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短期里親制度で子育て中の親を支える。
誰もが頼り合える社会の実現のために
【一般社団法人RAC代表理事・千葉彩】

目次
  1. 子どもの声に気づけずショック
  2. 虐待した人を責めることはできない
  3. 誰もが拠り所のある社会をつくる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、ショートステイ里親の普及啓発団体「一般社団法人RAC」の代表理事・千葉彩さんをご紹介。

20歳のとき、虐待を受ける子どもの声に気づけなかった自分にショックを受けた千葉さん。自分にできることはないかと調べていくうちに里親制度のことを知り、将来は里親になる決意をします。現在はショートステイ里親制度の普及に努める千葉さんの思いとは。お話を伺いました。

1子どもの声に気づけずショック

母親が「日本の子育て環境」について関心を持っている人でした。
私は小学生のときから、日本の母親の子育てや働く環境などの課題を母親から聞かされていました。

ある日、自分と同じ年齢の子どもが親の虐待で亡くなったという新聞記事を母親が見せてくれました。
母は記事を見て涙ぐみながら「あなたも虐待されたら、隣の家に助けを求めて逃げるんだよ」と言いました。
「私が虐待されるとしたら、あなたからなんだけどな」と不思議な気持ちになりました。

そう思うと同時に、「子どもは子どもなりに充分に助けを求めたんじゃないのか。その結果、亡くなってしまったのではないか。その子どもに対して助けを求めろと大人が言うのはおかしい。助けを求めている子どもに大人が気づくべきだ」と、子どもながらに思っていましたね。

母親が看護師だった影響で小さいころから医療業界に興味があり、将来はぼんやりと命に関わる仕事がしたいと思っていました。

高校生のころ、医者を目指している友人に「なんで医者になりたいの?」と聞いたら、「人の役に立つから」と言われました。
私は「人の役に立つ職業ってたくさんあるけど、その中からなぜ医者なの?」と質問をしたら、友人から明確な答えが返ってこなかったんです。
医者を目指す人って熱い思いを持っていると思っていたので、医者に対するイメージが変わりました。

「医者よりも役に立って、医者にできないことってなんだろう」と思ったとき、小児の人工心臓に興味を覚えました。
小型の人工心臓をつくることができれば自分が医者になるよりも多くの人を救うことができて、医療に貢献できるかもしれない。
そのためには工学部に入る必要があると考え、勉強を始めました。

迎えた大学受験。
第一志望の大学に入れず、どうしようか悩んだ末、なんとなく歯学部に進みました。
やりたい勉強ではなかったこともあり、学生生活はとくに勉強に打ち込むでもなく、何となく過ごしていましたね。

20歳のとき、大学の友人たちと話す中で、友人たちの悩みの多くがお金で解決するか、両親に頼んで解決するかの2種類しかないことに気づきました。
同時に、父親か母親がいない友人や、金銭的に苦労した家庭で育った友人に会ったことがないことにも気づき、親がいない子ども、金銭的に苦労した子どもにはどんな悩みがあるのかと疑問を感じるようになりました。

気になったので調べてみると、虐待やネグレクトを受けた子どもが保護される児童相談所や保護された子どもが18歳になるまで暮らす児童養護施設などが、自分が暮らしている地域にあることを知りました。

なぜ今まで私は気づかなかったんだろうと考えたとき、小学生のころに母親から教えてもらった虐待のニュースにたいして「大人が子どもの本当の声に気づかないから虐待が起きるんだ」と心の中で感じていたことを思い出しました。
子どものとき考えたのは紛れもなく自分自身だったのに、20歳で大人になって子どもの声に気づけていなかった自分にすごくショックを受けたんです。

もっと子どもの声を聞いて、寄り添うためにはどうすればいいのか考えてみたら、歯医者として虐待やネグレクトを受けた子どもに寄り添うのは難しいなと思ったんです。

私にできることはないか調べていくうちに、里親制度を知りました。
里親制度は、理由があって親と離ればなれで暮らす⼦どもたちを、家庭環境下で養育する制度です。

里親制度を知って、高校生のころに学校が嫌で行きたくなくて「死にたい」と母親に言ったことや、母親の説得で思いとどまったことを思い出しました。
「私にはどんなときでも帰れる場所があるんだ」と安心感を覚えましたね。

