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東日本大震災を機に見つめ直した人生。
挑戦や希望が溢れる未来をつくる
【株式会社morich代表・森本千賀子】

目次
  1. 1冊の本と父の存在により転職業界へ
  2. 本当にやりたいことをやる人生を
  3. 挑戦や希望が溢れる未来をつくる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、人材サービス事業などを手掛ける株式会社morichの代表・森本千賀子さんをご紹介。

大学生のときに出会った転職に関する本と父の存在がきっかけで転職エージェントとして働き始めた森本さん。仕事に邁進する中、出産や東日本大震災を機に人生やキャリアを見つめ直しました。森本さんの仕事に対する思いとは。お話を伺いました。

11冊の本と父の存在により転職業界へ

大学3年生のとき、図書館で1冊の本と出会いました。
その本には、アメリカでの「キャリア」に関する変遷やトレンドが書かれていました。
本を読んで、アメリカでは、職場を変えて自分の価値を上げる「転職」という概念が、日本よりも浸透していることを知ったんです。

当時、日本の会社は終身雇用が一般的で、年功序列の昇進制度が当たり前でした。
しかし、調べてみると、日本にも転職支援の会社がいくつかある。
これからは、日本でも「転職」という選択肢が広がっていくのではないかと直感しました。

仕事について思いを巡らすときは、決まって父の顔が浮かびました。
父は私が小学生のときに脱サラし、総合インテリア業を営んでいたのですが、人材確保でいつも困っていたんです。

父のような中小企業で人材確保に困っている経営者はたくさんいるはず。
その手助けがしたいという思いと転職というマーケットに大きな可能性を感じ、大学卒業後はリクルートグループの子会社の人材紹介会社に就職しました。

営業職としてひたすら新規開拓をしました。
最初のうちは成果も出て「営業の仕事って楽しいじゃん」と思っていました。
しかし、数ヶ月後、クライアントから「森本さんのキャラが許されるのは1年目だけ。知識不足だし勉強も足りない。このままだと、すぐに賞味期限切れになるよ」と指摘されたんです。

愕然としましたね。
自分の仕事ぶりを思い返すと、特に営業の勉強もせず、軽い調子でお客さまと会話をして成果を出していました。
正直、営業の仕事を舐めていましたね。
クライアントは、私の底の浅さを見ていたんです。
悔しくて、トイレで泣きました。

もっとしっかり勉強しないといけない。
私は必死で本を読みあさり、週末は専門学校に通い財務やマーケティングを学びました。
努力の結果、経営の大枠を理解できるようになり、お客さまと深い部分まで会話ができるようになりました。

2本当にやりたいことをやる人生を

仕事が楽しくてしょうがない毎日でした。
転職を希望する方、一人ひとりと向き合い、その人に合った企業を一緒に見つけていきました。
求職者の多くは自身のキャリアに悩んだり、葛藤を抱えたりした状態で私のもとを訪れます。
私は求職者のキャリア・スキル・条件など目に見えるデジタル情報だけでなく、求職者とクライアントの価値観が同じ方向に向いているかどうかを徹底的にこだわり、場合によっては、求職者の想像を超える業種を提示することもありました。

提示された求職者は、最初は戸惑います。
でも、最終的に大きな決断をして、新しい会社を選んでくれます。
そんな求職者が新しい希望とワクワク感を持って働き始めるのを見るのはとてもうれしくて、私は人材ビジネスが本当に大好きなんだと思いましたね。
人と企業のよりよいマッチングを1件でも多く増やすことが私の使命だと思って仕事に打ち込みました。

仕事を全力でこなす中、29歳で結婚、33歳で長男を出産し、39歳で次男を授かりました。

復職間際になって、夫の部署異動が決まり、平日はほぼ“ワンオペ育児”になってしまいました。
長男の産休明けは、夫の大きなサポートのおかげでマネジメントの仕事ができたのですが、今回の産休明けはそうはいかなくなりました。

