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夢も家業も、どっちも諦めない。
しょうゆ娘として美しい女性を増やす
【実家の醤油を広める「しょうゆ娘」・三宅芙沙子】

目次
  1. どうせなら好きな仕事で大変な思いをしたい
  2. つのる家業への思いから「しょうゆ娘」に
  3. 自分に正直に生きる女性が強くて美しい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、システムエンジニアとして働きながら、「しょうゆ娘」として活動する三宅芙沙子さんをご紹介。

大学卒業後、念願だった美容業界で働き始めた三宅さん。ところが、祖父母が相次いで亡くなったことをきっかけに、家業である醤油屋を手伝うことに。まったく違う業界に転身した三宅さんが今思うこととは。お話を伺いました。

1どうせなら好きな仕事で大変な思いをしたい

岡山で160年続く醤油屋の3姉妹の次女として生まれました。
小さいときからニキビが多く、太り気味の体型でした。
周りの友達が可愛くて綺麗な子が多く、見た目にコンプレックスを抱いていました。
テレビで見る女優みたいに強くて美しい女性になりたいと思っていましたね。

いろいろなダイエットも試しましたし、高校生の頃から化粧品も使っていました。

大学に入ってからは、アルバイト代を化粧品やエステに使っていました。
月に5~6万円使ったこともありましたね。
とにかく綺麗になりたかったんです。
見た目が綺麗になると、嫌なことやつらいことも忘れて、人に優しくできるんです。
心も軽くなっていく感覚でしたね。
化粧品を買ったり、エステに通ったりするうちに、将来は美容業界で働きたいなと思いました。

就職活動で化粧品会社など美容業界を何社も受けたのですが、全て落ちてしまいました。
美容業界でしか働くつもりがなかったので、焦りましたね。
焦るうちに、自分を採用してくれる会社ならなんでもいいと思い、片っ端から面接を受けました。
結局、内定をいただいた東京の情報システム会社にシステムエンジニアとして入りました。

就職後は、毎日朝から晩まで働きました。
残業は当たり前、仕事が終わらず徹夜することもありましたね。
クリスマスも年末年始も仕事をしていました。
エステに行く時間も取れず、だんだんと体と心が疲れ、ストレスから円形脱毛症になってしまいました。

体も心も限界がきていると思い、私は実家の両親に相談しました。
両親は「すぐに帰ってきなさい」と言ってくれました。
その言葉を聞いて、「あ、帰っていいんだ。会社を辞めていいんだ」とホッとした気持ちになりました。
私は1年数ヶ月働いた会社を辞め、岡山に帰りました。

帰ってしばらくは家でゆっくり過ごしたり、旅行をしたりしました。
リフレッシュして体調も回復するうちに、次の仕事のことを考えられるようになりました。
仕事は大変なもので、どうせ大変なら好きな仕事をしたほうがいい。
次こそは美容業界で働きたいと思いました。

働く前にもっと詳しく業界のことを知りたいと思いました。
ツテを辿っていろいろな美容関係者に話を聞くうちに、独立して活躍しているエステティシャンに憧れるようになりました。
前職の仕事でプライベートの時間がほとんど取れなかった経験から、会社勤めはしたくない、自由な時間で働ける環境がいいなと思ったんです。
私は独立を目指して、都内のエステサロンで働き始めました。

エステサロンで働いていた頃の三宅さん

エステサロンで働いていた頃の三宅さん

サロンでは一生懸命働きました。
朝から晩まで仕事をして、学べることはなんでも吸収しましたね。
好きな業界で働けているので、長時間労働も苦になりませんでした。
働いているうちに肌の状態も良くなっていきました。
自分の気持ちに正直になってやりたいことをやると、体も心も良い状態になるんだと実感しましたね。

2つのる家業への思いから「しょうゆ娘」に

東京で充実した時間を過ごしていた頃、母方の祖父母が相次いで亡くなりました。
悲しみに暮れる母親を見て、自分の親もいつかこの世からいなくなるのだと実感しましたね。

もし両親がいなくなって、私を含めた3姉妹が醤油屋を手伝わなかったら、醤油屋がなくなってしまうかもしれないと思いました。
そうなると、いくら私がエステティシャンとして独立し、成功しても全然うれしくないなと思ったんです。

