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失敗をしても成功するまでやればいい。
NMB48卒業後も、笑顔を届け続ける
【プロデュース業・タレント・川上礼奈】

目次
  1. 自分も舞台に立ちたい!
  2. 苦労するからこそ、楽しさを感じられる
  3. うまくいかなくても、諦めなくていい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、NMB48を卒業後、コンセプトカフェのプロデュース業に力を入れて活動している川上礼奈さんをご紹介。

アイドル時代は、なかなか結果が出ず苦労の連続だったという川上さん。それでも、成功するまで諦めない気持ちを胸に、アイドルとして掲げていた目標を達成したとのこと。その背景とは?お話を伺いました。

1自分も舞台に立ちたい!

小さい頃から、いつもニコニコしていて、誰とでもすぐに仲良くなれる子どもでした。
周囲から愛嬌がある子だね、と言われることも多かったですね。
散歩しているご近所さんからは「可愛いね〜」とよく声をかけられていました。
また、目立ちたがり屋な性格で、学校の演劇会では「主役のお姫様役がいい!」と手を挙げるタイプ。
表舞台に立ちたい気持ちが強かったですね。

そんな自分を両親は、伸び伸びと育ててくれました。
何かをするようにと強制されることは、ほとんどありませんでしたね。
周りの子を見ると、親に言われて習い事や勉強をしている子も珍しくありませんでした。
でも私は、勉強しなさい!この習い事をしなさい!と言われたことはなく、何をするにも自分で決めさせてくれました。
物事を自分で考えて判断する習慣もつきましたね。

そのままの自分を認め、尊重してくれた両親のおかげで、自分を肯定する心は自然と育まれていきました。
自己否定をすることや自信をなくすことは、ほとんどありませんでしたね。
嫌なことや壁にぶち当たっても、「これを乗り越えればきっといいことがある!」と思えるんです。

ネガティブな思考をする友達を見ると、どうしてそういうふうに考えるんだろう?と不思議に思うほど。
ポジティブな思考が当たり前になっていきました。
滅多に落ち込まないため、周りからも「メンタル強いね!」と言われることも多かったです。
きっと大丈夫!と、自分に根拠のない自信を持っていました。

中学生になったある日、アイドルグループの「AKB48」をテレビで見ました。
小さい頃から母の洋服や化粧品に興味があり、可愛いものやキラキラしたものが好きで、それを身に纏うことへの憧れも強くあり、一瞬で大ファンになりましたね。
「可愛い!自分もあんなキラキラした洋服を着てステージに立ちたい!」と思い、その気持ちはどんどん膨らんでいきました。

ちょうどその頃、NMB48の1期生を募集していることを知り、すぐに応募しようと、自分でハガキを用意しました。
きっと全国からたくさんの女の子が応募してくるはず。
どうしたら審査員の目に留まるだろう?と考えた結果、少しでも目立つようにハガキをデコレーションすることに。
やりたいことや目標に向かって試行錯誤することが楽しかったです。

2苦労するからこそ、楽しさを感じられる

両親は、アイドルになることを反対せず応援してくれました。
無事にオーディションに合格し、活動拠点である大阪へ移り住みます。
14歳で両親の元を離れ、寮生活が始まりました。
慣れない環境で自分のことを自分でやる生活は大変でしたね。
さらにダンスも歌も初心者だったため、レッスンについていくのもやっとでした。
毎日が目まぐるしく過ぎ、ただ目の前のことをこなすので精一杯。
ステージに立てる日を夢見て、必死に練習に食らいつきました。

最初のステージのメンバー発表の日。
選ばれるのは、メンバー24人中16人。
残念ながら、その中に自分の名前はありませんでした。
キラキラと踊っているメンバーを、舞台の袖口から見ることしかできない自分。
つらかったですね。

頑張っても頑張っても、報われない悔しさ。
慣れない環境で家族と離れて生活するしんどさ。
つらくて苦しくて、円形脱毛症ができるほどストレスを感じていました。

でもネガティブな気持ちにいつまでも囚われることはありませんでしたね。
きっと大丈夫。
今は想い通りの結果が出なくても、失敗ではない。
成功する途中なんだ。
そんな根拠のない自信が、自分を支えてくれました。

