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新天地での出会いから人生が好転。
佐倉に地産地消の芸能文化をつくりたい
【作曲家・秋山裕和】

目次
  1. 信念を持った人間に憧れた
  2. 生まれ育った佐倉に地産地消の芸能文化を
  3. 種を蒔く人になりたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、作曲家の秋山裕和さんをご紹介。

18歳の時に家出を経験し、別の土地に移り住んだ秋山さん。その土地での出会いからもう一度地元に戻り、挑戦する道を選びます。一度離れた町・佐倉に戻ってきた秋山さんは今、何を思うのか。お話を伺いました。

1信念を持った人間に憧れた

両親が理容師だったので、僕も将来は理容師になるんだろうなと思いながら高校まで過ごしました。
特に目標もなく、惰性で生きている感覚でしたね。
理容師になるには国家資格を取らないといけないので、高校卒業後は理容の専門学校に進みました。

しかし、学校は数ヶ月で辞めてしまいました。
授業を受けるうちに、理容師という仕事にどうしてもモチベーションが上がらない自分に気づいたんです。
理容師として幸せになるビジョンが浮かばず、もっと広い視野でいろいろな可能性を試したくなりました。

退学した後、家出をしました。
父親との関係がうまくいっていなくて、父親から言われた心ない言葉がものすごくショックだったんです。
翌日、僕は18年間住んだ千葉県佐倉市を離れ、友人が多く住んでいた東京都八王子市に移りました。

突発的な家出だったので、八王子では何もすることがありませんでした。
時間を持て余す毎日でしたね。
そんな日々が続くと、自分はすごくダメな人間なのではと思うようになっていきました。

ある日、八王子に面白いDJスクールがあると噂を聞き、足を運んでみました。
やることもなかったし、何か自分の可能性を広げる足がかりになればいいと思ったんです。
始めてみるとDJは奥深く、スクールに行くのが楽しくなりました。

スクールでは、特に2人の男性と親しくなりました。
1人は1歳年上の男性で、スクールの管理人。
父親の会社を継ぐことが決まっていて、父親の元で勉強している努力家、頭の回転が早くロジカルに物事を考える人です。
もう1人は、13歳年上のとび職の男性。
オシャレで、芸術肌で絵を描くのがとても上手でした。

スクールが終わった後、3人で夜通し語ったりドライブしたりしながらいろいろな話をしました。
DJや音楽のことはもちろん、人生論についても語り合いましたね。
2人は僕よりも知識や経験が豊富だったので、僕にたくさんのアドバイスをくれました。
3人で話す時間が楽しくて仕方ありませんでした。

3人で話を重ねていくうちに、信念を持った2人に憧れました。
そうなるにはどうすればいいのか考えたとき、まず行動力が足りないと感じました。
2人はいろいろな経験をしたからこそ言葉にも強さがある。
言葉に強さがあれば人にポジティブな影響を与えることもできる。
そういう人間になりたいと思ったんです。
僕も何かすぐに行動を起こしたいと強く思いました。

新しく何か始めるには、ある程度のお金が必要ですが、当時は貧乏でした。
早くお金を貯めるにはアルバイトではいけないと思いました。
そこで父親と和解し、千葉県佐倉市の実家に戻り、理容師の資格を取り直して働くことにしました。

2生まれ育った佐倉に地産地消の芸能文化を

実家に戻ってしばらくして、知り合いの劇団から音響の仕事を頼まれました。
劇の場面にあわせてDJ機材を使って曲を再生する役割です。
仕事は面白かったですね。
僕が選ぶ曲で劇の雰囲気が変わるし、劇にあわせて曲を考える作業が楽しかったです。

しかし、これが本当に自分のやりたいことかというと、そうではありませんでした。
DJも音響も楽しいけど、他者の音楽を借りている点で、満たされない、モヤモヤした感覚がありました。

僕は、音響を頼まれた劇団に「劇団で使う曲を僕につくらせてほしい」とお願いしました。
このモヤモヤ感を打開するには、自分自身で音楽をつくるのがいいと思ったんです。

右も左も分からないままなんとか曲を仕上げました。
曲は劇団から一定の評価を受けました。
作曲なら自分の世界で思いを表現できる。
作曲の情熱があふれてきてモヤモヤした心境に光が差した様な気がしましたね。

理容師として実家の理容室で働きながら劇団の曲をつくり続けました。
憧れの演出家が作曲家を募集していると知り、自分の曲を送ったら楽曲制作を依頼されました。
少しずつ世の中に自分の楽曲が評価され、華やかな世界に近付いている感覚が得られてうれしかったですね。

自分の楽曲をもっと世間に知ってほしいと、つくった楽曲を無料素材としてインターネット上に公開しました。
当時は個人でホームページをつくるのが流行していて、いろいろな方が自分の楽曲を使ってくれました。
本当にうれしかったですね。

僕の元に素材を聞いた人から作曲の仕事依頼が来るようになりました。
宝塚歌劇団や、アニメ映画の音楽などさまざまな依頼がきました。
中には自衛隊からの依頼で楽曲を提供したこともあります。
いろいろな人と仕事をするようになって、知見や人脈が広がっていきました。

自衛隊からの依頼で楽曲を提供したときの様子

自衛隊からの依頼で楽曲を提供したときの様子

作曲家としてキャリアを積み、ネット上でも名が知られるようになり、このキャリアや人脈を次のステップに活かすにはどうすればいいかを考え始めました。
そのとき浮かんだのが、一度は捨てた地元・佐倉市のために何かしたいという考えでした。

佐倉は自分がすごく弱かった頃を知っている街で、自分にとっては特別な場所です。
そこに向き合わずに生きるのは、その当時の自分を切り捨て、自分の中にポッカリと穴が開いたまま生きていくことになります。
それを埋めるため、佐倉のために何かしたいと思ったんです。

そこで、これまでのキャリアや人脈を活かして、佐倉を盛り上げようと頑張っている若者や役所の人とクリエイターをつなぐ活動を始めました。

3種を蒔く人になりたい

現在はヘアサロンを経営しながら、作曲家として音楽活動をしています。
テレビCMやYouTuberが使うフリー素材の楽曲、舞台音楽、ゲーム音楽などをつくっています。

佐倉市を盛り上げる活動としては、2024年度に発行される新しい5000円札のモデルで、佐倉で育った津田梅子を取り上げた演劇をプロデュースし、古民家で地元の演奏家の皆さんとコラボレーションしました。
佐倉市の歴史をストーリーにしたスマホRPGのテーマ曲もつくりました。

秋山さんがプロデュースした佐倉の古民家「旧平井家」での和ライブ

秋山さんがプロデュースした佐倉の古民家「旧平井家」での和ライブ

今後は自分にできる形で佐倉をもっと盛り上げていきたいです。

佐倉には歴史や建造物、お祭りなど素晴らしいコンテンツがあるので、若い人達の感性を取り入れ、新しい形でアピールしていければと考えています。
また、若いクリエイターが地域に参加することで、地産地消の芸能と、それを支えるコミュニティが形成されればと思っています。
長期スパンの計画になりますが、「種を蒔く人」として地域に関わっていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年12月)のものです

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