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乗り気でなかった公務員にハマる。
地元・塩尻から日本を変えていく
【日本一おかしな公務員・山田崇】

目次
  1. 父の「帰ってこい」の一言で公務員に
  2. ちっちゃなdoで手応えを感じたイベント
  3. 公務員はインパクトのある仕事

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、長野県塩尻市の公務員・山田崇さんをご紹介。

父親の一言がきっかけで、地元の公務員になった山田さん。最初はいやいやでしたが続けるうちにやりがいを見つけ、これまでの公務員の型にとらわれない活躍で「日本一おかしな公務員」として知られるようになりました。山田さんの中でどんな変化があったのでしょうか。お話を伺いました。

1父の「帰ってこい」の一言で公務員に

長野県塩尻市で生まれ育ちました。
実家はレタスなどをつくる兼業農家で、小さい頃から休みの日は家の手伝いをさせられていました。
農家の手伝いは格好悪いなと思っていましたね。

高校は地域で2番目の進学校に進みました。
でも、手に職をつけるほうがいいと思っていたので、個人的には大学に行く意味がわかりませんでした。

ある日、担任の先生に「大学に行ったら、いろいろな友達ができるぞ」と言われました。
友達はたくさん欲しかったので、それなら大学に行くのもいいかと思い、親に経済的な迷惑をかけないよう国立の大学を目指して勉強に励みました。
しかし、受験に失敗、1浪して千葉大学の工学部に進学しました。

大学時代は遊んでばかりでした。
地元から離れた都会の生活が楽しくて仕方なかったんです。
授業にはほとんど出席せず、アルバイトや合コンに明け暮れていましたね。
そんな生活だったので単位取得も毎年ギリギリ、研究室では落ちこぼれていました。
研究に没頭するより、人と話しているほうが向いていると思い、営業職など人と接する仕事に就こうと考えました。

迎えた就職活動、大手企業の最終面接まで進んだものの、落ちてしまいました。
結局、漠然と興味があった建築系の方向に進もうと、友人の親が経営する設計事務所に就職することが決まりました。

しばらくして、父親から電話があり、「すぐに帰ってきて公務員試験の出願届を出してこい」と言われました。
その日は塩尻市の公務員試験の出願最終日で、父は僕に公務員になってほしいと思っていたんです。

父は厳格な人ですごく怖かったので、僕は言われるがまま地元に戻り、出願書類を出しました。
試験も受け、結果的に合格してしまいました。
そのことを父親に報告すると、「公務員になれ。やってみて向いてなかったら1週間で辞めて、設計事務所に頭を下げなさい。設計事務所は雇ってくれるかもしれないけど、その逆は無理だ」と言われました。
抵抗はありましたが、それもそうだなと思い、塩尻市の公務員になりました。
仕事熱心というわけではありませんでしたが、人間関係に恵まれ、民間に転職しようという気持ちはなくなっていきました。

市民交流センターの市民協働の部署担当をしていた35歳のとき、市民活動団体の代表が集まる会議で、トラブルを起こしてしまいました。
イベントで出すジュースの販売金額をめぐり、ある団体に100円で売る許可を出した後、別の団体に50円で売る許可を出したんです。
すると、100円で売る団体から「どうして向こうの団体の肩を持つんだ!」とめちゃくちゃ怒られたんです。
僕は売る価格は団体の自由でいいと思っていたので、怒られる意味がわからず、ショックを受けました。

自分は悪いことをしている気はなくても、何も考えずにやったことが相手にとっては悪いときもある。
これを機に、市民協働についてとにかく調べまくりました。
その中で、自分もまちのために市民活動をしてみないと、彼らの思う良し悪しがわからないと気づいたんです。

2ちっちゃなdoで手応えを感じたイベント

市民協働の一環として、まずは塩尻でアートに触れる機会をつくる、アートワークショップを企画しました。
いくつかイベントを実施していく中で、美大の教授をゲストとして迎えることになり、先方から「アートをテーマにした24時間トークマラソンをやってみないか」と提案されました。
今までやったことがないし、面白そうだと思い、やってみることに。
実際は30時間のトーク企画となりましたが、結果は大成功でした。

