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人生を逆算し、掴んだラストチャンス。
生涯をかけ、市民のためのまちづくりを
【千葉市長・熊谷俊人】

目次
  1. 地方自治体で、まちづくりがしたい
  2. 日本最年少市長になる決断
  3. 政治を身近に感じてもらう取り組みを

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、31歳で全国最年少市長となり、現在も現職市長として千葉市の活性化に尽力している熊谷俊人さんをご紹介。

地方自治体での仕事に憧れを抱き、会社を辞めて政治の世界へと飛び込んだ熊谷さん。市民と対話をしながらまちをつくり上げていくことは、ライフワークになっていると語ります。まちづくりに人生を捧げる熊谷さんですがその背景には何があるのか、伺いました。

1地方自治体で、まちづくりがしたい

小学生の頃は、歴史が大好きな少年でした。
中世・戦国時代・江戸時代・幕末・明治・大正・昭和と、時代を跨ぎどのように国が築かれてきたのか、政治の積み重ねを追うことに興味津々でした。

歴史を学ぶと、過去の人たちが人生をかけて国や制度づくりをしてきた延長線上に自分たちの暮らしがあることを実感するんです。
脈々と人の営みが受け継がれていることに感動していましたね。
だんだんと、自分も公のために何かを成し遂げる人になりたいと思うようになっていきました。
できれば人生の中で、まちづくりや社会を構築する側の仕事をやってみたい。
そんな想いがふつふつと湧き上がっていきました。

高校生のとき、阪神淡路大震災で被災しました。
まちが焼け野原になり、ライフラインが全て止まってしまった状況を目の当たりにしました。
ポリタンクを自衛隊のポンプ車のところまで持って行き何往復もして水を運びましたね。
そのとき初めて、普段何気なく使っている水道や電気などのライフラインがどのように構築されているのか、道路の広さや区割り一つにも意味があることを知ります。

そしてまちの運営や管理をしている市役所や県庁といった地方自治体が、どれだけ自分たちの生活にとって大事な役割を果たしているのか実感しましたね。
小学生の頃は、政治家といえば手が届かないアイドルのような遠い存在でした。
でも実際は、市民を支えるために働く身近な存在だと知ったのです。
自分も行動すればいつか近づけるかもしれない。
歴史を通じて政治に興味を持っていたこともあり、将来は地方自治体の政治家になり、まちづくりに関わる仕事をしたいと思うようになっていきました。

大学進学後、親のご縁で知り合いの県議会議員さんにお会いする機会をいただくことに。
私にとっては、憧れの政治家に会い、話をする初めての経験でした。
そこで聞かせてもらったのは、厳しい政治の世界の現実でしたね。

「政治家になりたければ、まず選挙で勝たなければならない。きみは選挙に勝つために、どんな活動をしているかな?同窓会などは開いているの?」など、現実的な質問をされました。
まだ学生で青臭い政治論や理想論を描いていた私にとって、生々しく感じる話でしたね。
政治家になりたければ、まず選挙に勝たなければならない。
人から信頼される人でなければならない。
そんな現実を突きつけられました。

それからは、少しずつ政治家になるために必要なことを意識しながら行動するようになっていきました。
選挙のときだけでなく、普段から人間関係を大事にしよう。
周りから信頼される人でいよう。
人とのつながりを大事にしよう。
そんなふうに、日常生活の些細な振る舞いにも意識を向けていきました。
また、いち市民として自治体に入り、地域活動にも積極的に参加するように。
夢に近づくための努力を少しずつ始めていきました。

政治に興味はあったものの、大学卒業後は一般企業で経験を積みたいとNTTコミュニケーションズへの入社を決めました。
ITの可能性を見てみたい、という気持ちが大きかったです。
大学時代からインターネットに興味があり、自分で歴史の情報を載せたホームページをつくって、日本中・世界中の人と情報交換をしていました。
そこでインターネットを通じて人がつながれる素晴らしさを実感したんです。

これからの将来、インターネットがどのように広まり世界を変えていくのかを見たい。
また日本を代表する企業が見ている景色を見たいという気持ちもあり、志望しました。

通信は国の政策と密接に関わる仕事です。
実際に就職してからは、政治とのつながりを感じながら働いていましたね。
「今この法案は、こうやって議論をされているんだ」と、理解しながら仕事を進めました。

2日本最年少市長になる決断

やりがいを感じながら働く一方で、政治に興味があることは周りの人にも伝えていました。
そして28歳のとき、ご縁のあった政治家の方に「そんなに政治に興味があるなら公募してみないか?」と声をかけられます。

政治家になることは、幼少期からの憧れでした。
とはいえ、すぐには踏み切れませんでした。
着々とキャリアを積み充実した日々を送っている今、会社を辞めてリスクのある政治家の道を本当に歩んでいいのだろうか?そんな疑問が頭をよぎりました。
これまで生きてきた中で一番悩んだ期間でしたね。

決断にあたり大事にしたのは、人生を逆算して考えることでした。
30代になり会社でさらにキャリアを重ねれば役職もつき、責任もどんどん重くなるだろう。
人生の舵を大きく切るのは、今がラストチャンスになるんじゃないか。
そう思ったとき選挙へ出馬することを決意しました。

