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他者と比べるのはもうやめた。
窮屈な世界を飛び出し、好き勝手生きる
【株式会社圓窓代表取締役・澤円】

目次
  1. ふつうでないことの劣等感
  2. 居場所は、自分で選べる
  3. ありたい自分で生きていい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、マイクロソフトを経て株式会社圓窓の代表としてあらゆる企業でコンサルティングやアドバイザーを務める澤円さんをご紹介。

ありたい自分で生きることを大切にしてほしい、と力強いメッセージを伝え続ける澤さんですが、学生時代は生きていることが苦しいと思うほどの劣等感を抱いていたといいます。澤さんがどのようにしてありたい自分で生きられるようになったのか、お話を伺いました。

1ふつうでないことの劣等感

両親と年の離れた兄が2人いる末っ子として生まれました。
純粋さや可愛げもなく、ひねくれた子どもでしたね。
幼少期から常に両親や兄たちが交わす大人の会話を聞いていたため、小学生ながら使う言葉や考えがませていました。
クラスで友達がじゃれあったりふざけあったりする様子を見ても、一緒に混じりたい!とは思えず。
むしろ「何が面白いんだろう?」とどこか冷めた目で見ていました。

「みんなと同じ」ことをこなすのも大嫌いでしたね。
集団生活を強いられる学校生活は、とにかくストレスでした。
みんなと一緒に机を並べて授業を受けるのが苦痛で、体育も運動神経が鈍かったため楽しめず。
加えて名前も、円(まどか)と女の子みたいな響き。
明らかに周囲から浮いていて、友達のつくり方もわかりませんでした。
まったく学校に馴染めず…苦しかったですね。モヤモヤや劣等感を抱いていました。

一方、家でも居心地は悪かったです。
年の離れた長兄からは、機嫌が悪いと八つ当たりをされることもありました。
父は単身赴任で母もPTA会長などの活動に忙しく、あまり家にいませんでした。
末っ子の私に構っている暇もないのだろうと勝手に思っていました。
家の中では、家族がいつも不機嫌だった記憶があります。

学校でも家でも、居場所がない。
もう、生きているのが嫌で仕方がなかったです。
なんで自分はこの世に存在するんだろう?そんなことばかり、悶々と考えていました。
心から笑うこともない。
笑顔をつくるとしたら、仕方なく笑っている。
そんな子どもでした。

2居場所は、自分で選べる

高校入学後、アメリカへホームステイに行きました。
異文化や広い世界に触れた、初めての体験でした。
「家と学校の他にも、居場所ってあるんだ…」そう学べたことが、自分にとっての救いになりました。

それまでは、家と学校が世界のすべてでした。
そのどちらにも居心地の悪さを感じていた僕にとっては、生きづらさしか感じられなかった。
でも実際には、選択肢は無限に広がっていて、今いる環境での評価・判断がすべてではないと気づけたんです。
「居場所なんて、いくらでも自分で選んでいけるんだ」そう思えたことは、わずかでも人生に希望を与えてくれました。

高校卒業後は、特にやりたいこともなく運送業でアルバイトをするフリーターでした。
あるとき父親から「大学は行っておいたほうがいい。学費は出してやるから」と言われます。
学費を出してもらえるならいいかな、と深い考えもなく大学へ進学することを決めました。

大学生になると、次兄の紹介でディズニーランドでアルバイトを始めます。
楽しくて、楽しくて、一気にのめり込みましたね。
特に一緒に働く仲間との出会いは、自分の世界を広げてくれました。
職場には、価値観や生い立ち・経歴などがバラバラな人たちが集まっていて。
地方から上京してアルバイトだけで生計を立てている人など、大変そうだけど楽しそうに働いているんですよね。

そういう仲間の姿を見ると、生き方の選択肢ってたくさんあるんだなと思えました。
大学に行って卒業して就職するだけが人生じゃないよな、と。
選択肢はたくさんあると知れば知るほど、徐々に生きることが楽になっていきましたね。
職場の仲間とも仲良くなり、人生において「楽しい」と感じられる場面が少しずつ増えていきました。

就職活動に差し掛かり、いくつか企業の面接に行くものの、これといってやりたいことはありませんでした。
バブル崩壊直後で採用活動にもバブルの名残が残っていたこともあり、なんとなく受けた生命保険会社への内定がすぐに決まります。
あとは入社式を待つだけ。
そう思い、残りの学生生活をぼんやりと過ごしていました。

ところが、「なんか違うな」と違和感がよぎります。
内定をもらえたから、という理由だけでなんとなく決めてしまったけれど、本当にいいのだろうか?と思ったんですよね。
自分の幸せについて真剣に向き合わずに決めてしまった就職先で、幸せになれるとは思えない。

