1心の声に従い看護の世界へ
小さい頃は、図書館にこもって本を読むのが大好きでした。
よく手に取っていたのは、アフリカの貧困の子どもの写真集です。
食べ物がなく苦しんでいる子どもがいる現実を知り、同じ人間なのにどうしてこんなに違うんだろう…と思っていましたね。
差別や格差といった社会問題を敏感に感じ取っていた子どもでした。
また困っている・弱っている人を見ると、躊躇うことなく手を差し伸べられる性格でした。
友達と街を歩いていて視覚障がい者の方が困っていると、とっさに駆け寄り声をかけたことがあったんです。
友達は「すごいね!なかなかできないよ!」と言ってくれましたが、勝手に身体が動いたという感じでしたね。
7歳になったある日、たまたま「国境なき医師団」について紹介しているテレビ番組を観ていました。
「差別や格差など関係なく、国を越えて医療を届ける人たちがいる」そのことを知った瞬間でした。
目に飛び込んできた映像に、ぐっと心を捕まれ興奮しましたね。
すごい…カッコいい…!そんな感情が湧き上がり、テレビの前に釘付けです。
それ以降、国境なき医師団は、憧れの存在として心に焼き付き離れませんでした。
高校に進学しますが、特にやりたいことが見つからないまま、進路を決める時期に差し掛かりました。
商業高校だったため、クラスメイトのほとんどが就職を決めていきました。
でもみんなと一緒に就職をするイメージが持てず、かといって進学する気もありませんでした。
自分は、何になりたいんだろう…。
モヤモヤする気持ちを抱え続けていましたね。
あるとき、友達から看護師になる道を選んだことを告げられます。
その瞬間、あ!それだ!と雷が落ちたように衝撃を受けました。
理屈ではなく一目惚れのような感じで。
私も看護師になりたい!と思ったのです。
「看護師」という言葉を聞いた途端に、カチッとはまった気がして、うれしかったですね。
それからは看護学校進学に向け、準備をがむしゃらに進めました。
周囲からは、商業高校から看護学校へ行くのは難しいと言われました。
でも納得しないまま就職をするより、やってみたい!と思った心の声を信じたかったのです。
そして無事に看護学校に入学することができました。
病院で看護にあたってすぐに、この世界に飛び込んで本当に良かった…!と心底思いましたね。
お世話をすることで気持ち良さそうにする患者さんの様子やご家族とのコミュニケーションを通じて、人の役に立っている、貢献できているという実感が、何よりうれしかったんです。
やりがいでしたね。
早く学校を卒業して、一人前の看護師としてバリバリ働くことが楽しみで仕方ありませんでした。
子どもの頃に憧れた国境なき医師団の存在も、看護の道に進んだことでより意識するようになっていきましたね。
看護学生同士でも、「カッコいいよね、すごいよね!」という会話で盛り上がっていました。
そうして学校を卒業後、看護師として就職しました。
勤務先の病院では、手術をするオペ室や外来病棟、訪問看護、ターミナルケアなど、さまざまな患者さんをみる経験ができました。
メキメキと経験値を上げ、看護師としての自分の基礎をつくっていきましたね。
2国境なき医師団への夢を追う
看護師として夢中になって働いていた20代。
国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞したニュースが飛び込んできました。
昔はただ憧れるばかりだったけど、今は同じ医療従事者として働く一人。
自分も、国境なき医師団に入りたい!という想いが強くなっていきました。
いざ国境なき医師団への参加を試みますが、英語が話せないことがネックになっていました。
国境なき医師団は、世界各国から訪れる医療従事者・現地スタッフとチームを組み、日夜連携しながら医療アクセスのない地域で医療行為にあたります。
スタッフとのコミュニケーション力は必要不可欠。
そうなったとき、ただ看護師としての技術や情熱があっても太刀打ちできない現実を知ることになりました。
よし、英語を勉強しよう!と意気込み、駅前の英会話教室に通い始めました。
英語の勉強時間を確保するため働き方も変えました。
勤務シフトは夜勤のみ。
日中は全て英語の勉強。
留学資金を貯めやすいよう給与の良い病院でハードに働く時期もありましたね。
そうして日本でできる限りの努力をし、試しに短期留学へ行ってみることに。
こんなに頑張ったのだから、通用するだろう。
そんな思いを抱いて渡航しましたが、期待は見事に打ち砕かれます。
国境なき医師団として働くために必要な英語力は、まだまだ身についていないことがわかったのです。
愕然としました。
やりたいことは、目の前にはっきり見えている。
なのに英語という高い壁に阻まれ、どうしてもその夢に手が届かない。
苦しかったですね。
諦めたほうが良いと思う一方、諦められない自分もいて。
30歳を手前にして、どちらにも振り切れない悶々とした時期が続きました。
あるとき、母が声をかけてくれました。
