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苦情対応が楽し過ぎて転職。
瞬間の課題解決で、相手の心を豊かに
【渋谷スクランブルスクエア株式会社 営業一部チーフ・星川和也】

目次
  1. 4年間ジャングルクルーズの船長に
  2. 駅員から渋谷の共創施設へ
  3. 起業家たちのスペシャルサンクスになる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、東京・渋谷にある共創施設「SHIBUYA QWS(以下:QWS)」のコミュニティマネージャー・星川和也さんをご紹介。

ホテルマン時代、お客さまへの苦情対応に楽しさを感じ、鉄道会社の駅員に転職した星川さん。現在はQWSで活動する会員に向きあい、新しい価値提供のサポートをしています。星川さんの思いとは。お話を伺いました。

14年間ジャングルクルーズの船長に

小さいときから目立ちたがり屋で、自分が何かをして周りを楽しませたり喜ばせたりするのが好きでした。
小学生のとき、クラスで劇の脚本と演出を行ったのをきっかけに、自分が表現したり演じたりすることで多くの人に感動を与えたいと思い、役者を志すようになりました。
テレビや舞台を見て「自分があの役だったら」と空想や妄想をするのが好きで、眠れないときは戦隊ヒーローになっている自分を妄想して眠ることもありました。

小学校5年生のとき、初めて東京ディズニーランドに行きました。
いろいろなアトラクションを楽しんだ後、ボートに乗って未開のジャングルを探険する「ジャングルクルーズ」というアトラクションに参加しました。
たった一人の船長の言葉や表情で乗りあわせた約30人の乗客全員が盛り上がっていて、感動しましたね。
東京ディズニーランドで働く人ってカッコいいなと思いました。

その年から僕は将来の夢に「東京ディズニーランドで働く」を加えました。
でも、両親からは「安定した職業に就いてほしい」と言われて育ったので、結局は公立高校から4年生大学という一般的な人生を歩んでしまいました。
ただ、本心は役者や東京ディズニーランドのキャストのようなエンターテインメントに関わる仕事がしたいと思っていました。

高校卒業後は千葉県の大学の理工学部の建築学科に進みました。
ある日、電車に乗っていると中吊り広告で東京ディズニーランドがキャストのアルバイトを募集しているのを発見!
千葉ではごく当たり前の光景なのですが、神奈川県平塚市出身の僕には驚きでしたね。
募集の中から、園内のお掃除キャストをやってみたい!と早速応募し、面接では初めて来園した時の感動を切々と語りました。

1ヶ月後、合否発表の電話がかかってきて、「ジャングルクルーズの船長をやってください」と言われました。
予想外のことを言われたので驚きましたね。
おそらく面接で喋りが饒舌だったからなのかと思いましたが、そもそもジャングルクルーズの船長がアルバイトのキャストでもできることにはもっと驚きました。
僕は数日間の厳しいトレーニングを経て、なんとか船長デビューを果たしました。
最初はなかなか上手にできませんでしたが、日がたつにつれて、声の抑揚や喋りの間、大袈裟な表情でお客さんを楽しませることができるようになっていきました。
自分の表現で沢山のお客さんが笑顔になってくれるのが本当にうれしかったですね。

ジャングルクルーズ船長時代の様子

ジャングルクルーズ船長時代の様子

ご来園いただいたお客さんに非日常の体験を提供できる。
この頃から、人の心に寄り添う仕事っていいなと思いました。
ジャングルクルーズの船長は大学4年間ずっとやっていました。
夢だった役者のような感覚も体験できたので、とても満足できましたね。

就職活動では、東京ディズニーランドの運営会社も受けましたが、とても狭き門のためご縁がありませんでした。
建築学科だったので不動産業界も受けていた中で、ある不動産会社が千葉県浦安市に東京ディズニーランドの運営会社と提携して新しいホテルを作ることを知りました。
しかも、ホテル事業部自体を新たに立ち上げるということだったので最終面接でも、ホテル事業部への配属を猛アピールしました。

東京ディズニーランドでは、高い接客やサービスのスキルはもちろん、キャストのホスピタリティマインドを高めるための人材育成にも目を向けていました。
経験し習得したノウハウを新しいホテルのサービスに取り込んで提供できれば、きっと他にはない素晴らしいホテルになる。
自分なら、そのサービスづくりにいい形で関われるかもしれない。
そう思った僕は、チャンスを掴むためにその不動産会社に就職しました。

1年間、不動産の仲介営業を経験し、無事ホテル開発事業部に転属となった後は、3棟のホテルの開業に携わり、サービスのコンセプト設計やスタッフの接遇指導、ユニフォームデザイン選定、実際のシフトに入っての夜勤業務など多種多様な業務をこなしました。
なかなかハードな日々でしたが、自分だけでなく指導をしたスタッフの接遇にご満足いただいているお客さまの顔を見るのが、とてもうれしかったです。
人材育成の仕事もいいなと思いましたね。

数年たってフロントサービス部門のマネジメント職に就きました。
サービスの責任者になったので、必然的にお客さまの苦情対応にあたる回数が増えていきました。
「チェックインの手続きが遅い」「風呂場に髪の毛が落ちていた」「部屋の鍵がうまく開かない」など1日1回は、何かしらの苦情やクレーム対応にあたっていました。