無事に当選し、晴れて千葉市議会議員になります。
憧れだった地方自治体で政治に関わる仕事。
議員になって、まちの動きを知れるのが何より楽しかったですね。
まちって、こうやってつくられているんだ!と知るたびに、学生時代と変わらないワクワク感がありました。
例えば、都市計画で道路を広げようとすると、何十年も前から計画を立てて実行していくんです。
課題や理想などがある中で、一進一退で計画が進んでいくんです。

でもふと市民のみなさんに目を向けると、工事が始まってから都市計画のことを知る方がほとんど。
本当は何十年も前から計画され着々と実行されていたのに、何も知らずに暮らしているのは勿体ないと思うようになっていきました。

私自身が、まちの鼓動を感じながら暮らす素晴らしさを感じていたからこそ、政治家だけでなく市民にもわかるようにまちの動きを可視化していきたい。
また政治が可視化されれば、より自分ごと化しやすくなり、まちづくりや市民活動に参加する人も増えるのではないか。
そんな想いが膨らんでいきました。
理想は、市民一人ひとりが市長になったような気持ちになれるまちづくり。
市民と一緒に「将来はこうしよう、あーしよう」と夢を共有したいと意気込んでいました。

一方で、市の課題も感じていました。
政治の世界は、あまりデータ分析やマーケティングの視点を入れずに政策をつくるんですね。
年配の議員が多いこともあり、若い世代が当たり前に感じていることが、政策に反映されにくいこともありました。

例えば、保育園の増設。
私は一般企業で女性の上司と働いていた経験もあるため、仕事と育児の両立には保育園にお子さんを預けることが必要不可欠だと理解していました。
ですが女性は外で働かず家を守るもの、という考えが根強い年代の議員にとっては、なかなか保育園を増設する必要性が伝わらないことも。

一般社会と政治の世界の乖離を感じましたね。
だからこそ、会社で培った経験や感覚が役立つと感じました。
若い世代の意見として、世間一般の「当たり前」を政治の世界に伝えていかなければならない。
そんな使命感も抱きながら活動していましたね。

そんな中、現職の市長が逮捕され千葉市の財政も危機的状況に陥っていました。
次の市長選を控え、周りの人からは「市長は、くまちゃんだよ!」と推薦の声も届いていました。
最初は、31歳の若さで市長になるのはどうだろう…と、別の市長候補者を探すことに精を出していました。
なかなか候補に名乗りをあげる方も見つからず、どうしようかと思ったとき、自分を頼ってくれる人たちに真摯に向き合いました。

千葉市がピンチな局面で、自分を応援してくれている人がいる。
ここでやらなきゃ、何のために会社を辞めて政界に入ったかわからない。
そう思い、選挙への出馬を決意。
当選し、31歳で全国最年少市長に就任しました。

市長になったときは、全国最年少市長としての責任感も感じていましたね。
「若い市長だから、こうなっちゃった」と市民をがっかりさせたくない気持ちが大きかったです。
市を立て直すには大きな改革が必要でした。
とはいえ、独りよがりではうまくいかない。
周囲と協力しながら政策を推し進めることを意識しました。

いきなりガラッと変えるのではなく、これまで市を引っ張ってきてくれた人に理解をしてもらいながら、わかりあいながら、壮大なビジョンを持つからこそ、一歩一歩着実に進めることを大事にしました。

地域の皆さんとの対話会の様子。千城台自治会館にて

地域の皆さんとの対話会の様子。千城台自治会館にて

3政治を身近に感じてもらう取り組みを

現在も、3期目の千葉市長を務めています。
市長としてまちづくりをすることはやりがいがあり、楽しいですね。
もちろん怒られることも、理不尽なことを言われるときもあります。
でも市民の喜怒哀楽に向き合い一緒に歩んでいくのが、僕らの仕事。
市民の声を聞いて、市民の意見をまちづくりに反映させていく。
そんなまちづくりは、少年時代から憧れ好きだったことですから。
市長をしていて大変だと思ったことはありません。
まちづくりは、政治家を引退しても携わり続けたいライフワークです。
私自身いつまでも、まちづくりに励むいち市民だという気持ちでいます。
変わらずやりがいを感じながら、市長としての職務を全うし続けられるのだと思います。

これからは若い人たちにも、まちづくりに関心を持ってもらいたいという想いがあります。
そのためSNSを使って市民とコミュニケーションを取ることも日常的に行っています。
例えば、感染症や台風など有事のときの情報発信。
市長からの投稿に、これだけ勇気づけられた・安心したと言葉をもらえることもあり、本当にうれしいですね。
政治家冥利に尽きる。
市民の役に立てている実感が、何よりのやりがいです。
市民と対話ができ、感謝の言葉をもらえることはうれしいですね。

今はインターネットでより多くの市民とつながれる、本当にいい時代です。
これからはICTを活用して市民一人ひとりに必要な情報を届けやすくする政策も考えています。
市民と政治をあらゆるやり方で近づける。
そうして少しでも政治を身近に感じてもらえたらうれしいですね。

2017年、高校生と千葉市の未来の海について語るイベントに参加した熊谷さん

2017年、高校生と千葉市の未来の海について語るイベントに参加した熊谷さん

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年2月)のものです

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