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うつになり気づいた、生きづらさの原因。
報道を通じて、生きる尊さを伝えたい
【フリーランスのディレクター/ライター/カメラマン・廣瀬正樹】

目次
  1. 人の代弁者になって居場所をつくりたい
  2. これまでの価値観を壊し生まれ変わる
  3. 生きる尊さを伝え、人間の未熟さを認めあえる社会にしたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、フリーランスのディレクター・ライター・カメラマンとして社会問題を報道する廣瀬正樹さんをご紹介。

報道を通じて、生きることの尊さを伝えたい。社会や集団から切り離されてしまった人の代弁者となり居場所をつくる存在でありたいという廣瀬さん。その背景とは?お話を伺いました。

1人の代弁者になって居場所をつくりたい

学生時代から、社会や集団の事情で人の尊厳が踏みにじられることが許せない性格でした。
なので相手がヤンキーだろうといじめっ子だろうと特別扱いせず、ダメなことはダメと言う。
集団から避けられている子にもフラットに接する。
そんな子どもでした。
良いことをしているというより、ただその状態を許せないという感覚でしたね。

高校に入学すると仲のいい友達ができました。
お互い静かな性格で他に大勢の友達もいなかったこともあり、いつも一緒に遊んでいました。
ですがクラス替えを機に、他の友達とも頻繁に遊ぶようになった私は、彼と一緒の時間を過ごさなくなっていきました。
すると彼はだんだんと学校に来なくなり、自殺して亡くなりました。

彼の気持ちに気づいていたにもかかわらず、向き合わなかった後ろめたさで胸がいっぱいになり、葬儀にも行けませんでした。
彼の母親から「普段は学校のことを何も話さないけど、息子が楽しい話をする時は、必ず廣瀬君の名前が出てきたのよ」と告げられます。
いたたまれなく、苦しかったですね。
もっと自分が彼の話を聞いていれば…。
彼の気持ちを他のクラスメイトに伝えられていたら…。
彼は学校に居場所をつくれたんじゃないか。
後悔に心を締め付けられながら、社会や集団から切り離されてしまっている人の代弁者になって居場所をつくることがしたい。
それが自分の役割だと、ぼんやり自覚するようになりました。

大学へ進学をし、表現することへの興味が広がっていきます。
写真・文章・演劇・映画など、分野を問わず好きでしたね。
なかでも心を熱くしたのが、報道写真です。
きっかけは戦争報道カメラマンを主人公にした映画を観たことでした。
写真の世界に、こんな報道の世界があるんだ!と頭を殴られるような衝撃で。
一気に惹かれましたね。

熱くたくましく生きる主人公の姿にも憧れました。

就職活動の時期に差し掛かり、報道ならやりたいことが全部できるんじゃないかと思いつきます。
表現を通して世のため人のためになれる。
これだ!と思いましたね。
写真や文章などバラバラに抱いていた表現への興味が、パチンと一つの場所に収まった感覚でした。

2これまでの価値観を壊し生まれ変わる

卒業後は、日本テレビへ入社し念願だった報道局の配属になります。
憧れだった報道カメラマンに従事でき、ワクワクしていましたね。
ですがうれしい気持ちは長くは続きませんでした。
自分が思い描く理想の報道ができないことへの苛立ちや葛藤がどんどん膨らんでいったのです。

新聞社や公共放送と比べ、民放の報道は人員や放送尺が決して潤沢ではありません。
どうしても視聴率も重視せねばならず、災害や事件など世の中で起きている問題をより深く伝えることが難しいと感じていました。

大学時代から報道への憧れが強かったこともあり、こうでなければならない!という気持ちが頑なにあったのです。
これが世の中のためになるのかな…自分はなにをしているんだろう…そんなことばかりを考えるようになり、理想の報道を実現できない自分を責め続けました。

あまりに追い詰めすぎ、ストレスで食欲がなく眠れない日々が続きました。
病院へ行くと、うつ病やその他精神疾患だと診断されます。
ついに倒れてしまい、精神病棟へ入院することになりました。
受け止められず、パニックでしたね。
嫌で嫌で、自分が許せなくて、毎日泣いていました。