「20代でずっと想い続けていた気持ちは、きっと30代、40代になっても変わらないと思う。だから、必要な英語力を身につけるために長期留学に行ってきなさい。30歳を前にして人生設計を悩んでいるかもしれないけど、人生のピークを40歳に持っていきなさい」そう背中を押してもらえ、安心しましたね。
挑戦してもいいんだと、自分に素直になれた言葉でした。
オーストラリアに留学し、語学学校に通いながら病院での勤務を始めました。
最初は慣れない英語を使いながら、スキルの高いプロ集団についていくだけでも必死でした。
周りに支えられながらなんとか食らいつき、夢中になって働いていましたね。
だんだんと実力がついてくると、新人指導やリーダーを任されるまでになりました。
大きな病院だったため給与も良く、生活はどんどん豊かになっていきました。
休みもありプライベートも充実。
目の前に海が広がる素敵な家に住み、好きな車も買え、何をとってもパーフェクトな生活でしたね。
気がつけばオーストラリアに来て7年が経っていました。
留学していたオーストラリアのカソリック大学の卒業式
生活は豊かになる一方、心は虚無感に襲われていきました。
なぜか満たされない…。
そんな気持ちがしばらく続くと、もうここで吸収することはないのかもしれないと感じるようになっていきました。
本当はどうしたいの?そう自分に問うと、「国境なき医師団に挑戦したい」と本音が返ってきました。
安定した生活を手放すのが怖くて、本音をかき消していたことに気づきました。
気持ちを認めた瞬間、すーっと虚無感が消えていきました。
夢を叶える準備が整ったのだと感じた瞬間でしたね。
それから国境なき医師団として無事採用され、スリランカ・パキスタン・イエメン・シリア・南スーダン・イラクなど、さまざまな紛争地域に派遣されました。
すぐに、この世界に飛び込んでよかった!と感じましたね。
紛争地域では、設備も整っておらず、医療従事者も人手が足りていません。
でもだからこそ、看護師として自分が必要とされ、貢献できている実感を直に感じることができました。
日本・オーストラリアの医療の最前線で磨いてきたスキルを活かせ、これまでやってきたことは全てつながっているんだと思えましたね。
爆撃被害を受けた少女と話す白川さん。イラクのモスルにて
やりがいを感じる一方、戦争を止められない現実へ無力感を感じていました。
あるときシリアで、歩けなくなってしまうほどの怪我を負った女の子の処置にあたりました。
ずっと心を閉じている彼女。
気がつくと、ぎゅっと手を握っていました。
怒りや憎しみ、悲しみだけを抱えて、戦争の記憶の中だけで大人にならないでほしい。
つらい経験をしたけれど、外国から来た看護師さんがちゃんと看護をしてくれた。
そういう思い出を、とにかくつくってあげたい。
そう思ったのです。
処置をするだけが役割じゃない。
看護の基礎である、寄り添うことも大事にしよう。
それだけでも、自分がここにいる意義はあるんじゃないかと、自分の求められている役割を再確認していきました。
3この経験を伝えていきたい
現在は、国境なき医師団の人事部として海外派遣スタッフの採用業務に従事しています。
スタッフの採用では、プロとしてのスキルはもちろん、人間力も重要な要素として見ています。
かつての自分も、国境なき医師団に入りたいと夢見ていました。
でも情熱だけではどうにもならない世界なんですよね。
環境への適応能力や国の違うスタッフと連携しあえる高いコミュニケーション能力、マネジメント能力も必要です。
過酷な現場だからこそ、人間力が求められる。
私自身も10年間の活動を通じて反省を繰り返し、学んできました。
日本の常識だけを押し付けてはいけない。
価値観を認め合う姿勢が大事なのです。
違いを認め理解しあうことは、つくりたい世界にもつながっています。
人はそれぞれ違う。
その前提に立ち、相手のバックグラウンドや気持ちを受け入れること。
そして違うからといって衝突するのではなく、共感や理解といった受け入れてみる選択ができると世界は平和になっていくんじゃないかと思っています。
まずは親や友達、隣の席・同じ部署の人から。
身近な人との違いを認める気持ちが、世界へ広がっていけばいいなと感じています。
これからは、自分の経験を伝えていく活動にも力を入れたいですね。
夢を叶えられたのは、心の声にしたがって選択したからだと思うんです。
高校時代に周囲に反対されても、理屈抜きで惹かれた看護の世界に入ってよかった。
国境なき医師団に入るために、留学を決断してよかった。
そう思えるのは、心がこっち!と動いた方を信頼したから。
心の声を無視せず、いきたい方向へ進んだからこそ、今の自分があります。
いくつになっても夢を追いかけ挑戦していい。
人生のピークをいくつに持っていくのかは、自分で決められるから。
そんなメッセージを伝え続けたいですね。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年1月)のものです