そう思い、一度立ち止まりました。
「自分は何になりたい?」「どういう職業観を持っているんだろう?」そう自問自答した結果、もう一度就職活動をし直す決断をします。
内定をお断りすれば、就職は白紙に戻ってしまう。
それでもワクワクしていましたね。
「さぁ、無限にある選択肢の中から、何を選ぼう?」と。
自分の人生と初めて向き合った経験でした。

就職活動を再開すると、文系でもプログラマーになれる「文系SE」という募集枠があることを知ります。
文系出身だったためITに詳しいわけではありませんでしたが、家にコンピューターがあったこともあり身近な存在ではありました。
「PCを使えるようになるのも一つの生き方だな」そう思い、応募をしてみることに。

無事に応募先の企業から内定をもらえ、晴れてプログラマーとして就職することが決まりました。
ですがITの知識や知見がまったく無かったため、入社後は苦戦を強いられます。
人ができるようになる何倍もの時間をかけないと習得できないんです。
使い物にならない、ポンコツプログラマーでした。

その数年後、縁あってマイクロソフトに転職します。
周囲は優秀な人たちばかりだったため、底辺からのスタートでした。
最初は死ぬほど苦労しましたね。
凡人な自分は、突拍子もないことはできない。
だからこそ、目の前のことを地道に一生懸命やることだけに集中しました。

そうして必死にキャリアを積み、入社から10年目を迎えた年。
世界で12人しか選ばれない、マイクロソフトで最高栄誉の賞を受賞することができました。
2〜3万人が入るスタジアムで行われた表彰式。

「Madoka Sawa !」

僕の名前が呼ばれた瞬間、割れんばかりの拍手や歓声、眩いスポットライトを一斉に浴びました。
満面の笑みでガッツポーズをして舞台に上がったときは、最高な気持ちでしたね。

それからITの分野に留まらず、副業としてさまざまな業界や企業のコンサルティングやアドバイザーを務めるようになっていきました。
「澤さんにお願いしたいんです」とバイネームで仕事が舞い込んでくるように。
どんどん、道が切り拓かれていきましたね。

3ありたい自分で生きていい

現在は株式会社圓窓の代表として、企業への研修講師・コンサルティング・アドバイザー・オンラインサロンの運営・執筆・Voicyのパーソナリティー・TBSラジオ・文化放送出演など、分野を問わず幅広く仕事をしています。

幅広く仕事を受けられる理由は、できないところからできるようになったすべてのプロセスを説明できるからです。
例えばプログラマーでも、天才肌の人は感覚でできてしまう。
そのため言語化して説明をしたり、再現性を持たせることが苦手だったりすると思うんですよね。
でも僕は違う。
プログラマーも初心者から始めたので、できない・わからない人たちの気持ちが理解できるんですよ。

「なんでわからないの!?」ではなく、「わからないですよね、それ…」と寄り添える。
ポンコツだから、他人の痛みがわかるんです。

これはITに限らず、あらゆる分野にも通じることなので。
幅広く仕事を手がけられているんだと思いますね。

これからは教育の分野にも力を入れたいです。
現在、客員教授を務めている琉球大学に加え、武蔵野大学でも教員になることが決まっています。
若い世代には僕の経験を含め、ありたい自分で生きていいと伝えたいですね。
たとえ今いる環境が苦しくても、居場所はいくらでもあり、さらに自分で選べるんだと。
そんなメッセージを教育現場でも発信したいです。

学生時代の僕はみんなと同じ「ふつう」ができませんでした。
集団では浮いた状態で、周囲や肩書きに自分を合わせて生きることができなかった。
「自分」というものを模索し続け、生きていくしかなかったんですね。
でもふと考えてみると、それでよかったんだと思います。
会社の肩書きを失った瞬間に、アイデンティティを無くしてしまう人をたくさん見てきました。

だからこそ僕が生きる上で重要だと思うのは、他者との比較をしないこと。
社会的地位や肩書き、相対的なものに価値を求めないことです。
例えば、就活で悩んでいる学生に「何のために就活をするの?」と聞くと、就職活動というプロセスが目の前にあるから、とりあえず乗っかっていると答えるんです。
やりたいことを言語化し切れないまま、社会的地位や肩書きを判断軸にしてしまっている人も珍しくありません。

就活となると、みんな一斉に綺麗に染めていた茶髪を黒くして、黒スーツに白シャツで出てきますよね。
面談をする側として正直に言うと、誰が誰だか見分けもつきません。
その状態で「自分のキャリアをどんどん築いていきたいんです!」と言われても、矛盾を感じます。

他人の目や社会的地位・肩書きを気にする生き方なんて、すごく窮屈じゃないですか。
好き勝手、生きていいんですよ。

そう思うからこそ、若い世代にとって「あんなふうに生きてもいいんだ」と思えるロールモデルになっていきたいですね。
ありたい自分で生きる。
その姿を見せることで、今少し生きにくいな…と、思っている人たちが自分を解放するきっかけになれたらうれしいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2021年1月)のものです

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