そんな状態を見た父は、「もう一度、ゼロからやり直そう」と声をかけてくれます。
救われましたね。
すっと胸の中に入ってきた言葉でした。
それから3〜4ヶ月の入院生活が始まりました。
自分と向き合いこれまでの人生を振り返ると、自分の傲りに気づきました。
どちらかといえば裕福な家庭で育ち、勉強もできて、安定した会社にも就職できた。
心のどこかで欲しいものはなんでも手に入る。
自分一人の力でなんでもできると、思っていたんです。
それゆえあまり人に感謝することもなく過ごしていました。

でも倒れた自分を見て、どれだけたくさんの人に支えられて生きてきたか気づかされます。
それに「もっと頑張らなきゃダメだ」と自分で自分を傷つけていたから疲弊してしまったんだ、と自覚するようにもなっていきました。

だから生きづらかったんだ…。
これまでの価値観が崩され、はっとさせられました。
と同時に、周囲への感謝をノートに書き留めたり、頑張った自分を認めてあげたり、これから新しい自分をつくっていくための努力を少しずつ積み重ねていけるようになりました。
苦しかった感情を全て吐き出すと、徐々に「ここからまた始めよう」と思えるように。
自分と向きあう作業はつらかったですが、じっくり時間をかけ新しい自分に生まれ変わっていくことができました。

退院後は、どうせならやりたかったことをやろうと、興味のあった文章を書くことにチャレンジします。
ライター養成講座に通い始めると、書く楽しさにハマっていきました。
楽しそうな自分を見て周囲も慕ってくれ友達ができるように。
また、いろいろな生き方をしている人と出会えたことも視野を広げてくれました。
収入が不安定な働き方をしていても、生き生きしている人はたくさんいる。
安定しか知らなかった価値観を壊されましたね。
そこから、報道ジャンルのウェブ記事の執筆や本の出版の機会をいただくようになっていきました。

文章を書くときは、人の曖昧な感情をそのままに、事実を伝えることを大事にしています。
人は正しいことや良い行いだけで形成されていません。
醜いところや情けないところ、恥ずかしいところがあって当然で。
あえて綺麗にまとめずそのまま伝えることが、自分がやりたい報道だと感じていました。

例えば、何か事件が起こったときは、良い悪いだけの判断を報道するのではなく、事件が起こった背景や解決策を生み出す情報発信に重きを置きます。
そういった深みのある情報発信を、自分にできる範囲で実現していこうと思えるようになっていきました。
また会社を離れたからこそ感じる、会社への感謝の気持ちも湧いてきました。
20代でしっかり鍛えてもらったからこそ、今の自分がある。
そう捉えられるようになっていきましたね。

3生きる尊さを伝え、人間の未熟さを認めあえる社会にしたい

現在は、フリーランスのディレクター・ライター・カメラマンとして活動しています。
前職である日本テレビにもご縁をいただき、独立した今も、動画作成・ディレクションに従事しています。

ライター・カメラマンとしては、社会問題の報道・情報発信に力を入れていきたいです。
特に関心のある分野は「福祉」。
事件や災害の取材を通じて、被害者の方やご家族のつらいお気持ちを数多く伺ってきました。
これからは傍観者ではなく支援者として一歩踏み込んだ支援がしたい。
そんな気持ちが大きくなり、精神保健福祉士という国家資格を取得するべく専門学校に通っています。

文章を書くことを通じて、「生きることの尊さ」を届けたいという気持ちは強くあります。
今はキラキラした綺麗な部分だけを露出する情報発信も少なくないですが、実際の人間はそんなに清廉潔白じゃないですよね。
欲深いし醜いし、スケベなことも考える。
でもそういう気持ちを持ちながらも一生懸命に生きていること自体が、すごく尊いなと思うんです。
AIやテクノロジーの発達によって、人の曖昧な気持ちや弱さが見えづらくなっていく時代だからこそ、人が生きていることは尊いんだと思えるものを、世に残していきたいですね。

会社員時代は、報道に携わる人間として賞をもらって評価されたい気持ちもありました。
それができないと意味がない、と思っていたことも。
でも今は、自分ができることを通じて、人が喜んでくれることが幸せだと感じています。
大きな賞をもらっても、一緒に喜んでくれる人がいなければ寂しい人生だなと。
周囲の人の役に立ち感謝され、喜んでもらえると、幸せを実感するんですよね。
周囲の人とのつながりの中にしか自分の幸せはないのだと気づきました。

独りよがりに頑張っていた時期を越え、今はそんなふうに感じています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年1月)のものです

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