祖父母の葬儀が終わって東京に戻ってからは、自分の好きなことばかりしていいのかと考えるようになりました。
醤油屋は姉が継ぐことが決まっていたので、家族は私に醤油屋を手伝うことを望んでいたわけではありませんでした。

でも、私も何かの形で醤油屋を手伝いたい気持ちが大きくなっていったんです。
醤油屋には関わりたいけど、エステティシャンは辞めたくない。
そんな葛藤を抱えていることを仲良しの友達に相談したところ、「休みの日に醤油を売ればいいんじゃない。一緒にやろうよ」と言ってくれました。
これなら私なりに醤油屋に関わることができる。
しかも友達と一緒にできるなら心強いと思い、私は姉に頼んで醤油を送ってもらいました。

私は「しょうゆ娘」と名乗り、都内の商店街で醤油の手売りを始めました。
実家の醤油は東京の醤油と違って甘いので、どうしたら東京の人が買ってくれるか考えました。
手書きのチラシやパンフレットを作り、ちょっとでも岡山の醤油を知ってもらう工夫をしました。

少しずつ醤油は売れていきました。
中には繰り返し買ってくれる人もいたんです。
岡山の醤油が東京でちょっとずつ広まるのがうれしかったですね。
私はしょうゆ娘の活動が楽しくなっていきました。

醤油を手売りする様子

醤油を手売りする様子

エステティシャンをしながらしょうゆ娘の活動をする中で、実家の母に仕送りをしたいと思うようになりました。
母が好きなことに使えるお金があればいいと思ったんです。
でも、私の給料はそんなに高くなく、今の自分の生活を維持するだけでギリギリでした。

どうすればいいのか、知り合いのファイナンシャルプランナーに相談したところ、「仕事を変えるのが一番だ」とアドバイスをもらいました。
私がエステティシャン以外でできる仕事は前職のシステムエンジニアしかありません。
2つを比べたとき、システムエンジニアのほうが平均給与は高いんです。
悩みましたが、私は母に仕送りできるならと思い、サロンを辞めてフリーランスのシステムエンジニアになりました。

システムエンジニアとして働きながら、土日にエステのバイトをしていました。
でも、週末のマルシェで醤油を売り始めてから、エステのバイトもできなくなりました。
もう美容業界に戻れないかもしれないと不安を覚えましたね。

どっちの業界も諦めたくなかったので、醤油と美容を結びつけることはできないかと考えました。
考え抜いた結果、食を通じた美容なら醤油との親和性があると気づきました。
醤油は大豆や小麦を時間をかけ発酵させて作ります。
その過程で健康にいい成分が生み出されるんです。
私は醤油を使った美容と健康のワークショップを始めました。

3自分に正直に生きる女性が強くて美しい

現在はフリーのシステムエンジニアをしながら、しょうゆ娘としてマルシェに出店して醤油を販売したり、醤油を使った料理を作るワークショップも開催したりしています。
今後は、大好きな醤油をもっと知ってもらうための活動をしていきます。
実家の醤油を知らない人たちにアプローチして、世界中の人に醤油の素晴らしさを知ってほしいです。

小さいときのコンプレックスから、美しくて格好いい女性になりたくて、化粧やエステにのめり込んで外見を磨いていきました。
外見も大事ですが、今は「自分の好きに、正直に生きる女性」が、強くて美しいと思っています。
誰かに決められた生き方ではなく、自分で考えて、素直に行動する生き方を選ぶと、結果的に女性は綺麗になると思います。

東京で働きながら、しょうゆ娘の活動をしている今は人生で一番肌の状態も良いし、心身ともに充実しています。
私の生き方を見て、素直な生き方を目指す女性が増えてくれれば、非常にうれしいですね。

マルシェで醤油を販売、東京にて

マルシェで醤油を販売、東京にて

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年12月)のものです

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