私は、時間のコントロールができる働き方にするしかないと覚悟を決め、キャリアチェンジを決意しました。
組織マネジメントからは手を引き、自分で時間のコントロールができる“転職コンサルタント”というプレーヤーに戻り、働き方を自己完結型にしました。
このスタイルになってから時間的な余裕もできたことで、社外での活動も意識するようになりました。
ますます仕事が楽しくなっていきましたね。

ところが、復職から数ヶ月後の2011年3月11日、東日本大震災が起きました。
オフィスがある都内のビルは大きく揺れ、フロアにあった大きな水槽が倒れてきて、すごい衝撃でした。
電話も通じないので、子どもたちが通う学校や保育園とも連絡が取れず、どうしようという不安な時間でした。

なんとか徒歩で帰宅し、テレビをつけると、東北地方を襲った津波でたくさんの人が亡くなったことを知りました。
想像もしないようなことが起きて、人の命は簡単に奪われていく。
人の命は儚いと思いましたね。

この日から1週間ほど仕事らしい仕事をせず、自分の人生やキャリアについて向き合いました。
向き合う中で、本当にやりたいことをやる人生、自分の未来を実現する生き方をしないと後悔するという結論に達しました。

まさにそのことがきっかけとなり、そこから自分のやりたい“Will”を実現しようと、職場以外にも目を向け、あらゆる社外活動をスタートするようになりました。
ある意味、組織マネジメントができなくて持て余していた情熱を社外に向けることで、もっと多くの人に喜んでもらいたいと思ったんです。
講演や執筆活動、NPO法人の理事などの社会活動や、企業間のビジネスマッチング、人と人のご縁を紡ぐ婚活事業まで、私がやりたいこと、私にしかできないことを形にしていきました。
この活動は、会社や家族以外に自分を必要としてくれる、存在価値を確認できる「サードプレイス」として、大切な居場所となりました。
人とのご縁がさらに広がり、転職エージェントとしての仕事もますます広がっていきました。

理想だったパラレルキャリアを実践する中で、会社員という肩書きがだんだんと窮屈になってきました。
働き方改革によって、労働時間や就業規則など企業の労務管理義務が徹底される中、私のキャリアの理想像が組織の枠を超えてしまったんです。

心がざわつきました。
いつか独立したいとは思っていましたが、大好きな同僚やクライアントと働けることが楽しく充実しすぎていたため、この場を離れる選択肢を持つことがなかった自分に気づいてしまったんです。

もう一度初心に戻って、純粋に仕事が好きで脇目もふらずに邁進したい。
会社の看板を外し、「森本千賀子」として挑戦したくなったんです。
私は25年間お世話になった会社を辞め、リクルート在籍時に副業で立ち上げていた株式会社morich(もりち)にフォーカスし独立を決めました。

3挑戦や希望が溢れる未来をつくる

現在は株式会社morichの他、2019年にビジネスマッチング事業の会社「株式会社morich-to」を設立しました。
採用領域にとどまらず、起業支援やサードプレイスづくりなど、組織と人事に関する全てを線や面で複合的に課題解決する「オールラウンダーエージェント」として日々走り回っています。

私はこれまで3万人を超える求職者の方からキャリア相談を受け、1,000人を超える経営者とのネットワークの中でご縁を紡いできました。
今後も一人でも1社でも多く、ワクワクする仕事や求職者のライフワークに巡り会うきっかけづくりをしていきたいです。
求職者と経営者の想いをつなげていくことが自分の使命なんだと、改めて感じています。

「働く」って、生きることでもあると思うんです。
収入だけを目的にするのではなく、その人自身の成長のきっかけになったり、ワクワクすることにつながったりする社会をつくっていきたいです。

そのためには「働くって楽しいよね」という価値観をもっと世の中に根付かせていきたいと思っています。
人材紹介やビジネスマッチングだけでなく、私が関わることでもっとやりがいをもって働く環境が生まれ、一人でも多くの人が「ワクワクする未知なる自分と出会う」ようなお手伝いをしていきたいと思っています。

キャリアって仕事だけでなく、人生そのものだと思うんです。
「人生」というキャリアをいかにして、ワクワクしたものにできるかが大切だと思っています。
我々が提供するマッチングによって挑戦や希望が溢れるワクワクした未来をつくり出していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年3月)のものです

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