はじめは上手くいかず、大炎上を起こしてしまうことも多々ありましたが、500回を超えたあたりからコツがわかってきて、対応するのが楽しくなってきました。

僕は自分なりの解釈として、苦情対応とクレーム対応を別物と捉えるようにしています。
苦情対応はお客さまの感情に寄り添うこと、クレーム対応はイエスかノーでお客さまの要求に応えることです。
一件の対応を「苦情」と「クレーム」の2つに分けて、それぞれに対応をしています。

苦情への対応次第でお客さまの施設に対する印象が変わります。
お客さまにきちんと向きあい、最終的に納得してもらえれば、ファンになってくれます。
「なんか、悪かったね。ありがとう、また来ます」とお客さまに言っていただければ完璧な対応です。

そういう意味では、苦情対応って、その場で起きた課題を瞬時に解決するコンサル業に近く、楽しいものだと感じるようになりました。
だから僕はプロフィールの「趣味」の欄に「苦情対応」と書くようにもなりましたね。

2駅員から渋谷の共創施設へ

ホテルに勤めて8年ほどたった頃、仕事に限界を感じるようになりました。
ホテルは部屋数が決まっていて、それ以上大きい規模での仕事ができないなと思ったんです。
自分の培った苦情対応のノウハウをもっと活かせる場所があればいいなと考えるようになりました。

ある日、電車の中吊り広告で鉄道会社が中途採用で駅員を募集しているのを見つけました。
駅員って接客だから、もしかしたら苦情がたくさん来るかもしれない。
駅員なら僕の苦情対応のノウハウを役立てられるかもしれないと思い、僕は9年間勤めた不動産会社を辞めて鉄道会社に転職しました。

駅員として、「電車が1分遅れた!」「券売機が使いにくい!」などの多くの苦情対応にあたりました。
他の駅員に苦情を言っている人を見つけたら、すぐに飛んでいって対応したこともありましたね。
上司や同僚からは「星川は苦情を楽しむから、対応が長い」と言われることもありましたが、丁寧に対応をして、満足して帰ってもらえるようにしていました。

駅員時代の様子

駅員時代の様子

駅員を約5年半担当した後、新規事業やまちづくりを担当する部署への社内公募に応募しました。
実はそこまで興味があったわけではないのですが、同僚に強く誘われたのと、応募しておけば社内評価が少し上がるかなと、何となく手を挙げた感じです。

選考では「あなたが新規事業部門でできることはなんですか?」というテーマで作文を書きました。
僕は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」を例に出し、1989年に公開され、2015年の未来を描いたこの映画の中には、キャッシュレスや指紋認証、音声認識など、実際に社会実装され、むしろ「当たり前」になっている技術が多数描かれている事を書きました。

何ができますか?というテーマの作文を「今は特に何もできませんが、面白そうな未来を空想することは結構得意です」と締めくくったんです。
その作文がどう評価されたのかはわかりませんが、結果として部署異動できることに。

数ヶ月働く中で、東京・渋谷区に会員制の共創施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」ができることを知りました。
「Question With Sensibility(問いの感性)」という名前の施設で、コンセプトは「渋谷から世界へ問いかける、可能性の交差点」。
渋谷ならではの多様な人材が交差交流することで、社会価値につながる未来の種を生み出すことを目的とした施設です。
会員は企業の新規事業担当者やクリエイター、フリーランスなどさまざま人が集まります。

僕が働く鉄道会社が施設運営に関わることになっていました。
社員を施設に出向させる必要があり、「星川が適任だろう」という会社側の放任によって、2019年3月に開業準備室に転属。
2019年11月の開業以降は、会員様同士のマッチングを支援するコミュニティマネージャーになりました。

それまでは駅員だったので、果たして新価値創造を目指す会員様たちとうまく交流ができるのか不安もありました。
しかし、会員様たちの相談に乗っていると、「星川さん、アドバイスありがとう」「星川さんと話していると元気が出ます」と言ってくれるんです。

僕はただの会社員で起業もしたことがないので、大した話はしていないと思うのですが、それでも感謝をしてくれる。
とてもありがたいと思いました。
僕でも起業家やフリーランスの会員様たちのお役に立てるんだと感じ、この施設で仕事をするのが大好きになっていきました。

3起業家たちのスペシャルサンクスになる

現在はQWSのコミュニティマネージャーとして、個人会員や企業会員のサポートをしています。
会員様たちと向きあいながら、新価値創造のきっかけになるようなアイディアの提案や他の会員様との「お繋ぎ」をできるように努力しています。
新規事業をつくることは社会の誰かが抱えている課題を解決することにつながるので、苦情対応に通ずるところがあります。
ホテルと駅員時代であわせて約3,500件の苦情対応をした経験を活かしていきたいです。

元々、自分の表現や演技で人の心を豊かにするのが好きでした。
いまは会員様たちに伴走をする形で応援できることが、自分の喜びです。
「あのときの星川さんとの会話があったから」と会員様に言っていただければ、それが喜びになります。

これからもSHIBUYA QWSの会員様が新しい価値を生み出し、その価値を世の中に放っていくことを全力で応援していきたいです。
その人たちの人生やプロダクトに「スペシャルサンクス」として「星川和也」を刻んでもらうことが野望です。

いろいろな成功者の心の中に「なんとなく元気をくれた存在」として残れたら最高ですね。
これからも、関わる人の心を豊かにしていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年3月)のものです

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