養護施設にいる子どもたちのことを考えたとき、彼らは本当に助けてほしいときは誰を頼るんだろう。
もしかして誰の顔も浮かばないのではと思ったんです。
彼らが思い悩んだときに「あの人なら助けてくれるかもしれない」と頼ってもらえる存在になりたい。
里親制度なら、歯医者をしながらでも里子を受け入れることができると思ったんです。

調べていくうちに、里親として子どもを10人くらい育てて、私の死に際に自分の子どもと里子が「彩さんに育てられてよかったよ」と言ってくれたら、素敵だなと思うようになりました。
そこで「里親をやる」という夢を20歳のときに持ちました。

2虐待した人を責めることはできない

とりあえず歯医者として一人前になろうと、大学卒業後は歯科病院で働きながら里親制度の知識を深めました。
現在は婚姻関係がなくても里親になれるのですが、当時は多くの里親が「結婚している夫婦」だったこともあり、早く結婚して自分の子どもが欲しいと思っていましたね。
まず自分の子どもを育ててから、里親になろうと思っていました。

里親関連で何か活動ができればいいと思って、大学院に進みました。
この時期に結婚・出産を経験し、夫の転勤の都合で東京都から宮城県に引っ越しました。

宮城県へ引っ越したあと、ピクニックをしている様子

宮城県へ引っ越したあと、ピクニックをしている様子

子育てと勉強の両立を図ろうと奮闘しましたが、親族も友達もいない環境で周りに頼れる人がいませんでした。
いつもワンオペ育児で、子どもにかかりきりの状態に。
一日のほとんどの時間を子育てに費やす状況にイライラする日もありましたね。

私は、子どもを虐待してしまう親の気持ちを初めて理解できたような気がしました。
虐待のニュースを見たときに「もしかしたら自分が当事者になっていたかもしれない。虐待した人を責めることはできない」と思うようになりました。

自身の子育てを通じて、何泊か子どもを里親に預けるショートステイ里親制度に興味を持ちました。
それを使えば、子どもを預けている間、親は心を落ち着かせて、ゆったりとした時間を過ごせます。
子育てをする親を支え、子どもを安心して預けられるショートステイ里親の制度をもっと世の中に広めていきたいと思いました。

里親に関する情報を得ようと、養護施設などにコンタクトをとっていましたが、プライバシー保護の観点から、なかなか里親の当事者に会う機会がつくれない状況が続きました。
個人で活動することへの限界を感じるようになっていきました。

ショートステイ里親制度をもっと広めるためには、自分で団体をつくって世の中に発信していかないといけない。
私は2018年、大学院で知り合った人たちとショートステイ里親の普及啓発団体「一般社団法人RAC」を設立しました。

3誰もが拠り所のある社会をつくる

現在はRACの代表理事として、ショートステイ里親制度の普及に努めています。
ショートステイ里親の当事者や、里親に興味のある人に向けたイベントなどを定期的に開催して交流を図る機会をつくっています。
RACを通じてショートステイ里親制度を知った共働きの夫婦が制度を利用してくれたケースもあります。

イベント中の様子

イベント中の様子

団体の活動と並行して週3日、訪問歯科医師としても働いています。
いろいろな家にお邪魔すると、家族関係がこじれて一人暮しをしている高齢者に出会う機会があります。
中には生活保護受給者もいて、拠り所がない人は子どもだけでなく高齢者にもいるんだと実感します。

今後、拠り所を探している人に向けて「誰でも来ていいよ」という場所を里親としてつくりたいと思っています。
里子で来た子が「頼っていい大人がいるんだ」「いろいろな大人がいていいんだ」という場所になればいいなと。

最終的には、誰にでも拠り所があって、いろいろな人を頼ることができる孤独のない社会をつくっていきたいです。
そのための一歩として、まずは里親制度をもっと世間に知ってもらい、ショートステイ里親制度の普及に務めていきます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年4月)のものです

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