なので自分を否定したり、自信をなくしたりして心が折れることはありませんでした。
悔しさをバネに、絶対に売れてやる!という意志の方が強かったです。

それから選抜メンバーに入るという目標のため、どうしたら売れるか?を常に考え行動するようになりました。
落選した理由をスタッフに聞いて回り、ファンに覚えてもらいやすいようにキャラクターや髪型を工夫しました。
売れたい!選抜メンバーに入りたい!という目標のため、試行錯誤しながら走り続ける日々。
キラキラした表舞台に立ちながらも、地道な努力は続きました。

だんだんとファンも増え、チームの中での自分のキャラクターも確立されていきました。
うれしかったですね。
自分で考え行動した結果が実を結んだことに、やりがいや達成感が溢れました。
人は苦しいことを乗り越えるからこそ、その先にある楽しさを味わえる。
人はしんどい気持ちをバネに努力するから、強くなれるんだと学びました。
苦労は自分の糧になるんだ、と思えましたね。

またファンの存在は、何よりも大きな支えになっていました。
握手会やイベントは楽しかったですね。
誰とでも仲良くなれる性格もあり、ファンとも家族のように親しくなれることも。
自分を応援してくれている気持ちを肌で感じられ、力になりました。
ファンの気持ちに応えたい。
頑張る自分を支えてくれるファンへ、少しでも楽しい気持ちや笑顔を届けたい、と全力になることが、何よりのやりがいでした。

NMB48に入り8年の月日が経っていました。
後輩も増え、少しずつ卒業を考えるように。
着々とファンを増やし、自分には自分の輝き方ができていると思う一方、選抜総選挙やシングル曲の選抜メンバーに入れた実績はありませんでした。
48グループに入ったからには、その目標を達成したい。
今、辞めたら悔いが残る。
逃げた後ろめたさが残ってしまう。
そう思い、最後の1年を必死に頑張ることを決意。

すると念願叶い、総選挙へのランクインと選抜メンバー入りを達成することができました。
死ぬ気で頑張って良かった…と、心の底から思いましたね。
必死に努力する自分の姿を、ファンは見てくれていたんだと実感しました。

もう全てやり切った、と卒業を決意。
卒業コンサートでは、自分のためだけにつくられたドレスに袖を通しステージに立ちました。
これまで見てきた景色の中で、一番綺麗でしたね。
支えてくれたファンへの感謝、達成感が一気に込み上げてきて、ここまでやり切って良かった!と思えました。
結果が出ないときも諦めず、10年間コツコツ続けてきたからこそ味わえた気持ちでしたね。

卒業後は自分と向き合い、これからどんなことをやっていきたいのかをじっくり考えることに。
そこで浮かんだのが、プロデュース業でした。
アイドル活動をしていたとき、何かをつくることや生み出すことへの興味があったものの、なかなか取り組めていなかったことを思い出したんです。
これからは本格的にプロデュース業をやってみたい。
気持ちが固まり、新しいチャレンジへと一歩を踏み出すことにしました。

3うまくいかなくても、諦めなくていい

現在は、アイドルを卒業し、プロデュース業に力を入れて活動しています。
直近では、コンセプトカフェ「あにまるふぁ~む」をオープンしました。
アイドルだった頃は、ファンとの交流が楽しく、笑顔を届けられることがやりがいでした。
卒業した後も、ファンと触れ合える場をつくりたい気持ちが強く、お店をプロデュースすることに。
ファンがいてくれたから自分がいることを実感していました。
だからこそ、お店づくりでもお客さん目線を大事にしています。

スタッフの衣装・内装のデザイン、スタッフ採用など、どうしたらお客さんが楽しい気持ちになってくれるか?を第一に考えています。
カフェという新しい形で、応援し続けてくれているファンへの恩返しができたらと思っています。

これからはカフェだけに留まらず、自分が好きなことを通じて、人を笑顔にする事業を広めていきたいです。
私は何事も、最初から上手くできる方ではありません。
でも苦労するから、やりがいや楽しさを感じられる。
それを学んだからこそ、新しい挑戦に対しても諦めずに成功するまでやり続ければいい、と思えています。

もし今、思う通りの結果が出ず苦しんでいる人がいるとすれば、そんなメッセージを届けたいですね。
これからもファンやお客さんに、笑顔や楽しい気持ちを届けるための挑戦をし続けます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年2月)のものです

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