部に進みました。
やりたい勉強ではなかったこともあり、学生生活はとくに勉強に打ち込むでもなく、何となく過ごしていましたね。
20歳のとき、大学の友人たちと話す中で、友人たちの悩みの多くがお金で解決するか、両親に頼んで解決するかの2種類しかないことに気づきました。
同時に、父親か母親がいない友人や、金銭的に苦労した家庭で育った友人に会ったことがないことにも気づき、親がいない子ども、金銭的に苦労した子どもにはどんな悩みがあるのかと疑問を感じるようになりました。
気になったので調べてみると、虐待やネグレクトを受けた子どもが保護される児童相談所や保護された子どもが18歳になるまで暮らす児童養護施設などが、自分が暮らしている地域にあることを知りました。
なぜ今まで私は気づかなかったんだろうと考えたとき、小学生のころに母親から教えてもらった虐待のニュースにたいして「大人が子どもの本当の声に気づかないから虐待が起きるんだ」と心の中で感じていたことを思い出しました。
子どものとき考えたのは紛れもなく自分自身だったのに、20歳で大人になって子どもの声に気づけていなかった自分にすごくショックを受けたんです。
もっと子どもの声を聞いて、寄り添うためにはどうすればいいのか考えてみたら、歯医者として虐待やネグレクトを受けた子どもに寄り添うのは難しいなと思ったんです。
私にできることはないか調べていくうちに、里親制度を知りました。
里親制度は、理由があって親と離ればなれで暮らす⼦どもたちを、家庭環境下で養育する制度です。
里親制度を知って、高校生のころに学校が嫌で行きたくなくて「死にたい」と母親に言ったことや、母親の説得で思いとどまったことを思い出しました。
「私にはどんなときでも帰れる場所があるんだ」と安心感を覚えましたね。
養護施設にいる子どもたちのことを考えたとき、彼らは本当に助けてほしいときは誰を頼るんだろう。
もしかして誰の顔も浮かばないのではと思ったんです。
彼らが思い悩んだときに「あの人なら助けてくれるかもしれない」と頼ってもらえる存在になりたい。
里親制度なら、歯医者をしながらでも里子を受け入れることができると思ったんです。
調べていくうちに、里親として子どもを10人くらい育てて、私の死に際に自分の子どもと里子が「彩さんに育てられてよかったよ」と言ってくれたら、素敵だなと思うようになりました。
そこで「里親をやる」という夢を20歳のときに持ちました。