これまではPlan(計画)Do(実行)Check(評価)Action(改善)の「PDCAサイクル」に沿ってイベントを企画していました。
今回はそれを無視して、「面白そう」を大切にし、PlanのPをなくして、できることからやってみました。
その結果うまくいったので、PDCAにこだわらず、気軽にできる「ちっちゃなdo」から始めるのが良いのだなと思いましたね。

こうした経験を若手職員に伝えようと、定期的に若手職員と意見交換会をするようになりました。
会議を繰り返す中で、商店街の空き家問題の議論になりました。
塩尻の商店街の空き家率は長野県の平均を上回っていて、それをなんとかしたいという意見が若手職員から出たんです。
ただ、空き家対策の当事者じゃない公務員が想像で施策を練ってもうまくいかないのではと思いました。

それなら自分たちが当事者になってみようと、商店街の空き家を自腹で借り、勤務時間外で、その場所にいるという取り組みを始めました。
花屋だった空き家を1軒借り、軒先にいるだけの3ヶ月間のプロジェクト「nanoda」がスタートしました。

私は平日の朝7時から1時間の出勤前に空き家のシャッターを開けて軒先に座ってみました。
すると、「何してるの」と声をかけてくれたり、別の日には「朝食を一緒に食べません?」と言ってくれたりと、人と人との交流が生まれました。
この時間だけ出張カフェを開かせてほしいという人も現れました。
目的を定めずに、とりあえずやってみることから始めたら、思いもよらない結果が生まれたんです。
「ちっちゃなdo」から始めるのって大事だなと改めて感じましたね。

数年経って、地方創生推進課に異動になりました。
この頃、国が地方創生を掲げ、新しい地方交付金を設けました。
交付の条件の1つが「官民連携」。
企業と一緒に地方創生事業をつくって、新しいインパクトを与えるのが主なミッションです。

企業が「お金を払ってでも塩尻に行きたい」とアクションを起こしてくれるにはどうすればいいのか考えていたとき、「企業の変革屋」をミッションとしている会社の女性代表と会う機会をいただきました。
何度か塩尻市まで来てもらい、ディスカッションを重ねた末に、「大企業の人材育成と地域課題解決を両立させるプログラム」という構想が生まれ、3ヶ月後の2016年1月にプログラムが始まりました。

大企業の社員たちと塩尻市の職員たちが1ヶ月間、塩尻の課題解決に取り組む中で、大企業の社員も塩尻の職員も目に見えて人が変わっていきました。
塩尻で2泊3日の合宿も行い、プログラムの最終日には課題解決の道筋を政策提言として市長にプレゼンします。
このプログラムは2020年までに6回行い、実際に塩尻市の政策として採用され、予算が付いたものもあります。

3公務員はインパクトのある仕事

現在は塩尻市の地方創生推進課で地方創生推進係長をしていて、地方創生やシティプロモーション、関係人口創出の仕事に携わっています。

私は塩尻の外の人に塩尻を知ってもらう活動をしていて、塩尻でのワーケーションや複業促進などを通じて、継続的に塩尻に関わってもらう「関係人口」の創出に力を入れているところです。
2020年には人材派遣会社との共創事業で、民間から特任CMO(最高マーケティング責任者)と特任CHRO(最高人事責任者)を期間限定で採用しました。

改めて公務員はインパクトのある仕事だと実感しています。
民間企業だと短期的な結果がどうしても求められますが、行政は長期の計画を立てて実行できるのがメリットだと思っています。

同時に、行政の決められたルールの中だけで進めてもうまくいきづらくなっているのも事実です。
変化の早い時代になっている分、トップダウンで時間のかかるアプローチだけでは難しいと思うんです。
そんなときに、公務員の時間外に、自分の時間とお金を使える範囲でひとりの市民として活動してみるという選択肢もあると思うんですよね。

そんな思いから、全国の公務員が月額料金を払って参加するオンラインサロン「市役所をハックする!」を2019年9月から始めました。
自治体と民間企業の新規事業創出の現場で起こった失敗例や課題点、成功事例など、全国の公務員で共有していて、それぞれの地域の課題を話し合い、解決策を模索しています。

また、オンラインサロンを始めた背景には地方自治体の公務員約90万人に、自分の経験や知識を共有することで、「ちっちゃなdo」から始める公務員を増やしていきたいという気持ちもありました。

ここ何年かで、自分より若い公務員や公務員に興味を持つ学生と出会う機会も増えました。
これからは、彼らにいい背中を見せられるようにしていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年3月)のものです

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